2005年10月17日

「ださい」について # (語源説)

【675】
「ださい」について # (語源説)
 岡島昭浩
 - 05/1/13(木) 3:38 -
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「ださい」についての続きですが、新語源説がありました。ここの下の方に載っているのですが、
第二次大戦後 フランスで 田舎向けに作られた自動車の名前です。その車のイメージが ダサイという名前とともに 日本に入ってきた

ということですが、多彩なるかな、「ださい」の語源説。



【676】
Re:「ださい」について # (語源説)
 Yeemar
 - 05/1/13(木) 21:50 -
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▼岡島昭浩さん:
>「ださい」についての続きですが、新語源説がありました。


私のホームページが知らないところでリンクされていて恥じ入ります。

ダットサンは知っていますが、ルノーにダサイという車種があったのは知りませんでした。ちょっとにわかには確かめられませんでした。




起承転結「糸屋の娘は目で殺す」

【659】
起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
 岡島昭浩
 - 05/1/10(月) 18:14 -
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起承転結の例として挙げられる
○○○○糸屋の娘
姉は十六妹は十四
諸国(諸)大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は眼で殺す

というのがありますが、これは、頼山陽が説明したと言われることがよくあります。
近藤春雄『中国学芸大事典』(大修館書店)の「起承転結」では頼山陽のみを載せますが、同氏『日本漢学大事典』の「京都三条糸屋の娘」の項では、頼山陽と梁川星巌をあげ、星巌は「京都三条糸屋の娘」、山陽は「大阪本町糸屋の娘」と言ったとしています。参考文献として簡野道明『唐詩選詳説』p693・塩谷温『唐詩三百首新釈』p37を挙げていますから、どちらかが星巌で、どちらかが山陽なのでしょう。

この伝説を記録したものは、かなり多く、web上にも見られます。書籍上でもそうですが、頼山陽は、作ったことになっていたり、例として引いたことになっていたり、さまざまですし、詩句にも小異があり、「伝説」にふさわしいものです。

辞典類では上記の他に、皓星社『隠語大辞典』の「眼で殺す」の項によって、『かくし言葉の字引』(1929)に、
めでころす【眼で殺す】:美女が色眼をつかつて男子を悩殺することをいふ。頼山陽が門弟に詩句の起承転結の作法を教ゆる為めに作つたと伝へられて居る文句に、「大阪本町糸屋の娘、姉は二十一妹は二十歳、諸国大名は刀で殺す、娘二人は眼で殺す」といふのがある。〔情事語〕
とあることが分かります。

松下大三郎『標準日本口語法』(p326)に、
諸國諸大名は刀で殺す絲屋娘は目で殺す、どうも此の結句が巧いて。
という例があることをついでに書いておきます。文末の「て」の例です。

加藤咄堂「青年指導と雄弁」(文部省社会教育局『話法と朗読法』昭和10.7.25)には、
この起承転結を或詩人が
  京の三條の絲屋の娘、姉は十八妹は十五
   諸国大名は刀で殺す、絲屋娘は目で殺す
初めの「京の三條の絲屋の娘」これが起で、それを承けて「姉は十八妹は十五」パツと転じて「諸国大名は刀で殺す」これがどう結ばれるかと思ふと「絲屋娘は目で殺す」かういふのが起承転結であります。
とあります。

宮崎来城『漢詩自在/作詩術』(明治36.7.1初版。大正2.12.15の四版による)p275-276には、次のようにあります。

頼山陽は初学の徒に結句法を示すに今様を以てしたことが有るさうな
 大阪本町の絲屋の娘
絲屋の娘で筆を起した、此れ起句、
 姉が十六妹は十四
而かも其娘は姉妹で有る、齡は十六と十四で有るといふことを述べて上句を承けた、此れ承句、
 諸国諸大名は刀で斬るが
絲屋の娘に何の関係もない諸侯【「諸候」とあるを訂正】のことを出した、此れ転句、
 いと屋の娘は目で殺す
絲屋の娘はの五字を出して、起句、承句を顧み、目で殺すに四字を出して転句を顧み、以て全編を収束した、此れ結句。
彼の読孟甞君伝といひ、此今様といひ、ともに絶句の起承転結法を学ぶの捷逕としては殊に宜しい。


乗附春海『古今各体/作詩軌範終』明治26年3月27日 穎才新誌社には、次のように。

 起句 君をはじめて見る時は
 承句 千代も経ぬべし姫小松
 転句 御前のいけのかめ岡に
 結句 鶴社群れ居て遊ぶめれ
(中略)
又頼山陽翁か初学者に絶句法を示すには此の今様を以てすと云ふ
 起句 大坂本町糸屋のむすめ
 承句 姉は十六いもとは十四
 転句 諸国諸大名は刀で斬るが
 絶句 いと屋の娘は眼で殺す
是れ絶句作法の捷徑ならん。第三句に実事を述ぶべきは前に載する古人の論を見て悟るべし。

ちなみに、この前にある
 赤蜻蜒羽を切ったら唐辛
是れ其殺風景にして味無し。之を前後して
 唐辛羽を着けたら赤蜻蜒
と云へば雅味自ら存せり。故に意を取捨し言を前後するに因て雅俗も亦自ら分る者なり。又連歌師流の言に「山畠助兵衛」と云へば尋常農人の如く聞ゆ。之を顛倒して「畠山兵衞助」と云へば舘持の一人の名の如し。
とあるのも面白いところです。三十年ほど前に、あのねのねが歌った「赤とんぼ」で、「赤とんぼ羽を取ったらあぶらむし」というのがありましたが、「羽を取ったら唐辛子」だろう、と思った記憶(理屈ではなく言葉として)があります。


さて、この伝説は頼山陽に近づくことが出来るのでしょうか(数日後に続く)。



【674】
Re:起承転結「糸屋の娘は目で殺す」
 岡島昭浩
 - 05/1/13(木) 2:36 -
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中央公論社の『随筆百花苑』第2巻「在臆話記」第四集巻六に、
山陽後兵児の詩の、眉斧開剖壮士腸。此語は、南品の流行俚歌にて、薩士は刀で殺し、吾妻女は目で殺すと唄ひたる也。
と見えます(p149)。

「在臆話記」は、江戸時代のことについて書いていますが、明治40年頃の筆のようです。

さて、この「後兵児の詩」は「後兵児謡」で、
蕉杉如雪不愛塵 長袖緩帯学都人
怪来健児語言好 一操南音官長嗔
蜂黄落 蝶粉褪 倡優巧 鉄剣鈍
以馬換妾髀生肉 眉斧開剖壮士腸
というものです(岩波文庫『頼山陽詩抄』ではp101)。

美人の眉が壮士の腸を開剖する、というのですね。薩摩の俚謡「吾妻女は目で殺す」を頼山陽が翻案して漢訳したらこれになった、というのでしょうか。

この伝説と山陽とが、すこし違う方面で関わりを持っている記録でした。


なお、「南音」と、薩摩言葉について触れているのも、興味を引きます。


「フツーに」

【662】
「フツーに」
 あびめれく
 - 05/1/11(火) 17:32 -
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「ふつーにカワイイ」「ふつーにかっこいい」などと使われますが
「意外に」に近い意味で使われているような気がします。
ただ、「意外に」よりも微妙に肯定的・共感的な意味合いがあるのでしょうか。
評価程度は、「十分一般的な意味でかわいい、かっこいい」
ただ、そう言った自分が、彼・彼女をかわいいとかかっこいいとか、思って
惹かれたという意味合いをうまく消しているというニュアンスもあるようですが。



【666】
Re:「フツーに」
 岡島昭浩
 - 05/1/12(水) 1:00 -
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▼あびめれくさん:
>「ふつーにカワイイ」「ふつーにかっこいい」などと使われますが


私の持った感覚は、「特にかわいくしようとしなくてもかわいい」「特にかっこよくしようとしなくてもかっこいい」、あるいは、「特に強調しているわけではなく、かわいい、と評価しうる」というような意味合いでした。

(新刊)日本語本レビュー ##

【623】
(新刊)日本語本レビュー ##
 Yeemar
 - 04/12/31(金) 9:51 -
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(新刊)日本語本レビュー・(新刊)日本語本レビュー #
の続きです。

メモしておかなければ「その本に書いてあった」ということがあとで分からなくなりそうなもの(内容が多岐にわたるものなど)もここに記しておきたいと考えます。


●加藤秀俊『なんのための日本語』中公新書2004.10.25

【はじめに寸評】 著者は日本語に関する見識をもつ人とおもうが、それにしては、頼りない記述が目につく。伝聞・憶測による記述がしばしばあらわれ、一事を以て万事をはかるたぐいも多い。「こんなめずらしい言語について、わたしはなにも知っているわけではない」(p.7)「わたしは文法学についてほとんどなにも知らない」(p.95)「まったくの耳学問だが」(p.105)などという記述に接すると、「おやおや」と思う。著者は「これはけんそん、韜晦だよ」と言われるかもしれないが、実際に読んで「誤りだ」「思いこみだ」「話をおもしろくするために俗信を利用している」と感ずる部分も少なくない。日本語について大所高所からものを言うためには、不正確でもあえていう蛮勇が必要なのか。しかし、読者、とりわけ日本語研究が専門でない一般の読者には迷惑な話ではないか。

とはいえ、メモすべきだと思った箇所は諸処にあるので――

たんび このように外語としての日本語を勉強しているひとたちに会うたんびに、(p.61)
ウォーター 比嘉正範(社会言語学者)は少年時、沖縄戦で重傷を負って米軍野戦病院に収容され、看護兵の「ウォーター?」の一言に「たんに「水」以上のひろく、ふかい意味」を感じ、言語研究の道にすすんだ〔要旨〕(p.71-72)
単語 「きょうは、いい天気でした」というかたまりは「きょう」「は」「いい」「天気」「でした」の五つの単語でできあがっている。(p.82)〔*「でし」「た」と分けるのが一般的〕
マイペンライ プリアー『マイペンライ』(1995)によればこのタイ語は「申しわけありません」「お気の毒でした」「ありがとうございます」など多様な意味で使われる〔要旨〕(p.105-106)〔*「どうも」「アロハ」と比較〕
あげる 「いただく」の反対の「あげる」をやたらにつかうのもおかしい。(p.117)〔*「やる」と言うべしとの趣旨〕
話す 大牟羅良『ものいわぬ農民』(1958)では北上山地で黙々とはたらくひとびとのすがたをえがく〔要旨〕(p.134)〔*当時の山村の言語生活を知る資料?〕
つくり・はじかみ・ぎんなん 〔旅館の夕食の献立に「飯蛸」「蕗浸し」のほか〕「造里」というのはなんだ。はこばれてきたのでやっとわかったが、これは「ツクリ」すなわちお刺身のことなのであった。「初地神」というのもありました。クイズ番組のつもりで解読してこれが「ハジカミ」(すなわちショウガの雅名)であることがわかり、「銀庵」を「ギンナン」とよませようとしていることも実物をみてわかった。(p.190)〔*あて字を批判〕
漢語癖 佐伯功介『國字問題の理論』(1941)(p.193)〔*同じ意味の漢語・和語を対比的に列挙して漢語癖を批判〕
 二〇〇三年の秋に、ある在日中国人が〔いうには〕なんでも中国の若いひとたちがことあるごとに「酷」というのだそうだ。〔略〕英語の「クール」というのが流行語になって、その表記に「酷」をあてているというわけ。(p.197)
サンキョウ・グバイ 文久3年に栗本市郎左右衛門〔ママ。左衛門か。著者はATOKを使用〕は漂着船船員の英語を記録して「サンキョウ」「グバイ」を含む「単語帳」を作った〔要旨〕(p.201)〔小林亥一『文久三年御蔵島英語単語帳』(小学館1998)として出ている〕
カミングアウト 「いきなりこの場でカミングアウトさせていただくが、実はわたしはフェミニストである」〔略〕たぶん「カミングアウトする」というのは「結論をいう」というつもりらしいことは見当がつくが、いくら和製英語でもこれはひどい。(p.227)〔*coming outは少数者であることを告白することで、英語の辞書にも載っているのでは?〕
日本製漢字語 高名凱先生の編纂による『現代漢語外来詞研究』(一九五八)(p.236)〔*邦訳は『現代中国語における外来語研究』関西大学出版部1988。岡島さん「中国に渡った日本語」(テキストファイル)にも〕
ことばの乱れ 「こだわる」「悩ましい」「あえて」の使い方が気になる。乱れといっても、楽譜と違ってことばには基準がない。辞書もあてにはならない。「ことばは生きているから変化する」という説にまどわされるな。自分のことばに責任をもて〔要旨〕(p.217-226)〔*気持ちは分かるが、とすると「こだわる」「悩ましい」を「新しい」意味で使う人はことばに責任を持っていないのか。どういうことばを選べば責任を持っていることになるのか。その「基準」はあるのか。論理矛盾ではないか〕



