2005年10月17日

戦勝60周年

【820】
戦勝60周年
 道浦俊彦
 - 05/5/12(木) 5:11 -
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5月9日、ロシアで対ドイツ戦勝60周年の式典が華々しく開かれましたが、疑問に思ったのは、
「なぜ50年ではなく60年なのか?」
ということです。私などの感覚では50年の方が「節目」だと思うのですが、何かロシアを始めとした欧米には「60年」を区切りと考えるようなものがあるのでしょうか?還暦?ではないですよね。
50年の時もこのような式典がロシアであったかどうかはわからないのですけど。単に10年ごとの式典なのでしょうか?それとも12進法、あるいは60進法との関連はあるのでしょうか?



【821】
Re:戦勝60周年
 面独斎
 - 05/5/12(木) 5:40 -
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高知新聞社説より。

「10年前の50周年記念の式典もモスクワで行われた。」

http://www.kochinews.co.jp/0505/050508editor.htm



【827】
Re:戦勝60周年
 道浦俊彦
 - 05/5/16(月) 21:59 -
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▼面独斎さん:
>高知新聞社説より。
>「10年前の50周年記念の式典もモスクワで行われた。」


そうだったのですか!じゃあ、特に60年を意識していないのでしょうか?
70年も80年も90年も、もちろん100年も、110年もやるのでしょうか?そこまで生きてないので、わかりませんが。

ただ、この高知新聞の中には、

>10年前の式典で軍事パレードには各国首脳も欠席した。ロシアがチェチェン
>の独立を抑える軍事介入を本格化させていたからだ。その情勢は大きく変わって>はいない。エリツィン政権を継いだプーチン政権は、旧ソ連圏への影響力を失う>まいと強権的な内外政策をとり続ける。


というふうに書かれています。
50周年の式典であるにも関らず、各国首脳は欠席したのですね。そしてチェチェンをめぐる情勢はその時と大きく変っていないにも関らず、今回の60周年は出席したのは、やはり50年より60年の方が重要視されているということとでは?
たまたまですかねえ・・・。



【832】
Re:戦勝60周年
 面独斎
 - 05/5/18(水) 6:28 -
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>50周年の式典であるにも関らず、各国首脳は欠席したのですね。


式典には出席したが、式典の一部である軍事パレードには欠席した――と私は読みましたが……。



【834】
Re:戦勝60周年
 岡島昭浩
 - 05/5/18(水) 11:09 -
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▼道浦俊彦さん:
>50年の時もこのような式典がロシアであったかどうかはわからないのですけど。単に10年ごとの式典なのでしょうか?それとも12進法、あるいは60進法との関連はあるのでしょうか?


西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
それを思い出しました。



【835】
Re:戦勝60周年
 佐藤
 - 05/5/18(水) 12:51 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。


柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。



【836】
Re:戦勝60周年
 岡島昭浩
 - 05/5/18(水) 17:06 -
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▼佐藤さん:
>▼岡島昭浩:

>>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。

>
>柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。


おお、佐藤さん、どうもありがとうございます。実は、「ひょっとして柴田武かも」と書きかけて、なぜそう思うのだろうという自分の感覚が全く説明できないものだったので、消したのでした。

御情報をいただき、すごくすっきりした気分です。



【838】
Re:戦勝60周年
 道浦俊彦
 - 05/5/18(水) 17:24 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
>それを思い出しました。


あ!確か鈴木孝夫です!私もそんな気がしてきました!確認してみます!



【839】
Re:戦勝60周年
 道浦俊彦
 - 05/5/18(水) 17:29 -
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>▼岡島昭浩さん:

>>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
>>それを思い出しました。

>
>あ!確か鈴木孝夫です!私もそんな気がしてきました!確認してみます!



すみません・・・最後まで読んでから書けばよかった・・・柴田武さんですね。読んでみます。ありがとうございました。



【841】
Re:戦勝60周年
 satopy
 - 05/5/18(水) 22:12 -
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▼岡島昭浩さん:
>>柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。

>
>おお、佐藤さん、どうもありがとうございます。実は、「ひょっとして柴田武かも」と書きかけて、なぜそう思うのだろうという自分の感覚が全く説明できないものだったので、消したのでした。


いや、混線されるのも分かります。1980〜90年ごろって、日本文化論、比較文化論みたいなものがけっこう流行ってましたよね。何か一語で象徴して語らせようというのから始まって(大和魂・間・甘え…… ちょっと懐かしい)。「切手の五枚と六枚」もそのころが初出だったように思います。



【844】
Re:戦勝60周年
 NISHIO
 - 05/5/19(木) 17:45 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。


洋食器は6客揃え、和食器は5客揃えが基本ですね。奇数を吉とする陰陽思想の影響でしょうか。仏教では「六」も重要な数のようですが。




感動詞

【842】
感動詞
 Yeemar
 - 05/5/19(木) 1:10 -
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なんというスレッドを立てればいいのかよく分かりませんので、「感動詞」としておきます。

道浦俊彦さんの「平成ことば事情」ことばの話2072の「『ごくせん』と『こるああっ』」で、漫画「ごくせん」の主人公が「こるああっ」と怒ることについて書かれています。「2ちゃんねる」では半角カタカナの「ゴルァ」ですね。

山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(新潮文庫 平成15年8月5日41刷 p.68)では、「ク、ラアー」というのが出て来ます。
松本上等兵はクスッと笑って、「おい、江分利よ、初年兵さんよ、おめは片目がつぶれねえのかよ」江分利は答えない。「なんとか言わねえかよ」江分利は目の前の蟻{あり}の動きを追った。「ク、ラアー(コラ!)」ときた。笑いからすぐ激怒に変る軍隊演技というものがある。
おそろしさを感じさせるため、「こら」をさまざまに変化させるのですね。



【843】
Re:感動詞
 道浦俊彦
 - 05/5/19(木) 15:26 -
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▼Yeemarさん:
>おそろしさを感じさせるため、「こら」をさまざまに変化させるのですね。


そういう意味では、外国語や擬音語みたいに、聞き取りようによって、表記が変るとも言える気がしますね。


オヤジギャグの初出は?

