2004年09月29日

ことばについての伝説

【410】
ことばについての伝説
 岡島昭浩
 - 04/9/29(水) 9:30 -
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ことばについての伝説を書きとめたいと思います。
「伝説」は、何か典拠を示さずに伝聞で書いているものとか、本来の姿から変容してしまったものなどを考えています。
多元的発生を見せる、コンダラー伝説、月極伝説も、伝説と呼びましたが、これらは「〜〜と勘違いする人が居るそうだ」「某は〜〜と勘違いをした」などの形を取る伝説でありましょう。
ジョン万次郎の「掘った芋」伝説、長島茂雄の外来語にまつわる伝説、森元総理の伝説など、個人に付与される伝説もあります。



【411】
Re:ことばについての伝説 キーンの「白足袋と白手...
 岡島昭浩
 - 04/9/29(水) 10:26 -
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『イメージとしての日本 日本文学翻訳の可能性』大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」報告書 2003.12.15のジャック・ストーンマン「カジュアル・ソーセージ、コーンぬき」から。
ドナルド・キーン先生はこんな話をしてくださいました。ある小説を翻訳されている時のことです。ある女性が足袋を履く姿を見て、鑑賞というか、主人公が興奮する場面があり、先生は「足袋」をどう訳したらいいだろうと悩まれたそうです。そして、悩んだ挙句、先生は昔のアメリカやヨーロッパのお嬢様の使うような長くて白い手袋、"white glove"と訳しました。(p38-39)


これは、2003.3.16に行われたシンポジウムの記録で、私も聞いていました。聞いたときに、私の覚えているものと違う、と思い、心当たりの本を見たのですが、見当たりませんでした。

最近ブックオフの100円均一で入手した佐藤紘彰『訳せないもの 翻訳にからめた文化論』(サイマル1996.8)に、私の記憶していた方の話が、「かなり有名な話」として載せてありました。
太宰治の「斜陽」
村の先生は、もうだいぶおとし寄りのようで、そうして仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)を着け、白足袋をはいておられた。
と、
お昼すこし前に、下の村の先生がまた見えられた。こんどはお袴は着けていなかったが、白足袋は、やはりはいておられた。
についてで、キーン訳では、後者の方に"white glove"が現れる、という話です。

同書に依れば、村上陽一郎「玄白の翻訳論」にも見えると言うことですが、「中央公論あたりに出たのであろう」とあるだけで、どこにあるのか判りません。
でも、どこかで見たような気もします。

なお、足袋への「フット・フェティシュ」(『イメージとしての日本』p39)といえば、谷崎の「鍵」を思い出しますが、Howard Hibbettという人の訳はあるようですが、どう訳しているのでしょうか。



【412】
Re:ことばについての伝説 キーンの「白足袋と白手...
 岡島昭浩
 - 04/9/29(水) 21:43 -
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▼岡島昭浩:

>同書に依れば、村上陽一郎「玄白の翻訳論」にも見えると言うことですが、「中央公論あたりに出たのであろう」とあるだけで、どこにあるのか判りません。


『文藝春秋』(1992年3月)であるようです。参照
文春文庫の巻頭随筆集かベストエッセイあたりで見たのかもしれません。



【654】
Re:ことばについての伝説 キーンの「白足袋と白手...
 岡島
 - 05/1/9(日) 15:06 -
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別宮貞徳『翻訳読本』講談社現代新書1979.4.20のp159に、
ドナルド・キーン氏が『斜陽』の翻訳で、白足袋を white gloves と訳した(中略)。白足袋が礼装であるのに対し、white socks はテニスにでも出かけそうなカジュアルな服装です。儀式ばった礼装というなら white gloves がぴったり。
とありました。



【660】
Re:ことばについての伝説 別スレ
 岡島昭浩
 - 05/1/10(月) 18:15 -
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「姨捨山に照る月を見で」と塙保己一
謡曲共通語
米洗う前に蛍が二つ三つ
ライオンの話
起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
また、
疑わしい語源説の出所も関連スレッドです。



【700】
Re:ことばについての伝説
 岡島昭浩
 - 05/1/25(火) 1:56 -
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誰かが、と言えないようなことでも、有名人(あるいは特定の個人)のしたことにしたり、長い歴史の中で徐々に変化したと思われるものを、歴史(政治史)上の大きな変革期に突然変わったもののように捉えたり、方言であれば、典型的な方言のことのように言ったり(典型的方言は九州方言と東北方言かな)。




2004年09月07日

われはロボット

【342】
われはロボット
 岡島昭浩
 - 04/9/7(火) 22:20 -
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「I,robot」という映画の題名を聞き、「われはロボット」やな、と思いました。

書店では、新しく訳されたらしい『アイ・ロボット』角川文庫と『わたしはロボット』創元推理文庫が置かれていた。私は『われはロボット』という言い方をどこで覚えたのだろうと思って調べてみると、ハヤカワ文庫SFが『われはロボット』を出したのは、昭和五十八年だからそれではない、もっと古いはず。ハヤカワSFシリーズ1963、いやぁ、これではなさそうが、このように訳したのはこれが古いところなのか。小尾芙佐訳。

ポプラ社のSFシリーズ、昭和47。これ、中学の図書館にあったかなぁ。

本ではなく、入門書で題名に触れたのかも知れません。「I,robot」という原題とセットで認識しましたし。

「I am a robot.」でなく、「I,robot」というのが、ロボットらしい非人間的な言葉遣い(切りつめた言い方)を想起させ、それを「われはロボット」と訳したのだろう、と思っていましたが、今、思うに〈役割語〉的ですね。

「おれロボット」とか「拙者ロボット」では、どうもそれらしくありませんし、「わたしロボット」では女性的と思われ兼ねない。「われはロボット」ってのは、まあ、落とし所といいますか。

古めのSFで、未来人だとかのしゃべる言葉は、格助詞が省略されたりしますが、あれは向こうのSFの、こういう「I,robot」式の言い方の影響なのか、それとも日本語に内在するものなのか、どうなのでしょう。



【344】
未来人的しゃべり
 岡島昭浩
 - 04/9/8(水) 0:29 -
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たしか眉村卓にあったはずだと思い、文庫本棚のSF段を漁ると『産業士官候補生』ハヤカワ文庫JAがあり、これだ、と思いましたら、やはりそう。これは、
頭の回転が速くなってきたのがわかり、それとともに、ありきたりの話し方では、まどろこしいような気分になる
という設定でした。「私、表情訓練の要」「感情・必要以上に反映。筋肉コントロール自習」という感じ。

#この本の目次で「スラリコ・スラリリ」という文字列を見たときに感じた懐かしさ。全く忘れていたのに、すぐに頭の中で「ヒルルト・リリリ」という、後続の文句が浮かんできた。メロディーもないのに。



【364】
Re:未来人的しゃべり
 岡島昭浩
 - 04/9/13(月) 23:20 -
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小松左京「せまりくる足音」という短編がありました。「未来人的しゃべり」というよりも、若者の俗語が激しくなって行ったもの、というべきかもしれませんが。
「あんた、スゲイカ……」
おそらく、「すげーいかす」の意味ですが、「いかす」はともかく、略し方は現在の若者語のようです。

1968年の作品。新潮文庫『アダムの裔』、集英社文庫『実験小説名作選』(筒井康隆編)に収録。