【656】
Re:(新刊)日本語本レビュー ##
 岡島昭浩
 - 05/1/10(月) 11:18 -
----
私がレビューするわけではなく、産経新聞の書評です。

http://www.sankei.co.jp/news/050110/boo022.htm
【ベストセラーを斬る】『問題な日本語』北原保雄編(大修館書店)



【663】
Re:(新刊)日本語本レビュー ##
 道浦俊彦
 - 05/1/11(火) 20:42 -
----
『問題な日本語』、読書日記149で取り上げました。

*************************************

読書日記149『問題な日本語〜どこがおかしい?何がおかしい?』(北原保雄、大修館書店:2004、12、10)

2002年12月に出た「明鏡国語辞典」(大修館書店)。そのスタッフが、言葉に対する疑問や変わりつつある言葉についての疑問に答える形でまとめたのがこの本。タイトルそのものが「問題な」というヘンな日本語の使い方をしているところがミソ。
まあ、たしかにたいていの最近気になる日本語について答えてくれていますから、一般の人でちょっとだけ言葉の問題に興味のある人にとっては、目からウロコが落ちることも多いと思う。
まるで参考書のように、下の段に注釈のように「コラム」があるのだが、これは読みづらい。コラムはコラムとして出して欲しい。同じページの下にあると、いっぺん上の段を読んでから、また下の段を読まなきゃならないから、面倒です・・・。
挿絵、かわいいです。
(☆☆☆)
(2004、12、16)

「カンニング」のアクセント。

【646】
「カンニング」のアクセント。
 畠中敏彦
 - 05/1/7(金) 15:42 -
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通常は「低低低」(平坦)で、例のお笑いのコンビ名は「高低低」では?
同様に「渋谷」は地名では「低低低」で、人名は「高低低」では?

九州出身の私は自信がありませんが、ちょっと気になりましたので。

以前、類似した議論はしましたが。。。
→ http://okazima-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin//room_1/BBS_MSG_981012213147.html



【651】
Re:「カンニング」のアクセント。
 道浦俊彦
 - 05/1/8(土) 14:33 -
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▼畠中敏彦さん:
>通常は「低低低」(平坦)で、例のお笑いのコンビ名は「高低低」では?
>同様に「渋谷」は地名では「低低低」で、人名は「高低低」では?



「地名」の場合は「平板(平坦)アクセント」で「人名」は「頭高アクセント」というのはよくあるのではないでしょうか?
また、「低低低」(平坦)ではなく、もう少し詳しく言うと「シブヤ(低高高)」ですね、標準語アクセントで言うと。カンニングも「カンニング(低高高高高)」です。関西弁だと「カンニング(高高高高高)」「しぶや(高高高)」です。標準語アクセントの特徴は、最初の音の高さと次の音の高さが、必ず変わるということです。



【655】
Re:「カンニング」のアクセント。
 畠中敏彦
 - 05/1/10(月) 11:06 -
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▼道浦俊彦さん:
>関西弁だと「カンニング(高高高高高)」「しぶや(高高高)」です。標準語アクセントの特徴は、最初の音の高さと次の音の高さが、必ず変わるということです。


道浦さん、ありがとうございます。
ちなみに、九州(というか鹿児島?)では、人名や地名に関係なく、一般的に
同一(平板)のアクセントであるような気がいたします。


歌謡曲のことば

【35】
歌謡曲のことば
 Yeemar
 - 04/5/4(火) 3:23 -
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紅白で目についたことば
で、歌謡曲の「なりゃこそ」について話が出ました。

「なりゃこそ」ではありませんが、「いりゃこそ」ならば

松山恵子「お別れ公衆電話」(1959)
 ・好きでないなら 何でもないわ
  好きでいりゃこそ 苦しくなるの
ディック・ミネ「雨の酒場で」
 ・飲みほす君の 悲しみを
  知っていりゃこそ とめるのさ

ふつうの文章にはあまり出てこないようです。時代小説などにはあり。

なお、今までに出ているのは:
天童よしみ「あんたの花道」
 ・女房なりゃこそ 掛け声 ひとつ
フランク永井「大阪ぐらし」
 ・娘なりゃこそ 意地かけまする
 ・おなごなりゃこそ 願かけまする
(参考 京都・大阪の盆歌「おんごく」
 ・天満なりゃこそ 市立てまする
 ・丁稚なりゃこそ 庭掃きまする)
音丸「船頭可愛や」
 ・独りなりゃこそ/枕もぬれる
田端義夫「別れ船」
 ・さようならよの 一言は/男なりゃこそ 強く言う
霧島昇「旅役者の唄」
 ・役者なりゃこそ 旅から旅へ



【38】
りゃこそ
 岡島昭浩
 - 04/5/5(水) 10:51 -
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夫婦宿
 歌:北原由紀 作詞:賀川幸星 作曲:賀川幸星
生きていりゃこそ 明日があるさ
1988

ありがとうおまえ
 歌:殿さまキングス 作詞:岸本健介 作曲:岸本健介
おまえ支えて くれりゃこそ
1988

人生峠
 歌:村田英雄 作詞:宮原哲夫 作曲:小松原てるを
おまえいりゃこそ この俺も
耐えてしのんだ いばら道
1979

嫁ぐ日よ
 歌:村田英雄 作詞:二階堂伸 作曲:市川昭介
夢がありゃこそ 祝いの唄は
声にならない 淋しさよ
1988

男なりゃこそ笑って捨てた/恋よ情よ思い出よ(男の涙)
と、『講座日本語の語彙11』「人情」にあり。

筒井康隆「乗越駅の刑罰」
初老の駅員 (客の顔の上で鍋を傾け、煮えくり返ったスープを飲まぜながら、念仏調の抑揚をつけて喋り続ける)飲みこんで。飲みこんで。熱いだろうが飲みこんで。よく味わって飲みこんで。熱いからこそうまいんだ。熱いけれども我慢して。我慢すりゃこそうまいんだ。

かわいけりゃこそ神田からかよふ、にくて神田からかよわりょか、
(おまんが飴売りの文句)
鶴峯戊申『語学新書』にも引用さる。『国語学大系1』296頁

かあいけりゃこそ、傘(からかさ)小骨の数ほど通うた、なぜにとどかぬわしが胸
(かわいそ節の一例)

 ある鴬の鳴くを聽けば
春がくりやこそ        身を倒しまに
法と法華經で        憂身をやつす
(漱石 俳体詩)

上方落語にもあるようです。
親父「オモシロソーニテ オモシロケリャコソ ヨンデンネン」
『二十世紀初頭大阪口語の実態』162頁「浮世床」(松鶴)



【41】
Re:りゃこそ
 Yeemar
 - 04/5/5(水) 14:59 -
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広範囲ですね。おそれいりました。

かわいそ節の出典は何でしょうか。「漱石 俳体詩」は、もしかすると漱石全集から採られたものでしょうか。

「りゃこそ」では、

「ひばりの佐渡情話」美空ひばり(1962)に
 ・波に追われる 鴎さえ/恋をすりゃこそ 二羽で飛ぶ

とありました。



【47】
Re:りゃこそ
 岡島昭浩
 - 04/5/5(水) 18:48 -
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▼Yeemarさん:
>かわいそ節の出典は何でしょうか。


恥ずかしながら、日本国語大辞典の「かわいそ節」の項です。

>「漱石 俳体詩」は、もしかすると漱石全集から採られたものでしょうか。


恥ずかしながら、出典不明です。直接の出典は、
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/jal_ftp2.htm
から獲得できていた
souseki.lzh
ですが、今は行方不明のファイルなのですね。
なんとかしないといけません。



【475】
Re:歌謡曲のことば―りょか
 Yeemar
 - 04/10/17(日) 6:17 -
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「忘らりょか」などというときの「(ら)りょか」(←(ら)れうか、(ら)れようか)は、歌謡曲に散見しますが、なぜか「忘る」に付くことが多いのが不思議です。思うに、

日比繁治郎作詞・筑波久仁子歌「道頓堀行進曲」(1928)に
・なんでカフェーが/忘らりょか
・道頓堀が 忘らりょか
とある「忘らりょか」が一般化したためでしょうか。

「(ら)りょか」はその後、

佐伯孝夫作詞・児玉好雄歌「無情の夢」(1935年)に
・なんで忘りょう/忘らりょか
・なんで生きよう/生きらりょか
今中楓溪作詞・東海林太郎歌「野崎小唄」(1935年)に
お願{がん}かけようか/うたりょか滝に
藪内喜一郎作詞「露営の歌」(1937年)に
・手柄たてずに 死なりょうか
・天皇陛下万歳と/残した声が 忘らりょか
西條八十作詞・渡辺はま子歌/「支那の夜」(1938年)に
・ああ 別れても 忘らりょか
佐藤惣之助作詞・霧島昇 二葉あき子歌「新妻鏡」(1940年)に
愛の揺藍{ゆりかご} 花の籠/なんで嵐に あてらりょう
佐伯孝夫作詞・渡辺はま子歌「桑港{サンフランシスコ}のチャイナタウン」(昭和25年)に
・忘らりょか 忘らりょか/蘭麝{らんじゃ}のかおり
などとあり、さらには小林旭、ザ・ドリフターズの歌った「ズンドコ節」(成立はもっと古いか?)の
ホームのかげで泣いていた 可愛いあの子が忘らりょか
に至るのではないかと思います。ほかにもありそうですね。

推量の助動詞を「う」と記した例は古く、11世紀には見えているようですが、一般化したのは中世ごろでしょうか。しかし「りょか」のように短く言う語法はもっとおそい時代の韻文の中で生まれたのではないでしょうか。たとえば歌謡・松の葉(1703)に
憎か打たりよか、やつこりや/\/\
とあるなど、江戸時代には多そうです。



【630】
紅白で目についたことば #
 Yeemar
 - 05/1/3(月) 7:06 -
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新年おめでとうございます。

この書き込みは「歌謡曲のことば」のスレッドの内ですが、
 紅白で目についたことば
の続きでもあります。

今年も、恒例?の「紅白の字幕で目についたことば」です。以前は、常用漢字外の字というだけでもなるべくメモしていましたが、今回は必ずしも積極的にはメモしませんでした。