【828】
オヤジギャグの初出は?
 道浦俊彦
 - 05/5/16(月) 22:03 -
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「オヤジギャグ」という言葉は、『日本俗語大辞典』(米川明彦編)だと1998年版の『現代用語の基礎知識』の用例が出ていますが、もっと古くから使われていたような気もします。いつ頃から使われていたのでしょうか?どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?



【829】
Re:オヤジギャグの初出は?
 Yeemar
 - 05/5/16(月) 23:44 -
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▼道浦俊彦さん:
>「オヤジギャグ」という言葉


とりあえず、新聞の用例ですが、「朝日新聞」1990.01.23 p.18に中尊寺ゆつこさんの談話が載っています。
「コースに出る時は、おじさんの中に紅一点、なんてことも。オヤジギャグをとばして、昼間からビール飲んで……。“オヤジギャル”って、ゴルフ場で思いついたんです」
ある範疇の人々を「オヤジ」というくくり方をするのは、そういえば、このころからかなあ、と思いますが、いかがでしょうか。



【833】
Re:オヤジギャグの初出は?
 道浦俊彦
 - 05/5/18(水) 7:51 -
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▼Yeemarさん:
>とりあえず、新聞の用例ですが、「朝日新聞」1990.01.23 p.18に中尊寺ゆつこさんの談話が載っています。
「コースに出る時は、おじさんの中に紅一点、なんてことも。オヤジギャグをとばして、昼間からビール飲んで……。“オヤジギャル”って、ゴルフ場で思いついたんです」
ある範疇の人々を「オヤジ」というくくり方をするのは、そういえば、このころからかなあ、と思いますが、いかがでしょうか。


やはりそうでしたか!私も中尊寺ゆつこさんの「オヤジギャル」から派生したのではないかと思っていました。それだと1987〜8年頃にさかのぼれるのではないかと思っていました。語感も似ているし。この記事を読むと、「オヤジギャル」よりも古いかもしれませんね。


せーの#

【831】
せーの#
 岡島昭浩
 - 05/5/17(火) 0:48 -
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せーのの続き。

江国滋『男女驚愕』旺文社文庫に「いっせのせ」という文があるようです(旺文社文庫目録による)


親が…… #

【830】
親が…… #
 Yeemar
 - 05/5/16(月) 23:58 -
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親が……
の続きです。

自分の親のことを人に言うとき「親が」と表現することに違和感を抱いていましたが、あまり、世間ではあまり話題になっていないようです。

ただし、道浦俊彦さんが旧会議室の「自分のことを「女性」「男性」」で「「ボクの父親が」「私の母親が」と「親」をつけて言う傾向」を指摘されています。

西谷元夫『よけいなお世話』(有朋堂 1996.01.31)p.29「親が〜」に、この語をとがめている記述を見つけました。
〔新聞の29歳の女性歌手の談話に触れ〕このように「父親」を「親」「父親」「お父さん」と言っている。他人に対して両親を「親」というのは最近の若い人たちの傾向らしい
この件に関し、この著者の感覚と私の感覚は同じであるようです。


辞書の使用証言(戦前まで)

【414】
辞書の使用証言(戦前まで)
 佐藤
 - 04/9/30(木) 0:15 -
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「私はこういう辞書を使っていた(持っていた)」などという例がありましたらお教えください。あるいは逆に「そんな辞書は知らん!」というのも。その時代その時代で、どんな辞書が人々にどのように受け取られていたかが分かるものなら何でもありがたいです。実体験がいいのですが、それに準ずる自伝的な小説でもよいと思います。たとえば、中野重治からの連想で『梨の花』。なぜか辞書の叙述が長く続くのですが、とりあえずはちょっとだけ。某F氏より御教示いただいた例です。
「……カナザワのジリン、持ってる……」
「僕のは、オオツキのゲンカイさ……」
 いかにも自慢たらしくそれが良平に聞えた。「ジリン」、「ゲンカイ」、それが国語辞書のことなのは良平にもよくわかった。その前に、何やらちょっと口々にいったものがあって、もう忘れたがそのことでそれはわかっていた。そしてたぶん、「オオツキ」、「カナザワ」というのは、辞書をこしらえた人の名だろうということもわかっていた。しかしそんなものは、良平は見たこともない。本の名を聞いたこともない。(略)大人のほうで買って子供にくれたのだったかも知れない。(略)子供の教育ということを、その子供というのは良平の同級生のことなのだが、家のもののほうで考えていてやるといったふうな家庭が、福井の町にはあるのだな……(筑摩書房『中野重治全集』第六巻より)




【415】
Re:辞書の使用証言 大宅壮一
 岡島昭浩
 - 04/10/2(土) 15:31 -
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大宅壮一『青春日記(上)』中公文庫。当時、茨城中学の一年生から二年生。
(大正四年)十月二十七日 水曜日 晴
……帰途虎谷にて先日父に頼みて許を受けし『漢和大辞林』を購い実に嬉し。僕が今迄持てる辞書等とは比較にならず……
十一月三十日 火曜日 晴
……帰途虎谷で銭を払った。今月は『漢和大辞林』を買ったので約二円あった。

『漢和大辞林』は郁文舎のものでしょうか。また、
(大正五年)四月三日 月曜日 晴
……大阪の西村直之助君来る。雑談に時を移す。『作歌新辞典』『日記文練習法』の二書を貸して『新世界』の三・四月号を借る

『作歌新辞典』は、金子薫園のものでしょう。四月三十日に返却記事あり。四月十七日の記事、
 漢文の時間、読本附属字引の不必要より起りて予習の利益、方法を説き、殊に復習の易くて得る所多きを教える。……教室を出づれば寄気君は無言にて我に小さき本を握らせたり。見れば漢文の字引なり。先生の言に感じたるならん。……夜、漢文の復習をなしついでに次の頁を読みしに知らぬ字あり。大字引を引くもじゃまなり。ふと此の時目に映りし寄気君より預りし字引なり。早速手を取らんとせしに思わずはね返りたり。我がこれを使えば寄気君を欺きて盗用せるなり。此に於て我はこれを絶対に開かざるように封せり。




