暑さが和らぐ
畠中敏彦
- 04/10/6(水) 21:57 -
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今日、某局のアナウンサーが
「“暑さが和らぐ”って表現おかしいんじゃない、“寒さが和らぐ”っては言うけど」と言ってました。
なるほどと思いましたが、両者に明確な区別があるんでしょうか?
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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1 | ||||||
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寅は全然気がつかないけれども、映画館のお客が「寅、刺されるぞ」みたいな(笑)。これはこわいね。
巨石の乱積された上を伝わる時、浅市ののった巨石が不安定であったのでグラグラとゆるぎ出したため荷を負ったまま巨石の間に倒れて石に足を挾まれた。苦痛の叫びに驚き早速岩をずり動かして引き出すと、幸いに大したこともない。跛足を引きつつ剛気なだけに「弁慶の泣きどころだ」と言いながらついて来る。(大島亮吉『山―随想―』中公文庫による、p16。もと『山 研究と随想』岩波書店、昭五。大正九年七月二十二日の記録)くるぶしやらアキレス腱であるのかもしれません。
(折りまげて力を入れても力がはいらないところからとも、人さし指と薬指とを直立させた間に中指をはさんでこれを第二関節から曲げ、第一関節から先を動かされると痛いところからともいう)としていますが、『東京語辞典』は、こうです。
べんけい・の・なき・どころ〔弁慶泣所〕食指と薬指とを直立せしめたる間に、中指を挿みて、之を中関節より屈して、最高関節より先の所を動かさるゝ時は、弁慶の如き大男の猛者と雖も、屈従せられざるはなし。弁慶も泣くとの意。転じて他人の前に屈従する者をいふ。(『近代庶民生活誌7』による。また『隠語大辞典』にも引用される)
横笛を持ち変へて弁慶の泣所といふ頬のあたりをポカツと突かれた。此時弁慶痛いの痛くないのつて炭団のやうな涙を二ツの眼からコロ/\と溢してと、
「百花園」十四巻百三十七号(明治28年)
「橋弁慶」(禽語楼小さんロ演)
『口演速記 明治大正落語集成』(講談社、全7巻)による
おきあがつて、おてんとうさまを見ようとすると、あたまがずきんずきんして、おでこがあつくつて、べんけえ《こめかみ》のなきどころがびくびくして、気もちがわるいから「あたまいたくなつたから、かへるよ。」といふとです。「べんけえ」の横に、傍注として「こめかみ」とあるのですが、「べんけえのなきどころ」に掛かるものでありましょう。
「かにとり(特選)」 東京市向島区第二寺島小学校尋二 田村光雄
(『赤い鳥』昭和十年八月号入選)鈴木三重吉『綴方読本』角川文庫p26、講談社学術文庫p177
俗説によると、五条大橋の決闘の折、牛若丸は“弁慶の向こうずね”を執拗に攻めたてたというが、とあるのも、これか、と思ったのですが、講談などの方を当たるべきなのかも知れません。
弁慶の泣き所【べんけいのなきどころ】進退きわまること。衣川の合戦で、弁慶が満身に矢を受け、立ちながら死んだことによる。弁慶にはもう一つ「弁慶の立ち往生」という有名な言葉がある。意味は、弁慶ほどの強者でも蹴られると痛がる「むこうずね」のことである。転じて、唯一の弱点の意にもなった。
SMART FOOD STYLE有名レストランと協力してうまい弁当を売り出す予定なので期待してください、ということらしい。「食事を食べる」という言い方が重言。
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先ほど、そのー、勉強熱心な家庭と、塾に行かせてる学校……家庭がその、その差が二極化しているというふうにおっしゃったんですけども、これまでは、今きびしくても教育に熱心にあることが将来の明るさにつながったという考え方が広がってましたよね。「勉強熱心な家庭と、塾にさえ行かせない家庭との差」とか「勉強熱心でない家庭と、塾に行かせてる家庭との差」とか言おうとして誤ったものとみえます。
かつて朝日新聞に連載された「サザエさん打ち明け話」には、この種の表現方法が数多く見られた。
で御質問の前に当りて二言申し上げて置きますが、幕府中の御話をしまするに、現今の言葉に改めて御話をいたすと、情の移らぬ事がある。それ故、やはり公方様|益《ますます》御機嫌能恐悦奉存候という調子で、御の字が付かぬと情合が移らぬようであります。しかし中には、そのままに御話をすると甚だ現今の人の御存知のない事もあります。速記の方も、洋語を筆記なさるよりも難しいこともあろうと存じます。というのならありました。
●〔アメリカ生活での観察を記した文章で〕ホームレスと呼ばれる浮浪者が物乞(ご)いするそばで、大勢の金持ちが大型ヨットを連ねてパーティーに興じる光景はどうでしょうか。〔1989.06.10 東京朝刊「声」〕
●ことしは国際居住年でありますが、その目的とするところは、ホームレスの人に家を保障する、こういうことでありますけれども、逆に家からほうり出されてしまっている。〔衆 - 土地問題等に関する特別委員会 - 2号 昭和62年11月19日 中島武敏委員〕