〔第1部〕
◎上戸彩「愛のために。」
・タイトルに句点
◎TOKIO「自分のために」
 「終わらない詩{うた}唄{うた}おう」〔用字〕
◎モーニング娘。・W「2004年 愛・涙・キッス紅白スペシャル」
(愛あらば IT'S ALL RIGHT)
・タイトルが文語「愛あらば」(恒常条件なら「あれば」とすべきか)
 「感謝がみなぎる」〔意味、「みなぎる」は「勢い・力」などに使うか〕
(ロボキッス)
 「やばい あいつは YES MAN」〔俗語〕
 「好き好きっす ロボットだっても」〔古風?〕
◎w-inds.「四季」
 「磁石みたく 理由{わけ}もなく」〔俗語/用字〕
◎aiko「花風」
・タイトル「花風」は古典語を発掘して使う?
◎川中美幸「おもろい女」
 「うちはほんまに あゝおもろい女」〔繰り返し符号〕
◎EXILE「Carry On」
 「失くしちゃいけない夢がある」〔ルビなし〕
 「投げ出す日々があっても…」〔句点〕
 「いつも乗り越えて来た」〔句点〕
 「いつも 輝く未来{あした}が待っている」〔用字〕
 「云{い}い聞かせてゆこう」〔用字〕
 「失くさずに らしく進もう!」〔ルビなし/助動詞の単独用法〕
◎後藤真希&松浦亜弥「冬の童謡〜メリークリスマス&ハッピーニュー2005年〜」
(風も雪も友達だ)
 「ふけよ風 つめたかないぞ」〔縮約(←つめたくは)〕
◎nobodyknows+「ココロオドル」
 「のってきな的な言葉が出てきた」〔句につく「的」〕
 「つかねぇ やっぱ 気付いたんだ100%{パー}」〔俗語、縮約(←というかねえ)(←パーセント)〕
 「あみ出す つうか 勝手」〔俗語、縮約(←というか)〕
 「揺らす Body Rock 増々」〔表記(←ますます)〕
 「いてもたってもいらんない 心だけじゃ/収まんないぜ Day and Night Shake a body」〔音便(←いられない)(←収まらない)〕
◎美川憲一「納沙布みれん」
 「凍{い}てつく風が 哭{な}く海鳴りが」〔用字〕
 「想{おも}いださせる 納沙布みれん」〔用字〕
 「もいちど逢{あ}いたい 抱かれたい」〔用字〕
 「待ってみましょか 納沙布みれん」〔縮約(←みましょうか)〕
◎Every Little Thing「恋文」
 「青い空の下 何を想{おも}い、」〔用字/読点〕
 「ひとつふたつと目を瞑{つむ}って」〔用字〕
 「指折り数えた 愛{いと}しき日々…」〔用字〕
 「一瞬一瞬の美しさを」〔読点〕
 「想い続けられたら」〔用字〕
 「また同じだけ 笑えるよう
 君と僕とまた
 笑いあえるように…」〔読点〕
◎ORANGE RANGE「ロコローション」
・タイトル「ロコローション」は造語?(locomotion + lotion?)
 「クモンベイベ DO THE ロコモーション」〔訛った英語のカタカナ書き(←c'mon baby)〕
 「どう魅{み}せたい? SHOW TIME/
 招待! 夏の大サマーセール!」〔用字/重言〕
◎島谷ひとみ「ANGELUS―アンジェラス―」
 「祈りのようににつたう」〔拡張新字体〕
 「未来へたどりつく ANGELUS」〔アルファベット表記でも
 「アン|ジェ|ラ|ス」と4音節で発音〕
 「情熱の破片{かけら}を手にして」〔用字〕
◎中村美律子「河内おとこ節」
 「生きのいゝのが 売りもんや」〔おどり字〕
 「こゝが男の 舞台なら」〔おどり字〕
 「後は腕づく 腕しだい」〔仮名遣い許容(←→腕ずく)〕
 「坂田三吉 物語り/派手な掛声{かけごえ}頂いて」〔送り仮名
(動詞の「物語る」?)〕
◎布施明「MY WAY」
 「今 思えば楽しい想{おも}い出よ」〔用字〕
◎前川清「そして神戸」
 「捨てられた我身{わがみ}が みじめになるだけ」〔送り仮名〕
 「{め}についた名もない 花を踏みにじる」〔用字〕
 「誰か うまい 嘘{うそ}のつける」〔拡張新字体〕
◎夏川りみ「涙そうそう」
 「想{おも}い出遠くあせても」〔用字〕


〔第2部〕
◎平原綾香「Jupiter」
 「この宇宙{そら}の御胸{みむね}に抱かれて」〔用字〕
 「自分を信じて あげられないこと」〔待遇、あげる・やる〕
◎大塚愛「さくらんぼ」
 「やっぱ実感するね」〔俗語〕
 「中実{なかみ}がいっぱいつまった」〔用字〕
 「隣どおし あなたとあたし さくらんぼ」〔仮名遣い(←どうし)〕
◎イ・ジョンヒョン「Heaven 2004」
(ワ―come on―)
(日本語詞/H.U.B. ムン・サンウォン キム・ヨンギ)
 「離れてあえなくなるなら」〔漢字書きの助動詞〕
◎Ryu「最初から今まで」(訳詞者不明)
 「僕の心を掴{つか}んでいる 君のすべてを」〔拡張新字体〕
 「僕が笑いたいたびに/君は僕を泣かせてしまう」〔「たい」と「た
び」の共起は特異〕
 「君に逢いたいたびに/僕はこんなふうに壊れてしまう」〔「たい」と
 「たび」の共起は特異〕
◎藤あや子「雪荒野」
 「卍{まんじ}ともえに 降る雪が」〔三省堂国語辞典「まんじともえと」〕
 「身八口{みやつくち}から 忍び込む」〔服飾〕
 「追って行きたい 行かない」〔可能の「れる」〕
 「トンカラリ トンカラリ」〔機を織るオノマトペ(隣組にあらず)〕
 「小千谷{おじや}ちぢみ 命がやせる」〔仮名遣い(←おぢや)〕
◎長山洋子「じょんから女節」
 「離れられない 男{ひと}がいる」〔用字〕
◎細川たかし「下北漁歌」(歌の舞台は下北大間崎)
 「時化{しけ}には勝てない ヤン衆カモメ」〔めずらしい語〕
 「嬉{うれ}しがるのは お白粧{しろい}カモメ」〔用字(「白粉」とせず)〕
 「それも イッチャナ」〔青森または北海道方言?「いいよね」? 宮崎方言にも似る〕
 「歌で中〆{なかじめ} 浜の酒場は 演歌節」〔漢字として使われる「〆」〕
◎松平健「マツケンサンバ II」
 「灼{や}けた素肌 肩を抱いて」〔用字〕
◎一青窈「ハナミズキ」
 「君と好きな人が百年続きますように」〔句点〕
◎ゆず「栄光の架橋」
 「誰にも見せない泪{なみだ}があった」〔用字〕
 「あの時想{おも}い描いた夢の途中に今も」〔用字〕
 「辿{たど}り着いた今がある」〔拡張新字体〕
◎中島美嘉「朧月夜〜祈り」
 「見わたす山の端{は} 霞{かすみ}ふかし」〔句点〕
 「春風そよふく 空を見れば」〔読点〕
 「夕月かかりて におい淡し」〔句点〕
 「遥{はる}か 遥か 遠い未来に」〔拡張新字体〕
◎さだまさし「遙かなるクリスマス 紅白歌合戦バージョン」
・タイトル「遙」は正字体
 「尤{もっと}も僕らはやがて自分の子供を」〔副詞に漢字〕
◎森進一「さらば青春の影よ」
 「正解{こたえ}は今も 分からないけれど」〔用字〕
◎坂本冬美「播磨の渡り鳥」
 「噂{うわさ}追いかけ 紅緒笠{べにおがさ}」〔拡張新字体〕
 「逢{あ}える 逢えない」〔拡張新字体〕
 「思案したとて 一天地六 チョイト」〔一の裏は必ず六である。悪い後には良いことがあ
るたとえ

◎北島三郎「峠」
 「先を見上げりゃ まだ中半{なかば}」〔用字〕
 「男なりゃこそ 他人{ひと}より重い」〔古風/用字〕
◎石川さゆり「一葉恋歌」
 「ぼんやりと紅灯{あんどん}ながめ 文綴{つづ}る」〔用字〕
 「その身体{からだ} 任せてくれと」〔用字〕
◎氷川きよし「番場の忠太郎」
 「顔も知らねえ 瞼{まぶた}の母に/もしも遭えたら 話しのつぎ穂」〔用字(「会え・逢え」でない)/送り仮名(「話」でない)〕
 「二束三文 草鞋{わらじ}の紐{ひも}も/いちどこじれりゃ
捨てるだけ」〔「こじれる」を具体物に用いる例〕
◎五木ひろし「雪燃えて」
 「細雪{ゆき}螢{ほたる}を 縺{もつ}れて追いかける」〔用字/正字体〕
 「指先寒かろと そっと噛{か}む」〔拡張新字体〕
 「たとえ九十九{つづら}谷 ふたり堕{お}ちても」〔めずらしい語「九十九谷」は「つづら折の谷」?/用字〕
 「風哭{な}いて ひゅるひゅると」〔用字〕
 「いのちの結晶{かけら}を 重ねたままで」〔用字〕
◎小林幸子「雪椿」
 「背{せな}をかがめて 微笑{ほほえ}み返す」〔詩語〕



【632】
Re:紅白で目についたことば #
 岡島昭浩
 - 05/1/4(火) 1:02 -
----
▼Yeemarさん:

>◎坂本冬美「播磨の渡り鳥」
> 「思案したとて 一天地六 チョイト」


これは、私も気になりました。なぜ「天一地六」ではないのだろう、と。阿川弘之「南蛮菓子」には、
 云うまでもなく丁半賭博は普通二つ賽で、大肌脱ぎになった壷振りが、
「先天一地六表三合|跡《とも》云々」と唱えて、一つは「一」を上に、一つは「六」を上に、手前に「三」を揃え、向うに「四」を揃え、外側がそれぞれ「五」で、「二」を内側に挾むようにして二つの賽を合せ、それから籐で出来たある種の椀の形をした壷の中へこれを収めて、よく振って場に伏せるのである。
とありました。

サイコロは船旅とも関係するようですが、この歌もそうなのでしょうか。平凡社の『日本民俗語彙』「ゴシンオイレル」にも、
山口縣の周防大島では、船の神は博奕が好きなので賽二つに銭十二文(閨年は十三文)、大夫すなわち形代《かたしろ》が二人、これをオタマシまたはゴシンと稱して、船大工が、
 天一地六おもて見あわし ともし
 あわせ オモカジごてごて
と唱えながら後向きに入れ、次いでムラグミが盃を船靈様にさすという。(海の生活誌)
とありますし、落語の「へっつい幽霊」にも見えるようです。


『日本国語大辞典』でも、洒落本の「一天地六……」をあげるなど、そちらのほうが多いようではあるのですが、「天一地六」もあるということのご報告まで。



【635】
Re:紅白で目についたことば #
 道浦俊彦
 - 05/1/4(火) 21:43 -
----
すごい!・・・あ、あけましておめでとうございます。
私が気づいたのは、大塚愛の「中実」という用字だけでした・・・。
皆様、今年もよろしくお願いします。



【640】
Re:紅白で目についたことば #
 Yeemar
 - 05/1/5(水) 13:45 -
----
このほか、

◎Gackt「君に逢いたくて」
 「いつもつないだ手は温かかった」

を「あたたかった」と歌っていました。重音脱落(同音脱落)の例です。歌で言い損なうはずもないので、歌詞と実際の歌とが異なっているのでしょう。

同様の例、紅白では1997年に

◎堀内孝雄「愛しき日々」(小椋佳作詞) かたくなまでの

があったことは岡島さんが指摘されています。


米洗ふ前に蛍が二つ三つ

【625】
米洗ふ前に蛍が二つ三つ
 岡島昭浩
 - 05/1/3(月) 1:52 -
----
以前、国語教育関係のMLに入っていた時に、
 米洗ふ前に蛍が二つ三つ
 米洗ふ前へ蛍が二つ三つ
 米洗ふ前を蛍が二つ三つ
という、助詞の使い方で句意が変わる話の出典はなんだろうという話になりました。

その時は、「秋香歌譚」という江戸時代の本にあるらしい、という情報提供がなされましたが、これは明治期の本で、中村秋香のものです。国会図書館には、明治40年刊の『秋香歌かたり』として入っています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=41000900&VOL_NUM=00000&KOMA=100&ITYPE=0
遠江なる柿園嵐牛は、俳句にては其頃知られたる人なりしがある時
  鍋洗ふ前に三つ四つ蛍かな
といふを得て、かゝる情は歌にては言ひ得がたるべしとおもひ石川依平に示しけるに、依平みて余は俳諧の事をしらねば、とかく評を加ふべきならず、但し歌にては鍋洗ふ前をといはざるべからず、をといへば即ち鍋洗ふ前を三つ四つ蛍が飛びかふさま言外にしらるべし。前ににては鍋を洗ふ前の草村などに居るさまにて、とびかふさまと聞えぬなりとありければ、嵐牛深く感じ、これより常に依平が教を受けて俳句も大にすゝめりと春畊氏語られき、


これより古いものとして、落合直文『将来の国文』が見つかりました。明治23年に「国民之友」に載せたもので、山本正秀『近代文体形成資料 発生篇』pp.652-662で見ることが出来ます。
 米洗ふ前に螢の二ツ三ツ
こはある有名なる俳諧師がものしたる句なり、この句を作り出てたる時、みつから大によろこび、当時の奇人香川景樹に示したりしに、景樹見て、いかにもおもしろし、されとその螢は死したるものと思はる、いかにと問ふ。俳諧師大にいかりてその故を詰る。景樹いふ、若し飛行するものならむには、[前に]を[前を]といはざるべからずと。こをきゝてその人大に悟るところありしよしものに見えたり。[に]といへば或一定の塲所をさし示す助辭にて、唯螢が前に落ちて動かずにある意なり。さるを[を]といへば「前を飛ぶ」「前を過ぐ」など、おのづから螢の飛び行くさまも見えて、全句浮動、あはれ、はじめて名吟ともいはるべきなり。