【426】
Re:辞書の使用証言(戦前まで) 林芙美子
 岡島昭浩
 - 04/10/4(月) 21:45 -
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『林芙美子随筆集』岩波文庫から「生活」。昭和十年前後の随筆らしい。

書いていて一番|厭《いや》なのは、あふれるような気持ちでありながら、字引を引いて一字の上に何時までも停滞していることが、一番なさけない。私の字引は、学生自習辞典と云うので、これは、私が四国の高松をうろうろしていた時に七拾五銭で買ったもの、もう、ぼろぼろになってしまっている。何度字引を買っても、結局これが楽なので、字が足りないけれどこれを使っている。(p158)




【438】
Re:辞書の使用証言 青空文庫で"言海"
 佐藤
 - 04/10/5(火) 22:45 -
----
9件ありました。こちらから



【441】
Re:辞書の使用証言 言海の不使用
 岡島昭浩
 - 04/10/7(木) 0:31 -
----
森鴎外の『鸚鵡石』(参照

楽文館は僕の書く字を直さうとするのだから言海位は開けて見たつて好いではないか。




【442】
Re:辞書の使用証言 "言海"
 岡島昭浩
 - 04/10/7(木) 0:47 -
----
直接ではないのですが、メモまで。
丸谷才一『文章読本』中公文庫の「第六章 言葉の綾」から。

北原白秋が暇さへあれば『言海』をのぞいてゐたといふのはよく聞く話だけれど、あれだつて、上代歌謡から『隆達小歌集』『松の葉』まで、よく親しんでゐたからこそ霊験あらたかなことになる。(p130)


白秋が言海を食べたというのは、辞書を食べた人々



【443】
Re:辞書の使用証言 青空文庫で"言海"
 岡島昭浩
 - 04/10/7(木) 0:53 -
----
▼佐藤さん:
>9件ありました。こちらから


青空文庫には、漱石の『明暗』もはいっているのですが、なぜかひっかかりません。
筆を擱(お)いた彼女は、もう一遍自分の書いたものを最初から読み直して見た。彼女の手を支配したと同じ気分が、彼女の眼を支配しているので、彼女は訂正や添削(てんさく)の必要をどこにも認めなかった。日頃苦にして、使う時にはきっと言海(げんかい)を引いて見る、うろ覚えの字さえそのままで少しも気にかからなかった。てには違のために意味の通じなくなったところを、二三カ所ちょいちょいと取り繕(つくろ)っただけで、彼女は手紙を巻いた。




【444】
Re:辞書の使用証言 青空文庫で"言海"
 岡島昭浩
 - 04/10/7(木) 0:57 -
----
千曲川のスケッチも、ひっかかりませんね。

近所での物識(ものしり)と言われている老農夫である。私はこの人から「言海」のことを聞かれて一寸驚かされた。




【445】
Re:辞書の使用証言 青空文庫で"辞林"
 佐藤
 - 04/10/7(木) 20:26 -
----
岡島さん、いろいろ御指摘いただきありがとうこざいます。青空文庫のデータは、パソコン雑誌の付録として収録されることもありますね(最近買ってないので分かりませんが)。それでGREP懸ける方が正確かもしれませんね。

といいつつ、つい便利なのでweb上で。「辞林」は4例のみ。うち2例が太宰。



【476】
Re:辞書の使用証言 青空文庫で"辞林"
 岡島昭浩
 - 04/10/17(日) 20:10 -
----
最近、「Namazu による『青空文庫』全文検索システム」というのが、始まりました。そこによれば、
宮本百合子「獄中への手紙 一九三八年(昭和十三年)」に、「広辞林」が見えます。

なお、辞書に「辞林」が入っていないようなので、申請しておきました。



【825】
Re:辞書の使用証言(戦前まで) 辞林
 岡島昭浩
 - 05/5/15(日) 2:28 -
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安藤鶴夫「辞書について」(旺文社文庫『ごぶ・ゆるね』p152)
金沢庄三郎の“辞林”であった。少し、細長い辞書で、その時の表紙の手ざわりさえおぼえている。鬼の首をとったという形容が、そのままぴったりする喜びのようであった。それにその1冊〈ママ〉の辞書を持ったために、わたしは天下の秀才になったような、誇りかな気持ちになった。

(「辞書」昭和39年2月号)


blog

【732】
blog
 岡島昭浩
 - 05/2/20(日) 22:15 -
----
blogというのが流行りだして、暫く経ちますが、掲示板との違いはなんだろうと思っていて、やはりトラックバックであろうと思いました。

トラックバックは、引用・被引用の幸福な関係が築けるかも知れません。

日本語史資料の連関

blogのサービスが大容量化してきました。
うわづらをblogで



【824】
Re:blog
 岡島昭浩
 - 05/5/14(土) 14:52 -
----
ASAHIネットが会員向けに、blogサービスを始めたので、作ってみました。

http://kokugogaku.asablo.jp/blog/


本の電子化

【121】
本の電子化
 岡島昭浩
 - 04/5/30(日) 22:07 -
----
http://www.rr.cs.cmu.edu/mbdl.htm
The Million Book Digital Library Project
だそうです。



【122】
Re:本の電子化
 Yeemar
 - 04/5/31(月) 12:21 -
----
100万冊の本を電子化して自由に閲覧、検索ができるようにしようというプロジェクトで、米カーネギー・メロン大学が主唱しているということですね。

すべての書物は電子化されるべきである。そんなことは不可能だという人のために、まず2005年までに100万冊を電子化してみせる。

「100万冊と言やあ、本学の総合図書館に匹敵する規模ですよ」というのですが、著作権問題はどう解決されるのでしょうか。ざっと読むと、「紙の本なんてすぐ市場から消えてしまうのだから、著作権なんて持っていてもしかたがない、デジタル化に提供したほうが得ですよ」というようなことを言っているようです。つまりはまだ著作権問題は解決されていないということと思います。しかし、この鼻息からすると早晩解決されてしまうのかも知れません。

日本語の本もこのような感じで何百万冊がオンラインで自由に読めるようになるとどうなるか。書店や著者の対応はともかくとして、日本語研究はらくになります。

しかし、「一般に電子テキストが流通していないものを私的にテキスト化し、独自のアーカイブスを作りたい」などと思っている私にとっては、がっくり来る話です。しこしことe.Typist ver.9.0(最近これにかえたところ、すこぶる性能よくびっくり)を操作してちびちびと校正をしているのがばかばかしくなります。