【633】
Re:米洗ふ前に蛍が二つ三つ
 Yeemar
 - 05/1/4(火) 6:35 -
----
▼岡島昭浩さん:
>以前、国語教育関係のMLに入っていた時に、
> 米洗ふ前に蛍が二つ三つ
> 米洗ふ前へ蛍が二つ三つ
> 米洗ふ前を蛍が二つ三つ
>という、助詞の使い方で句意が変わる話の出典はなんだろうという話になりました。


私はこの話を聞いたことがなかったのですが、東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)p.159に「有名な話」として載っていたのを読んで知りました。教科書ではこう紹介されています。
  米洗う前に蛍{ほたる}の二つ三つ
という句を作った人が、「米洗う前を{ヽ}蛍の二つ三つ」がいいと、先生から注意を受けたという有名な話があります。この句は、「に」でも「を」でも、言葉としては自然です。どちらも間違ってはいません。しかし、「に」を使うと、米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味ですが、「を」を使うと、「蛍」が自分の周りを飛びまわるという意味が出ます。飛んでくる蛍と、飛び回る蛍、「を」のほうに動きがある、そこで、「を」のほうが句としてよいということになるのだと想います。「に」「を」、たった一字の違いですが、意味のうえではこのような違いが出るのです。



「姨捨山に照る月を見で」と塙保己一

【629】
「姨捨山に照る月を見で」と塙保己一
 岡島昭浩
 - 05/1/3(月) 2:44 -
----
目についたことばで書いた、「姨捨山に照る月を見で」の話だが、これが塙保己一に仮託される話が、田中康二氏「板花検校説話の成立と展開」(『論集 説話と説話集』2001)に書かれた。氏は、「目についたことば」を見て、塙保己一としたものは何であるのか、と問い合わせて下さったが、その時は、答えられなかった。

その後、
大町桂月・佐伯常麿『誤用便覧』明治44年。「いさ、いざ」の項の
古歌の
  わが心慰めかねつ更科や姨捨山にてる月を見て
の「て」を塙保己一が、
  わが心慰めかねつ更科や姨捨山にてる月を見で
と「で」に濁って全然反対の意味とし、以てわが心を咏じたといふことは有名な話で、人の知るところである。

三浦圭三『日本文法講話』(昭和7.2.15 啓文社)3-4ページ
濁点の例を今一つ云ふと、盲人で、学者で、名高い塙検校が信州更科地方へ旅行した時、そのあたりには有名な「姥捨山の月」と云ふのがあって古今集歌人は
我心なぐさめかねつ更科や
      姥捨山に照る月を見て
更科の里のあたり、姥捨山に照りわたる月を見て、あはれ遠くもきつるかなと、旅愁一入の感に堪へないとの意。解釈に今一説あるがこれが正しいと思ふ)

と云った。それを検校は盲人のことゝて、最後の「て」を「で」として人に示して
我心なぐさめかねつ更科や
    姥捨山に照る月を見で

成程、盲としての旅のあはれは、よく聞えてゐる。僅かに一語「て」と「で」の相違で目あきと盲との区別がついた訳である。

を、見つけていたが、更に追加。

落合直文『将来の国文』。明治23年に「国民之友」に載せたもので、山本正秀『近代文体形成資料 発生篇』p652-662で見ることが出来る。

塙検校、幕臣某と共に信濃なる姨捨山に至りたる時、某、検校に向ひ、有名なる姨捨山なり、一首詠み給へといふ。検校傍なる人に書かせて出したる歌、
   我心なくさめかねつ更科や
         姨捨山に照る月を見て
こは古今集雜部にのせたる歌なり。意は姨捨山といふ名につきて、あはれを催し、照る月を見ても我心を慰めかぬるよしなり。某、検校に向ひ、我不學なりといヘども、この歌の古歌なることは知り居れり。君の歌こそ望ましけれといふ。檢校答へけるやう、こは予が歌なり。古歌は[見て]の[て]の文字清みたり、我歌は濁れるなりと答へしとかや。一字の助辭全く歌の意に變化を生じ、盲人の述懐となりしなり。いかに歌かつ靈なるものは助辭にあらずや。



( )で終わる終止符。

【601】
( )で終わる終止符。
 畠中敏彦
 - 04/12/18(土) 10:24 -
----
たとえば、(・・・)で文章が終わる場合、
(・・・。) なのか (・・・)。 なのか、どちらが正当なのでしょうか?
私の知る限り、両者が混在しているようですが。

些細なことですみません。



【602】
Re:( )で終わる終止符。
 Yeemar
 - 04/12/18(土) 12:04 -
----
新聞社ごとなど、媒体によって独自の基準を定めているものと思います。

共同通信社『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(第9版)と『朝日新聞の用語の手引』(1997)を見ましたが、だいぶ違います。原理原則には共通するものがあるかもしれませんが、例の列挙のしかたが違うため、原則が違うようにみえる面もあります。

私の流儀(今作った)では、(1)括弧内も文の一部であれば括弧を「。」の前に置き、(2)文の一部でなければ括弧を「。」の後に置くことになります。すなわち、

(1)私はこう思う(のだが、異論もあろう)。
(2)私はこう思う。(しかし、異論もあろう)

上記新聞社の基準では、(1)(2)を区別しないのでは、と思います。

一方、文中の場合は? 今作った私の流儀では

(3)私は、そんなことは許されぬ(ばかりでなく起こりえない)、と信ずる。
(4)私は、そんなことは許されぬ(そればかりでなく起こりえない)、と信ずる。

となって、文の一部かどうかでは区別をしません。すると、(1)(2)も分ける必要はないでしょうか。



【605】
Re:( )で終わる終止符。
 豊島正之
 - 04/12/19(日) 15:19 -
----
>(2)私はこう思う。(しかし、異論もあろう)


寧ろ問題は、これを
<br/>
(3) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう。)<br/>
(4) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう)。<br/>

とするか否かなのではないでしょうか。
(丸括弧内で文が完結するときに、最後の句読点を閉じ括弧の外に出すか否か)。

因みに、私は 上記の様に(4)ですが、これは、林大(はやしおおき)先生から
直々に伺った方式です。そのとき、丸括弧内に2文以上あるとき、どうなさるか
お尋ねしたところ、「そう、それが困るんだけど」、それでも最後の句読点を
外に出すと伺った様に記憶します。



【606】
Re:( )で終わる終止符。
 Yeemar
 - 04/12/19(日) 17:28 -
----
畠中さんのいわれるご趣旨を取り違えていたかもしれません。あらためて書きますと、

(1)私はこう思う(しかし、異論もあろう)。
(2)私はこう思う。(しかし、異論もあろう)
(3) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう。)
(4) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう)。

のうち、私は(1)(2)のことしか頭にありませんでした。ところが、過去の自分の文章を見直してみると、私は(1)または(3)で書く事が多いようです。1文か、それより短い単位ならば(1)で書き、複雑な1文または複数の文ならば(3)かもしれません。括弧内に複雑な文や複数の文を書くことをきらって、あらたに段落を起こすこともあります。

(4)にしない理由は、最後のマルも含めて文であり、マル括弧はその全体を注釈あつかいにすると考えられるからです。

共同通信の『記者ハンドブック』によれば、段落の途中の文ならば(1)とし、段落の最後の文ならば(2)とするようです(2001年第9版第2刷 p.77-78)。しかし、この区別は根拠がよくわかりません。

カギ括弧の場合は、同じようには行きません。

(5)先生は満足そうに微笑された「まさしくその通り」。
(6)先生は満足そうに微笑された。「まさしくその通り」
(7)先生は満足そうに微笑された。「まさしくその通り。」
(8)先生は満足そうに微笑された。「まさしくその通り」。

ふだん会話文のカギ括弧内にマルを付ける習慣の人は、ためらわずく(7)を使うはずです。カギ括弧内にマルを付けない習慣の人は、可能性として(5)(6)(8)ですが、(5)はあまりないものと思います。

私はどうかというと、マル括弧の場合と異なり、(6)または(8)を使うように思います。(8)を使うときは、
  「まさしくその通り」とおっしゃった。
の略という気持ちで書いているときです。



【608】
Re:( )で終わる終止符。
 Yeemar
 - 04/12/19(日) 19:54 -
----
次のような例もあります。カギ括弧の前後にマルを使うものです。
 最後に、ぼくのいちばん気にいった「憲法前文」の最初の二行を紹介する。ぼくは、いますぐにでもその国に亡命したい。「全くもってタイシタコトのない/世界的にみてソコソコの国がいい。」。ちなみに、作者は女子高生。〔高橋源一郎〕(「朝日新聞」2002.08.18 p.9)
韻文の引用などは、原文にマルがあるかどうかを示すため、このような処置をとる場合もあるでしょう。

――などと書いていると、この話題について、既視感があらわれてきました。以前、
 括弧と○の位置について
というスレッドがあったのであります。そこで、私は“。」。”のような書き方についても触れています。



【610】
Re:( )で終わる終止符。
 NISHIO
 - 04/12/20(月) 11:37 -
----
▼Yeemarさん:
>(1)私はこう思う(しかし、異論もあろう)。
>(2)私はこう思う。(しかし、異論もあろう)
>(3) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう。)
>(4) 私はこう思う。(しかし、異論もあろう)。


新入社員の頃に、「補足・注釈を括弧書きする場合は、括弧内が直前の1文のみに掛かるときはマルの前に書いてもよいが、2文以上に掛かるときはマルの後に書く」と指導されました。
カッコ内の文にマルを付けるかどうかはとくに指導された記憶がありませんが、読みやすく分かりやすい文章を書くためには長い文や複文の括弧書きは避けるという原則を優先して「〜。(図1参照)」のような書き方にとどめています。

法令の文章はカッコ内の文にマルを付ける慣習があるらしく、下記のような表記をしばしば見かけます。
北海道開発局組織規則・第五条(農業水産部の所掌事務)
 四 国が直轄で行う災害復旧事業に関すること(農林水産省の所掌に属するものに限る(林野庁の所掌に属するものを除く。)。)。




【611】
Re:( )で終わる終止符。
 Yeemar
 - 04/12/20(月) 20:01 -
----
▼NISHIOさん:
> 長い文や複文の括弧書きは避けるという原則を優先して「〜。(図1参照)」のような書き方にとどめています。


つまり長い文や複文はそもそも括弧に入れないということですね。

> 四 国が直轄で行う災害復旧事業に関すること(農林水産省の所掌に属するものに限る(林野庁の所掌に属するものを除く。)。)。


これは驚きました。マクドナルドのダブルバーガーのようです。法律や政令、通達などをよく調べてみたいと思います。



【616】
Re:( )で終わる終止符。
 畠中敏彦
 - 04/12/23(木) 9:28 -
----
Yeemarさん、豊島さん、NISHIOさん、ありがとうございます。

ここに投稿させてもらった後、新聞の記事を注意してみておりますが、
Yeemarさんが言われるような記述(下記)になっているようですね。
多岐にわたり情報を集めたわけではありませんが。

▼Yeemarさん:
>(1)私はこう思う(しかし、異論もあろう)。
>(2)私はこう思う。(しかし、異論もあろう)


>共同通信の『記者ハンドブック』によれば、段落の途中の文ならば(1)とし、段落の最後の文ならば(2)とするようです(2001年第9版第2刷 p.77-78)。

こんな本を持っていた

【133】
こんな本を持っていた
 岡島昭浩
 - 04/6/7(月) 15:35 -
----
自宅の本を置くスペースが増え、職場から持ち帰ったりしておりますし、調査の途中で忘れていた自分の本を見つけることもあります。気が向いたとき、書き込みます。

『現代語解説』大正14.1.30第1版発行 大正15.3.10第9版発行 (四六判)
 著作兼発行者 文化之日本社編輯部

箱に「本書は従来上下二巻、又は一、二、三、四の四巻に製本せしことあるも、前中後篇の三巻に製本するを最も便利とし今回は之に據れり。」「前篇 二百八十四頁 金壹圓貮拾銭 中篇 三百〇八頁 金壹圓貮拾銭 後篇 二百七十八頁 金壹圓貮拾銭 」
背表紙には「COMMENTS ON THE NEW AGES WORDS(A)」中篇後篇は(B)(C)。