OCRソフトの話は旧会議室の「OCR」で議論されていました。「「さようなら」はいつ使いますか?」でもふれました。



【474】
Re:本の電子化
 岡島
 - 04/10/16(土) 18:39 -
----
近代デジタルライブラリーが、約700冊追加、ということですが、何が追加されたのか わからないのが、やや、残念です。
http://kindai.ndl.go.jp/news.html



【622】
Re:本の電子化 Google
 岡島昭浩
 - 04/12/27(月) 16:24 -
----
Googleが、米国の図書館の資料を電子化するのだそうです。

「1500万冊以上の書籍や文書をデジタル化」とのこと。



【752】
Re:本の電子化 『安藤昌益全集』
 佐藤
 - 05/3/3(木) 17:18 -
----
『安藤昌益全集』「資料篇五上」の付録が「CD-ROM版 安藤昌益全集(全文テキスト篇)」。
http://www.ruralnet.or.jp/zensyu/syoeki2.htm



【753】
Re:本の電子化 「戸坂潤文庫」
 佐藤
 - 05/3/3(木) 17:27 -
----
戸坂潤文庫。既知の情報かもしれませんが。
http://pfeil.hp.infoseek.co.jp/



【769】
Re:本の電子化 国立公文書館
 岡島昭浩
 - 05/3/23(水) 16:04 -
----
国立公文書館で、4月から180万画像が無量公開されるそうです。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/history.html?d=22yomiuri20050322i415&cat=35&typ=t

国立公文書館のページにはまだ、その情報はないようです。ただ、官房長官に提出した、と言う報告書はあります。

「歴史上重要な資料」を撰んで載せるらしいのが、やや気がかりですが。

内閣文庫の古典籍類で載せられるのは、どのようなものでしょうかね。



【770】
Re:本の電子化 国立公文書館
 岡島昭浩
 - 05/3/25(金) 1:05 -
----
▼岡島昭浩さん:
>国立公文書館で、4月から180万画像が無量公開されるそうです。


>国立公文書館のページにはまだ、その情報はないようです。


出ました。
典籍類は無い模様です。



【823】
Re:本の電子化 国際子ども図書館
 岡島昭浩
 - 05/5/14(土) 12:04 -
----
これ、知りませんでした。

http://kodomo4.kodomo.go.jp/web/ippangz/html/TOP.html
国際子ども図書館 児童書デジタルライブラリー


上杉謙信

【146】
上杉謙信
 岡島昭浩
 - 04/6/13(日) 23:00 -
----
「掘った芋はどこに」の、上杉謙信の話。「耳で聞いたとおりに発音すればよいのか」にも関連。

石山輝夫『英語辞書活用術』講談社オレンジバックス(s59.7.10)に、
むかしからよくいわれることだが、アメリカのPhikadelphia市を、カタカナのフィラデルフィアといっても絶対に通じない。かわりに古豆腐屋《ふるどうふや》といえば通じる。(中略)また、ロンドンのKensingtonをカタカナ語のとおりにケンジントンといってもわかってもらえない。かわりに上杉謙信の謙信《けんしん》といえば通じるという。これもよく聞く話である。
 笑い話だろうが、このことを聞いた日本人が、ロンドンへ行ったとき、謙信というつもりが、つい口がすべって信玄《しんげん》(武田信玄)といってしまい(後略)

とありました。(43頁)

他に、「Not at all」を「鉈取る」、「Come again」を「鎌源」なども書かれています(56-57頁)



【157】
Re:上杉謙信
 畠中敏彦
 - 04/6/17(木) 18:08 -
----
▼岡島昭浩さん:
>石山輝夫『英語辞書活用術』講談社オレンジバックス(s59.7.10)に・・・


石山輝夫先生に、
私がサラリーマン時代、「ビジネス英文の書き方」について、数回教わりました。
既成にとらわれない大変ユニークな講義で、退屈しなかったのを覚えております。
「英語辞書の和訳は、誤りが多いから参考程度に」と、よく言っておられました。

すみません、本題と関係なくて。



【185】
耳からの英語(Re:上杉謙信)
 岡島昭浩
 - 04/6/28(月) 11:34 -
----
谷譲次『テキサス無宿』に、いくつかあります。現代教養文庫で見ているのですが、この本が、いつのものか、などの解説がありません。著者の没が1935年ですから、それ以前ということになり、本文冒頭には、「一九二〇年」とあり、その時代の話です。

サンドウィッチ――これがめりけん人が鼻声でいうとセミチと聞える。簡単でいい。(31頁)

先方が|御めんなさい《ベッグ・パアドン》って言ったら、おまえさんなんと挨拶なさる?」
「Certainly! って。」
「そうそう、そうだろ、セツニって言うだろ。見えねえな、そのセツニは日本語の切にじゃねえか。言い方もこころも同じこった……(81-82頁)

141頁にもいくつか。「弗府《フィラデルフィヤ》が古豆腐屋《フルドウフヤ》」「what's the matter? がスマラ?」など。

古豆腐屋の古例といえましょうか。

青空文庫には『踊る地平線』がはいっていますが、これには何かあるでしょうか。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person272.html



【309】
Re:上杉謙信
 岡島昭浩
 - 04/8/20(金) 14:17 -
----
West Kensington の上杉謙信は、城生佰太郎・松崎寛『日本語「らしさ」の言語学』(講談社1995.1.9)にもありました(「武田信玄」と間違えたのは無し)。「揚げ豆腐」もあって、こちらは「焼き豆腐」と間違えたと。



【408】
揚げ豆腐(Re:上杉謙信)
 岡島昭浩
 - 04/9/27(月) 21:18 -
----
石射猪太郎『外交官の一生』中公文庫のp94。
降りたいときには、“揚げ豆腐ひや”(I get off here の意)と言えば車掌がおろしてくれますしね」と老夫人は笑うのであった。

ほかにも、「ボルチモア」が「ボルモル」など、耳から英語の例あり。

昭和25年に読売新聞社から刊行されたものに、「新たに発見された原稿を追加し」昭和47年に太平出版社から刊行されたのが、親本とのことです。著者は昭和29年没。



【822】
Re:上杉謙信
 岡島昭浩
 - 05/5/14(土) 0:22 -
----
比較的古い例。
和田垣謙三の『兎糞録』大正2.7.14発行(大正2.12.2 16版による)のp253、
West Kensington と云ふ英国の地名を「上杉謙信殿」と覚ゆる等は、類似連想を基礎とする一種の記憶法にして斯かる例は他にも多し。



役割語辞典見出し候補一覧

【819】
役割語辞典見出し候補一覧
 岡島昭浩
 - 05/5/9(月) 23:00 -
----
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/zyugyou/handaigakubu05.htm
金水敏氏による「役割語辞典見出し候補一覧」(授業資料)があります。

お目通しの価値があると思います。


「散灰・遺灰」によせて # ケイソン(鮭鱒)

【815】
「散灰・遺灰」によせて # ケイソン(鮭鱒)
 Yeemar
 - 05/5/7(土) 2:41 -
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「散灰・遺灰」によせて
の続きです。とりわけ、「ケイソン」(鮭鱒)に関してです。

武田泰淳の「ひかりごけ」に出てきました。
 漁業の話の中に、ときどき「ケイソン」という単語がまじるのを、私は急には理解できませんでした。
ケイソンだけを相手にしていると、漁業も不安定ですが、ここではさいわいコンブやイカなどもありますから」
「ですから、ケイソンばかりに重点をおかずに、牧畜も奨励するようにしています」
 ケイソンとは、「鮭鱒」の漢音でした。(武田泰淳「ひかりごけ」〔1954年発表〕『北海道文学全集16』立風書房 1981 p.38 下l.1)
本文は全集や文庫本によったほうがよかったのでしょうが、たまたま目にした本を引用しました。

奇しくも、「言語生活」の例とわずか1年違いです。

一方、私が目にしたと思った「鰹鮪」を「けんゆう」と読む例は、ほかにいっこうに目にせず、しかも字音としてもおかしいようなので、目の迷いか、それとも……と気になったままです。


ディスクジョッキーが使う「世界観」#

【814】
ディスクジョッキーが使う「世界観」#
 岡島昭浩
 - 05/5/7(土) 0:29 -
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ディスクジョッキーが使う「世界観」で言及されていたと思われる用法に、3年を経てようやく触れることが出来ました。

ラジオで、「この曲の世界観は……」というようなことを歌い手らしき人がいっていました。「この曲の表している世界は……」というような意味合いのようでした。

「この曲の世界観は切ないんです」だったかな、たしか。


JEUGIYA #

【138】
JEUGIYA #
 UEJ
 - 04/6/8(火) 0:00 -
----
JEUGIYAの続きです。

島津製作所の英語名は「Shimadzu」となっています。
「しま」ではなく「しま」であることを意識しているのでしょう。
ローマ字で書くと一文字違いとなってしまう「清水(Shimizu)」と区別したいという意図もあるかもしれません。



【140】
Re:JEUGIYA #
 Yeemar
 - 04/6/8(火) 18:31 -
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マガジンハウス社発行の雑誌(隔月刊)の「ku:nel[クウネル]」(ホームページ)は、「食う寝る」を 発音記号で書いたようなタイトルですが、日本語ふうに[ku:neru]でないので、これはJEUGIA(JEUGIYAに非ずとのこと)やmazda、Shimz(hとiの合字)、NISSAYなどと同様、英語発音を意識した例に加えられるでしょう。



【142】
Re:JEUGIYA #
 UEJ
WEB
 - 04/6/10(木) 23:30 -
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コカコーラ社のウーロン茶の商品名「shinoa」は
フランス語「chinois」をローマ字で表記したものです。

このように西洋の単語をローマ字風に表記しているブランドあるいは店の名前を
他にも最近2、3見かけたのですが、メモを取るのを忘れていました。

新しい傾向でしょうか。



【399】
Re:JEUGIA #
 Yeemar
 - 04/9/25(土) 1:25 -
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佐藤さんがご指摘の「mizkan」も。

「母音がないのが気になる」とのことですが、「mizukan」ならば「水缶」と読みそうです。「mizkan」はドイツ語ふうならミツカンと読めますね。「mazda」(マツダ)は拝火教の神mazdaにもちなむそうですが、これは何語ふうでしょうか。

マガジンハウス「ku:nel」(クウネル=食う寝る)という雑誌あり。英語ふうの発音記号のタイトル。



【403】
Re:JEUGIA # 「mizkan」
 佐藤
 - 04/9/26(日) 2:04 -
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▼Yeemarさん:
>佐藤さんがご指摘の「mizkan」も。


こちらでしたね。誘導方、痛み入ります。

>「母音がないのが気になる」とのことですが、「mizukan」ならば「水缶」と読みそうです。


んん、日本語一般のありようとして母音がないのが気になる、つまりは母音を省いた理由が知りたい、というのが主なんです。ですから「水缶」の字面を見て少々びっくり。鯖の水煮の缶詰を連想。

>「mizkan」はドイツ語ふうならミツカンと読めますね。


なるほど。それを頼りに(?)母音省略に踏み切ったのかもしれませんね。大文字で始めれば趣旨も明らかですが、とげとげしい形(M)を嫌ったか。

>マガジンハウス「ku:nel」(クウネル=食う寝る)という雑誌あり。英語ふうの発音記号のタイトル。


この手の表記を見ると一世を風靡したブランド[ix:iz]を思いだします。歳がばれますね。



【404】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 Yeemar
 - 04/9/26(日) 21:09 -
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▼佐藤さん:
>この手の表記を見ると一世を風靡したブランド[ix:iz]を思いだします。歳がばれますね。


そのイクシーズを思い出そうとして、思い出せませんでした(表記は[IXI:Z]ですね)。

これが[iksi:dz]でないのはおかしい、と、どなたかが論難されていたのを読んだ記憶があります。何で読んだのか……と調べてみると、[ix:iz]関連のひとつは佐藤さんのサイトでした(気になることば20000131「音声記号の認知度」)。