『辞書解題辞典』によれば、二冊本は、大正13.10。

1993.6購入 4000円

 新しい村
 新しい女
 安価生活
 アナクロニズム
 アイコノクラズム
 アロ二州問題
 安全第一
 暗面描写
 愛他主義
 愛己主義
 アイ・ダヴリュー・ダヴリュー
 阿片問題
 青い花
 青い酒
 青い鳥
など、アが74項目。うち、40項目が16ページ、残り34項目が小さい活字で2行以内の解説とし、3ページに収まる。


近代日本学術用語集成 第3期 大正補遺篇 龍溪書舎 1994
というのに2冊本が入っているようだ。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN11156980



【134】
Re:こんな本を持っていた
 skid
 - 04/6/7(月) 17:17 -
----
家蔵本は第四巻が欠本ですが、四冊ものです。
●第一巻
大正13年10月1日(第一版)発行
大正14年1月4日(第四版)発行
●第二巻
大正13年11月15日(第一版)発行
大正14年1月10日(第三版)発行
●第三巻
大正14年2月10日発行

第一巻だけ、奥付の著作兼発行者が「偉大会編輯部」と印刷され、「偉大会」にゴム印で消し線があって「文化之日本」となっています。
発行所も「偉大会」と印刷され、横にゴム印で「文化之日本社/振替大阪五四二三九番」とあります。
しかし、扉や裏表紙は「文化之日本社」です。

第一巻の巻頭にある「現代語解説索引」には【上】【一】(【一】はゴム印)、第二巻には【上】(二)、第三巻には【下】(一)と表示があります。

『辞書解題辞典』のデータは上巻のみでしょうか。



【135】
Re:こんな本を持っていた
 岡島昭浩
 - 04/6/7(月) 18:13 -
----
skidさん、有り難うございます。

前中後の刊記を別々に見ないと行けないのに、一緒くたにしていました。
●前篇
大正13年10月1日(第一版)発行
大正14年12月1日(第九版)発行
●中篇
大正13年11月15日(第一版)発行
大正15年3月10日(第十版)発行
●後篇
大正14年1月30日(第一版)発行
大正15年3月10日(第九版)発行

skidさんの四冊本と発行年月日だけ比べると、第三巻・第四巻と、後篇が対応しそうに見えますが、中身は次の通りです。

ア−ケ 索引1-17頁 本文1-284頁
コ−ト 索引1-19頁 本文285-592頁
ナ−ワ 索引1-18頁 本文593-870頁


>『辞書解題辞典』のデータは上巻のみでしょうか。


そのように見えますね。「上・下巻 上巻四二八頁」とありますから。428頁までということは三巻本で見ると、「し」までですね。

webcatの
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA61955204
この書誌を見て、別タイトルについて。

架蔵本の、背表紙「NEW AGES」の「NEW」と「AGES」の間に、空白はわずかにありますが、他の語間の空白よりは狭いようです。それから、表紙には、筆記体で、

  Comments
    on
 The new age's words

とアポストロフィがはいっていました。



【136】
偉大会(Re:こんな本を持っていた)
 岡島昭浩
 - 04/6/7(月) 18:27 -
----
▼skidさん:

>第一巻だけ、奥付の著作兼発行者が「偉大会編輯部」と印刷され、「偉大会」にゴム印で消し線があって「文化之日本」となっています。
>発行所も「偉大会」と印刷され、横にゴム印で「文化之日本社/振替大阪五四二三九番」とあります。
>しかし、扉や裏表紙は「文化之日本社」です。


国会図書館のOPACで、
『模範的現代語講義. no.5』(大正15)が、偉大会と文化之日本社の共同刊行と記されていました。(リンクを張ろうと思いましたが、文字列が長すぎてうまく行きません。書誌番号000000541570です。)

また、webcatで、
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN15673816
現代語講義 / 文化之日本社編
 京都 : 偉大會・文化之日本社, 1926
というのも同じものでしょうか。



【137】
Re:こんな本を持っていた
 skid
 - 04/6/7(月) 19:46 -
----
▼岡島昭浩さん:
>ア−ケ 索引1-17頁 本文1-284頁
>コ−ト 索引1-19頁 本文285-592頁
>ナ−ワ 索引1-18頁 本文593-870頁


四冊ものの第三巻までの構成は、次のとおりです。

ア−キ 索引1-13頁 本文1-222頁
ク−シ 索引1-13頁 本文223-428頁
ス−ハ 索引1-15頁 本文429-650頁

索引は活字を組み直しているのかもしれません。
函もあるのですが、家蔵本はなぜか第一巻が第四巻の函に入っています。
ちゃんと揃っていないのは、どうにも残念です。



【139】
Re:こんな本を持っていた
 skid
 - 04/6/8(火) 8:05 -
----
▼岡島昭浩さん:
>架蔵本の、背表紙「NEW AGES」の「NEW」と「AGES」の間に、空白はわずかにありますが、他の語間の空白よりは狭いようです。それから、表紙には、筆記体で、
>
>  Comments
>    on
> The new age's words
>
>とアポストロフィがはいっていました。


よく見たら、2冊ものの上巻のみも所有していました。
こちらの表紙は「new-age's」、背表紙は「NEW-AGE'S」とハイフンがあります。



【609】
Re:偉大会(Re:こんな本を持っていた)
 岡島昭浩
 - 04/12/20(月) 1:51 -
----
▼岡島昭浩:
>また、webcatで、
>http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN15673816
>現代語講義 / 文化之日本社編
> 京都 : 偉大會・文化之日本社, 1926
>というのも同じものでしょうか。


入手しました。
大正十五年七月一日発行
大正十五年八月十日(第二版)発行
大正十五年九月一日(第三版)発行
編輯者 文化之日本社編輯部
発行者 文化之日本社
(右代表者) 京都市吉田下大路町四五 宮田恒吉


これは菊判ですが、序文は同じ。項目の順序が違います。

アーク燈
アークライト
アーチ
アート
アートペーパー
アートフォアアート
アートフォアライフ
アームストロング会社
アーメン

アイアンロー
青い酒
青い花
赤行嚢
アカシヤ
アカデミー
アカデミック
アカデミー学派
赤本
赤門
アクセント
悪魔派
アスファルト
アセチシズム
アセチリン
アダム
アダム教派
阿堵物
新しい女
新しき村

というように、かなり五十音順です。索引はありません。


# 「ライオン」の話

【154】
# 「ライオン」の話
 Yeemar
 - 04/6/16(水) 22:09 -
----
「ライオン」の話
の続きです。

病気の名前が分かってほっとしたという話。「朝日新聞」(夕刊)2004.06.16 p.9「三谷幸喜の ありふれた生活211」に
帰宅してパソコンの前に座ったら、いきなり腰のあたりに痛みを感じた。最初は冷房が利きすぎて、体が冷えたのかと思った。(略)
 床に転がり、痛みが治まるのを待つが、よくなる気配はまったくなかった。自分の体の中で、何か大変なことが起きている。(略)
 妻の運転する車で、近くの病院に駆け込んだ。その間も痛みは激しくなるばかり。これまで大病をしたことがないから、ここまで痛いと、かえって新鮮な感じがした。ほんのちょっとだけ(僕は今日中に死ぬのだろうか)と思った。
 診察後、腎結石の疑いがあると、先生に言われた。得体{えたい}の知れない痛みに、名前がついたことで、ほっとする。ほっとはしたけれど、それで痛みが治まるわけではない。
もっともこれは、死病ではないらしいと分かってほっとしたのでしょうから(手遅れになればともかく)、「得体のしれない猛獣の名前が分かって安心する」というのとはちょっと違うかもしれません。



【603】
Re:# 「ライオン」の話
 岡島昭浩
 - 04/12/18(土) 22:14 -
----
ちょっと違うのですが似ているので。

『木下順二作品集II おんにょろ盛衰記』(未来社 1961.7.5)の「解説対談」での木下氏の発言。
そういう感性的にもね、こまかく分けて考える考え方と、一方でそいつを概念として概括する表現との両方がなければならないわけで、極端な話が例の有名な、ライオン一匹一匹に名前がついている未開社会、それをライオンとして一つの概念としてとらえる能力がないという、これはちょっと極端だけれども、そこんところが方言をこまかく使ってゆくとわからない場合がいろいろと出くるわけです。




【604】
Re: 「ライオン」の話 #
 Yeemar
 - 04/12/19(日) 7:29 -
----
>こまかく分けて考える考え方と、一方でそいつを概念として概括する表現との両方がなければならないわけで、


黒一点、白一点」に孫引きした金田一春彦氏のいわゆる「言語にはその分析能力と同時に綜合能力があり」ということですね。

知らぬげに

【597】
知らぬげに
 道浦俊彦
 - 04/12/16(木) 12:13 -
----
本を読んでいたら、
「知らぬげに」
という表現が出てきました。「ググる」と2540件も出てきましたが、なんとなく、しっくりこない気がします。
「なにげに」と同じようなものなのでしょうか?それとも昔からある「正しい形」なのでしょうか?



【598】
Re:知らぬげに
 Yeemar
 - 04/12/16(木) 21:22 -
----
その「本」は何でしょうか?

三橋三智也「哀愁列車」(1956)の3番に
泣いて泣いて
泣いているのを 知らぬげに
とありますね。

また、谷山浩子「風を追いかけて」(1979)に
丘の上から 見る町は
私のことなど 知らぬ気に
とあります。

「げ」は手元の『三省堂国語辞典』を見ると「接尾」、つまり単独の語としては使われないということになっています。「はかなげ」(これは形容詞語幹に付いたもの)とか「ありげ」(動詞連用形に付いたもの)のように、上のことばと合体して全体で1語となるものですね。

ところが、「知らぬげ」と言うと、否定助動詞「ぬ」(ず)の連体形プラス「げ」であって、「知らぬ人」「知らぬ顔」などと同じく2語っぽくなってしまうので、注意が引かれますね。

古くはどれくらいからあったかというと……13世紀の「宇治拾遺物語」に
此女、時々は見かへりなどすれども、わがともに、蛇のあるとも知らぬげなり。
とありますから、「正調日本語」といってよろしいでしょう。「源氏物語」では「知らぬやうにて」となります。

群馬県あたりでは「げ」がさかんに使われますが、「知らぬげだ」(知らないようだ)とは言われないでしょうか(「ぬ」の使用地域でないので無理かもしれません)。香川県では「あの子はなんも知らんげやった」(知らないようだった)と言うはずです。



【599】
Re:知らぬげに
 Yeemar
 - 04/12/17(金) 0:33 -
----
「ぬ」の連体形だけでなく、「動詞連体形+げな」、「過去の助動詞『た』の連体形+げな」の形もありますね。

たとえば「柳多留」三・16に
おふくろが切ッて廻すでのひるげな
(おふくろが切って廻すで伸びるげな?)
また漱石「坊っちやん」に松山方言として
御望み通りでよからうと思ふて、其手続きにしたから行くがえゝと云はれたげな。(漱石全集)
と出てきます。

香川方言では「一人で来るげに言いよった」(一人で来るようなことを言っていた)と使います。



【600】
Re:知らぬげに
 岡島昭浩
 - 04/12/17(金) 23:45 -
----
私の方言(福岡県を転々)では、「げな」は使いますが、「げに」は文語としてしか意識できません。また「げな」でも文末で終止形接続のもの(「美しいげな」「あるげな」)は使うのですが、形容詞語幹接続・動詞連用形接続で連体用法のもの(「美しげな人」「自信ありげな態度」)は、文語と意識します。

終止形接続のものは、「知らんげな」(知らないそうだ)というのですが、後者はどういえばよいのか。「知らない」なら「知らなげに」(あるいは「知らなさげに」?)だろうと感じるのですが、「知らぬ」はすぐには出てきません。「知らずげに」「しらざりげに」では変かな、などと考えて、「しらぬげに」を思い出すような気がします。


「におう」について

【583】
「におう」について
 はゆ
 - 04/12/12(日) 1:02 -
----
はじめまして。

数年前から、気になっていたのですが、「におう(匂う・臭う)」を
においを嗅ぐという意味で使うTVタレントさんが増えてきたように思います。

台所用洗剤のCMで洗ったお弁当箱のにおいを嗅がせるのに「におってみて」と
言ったり、異臭がする何かのにおいを嗅がせるのに「におってみぃ」など。
後者は関西弁の人だったのですが、関西では「におう」は、においを嗅ぐ意で
使うのでしょうか?