もっと強い調子で「これは明らかな誤りである。これではせいぜい[イヒーズ]としか読めない。」と批判するのは「NICK 日本国際青年クラブ関西」の「編集長の独り言」。

「イヒーズとしか読めぬ」という意見を書籍か何かで読んだ記憶があるのですが、思い出せません。このサイトだったとは思えません。マーク・ピーターセン氏とかそのあたりだったか? 折々にメモは取れども、欲しと思うもののみなどか漏らしつるらん。



【405】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 佐藤
 - 04/9/26(日) 23:29 -
----
▼Yeemarさん:
>そのイクシーズを思い出そうとして、思い出せませんでした(表記は[IXI:Z]ですね)。


ああ、大文字でしたか。失礼しました。

>これが[iksi:dz]でないのはおかしい、と、どなたかが論難されていたのを読んだ記憶があります。何で読んだのか……と調べてみると、[ix:iz]関連のひとつは佐藤さんのサイトでした(気になることば20000131「音声記号の認知度」)。


んん、論難とまでは…… 「気になる」くらいかな。



【429】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 岡島昭浩
 - 04/10/5(火) 10:41 -
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▼Yeemarさん:

>「イヒーズとしか読めぬ」という意見を書籍か何かで読んだ記憶があるのですが、思い出せません。


新潮の『最新日本語読本』での対談で丸谷才一氏が発言しているのを、見かけました。
文庫本では114頁。これから出かけますので、引用はご容赦を。



【434】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 Yeemar
 - 04/10/5(火) 21:30 -
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▼岡島昭浩さん:

>新潮の『最新日本語読本』での対談で丸谷才一氏が発言しているのを、見かけました。


ありがとうございます。雑誌増刊のほうを持っていますが、いざというときに思い出さないのでは、本棚の肥やしです。こういうものもテキスト化すべきか、悩みます。やはり、本をばらしてオートドキュメントフィーダでOCRしかないのか……
中村〔雄二郎〕 最近、CI(コーポレイト・アイデンティティ)、企業イメージ統合戦略というのかな、そのせいでむやみに社名をカタカナにしたり横文字にしたりしていますね。
〔略――「シーコム」「エス・バイ・スル」「マクロス」「トキメック」「エル カクエイ」「エクソン」「セゾングループ」「セゾン・ミュージアム」(SAISONとSEZON)などの例が出て〕
それから、マツダのクルマの「アンフィニ」というのも、すごいね。
井上〔ひさし〕 意味もわからない。おまけに文字は発音記号になっているんですね。
丸谷〔才一〕 他にもあったね。「イクシーズ」だったかな、あれも正式の発音記号の使い方じゃない。
中村 文房具のメーカーでしたっけ。
井上 そうじゃないんですか。
丸谷 あの発音記号だったら、イーヒーズになっちゃう。
〔このあと、「スバル」(自動車・雑誌名)の話。以上 p.68-69〕
ネットオークションに出品されている「アンフィニ」後部の写真を目視して確認したところ、フランス語の発音記号そのまま(ただし[ ]はなし)ですね。



【435】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 Yeemar
 - 04/10/5(火) 21:33 -
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正誤
×「エス・バイ・スル」 ○「エス・バイ・エル」



【436】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 岡島昭浩
 - 04/10/5(火) 22:00 -
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▼岡島昭浩さん:
>新潮の『最新日本語読本』での対談で丸谷才一氏が発言しているのを、見かけました。
>文庫本では114頁。

〈座談会〉名前のつけ方教えます
丸谷才一・中村雄二郎・井上ひさし

親本(新潮四月号臨時増刊 平成4.4.20)ではp69

中村 マツダのクルマの「アンフィニ」というのも、すごいね。
井上 意味もわからない。おまけに文字は発音記号になっているんですね。
丸谷 他にもあったね。「イクシーズ」だったかな、あれも正式の発音記号の使い方じゃない。
中村 文房具のメーヵーでしたっけ。
井上 そうじゃないんですか。
丸谷 あの発音記号だったら、イーヒーズになっちゃう。




【437】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 岡島昭浩
 - 04/10/5(火) 22:02 -
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と、Yeemarさんとダブってしまいました。



【496】
Re:JEUGIA # 「ixi:z」
 岡島昭浩
 - 04/10/24(日) 21:49 -
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『言語生活』347(1980.11)p83の「目」。沢木幹栄氏の報告により、ありました。

「目子」によるコメントとして、「かなで表すとイヘィーズとでも書くか」

単行本では473ページ。



【804】
Re:JEUGIA #
 Yeemar
 - 05/4/26(火) 10:30 -
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「ku:nel」に似た誌名で、「kraso[クラソ]」(フェリシモ)、「ano:ne[アノ:ネ]」(同)というカタログ誌があります。

「クラソ」は「かわいい雑貨と暮らしのカタログ」、「アノ:ネ」は「こどものおしゃれおかいものカタログ」。

カタカナの中で長音を「:」とするのはめずらしい。「アノーネ」と書くと「へんな外国人ことば」のようになってしまうので「アノ:ネ」となったのでしょうか。いずれにせよ、発音すればおなじです。「アーノネ」とすれば高勢実乗になります。

なお、フェリシモでは「Tatte[タッテ]」、「kus・kus[クス クス]」というカタログを計画中のようです。前者は「ベビーとママのおしゃれ服うんぬん」とあるので、「立って」から、後者は「家族で記憶に残る経験をしよう!」とあるので、笑い声からでしょうか。



【805】
Re:JEUGIA #
 道浦俊彦
 - 05/4/26(火) 19:15 -
----
「フェリシモ」という通信販売の会社には、以前取材に行きましたが、そのときは「左利きの人専用グッズ」についての取材でした。
担当の人や会社の雰囲気は、みんな若くていろいろ自由な発想で、楽しく仕事をしているなぁという感じでしたよ。おそらくネーミングにも、そういう「遊び心」が反映されているのではないでしょうか。


辞書を食べた人々

【423】
辞書を食べた人々
 岡島昭浩
 - 04/10/4(月) 14:44 -
----
佐藤さんが気になることば39にお書きの、辞書を食べる話、ここにもありました。