『「にほふ」は数少ない日本語の自動詞で、主に色彩や美しさ等、人以外の抽
象的なものが主語にくる珍しい言葉だ。』と昔、国語で教わった身としては、
誤用はすごく耳障りなのですが、このまま混濁していってしまうのでしょうかね?



【584】
Re:「におう」について
 道浦俊彦
 - 04/12/13(月) 11:10 -
----
ははあ、言われるまで気づきませんでしたが、どうやら関西弁のようですね。自然に使っていますが。関西弁に「におぐ」という動詞はあります。「大阪ことば事典」にも載っています。それが「におう」にまで使われるようになったのですね。



【585】
Re:「におう」について
 NISHIO
 - 04/12/13(月) 20:30 -
----
▼道浦俊彦さん:
>関西弁に「におぐ」という動詞はあります。「大阪ことば事典」にも載っています。それが「におう」にまで使われるようになったのですね。


「だるまさんがころんだ」の上方バージョンの
「ぼんさんがへをこいた」の続き(20まで数えるとき)が、
「においだらくさかった」だったような…。


【586】
Re:「におう」について
 道浦俊彦
 - 04/12/14(火) 10:38 -
----
▼NISHIOさん:
>「だるまさんがころんだ」の上方バージョンの
>「ぼんさんがへをこいた」の続き(20まで数えるとき)が、
>「においだらくさかった」だったような…。



そのとおりです!私もそれで初めて知りました。京都で言うそうです。さらにそのあと、滋賀では「くさいのはあたりまえ」と言うそうですが。



【587】
Re:「におう」について
 Yeemar
 - 04/12/14(火) 17:47 -
----
▼はゆさん:
>台所用洗剤のCMで洗ったお弁当箱のにおいを嗅がせるのに「におってみて」と
>言ったり、異臭がする何かのにおいを嗅がせるのに「におってみぃ」など。
>後者は関西弁の人だったのですが、関西では「におう」は、においを嗅ぐ意で
>使うのでしょうか?


関西を含む西日本に広がっているようです。『日本方言大辞典』にの「におう」の項に「かぐ」の意で京都府、島根県(「このお菓子をにおって見い、少し臭いぞ」)、岡山県、広島市、山口県、徳島県(「よーにおうてみー〈よくかいでごらん〉」)、高知県、熊本県、大分県、鹿児島県などにあります。

また、歴史的には「匂いをかぐ」の意で俳諧・続寒菊(1780)に「徳利匂ふて酢を買にゆく〈芭蕉〉」の句が出ています(これは『日本国語大辞典』第2版から)。

したがって、「においをかぐ」の意での用法は、歴史的・地理的に一定の位置を占めているといえるでしょう。

「におぐ」は、「におう」と「かぐ」の混淆形でしょう。



【588】
Re:「におう」について
 Yeemar
 - 04/12/14(火) 18:29 -
----
▼はゆさん:
>『「にほふ」は数少ない日本語の自動詞で、主に色彩や美しさ等、人以外の抽
>象的なものが主語にくる珍しい言葉だ。』


「日本語の自動詞で、抽象物を主語にとる動詞は数が少ない」ということでしょうか。こういうことはあまり考えたことがありませんでした。そこで少し考えてみました。

主語に取る名詞の抽象度がどの程度かにもよりますが、感覚に関る自動詞と思われるものだけでも、「光る」「輝く」「映える」「照り映える」「褪せる」「鳴る」「響く」「とどろく」「香る」など、「におう」以外にもいろいろありそうです。

感覚に関することば以外となると、「増える」「減る」「広がる」「狭まる」「広まる」「高まる」「低まる」……など、抽象物を多く主語にとる自動詞は少なからず思いつきます。(これらはもちろん具体物も主語に取ります。「におう」も「にほふ黄葉」というので、この点は同じ)

――となると、国語の先生がおっしゃった真意はどういうことだったのか、気になります。



【593】
Re:「におう」について
 NISHIO
 - 04/12/15(水) 11:47 -
----
▼Yeemarさん:
>関西を含む西日本に広がっているようです。『日本方言大辞典』にの「におう」の項に「かぐ」の意で京都府、島根県(「このお菓子をにおって見い、少し臭いぞ」)、岡山県、広島市、山口県、徳島県(「よーにおうてみー〈よくかいでごらん〉」)、高知県、熊本県、大分県、鹿児島県などにあります。


香川県でも使います。(ま、私の郷里は香川とは言っても元備前国ですけど。)
少なくとも最近の用法ではないし、誤用ともいえないと考えてよろしいでしょうか。



【596】
Re:「におう」について
 岡島
 - 04/12/15(水) 23:27 -
----
▼Yeemarさん:
>関西を含む西日本に広がっているようです。


福岡でも使います。三谷幸喜『気まずい二人』の中でも、両親が福岡出身である三谷が使う、という話題がありました。対談相手に同意を求めていたような気がしますが、相手の出身地は覚えていません。


「わがまま」と「エグい」

【216】
「わがまま」と「エグい」
 道浦俊彦
 - 04/7/6(火) 0:33 -
----
先日Yeemarさんとお会いしたときに、
「最近、若者の間では『わがまま』『エグい』という言葉がプラス評価で使われているようだ」
というお話が出ました。「わがまま」に関しては「自分らしさ」「自分流」「素の自分」などの「個性追求」の流れの中で「『わが』まま」を重視することでプラス評価が出てきたのではないかと思います。でもそれによって「公・私」の「公」が破壊されるということに重いが至らない教育だったのではないか、ということも思います。
「エグい」がプラス評価というのは 「ヤバい」がプラス評価なのと同じ理由ではないでしょうか?
具体的にそういった使用例をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?



【217】
Re:「わがまま」と「エグい」
 岡島昭浩
 - 04/7/6(火) 1:24 -
----
▼道浦俊彦さん:
>「エグい」がプラス評価というのは 「ヤバい」がプラス評価なのと同じ理由ではないでしょうか?


「えぐい」のプラスは古そうな気がしますが、それとは違うのでしょうか。
榊原昭二『昭和語』朝日文庫では、「昭和五十六年ごろから若者は、スゴイ、カッコイイの意味ではやらせている。えぐるような、するどい、といったつもりで使っているのか」(p229)としています。

http://www.tok2.com/home/okazima/mwsearch.cgi?keywords=%1B%24B%24%28%240%24%24%1B%28B



【218】
Re:「わがまま」と「エグい」
 Yeemar
 - 04/7/6(火) 2:40 -
----
私が道浦さんに申し上げたのは、だいたい以下のようなことでした。補いつつ再構成します。

まず、「あなたはわがままですね」「わがままなあなた」と言われて怒らない人はいないと思います。ところが、雑誌などを見ると、「わがままなあなたの希望にお応えします!」などと、平気で読者をわがまま者扱いにしています。

これに気づいたのは最近で、ちょっと手元に用例がありません。以前近所の百貨店で写真を撮った記憶はあるのですが。今あわててウェブの例を添えるならば、
わがままノノピアーノコース(とってもわがままなあなたのために全55種類から選べます)
【ぐるなび】リストランテ・エ・ベヴァンダノノピアーノ(メニュー)より)
「とってもわがままなあなた」は、そのまま受け取れば客を厳しく批判している言い方です。

もうひとつ、「あなたはよくばりですね」「よくばりなあなた」というのもほめことばであるようです。これについては、格好の例ではありませんが、手元に用例があります。ファミリーレストランのメニューで
Yo・Ku・Ba・Ri”プレート
598kcal/塩分1.3g
(2004.06.24「Sunday's Sun」中野店で採集)
とあって、いろいろな種類のカレーのセットです。けだし欲の皮の張った客に出す料理とみえます。

「わがまま」の話を申しあげたところ、同行の方が「すると、『こだわる』を悪い意味ではなく良い意味で使うようになったようなものでしょうか」と続けてくださいました。

「エグい」については、岡島さんが引かれた例のように、「ナウい」と同時期に使われた流行語があったことは承知しています。最近では「エグいホラー小説」などと、たいへんグロテスクだという意味で使われているように思います。本来は、もちろん「たけのこのえぐ味」のような味を指して「えぐい」と言ったのでしょうけれども、「エグい小説」というのは、あくの強いいやな小説ということではなく、グロテスクでたいへんすばらしい小説ということではないかと思うのです。



【589】
Re:「わがまま」と「エグい」
 Yeemar
 - 04/12/14(火) 21:22 -
----
「よくばりなあなた」の用例です。
もうふつうのクリスマスでは満足できない、そんな欲張りなあなた。「ものしり一夜づけ」が、ちょっぴり知的な香りが漂う、大人のクリスマスをお届けします。(NHK「ものしり一夜づけ」番組宣伝     2004.12.14 19:56)



ニュースで目についた言葉 # 「買春(かいしゅん)...

【385】
ニュースで目についた言葉 # 「買春(かいしゅん)...
 畠中敏彦
 - 04/9/20(月) 5:51 -
----
今朝(H16.9.20)の朝日新聞(1ページ)の折々のうたに
>訓読みと音読みを勝手にくっつけた「買春」なんて言葉はもってのほかの珍造語で・・・
と、ありました。



【391】
Re:ニュースで目についた言葉 # 別状と別条
 畠中敏彦
 - 04/9/23(木) 5:53 -
----
細かいことですみませんが、もうひとつ。
たとえば、「命にベツジョウはない」は、別状なのか別条なのか?。
昨夜のNHKニュースでは前者が、他の局では後者を使っていました。
(私の記憶違いがなければ)

もっとも、辞書をみるかぎり双方とも、大きな間違いではなさそうですが。



【502】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 UEJ
 - 04/10/26(火) 23:05 -
----
これはニュースというよりはJRの用語なのかもしれませんが、
不通となっている上越新幹線に対しての「運転を見合わせています」
という表現に違和感を感じます。

私の「見合わせる」に対する語感は「無理すれば運行することもできるのだが
運転を控えている」というニュアンス。
今回の上越新幹線のようにどうやっても運行できない場合は
回りくどい言い方をしないでずばり「不通です」が適当な気がします。



【505】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 道浦俊彦
 - 04/10/27(水) 16:56 -
----
おっしゃるっとおりで、「運転できるけど念のためしない」が、本来の「見合わせる」で、「しようとしてもできない」のは「不通」なんですが、この音が「普通」と同じなので、やめたのではないでしょうか。だから「○○から××の区間は、運行を中止しています」といいうべきところでしょう。「平成ことば事情174」に書きました。



【508】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 畠中敏彦
 - 04/10/28(木) 9:40 -
----
▼道浦俊彦さん:
>おっしゃるっとおりで、「運転できるけど念のためしない」が、本来の「見合わせる」で、「しようとしてもできない」のは「不通」なんですが、、、


UEJさん、道浦さんに同感。
私の印象では、最近、交通機関が不通になれば、画一的に「見合わせる」を使っているような気がいたします。
失礼な言い方になるかもしれませんが、関係者の方は、その意味を深く考えず、惰性で使っているような気がいたしますが、どうなんでしょう?



【510】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 KS
 - 04/10/28(木) 10:51 -
----
▼畠中敏彦さん:
>UEJさん、道浦さんに同感。
>私の印象では、最近、交通機関が不通になれば、画一的に「見合わせる」を使っているような気がいたします。
>失礼な言い方になるかもしれませんが、関係者の方は、その意味を深く考えず、惰性で使っているような気がいたしますが、どうなんでしょう?


 意味を考えず使っているんじゃなくて「不通です」では響きがきついと言う理由じゃないでしょうか「見合わせさせて頂いております」なんて案も出るのです。言葉としてはおかしくても、いかにも「丁寧に、へりくだって言っている」と云う雰囲気がお客様に伝わるかどうかが大切なんです。見合わせている」でも「不通です」でも電車が動かないことには代わりが無いと言うことですね。「自分の責任ではない」という気持ちも働いている家も知れません。
 こう云う視点で見るとチョッと可笑しい最近の言葉も理解がいくのでは…



【512】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 畠中敏彦
 - 04/10/28(木) 20:41 -
----
▼KSさん:
言葉としてはおかしくても、いかにも「丁寧に、へりくだって言っている」と云う雰囲気がお客様に伝わるかどうかが大切なんです。

なるほど。
そう言われると、そのような見方も、否定できないかもしれませんね。
ただ最近、へりくだる余り、本来の日本語をあやしくしている傾向がある(本例はともかく、一般論として)のも、事実のような気がいたします。



【516】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 道浦俊彦
 - 04/10/29(金) 8:44 -
----
「見合わせる」は、交通機関の広報がそのように送ってきたファックスをそのまま読んでいるのだと思います。交通機関は、婉曲表現だと思っているのではないでしょうか。メーカーが「欠陥」を「不具合」と言うようなものです。またマスコミが、発表情報を検証すること自体を「見合わせ」た結果でしょう。自戒をこめて。



【517】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 KS
 - 04/10/29(金) 9:33 -
----
▼畠中敏彦さん:
>ただ最近、へりくだる余り、本来の日本語をあやしくしている傾向がある(本例はともかく、一般論として)のも、事実のような気がいたします。


ことばとは不思議なもので、きちっとした日本語を覚えた人には違和感いっぱいで憤死しそうでも、知らない人には何とも感じない。指摘すると「言葉尻とらえて知ったかぶりして嫌なやつ!」ぐらいの評価になります。社会もマスコミも「言葉はフィーリング、通じればいい」と云うがごとく間違ってたり正しく無かったりしてもそのまま通ってしまうようです。
 百貨店の歳暮コーナーで「ご住所(お電話番号)、お伺いして宜しいでしょうか?」
 金メダルコメントで「みんなが応援してくれて…」 若い人に変だよと指摘すると「どうしてですか?」と問われて返事をためらう今日この頃です。



【518】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 Yeemar
 - 04/10/30(土) 9:12 -
----
▼道浦俊彦さん:
>「平成ことば事情174」に書きました。


こちらですね。

それから高島俊男『お言葉ですが…』(単行本第1巻 p.47-48〔この項95.5.25〕)に
 地震の翌日、テレビで、
「新幹線は数ヵ所で橋げたが落下したため、運転を見あわせています」
 と言っていた。何でもものごとをとりやめることを「見あわせる」と言うものと思っているようだが、そうではない。やってやれぬことはないが、大事をとってやめておくのが「見あわせる」である。
「このケーキ、賞味期限を三日すぎてるけど、クンクン、大丈夫なようだ。食べるかい?」
「まあおれは見あわせておこう」
 というようなのが「見あわせる」である。絶対不可能なばあいにもちいることばではない。
とあります。



【519】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 NISHIO
 - 04/10/31(日) 12:04 -
----
▼道浦俊彦さん:
>「見合わせる」は、交通機関の広報がそのように送ってきたファックスをそのまま読んでいるのだと思います。交通機関は、婉曲表現だと思っているのではないでしょうか。メーカーが「欠陥」を「不具合」と言うようなものです。


最後の部分はちょっと引っかかりますが(メーカーの一技術者として)…、
それはさておき、通常、企業の報道発表資料は広報部門が社内規定に基づいて用語や表現を厳重にチェックしているはずです。内容によっては法務部門の審査もあります。現場の担当者が適当に書いた文章がそのまま発表されることは考えられません。(実際の報道内容をみると、微妙なニュアンスの違いや明らかな間違いもしばしばあり、社内に訂正情報が流れることも珍しくありません。『「〜〜」の部分は記者の憶測』といった補足も見かけます)

ホームページに掲載する「お知らせ」なども、報道発表と同様、社内規定に基づいて慎重にチェックするのが常識だと思うのですが、今回のJRの例では不統一が見られます。JRの社内用語集に「見合わせ」「取り止め」「運休」「不通」の使い方が載っていれば見てみたいものです。

【JR東日本・山手線駅構内の掲示】
      ご案内
 10月23日に発生した新潟地方を震源とする強い地震の影響で、下記の区間が運転を見合わせております。
        記
10月28日6時現在、運転を取り止めている区間
  ・上越新幹線 越後湯沢〜燕三条
  (略)
下記の夜行列車は次の区間、運休となります。
  (略)
【JR東日本・新幹線列車運行情報】 http://www.jreast.co.jp/train_info/shinkansen.asp 
 上越新幹線は、新潟中越地震の影響で越後湯沢〜燕三条駅間で運転を見合わせ

【JR東日本・新潟支社のお知らせ】 http://www.jrniigata.co.jp/jisinn.htm 
 10月23日に発生いたしました新潟県中越地震の影響により、上越新幹線の一部区間およびJR東日本新潟支社管内を中心とした在来線の一部区間が不通となっております。




【520】
Re:ニュースで目についた言葉 #「見合わせる」
 佐藤
 - 04/10/31(日) 21:21 -
----
▼UEJさん:
>私の「見合わせる」に対する語感は「無理すれば運行することもできるのだが運転を控えている」というニュアンス。今回の上越新幹線のようにどうやっても運行できない場合は回りくどい言い方をしないでずばり「不通です」が適当な気がします。


 語感については同感です。
 ただ、(私も自信がないのですが)一部区間だけ運転不能だが、諸般の事情(安全確認・折り返し運転ダイヤ作成等)からあえて全線で運転を一時中止している場合、「見合わせる」でもよい気がしますが、どんなものでしょうか。
 



【570】
Re:ニュースで目についた言葉 # 「の疑いがある」
 UEJ
 - 04/12/4(土) 17:38 -
----
奈良の女児殺害事件で、女の子の服に付いていた髪の毛の血液型がB型であるとの鑑定結果が出たことを受けて、「警察は犯人の血液型がB型である可能性があるとみて捜査を続けている」との報道に違和感ありです。
髪の毛の血液型がB型だと分かる前から、犯人の血液型がB型である「可能性」は多かれ少なかれあるに決まってるじゃないか、と思ってしまいます。
「B型の可能性が高いとみて」なら納得するのですが…。

「警察は…の可能性があるとみて」「警察は…の疑いがあるとみて」という言い回しには今回の件に限らず「んっ?」と思うことが少なくないのですが、今回は特に強く違和感を感じました。



【571】
Re:ニュースで目についた言葉 # 「の疑いがある」
 UEJ
 - 04/12/4(土) 17:53 -
----
話は逸れるのですが、

>「B型の可能性が高いとみて」なら納得するのですが…。


と書きながら、ふと「疑い」は「高い」じゃなくて「強い」または「濃い」だよなぁ、でも逆に「疑いは弱い」とはあまり言わないなぁ、と迷ってしまったので、googleでヒット数調査してみました。

可能性が高い:約 735,000 件
可能性が強い:約 45,600 件
可能性が濃い:約 5,440 件

可能性が低い:約 29,100 件
可能性が弱い:約 25 件
可能性が薄い:約 9,890 件

疑いが高い:約 3,530 件
疑いが強い:約 17,100 件
疑いが濃い:約 3,800 件

疑いが低い:約 159 件
疑いが弱い:約 2 件
疑いが薄い:約 510 件

とりあえず結果を羅列するだけに留めますが、「が」を「は」に変えた場合の組み合わせなども含めて考察するといろいろ面白いかも。



【572】
Re:ニュースで目についた言葉 # 「の疑いがある」
 道浦俊彦
 - 04/12/4(土) 22:39 -
----
なるほど、そうですね。気をつけます。「可能性が高井」か「大きい」かについては「平成ことば事情893」で書いています。この場合は「需要」についてでしたが、「可能性」についても。2年前ですが。此処に(長いですけど)貼り付けておきますので、ご参考までに。


1996年以降、国内での製造と輸入が禁止されている「フロン12」を密輸入していたとして、埼玉県の業者が逮捕されたというニュースを読みました。その中でこの「フロン12」が、いまだに国内2000万台の自動車のエアコンで使用されていて、在庫に限っては販売も許可されているという現状をさして、
「まだまだ需要が高い」
という文章が出てきました。ハタと立ち止まったのは、
「需要は“高い・低い”のか?“大きい・小さい”なのか?“多い・少ない”なのか?」
ということです。これによく似た例としては、
「可能性」
があります。この「可能性」も「大きい」「高い」「強い」のどれが適当なのか?とよく問題になります。
まずは「需要」について考えましょう。「需要」の反対語は「供給」。


「供給」が「高い・大きい・多い」。


この中だったら、「多い」を選ぶのではないでしょうか。
そうすると「需要」も「多い」かな。でも「需要が高まっている」という表現はOKだな。また「大きな需要がある」もいけそうだな。「希望」も「大きい・小さい」ですね。
ここまで考えてハタと気付きました。(よく「ハタ」となるな。)
「高い」と「大きい」は「数字」に関係する言葉です。つまり、「確率」が「高い」ということは、確率を表す数字が「大きい」ということです。
それに対して、「多い・少ない」は、「量」を表す言葉です。「量」も、もちろん数字に置き換えることは出来ますから、そこで、直接数字に関係する「高い」「大きい」と結びついて使われることがあるということではないでしょうか?
そう考えると、「可能性」についても本来は数字に直接は置き換えられない「強い・弱い」であって、それが数字にむすびつくことによって 「大きい」「高い」という言い方も認められるようになっていったのではないのか?という考えが浮かびました。
いつものようにGoogleで検索。


需要が「高い」= 3970件 需要が「低い」= 436件
需要が「多い」= 4950件 需要が「少ない」= 3260件
需要が「大きい」=1530件 需要が「小さい」= 124件


これで見ると、「需要」は総合的には「多い・少ない」が、頭一つ抜け出ていますね。ネット上の頻度では。次が「高い・低い」、一番使われてないのが「大きい・小さい」です。
「可能性」についても見てみました。


可能性が「高い」=25万9000件 可能性が「低い」=7720件
可能性が「強い」= 1万4800件 可能性が「弱い」= 7件
可能性が「大きい」=3万0900件 可能性が「小さい」=414件


こちらは「高い・低い」、次いで「大きい・小さい」、「強い・弱い」。
「可能性」はパーセンテージ、つまり数字と結びついて語られることが多いので、「高い」「大きい」が来るのでしょう。それに対して「需要」は「可能性」ほどは数字と結びついていない、と見ることも出来るのではないでしょうか。
この説が認められる可能性は・・・・高い?低い?


2002/10/30



【573】
Re:ニュースで目についた言葉 # 「の疑いがある」
 UEJ
 - 04/12/5(日) 21:14 -
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▼道浦俊彦さん:
>なるほど、そうですね。気をつけます。


「の疑いがある」「の可能性がある」というのは警察側の発表で使う定型文だと思っていたのですが、報道機関側の言い回しなのでしょうか?



【582】
Re:ニュースで目についた言葉 # 「受け止め」
 Yeemar
 - 04/12/11(土) 8:46 -
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ちょっと前に、「受け止め方」「反応」の意味で「受け止め」ということばが使われているのに気づきました。例、
〔有働由美子アナウンサー〕曽我〔ひとみ〕さんと家族の再会について日本政府の受け止めです。(NHK「ニュース10」2004.07.09 22:00)
のように(複数のアナウンサーが使っていましたから、ニュース用語になっていたのでしょう)。

これは新用法だと思いました。ところが、ここしばらく、耳にしないような気がします。私が聞き漏らしているだけか、たまたま使われていないだけか、それとも、「受け止め」はへんなことばだという声が出て使われなくなったのでしょうか。耳にされた方がいらっしゃいましたらご一報いただければ幸いです。


不規則な活用

【581】
不規則な活用
 Yeemar
 - 04/12/11(土) 8:26 -
----
ふたつ以上の音便形
の続きのつもりです。とりわけ、その中の「不規則な活用」についてのメモの続きです。

以下は活用ではなく造語法の不規則に係るものですが:「濃い口」「濃いめ」「早い目」(→「実はそれって ちがくテ?」)

また、「鯉こく」という料理の「こく」とは何かと思い辞書を見ると「鯉濃く」。形容詞連用形で名詞を作る造語法は一般的でない。「遠く」、「近く」、「多く」、「安くで手に入れる」の「安くで」などの例があるけれど。

「鯉濃く」は「鯉の濃漿(こくしょう)」の意から、とのこと。このような湯桶読みもめずらしいでしょう。

その「濃漿」を『日本国語大辞典』で見てみると、語源はさだかでないようです。大言海に「コキシル(膿汁)の音便転か。また、コクニタシル(濃煮汁)の中略か」との説明があるようですが、こじつけではないでしょうか。


来年の著作権ぎれ

【560】
来年の著作権ぎれ
 岡島昭浩
 - 04/11/27(土) 13:21 -
----
そろそろ年末。
今年いっぱいで著作権が切れる人にどんな人がいるのか、気になるところです。
死せる作家の会にも香取秀真・吉沢義則・幸田成友・寒川鼠骨らが載っていますが、それ以外にも居ます。