小林信彦『おかしな男 渥美清』(新潮文庫2003.8.1)の「対談 渥美清と僕たち」(小沢昭一と。「波」2000.4月号より)から。
小沢 私は台詞の覚えが悪い方ですから、沢村貞子さんによく叱られるんです。「(古川)緑波《ロッパ》さんは単語を覚えようとして、辞書を端から食べたんだ。食べると覚えられるんだから、あんたも台本食べなさい」って。(p474)




【424】
Re:辞書を食べた人々
 佐藤
 - 04/10/4(月) 16:33 -
----
▼岡島昭浩さん:
>佐藤さんが気になることば39にお書きの、辞書を食べる話、ここにもありました。


御教示ありがとうございます。私のところからのリンク先が消えたようなので、別のところをリンクします。朝河貫一のほか西依成斎にも言及するので(その節はお世話になりました!)便利かと思います。

http://www.21ccs.jp/soso/gyakujun/gyakujijunji_01.html




【440】
Re:辞書を食べた人々
 岡島昭浩
 - 04/10/6(水) 22:35 -
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『60年代 ことばのくずかご』から。

彼〔白秋〕の少年時代、「言海」を二冊買って、その一冊は毎日少しずつ切り取って学校への往復にそれを暗記した。そして、すっかり覚えてしまうと、帰りにそれを家の近くの堀にすてた。白秋はこの話をして、「ぼくは、言葉をたべた」といった。(「朝日新聞」2月2日朝9「辞書をたべる」「きのうきょう」欄佐藤達夫)


辞書の使用証言を探していて、見つけました。

伝説としての記載は、黒田龍之助『外国語の水曜日』現代書館 2000のp210に、
辞書を食べて単語を覚えた、という伝説を聞いたことがある。語学の教師として意見をいわせていただければ、まったく無意味な行為だと思う。栄養学の先生からは、また別の理由からやめることを勧められるだろう


また、日本の名随筆『別巻74辞書』に、杉浦明平「辞書を食べる」がはいっています。



【446】
Re:辞書を食べた人々 南方熊楠
 佐藤
 - 04/10/7(木) 20:33 -
----
南方熊楠。これは有名な話なのでしょうか。杉浦明平「辞書を食べる」、不精して未確認ですが(一読してはいるはず)、触れられているかもしれませんね。



【802】
Re:辞書を食べた人々
 岡島昭浩
 - 05/4/24(日) 15:18 -
----
ページが移動しているようです。
http://www2.big.or.jp/~yabuki/soso/so8507b.htm


来沢、来広 # 「来宰」

【719】
来沢、来広 # 「来宰」
 岡島昭浩
 - 05/2/6(日) 14:07 -
----
来沢、来広の続きです。

福岡の太宰府で、「来宰」という表示がありました。歴史資料館のようなところでの説明文でした。



【731】
Re:来沢、来広 # 「来水」
 岡島昭浩
 - 05/2/18(金) 17:38 -
----
集中講義のために来水されたようだ。


矢須恵由「思い出すままに」(『山本正秀先生追悼文集 言文一致研究に生きる』追悼文集刊行会 昭和57.8.10)p109

水戸に来ること。



【793】
Re:来沢、来広 # 「来松」
 岡島昭浩
 - 05/4/8(金) 3:49 -
----
笑福亭鶴瓶『哀しき紙芝居』(新興楽譜出版社 昭和57.8.8)
さて、先月来松された時の、結婚申し込みに付き、お返事いたします。(p184)

愛媛県松山市に、著者が結婚を申し込みに行った後に来た手紙。



【801】
Re:来沢、来広 # 「来仙」
 田島照生
 - 05/4/19(火) 1:36 -
----
「来仙」「帰仙」もありました。
以下はいずれも、金子務『アインシュタイン・ショックII』(岩波現代文庫,2005)より。
東北帝国大学で、アインシュタインの来仙を機に、一年間講師として招聘したいという意向のあることが、仙台行きの当日、大きく報道された。(p.36)

この中にはア博士と同じ列車で帰仙し、のちに東大人類学教室の創立教授となる長谷部言人(ことんど)東北大医学部教授もいた。(p.45)

それから熊本でも、「帰熊(きぐま)」が有名です。


平安時代以前のことば

【799】
平安時代以前のことば
 すずき
 - 05/4/17(日) 7:59 -
----
はじめまして、

私はフィンランドの大学で勉強しているものです。

こちらの文献のなかで、何人かが700年ー800年には日本では中国語が公用語として話されていた。女性はそれを使うことができなかったため、特別な言葉を使っていた。その結果生まれたのが、源氏物語等の女流作家の本だという理論を出しています。

この理論に反論したく、これについての情報をお待ちしております。

よろしくお願い致します。



【800】
Re:平安時代以前のことば
 Yeemar
 - 05/4/17(日) 21:15 -
----
すずきさん、こんにちは。
いくつか、論点がありますね。

(1)700年―800年には日本では中国語が公用語として話されていた
(2)女性はそれを使うことができなかった
(3)当時の女性は特別な言葉を使っていた
(4)その結果生まれたのが、源氏物語等の女流作家の本だ

まず論じやすいのは(4)でしょう。「源氏物語」など11世紀の女流文学の文章を、300年隔たった8世紀ごろの言語状況とを直接結びつけるのは飛躍があります。

(3)について、日本女性は8世紀ごろから11世紀ごろにかけて「特別な日本語」を使っていたか? 「源氏物語」をはじめ、平安朝の文学に描かれた男女の会話を見るかぎりでは、基本的に同じことばを「話して」いたようです。

(2)女性は中国語を理解できなかったか。そんなことはなく、紫式部も清少納言も漢籍をよく理解したということは「紫式部日記」「枕草子」のエピソードなどから分かります。

(1)の中国語が公用語だったというのは、正式の公文書は漢文(中国語)で書かれたという意味ではそのとおりでしょう。ずっと後世まで正式の文書は漢文でした。しかし、日本人同士の会話で「話されていた」のは日本語だったでしょう。漢文は、日本語の語順に従って読まれる(つまり訓読される)ことが多かったでしょう。訓読のための点を記入した書物はすでに8世紀のものから残っています。