解釈の橘純一 1884.2〜1954.1.9
俳文学の勝峰晋風(勝峰晋三) 1887.12.11〜1954.1.31
長崎洋学の古賀十二郎 1879〜1954

著作者は他にも居ますが、国語学国文学周辺の研究者としては、こんなところでしょうか。国語年鑑の最初の年でもあるようなので、それも見ないといけませんが。

なお、現在、著作権の保護期間は死後五十年ですが、これを七十年にして欲しいという要望が出され、審議されています。
著作権保護期間延長の動きを止めたい いくつかあるページの中から、他へのリンクも張られている「壊れる前に」へリンクしておきます。)

もし七十年に延長されることになってしまうと、二十年間、著作権保護期間終了者が出ないという寂しいことになってしまいます。



【575】
著作権保護期間延長へ
 岡島昭浩
 - 04/12/8(水) 0:40 -
----




[添付]〜添付ファイル〜






・名前



: noextension.png





・サイズ



: 7.8KB



青空の行方
添付画像
【noextension.png : 7.8KB】


【579】
Re:来年の著作権ぎれ
 UEJ
 - 04/12/9(木) 22:43 -
----
>なお、現在、著作権の保護期間は死後五十年ですが、これを七十年にして欲しいという要望が出され、審議されています。


アメリカで50年が70年に延長されたのはディズニーの働きかけだと言われていますね。
http://www.eigafan.com/abroad/business/2002/0910/

20年後には保護期間をさらに延長して100年にしよう、なんて話が出てきそう…。


「ワ+米」

【578】
「ワ+米」
 佐藤
 - 04/12/9(木) 20:18 -
----
「探・深」の旁が「ワ冠に米」となる例、易林本節用集にありました。下記リンクの最終行(探)とその前の行(探題)。画像をクリックすると大きな画像を表示します。
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/i029/image/01/i029s0094.html


「みだらな」と「しだら」と「みだれ」

【574】
「みだらな」と「しだら」と「みだれ」
 道浦俊彦
 - 04/12/6(月) 15:07 -
----
「みだらな」という言葉と、「だらしない」の語源とされる「しだら」(太鼓を打つリズムと聞いています)は関連があるのでしょうか?
また「みだら」と「乱れ」は関連があるのでしょうか?ご存知の方ご教示ください。


オリンピックで目についたことば ##

【291】
オリンピックで目についたことば ##
 Yeemar
 - 04/8/14(土) 15:13 -
----
オリンピックで目についたことば
の続きです。

2004.08.14 のアテネオリンピック開会式。入場行進で、男性アナウンサーはさわやかで晴れやかな調子で選手団を紹介。「前回の大会ではすぐれた成績を残しました」などというふうに。

イラクの選手を紹介するとき、ついその口調で
去年のイラク戦争では多くの国民が犠牲になりました。
と明るく紹介した(ように私には聞こえた。少なくとも重くはなかった)。戦争はまことに悲しむべきことで、本来ならつい一瞬絶句して、聞き手にイラクの過去と現在を思い起こさせるようなアナウンスであってほしかった。それとも、このアナウンサーのもともとの声質によるのかな?



【294】
解説者とアナウンサー
 佐藤
 - 04/8/17(火) 5:21 -
----
 この組み合わせのありようで、ドキドキハラハラすることがありますね。
 昨日の野球がそれでした。星野元監督と噛み合わないというか、ちょっとぎすぎすした感じがした。遠慮のない関係を結べているからのやりとりだった、と見えなくもないのですが。
 男子体操のはなかなか好ましかった。アナウンサーは正確な情報を伝えつつ、視聴者代表のような感想も述べる。解説は個々の競技の冷静な評価、ミスの要因などの細部を、経験者ならではの視点で的確に指摘してました。両者の声がかぶることもなく、アナウンサの感想を、解説者が裏付けする感じでテンポもよい。お互いにやりやすいだろうなと素直に思える運び方でした(それもあって、つい夜更かしを……)。



【297】
Re:解説者とアナウンサー
 佐藤
 - 04/8/17(火) 15:15 -
----
同じNHKですが、実況とビデオとで別の人になってました。地上波と衛星波の違いでしょうか。ビデオの方も悪くないけれど、実況の組み合わせの方(解説者がソウル五輪に出た人)がよかったかな。



【298】
Re:解説者とアナウンサー
 佐藤
 - 04/8/17(火) 19:34 -
----
17日19時以降の録画は実況のコンビのようです。「放物線は勝利への架け橋だ!」。



【299】
Re:解説者とアナウンサー
 岡島昭浩
 - 04/8/18(水) 18:56 -
----
▼佐藤さん:
>「放物線は勝利への架け橋だ!」。


これは、NHKのオリンピックテーマソングの引用なのでしょうね。
http://www3.nhk.or.jp/olympic/nhk/theme2_fs.html



【304】
Re:オリンピックで目についたことば ##――ちょー...
 Yeemar
 - 04/8/19(木) 21:55 -
----
北島康介選手の一言は「ちょーきもちええ」と聞こえましたが、「週刊新潮」2004.08.26 p.17 グラビアのキャプションに
競泳男子平泳ぎ100メートルの北島康介(21)、優勝後のひとことは「ちょーキモチいー」
とあります。新聞の見出しも「ちょー気持ちいい」ではなかったでしょうか。



【305】
Re:オリンピックで目についたことば ##――うわず...
 岡島昭浩
 - 04/8/20(金) 0:08 -
----
女子柔道実況の三宅アナウンサーはフジテレビの人だと思うのですが、何度か「うわずえ」と言うのを聞きました。
これは「うわぜい」の語源俗解形だろうと思っている形ですが、NHKあたりから「指導!」が入ったりしないのでしょうか。

「奥衿」というのは、柔道以外でもいうのだろうかと思って検索してみたら1件だけそれらしいのが引っかかりました。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/proudmary/page/03detail/tah_size.html



【306】
Re:オリンピックで目についたことば ##
 Yeemar
 - 04/8/20(金) 9:32 -
----
3度目の五輪で悲願の金、柔道女子78キロ級の阿武教子選手のよみ方は「あんの・のりこ」。「喜屋武」さんが「きゃん」さんだから、「武」は「ん」と読む漢字なのでしょう。すると「阿武」は「あん」であり、「の」は「藤原道長」の「ふじわらの」のように読み添えのかなでしょうか(歴史的なことを考えず今の状態を説明するならば「阿武」全体で「あんの」とよむ一種の熟字訓というべきでしょうけれども)。親戚の人を「鈴木の一郎ちゃん」とか「田中の太郎さん」とかいうのにも似ておもしろく思います。

「喜屋武」さんは「きゃん」という発音が先にあって文字を当てたのか、もともと「きやむ」などと言っていたのがなまって「きゃん」になったのか。この字で「きやたけ」さんもいますね。



【308】
Re:オリンピックで目についたことば ##
 skid
 - 04/8/20(金) 14:13 -
----
▼Yeemarさん:
>3度目の五輪で悲願の金、柔道女子78キロ級の阿武教子選手のよみ方は「あんの・のりこ」。


「阿武」で連想するのは「阿武松原」「阿武松緑之助」。
「あぶ」→「あふ」→「おう」でしょうか。
横綱の「阿武松」は『大日本人名辞書』新訂版(昭和11年)に「アブノマツ」という見出しになっています。



【310】
Re:オリンピックで目についたことば ##――うわず...
 佐藤
 - 04/8/20(金) 23:23 -
----
▼岡島昭浩さん:
>女子柔道実況の三宅アナウンサーはフジテレビの人だと思うのですが、何度か「うわずえ」と言うのを聞きました。


不用意な発音から聞き覚えた、あるいは、発音を不用意に聞き取って覚えてしまった、という線もありますか? 自分で「うわぜい」とつぶやいてみて、「うわずえ」に聞こえないこともないように思ったので。(おお! 塚田、金メダル!)



【311】
Re:オリンピックで目についたことば ##
 畠中敏彦
 - 04/8/20(金) 23:38 -
----
【○○は、最もメダルを期待していた一人】
と、ある局のアナウンサーが言っておりました。

「○○は期待していた一人」であり、他にも期待している人がいるのですよね。
「最も…」ときますと、特定の(単一の)者を指す印象がありますが、そうで
もないんですね。
まぁ、オリンピックに限らず、普段もこのような言い方をよく耳にします。



【312】
Re:オリンピックで目についたことば ##――うわず...
 岡島昭浩
 - 04/8/21(土) 7:10 -
----
「うわずえ」は、スポーツ放送の世界では、すでに定着した言葉となっているようにも思うのですが、「上から末まで」という感じで意識されているのだろうと思っています。
「うわぜい」(ウワゼエ)という伝統形を聞いて、「せいくらべ」の「せい」との関係を想起できない(で「末」を想起してしまう)のは、「せいが高い」ではなく「せが高い」が標準的な形になってしまっている所為もあるのでしょうか。

なお、「うわずえ」は、ほぼ常に「うわずえがある」の形で使われるようです。

旧会議室で書いていたのでした。解説者ではなくアナウンサーが、しかもNHKの放送として流れたことを記録したかったのでした。



【313】
Re:オリンピックで目についたことば ##――(c)
 岡島昭浩
 - 04/8/21(土) 7:16 -
----
視聴者からの応援FAXなどが紹介されたりしますが、その中に、&#169; 、(c)、丸シー、があり、「〜ちゃん」と読まれているのを知りました。アナウンサーは、「絵文字が使ってますが」などと言っていたように思います(たしか青山アナでしたか)。

携帯メールなどでは、丸シーは、普通に使えるのでしょうかね。



【318】
Re:オリンピックで目についたことば ##――(c)
 KS
 - 04/8/24(火) 16:37 -
----
▼岡島昭浩さん:
>視聴者からの応援FAXなどが紹介されたりしますが、その中に、&#169; 、(c)、丸シー、があり、「〜ちゃん」と読まれているのを知りました。アナウンサーは、「絵文字が使ってますが」などと言っていたように思います(たしか青山アナでしたか)。
>
>携帯メールなどでは、丸シーは、普通に使えるのでしょうかね。


携帯メールの普及で絵文字や略号が大流行ですね。
ドコモ標準絵文字を始め、各自オリジナルな絵文字がいっぱいあるようです。当然ながら、私にはサッパリですしとても付き合いきれません。
 もっとも、言葉にしても文字にしても、このような流行が自然に淘汰整理されて生まれたものかもしれないような気がしています。



【335】
Re:オリンピックで目についたことば ##――ちょー...
 道浦俊彦
 - 04/9/5(日) 10:16 -
----
VTRで見ても「チョー気持ちええ」でした「いい」ではありません。標準語に変換されたのでしょうね。



【567】
Re:オリンピックで目についたことば ##――ちょー...
 skid
 - 04/12/3(金) 18:46 -
----
私は「チョー気持ちええ」とは聞こえないのですが、注意不足でしょうか。
最初に「チョー」を付けない「気持ちいい」の「いい」は、力が入って「い゛ー」となったような感じだと思ったのですが、記憶が曖昧です。



【568】
Re:オリンピックで目についたことば ##――ちょー...
 佐藤
 - 04/12/3(金) 23:55 -
----
▼skidさん:
>私は「チョー気持ちええ」とは聞こえないのですが、注意不足でしょうか。


私も。このところ、何度か聞く機会がありましたね。日本語の典型的な〔i〕よりは舌が下がり気味だが、〔e〕までは行ってないような発音に感じました。



【569】
Re:オリンピックで目についたことば ##――ちょー...
 道浦俊彦
 - 04/12/4(土) 17:16 -
----
▼佐藤さん:
>▼skidさん:

>>私は「チョー気持ちええ」とは聞こえないのですが、注意不足でしょうか。

>
>私も。このところ、何度か聞く機会がありましたね。日本語の典型的な〔i〕よりは舌が下がり気味だが、〔e〕までは行ってないような発音に感じました。



そのとおりだと思います。
私は最初、1回目のは「気持ちええ」と聞こえました。2回目は「気持ちいい」と聞こえました。
全国の若者に広がっている関西弁の影響かと思いましたが、今回の流行語大賞のニュースで、VTRを何回も繰り返し見て聞いていると、「気持ちいい」と言おうとして、鼻に水が残っていて「イ」と「エ」の中間のような音になった、というのが、本当のところではないでしょうか。
本人も「気持ちいい」としっかり言えなかったので、もう一度繰り返したのでは?そこから考えると「チョー気持ちいい」と彼は言いたかったと考えていいのではないでしょうか?