私は、「古代の日本人は公の場では何語を話していたか」という問題設定で書かれた本を知りませんが、上に述べた理由から、(1)〜(4)の論には従うことができません。


くわんくわん

【394】
くわんくわん
 道浦俊彦
 - 04/9/23(木) 16:02 -
----
9月5日の日経新聞のコラムで、作家の川上弘美さんが、
「くわんくわん」
という擬態語を使っていたのですが、これは方言なのでしょうか?辞書では見当たらないようなのですが。「口の周りがくわんくわんだよ」というふうに使い、意味は「口の周りに食べ物のカスが付いているような状態を指す」らしいのですが。



【395】
Re:くわんくわん
 岡島昭浩
 - 04/9/23(木) 17:18 -
----
▼道浦俊彦さん:
>9月5日の日経新聞のコラムで、作家の川上弘美さんが、
>「くわんくわん」
>という擬態語を使っていたのですが、これは方言なのでしょうか?辞書では見当たらないようなのですが。「口の周りがくわんくわんだよ」というふうに使い、意味は「口の周りに食べ物のカスが付いているような状態を指す」らしいのですが。

旧会議室で話題になりました。



【397】
Re:くわんくわん
 道浦俊彦
 - 04/9/24(金) 8:30 -
----
岡島さま

ありました!2年前に私もコメントしているではありませんか!全く忘れていました。面目ない。ありがとうございました。「平成ことば事情」に反映させます。



【794】
Re:くわんくわん
 Yeemar
 - 05/4/10(日) 22:21 -
----
柳田國男「方言と昔」(ちくま文庫『柳田國男全集』22 p.324、もとは「アサヒグラフ」昭和2年4月-10月)に
 和尚と小僧との昔話は、中田千畝君が一冊の本を著わしたほどたくさんの種類があって、久しい間日本の児童文学を賑わしていた。今でもクワンクワンの話や、切りたくもあり切りたくもなしの連歌などは、親から聴いてまだ知っている者が多いのである。
とあります。中田千畝著・鈴木棠三編『きっちょむ話・和尚と小僧』(未来社 1975.6)というのがありますが、原著はもっと古いものでしょう。


日本語の歴史

【774】
日本語の歴史
 齋藤
 - 05/4/1(金) 6:04 -
----
はじめまして。バンクーバーの大学で言語学コースを取っています(専攻は言語学ではないのですが)。先日、インド・ヨーロピアン言語の講義があり、ふと我が母国語の日本語はどこから来たのかと疑問に思いました。岡島先生の他のWebページも見ましたが、それにあたるリンクが見つけられませんでした。また、古典的な言葉のリンクもあり、読むのが大変!と思ってしまいました。日本語がどこから来たのか、そして日本語の母体となった言葉(中国語なのでしょうか?)、アジアには日本語と同じグループに属する言語があるのか、教えていただけますか?



【775】
Re:日本語の歴史
 Yeemar
 - 05/4/1(金) 13:33 -
----
▼齋藤さん:
>先日、インド・ヨーロピアン言語の講義があり、ふと我が母国語の日本語はどこから来たのかと疑問に思いました。


この会議室の前身にあたる「ことば会議室」の「日本語の起源についての研究」をご参照ください。なお、このはじめにある「インド・ヨーロッパ語が起源であるという説」は、根拠がないといえるでしょう。

根本的なことだけ記しますと:

> 日本語の母体となった言葉(中国語なのでしょうか?)


日本語の祖先にあたる言語は、今のところ不明です。中国語ときょうだいでないことは明らかです。文法も、基本となる単語も大きく違います。

> アジアには日本語と同じグループに属する言語があるのか


日本語がどのグループに属するかが不明のため、分かりません。アルタイ諸語などと似た性格はもっているものの、それがただちにきょうだいの証明とはなりません。

電子テキストの藤岡勝二「日本語の位置」は読めなくなっていますね。



【778】
Re:日本語の歴史
 岡島昭浩
 - 05/4/1(金) 15:16 -
----
齋藤さん
ようこそ。

Yeemarさん、ありがとうございます。


▼Yeemarさん:
>電子テキストの藤岡勝二「日本語の位置」は読めなくなっていますね。



こちらに置きました。



【791】
Re:日本語の歴史
 齋藤
 - 05/4/6(水) 5:13 -
----
Yeemarさん、岡島先生、お返事有り難うございました。日本語もどの言語も歴史や人類学と密接に関わっていて奥が深いのですね。

またわからないことが出てきましたら、ここに書かせていただきます。

齋藤

▼岡島昭浩さん:
>齋藤さん
>ようこそ。
>
>Yeemarさん、ありがとうございます。
>
>
>▼Yeemarさん:

>>電子テキストの藤岡勝二「日本語の位置」は読めなくなっていますね。

>
>
>こちらに置きました。




「タメ」の意味 #

【787】
「タメ」の意味 #
 Yeemar
 - 05/4/4(月) 18:23 -
----
「タメ」の意味
の続きです。
タメは対面からきているのかと思われる。タイマンというのがあって、一対一の決闘をするということを意味する。タメをハルというのは、同格、同等であるということになる。/ そこから、同等な人のように親しげな調子で話すことを、タメグチをきく、という。(金田一秀穂『新しい日本語の予習法』角川oneテーマ21 2003.04.10初版 p.93)
「対面」説は、旧会議室でもすでに出ていましたが、世間的には、(米川明彦氏らの支持で)「同目」説が広まっている状況ではないかと思います。「同目」か「対面」か。タイマンや対馬との関係は。どの説がよりよいか、私には判断がつきません。


「終える」と「終わる」

【786】
「終える」と「終わる」
 畠中敏彦
 - 05/4/4(月) 11:54 -
----
けさの新聞のスポーツ欄で「イチロー最終戦無安打で“終える”」(オープン戦)
とありました。
これが“終わる”であれば、目にとまらなかったのですが、ちょっと気になりました。
考えるに、“終える”はオープン戦が終了しましたと客観的事実の記述であるが、
“終わるは”最終戦も期待したが結局、無安打で終了しましたとする「評価(主
観)」が介入しているのではないか、と感じますが。

以上は、僕の個人的な印象ですが、みなさまのお考えはどうでしょうか?