●四月二十日の毎日新聞の夕刊社会面を大臣ごらんになりましたか。現在、立ち退きを迫られてひとり暮らしのお年寄りが施設に避難したり、あるいは駅や地下道で野宿を続ける人がかなり出てきている。長くは読みませんが、深刻な事態、ホームレスですね、日本の、これが出てきておる。〔参 - 建設委員会 - 10号 昭和63年04月21日 内藤功君〕
1987年の冬はとくに寒さが厳しく、路上での凍死者が続出したことから、ホームレスとよばれる放浪生活者が急増していることが注目された。としていました。
高速道路やテントにゴロゴロ--二百万人?米国のホームレス(特派員ノート) / 草野 徹 世界週報. 64(12) [1983.03.22]
剣道で、手にしている得物をななめに構える。また、身構する。改まる。気取った態度をする。第2版・第3版では
剣道で、刀をななめに構える。転じて、身構える。改まった態度をする。第4版では
剣道で、刀をななめに構える。転じて、身構える。改まった態度をする。また、正面から対応せず、皮肉な態度をとる。第5版(現在)では
剣道で、刀をななめに構える。転じて、身構える。改まった態度をする。また、正面から対応せず、皮肉な態度をとる意にもいう。とあり、「正対する」とは書いてありません。ただし「改まった態度をする」とは書いてあり、この部分が「正対する」となんとなく通ずるようでもあります。とはいえ、この「改まった態度」は「身構えた態度」ということでしょう。
(b)何かに対し、構え過ぎるほどの姿勢を取るとあり、『新明解古語』補注版第2版に
(2)しゃちこばって構える。きちんとした態度をするとあります。このあたりになると、「正対する」により近いニュアンスになりますね。「全力でことにあたるべく身構える」のような語釈も浮かんできますが、私自身用例に当たりきれてないので何とも。
剣道用語で、刀をさげて両手で柄を持ち、刀を筋違いにして向こう斜めに構えることから
(2)しゃちこばって構える。きちんとした態度をするとあります。このあたりになると、「正対する」により近いニュアンスになりますね。
せい−こう【正構】[名】受太刀(うけたち)の構(かま)えの一つ。正しい構えで相手の刀を受けとめること。*浄瑠璃・道中龜山噺-六「臂を落して斜に構へるせいこうの受方も、はて能教へたものじゃよな」
剣道で、剣・棒などを斜めに構える。一説、笏(しゃく)に構えるか。としています。〈ななめに構えていないじゃないか〉という意識からそのような語源説が出てきたのでしょうか。
斜に構るとありました。
○(安斎随筆)に、しやにかまへるといふ俗語剣術より出たる詞なり 立て刀を提げ両手に柄を持刀をすぢがひになして向ふを斜に構へると云なり かやうの事何のわけも知らずして人なみにいふこと多し 扇をしやにかまへ其外何にてもかまへる物ある也 さもなき空手にいふはいかヾといへり おもふに空手にて正体に居らず筋かひにかまへたらんは斜にかまふなるべし(葉子譜)【(広百川学海)癸集に収む】刻画品の骨牌に斜眼また斜歯といへるあり 其図を見るに牌の縁の黒き処上下にすぢかひて星あるは斜眼なり 歯のかたも筋かひたるは同じ斜といふ事是にて明らかなり
しか 《助》(1)いずれか一方を取り上げて言うのに用いる。の方。和歌山県「これしかええ」690 (2)比較の規準を示す。よりも。三重県志摩郡「それしか良い」585 (3)強意に用いる。秋田県仙北郡「そでねあしか(そうでなくとも)仕事はいやなものだ」130 千葉県東葛飾郡「いくらかしか(多少)」276
しか 《助》(1)いずれか一方を取り上げて言うのに用いる。の方。和歌山県「これしかええ」690
しか 《助》(1)いずれか一方を取り上げて言うのに用いる。の方。和歌山県「これしかええ」690 (2)比較の規準を示す。よりも。三重県志摩郡「それしか良い」585 (3)強意に用いる。秋田県仙北郡「そでねあしか(そうでなくとも)仕事はいやなものだ」130 千葉県東葛飾郡「いくらかしか(多少)」276
しか 《助》(1)いずれか一方を取り上げて言うのに用いる。の方。和歌山県「これしかええ」690
「絶対に金曜にはもどると言っていたのに」出会うたびに面白いなと思いますが、方言上の特色でしょうか。他の作家・筆者でも似たようなことがありましょうか(この話題、既出でしたら御放念・放置ください)。
「部屋には入った?」
耿介の問いに聡美は躊躇の末に首を振った。
「どうやら遊びじゃなかったらしい」
目くらましのために遠藤は他の女との関係を吹聴していたのに違いない。二十四、五にしては落ち着いた女性だった。
「アメリカに行った目的は?」
それには聡美も首を横に振った。
(『春信殺人事件』光文社文庫)
ツンと取りすまし他人の感情をまるで無視した口のきき方であった彼が、きゅうに愛想よく応対しはじめ、相手の話に絶えず小首を振って、いかにも熱心に聴き入っているように装《よそお》いはじめたのは、彼のいわゆる人心収攬《じんしんしゆうらん》のための政治的技巧であって、(第三節)
白く浮いた妻の項《うなじ》を、のぞきこむようにして、じッとみつめつつ、うん、よしよしと首を振った。(第七節)
ううんと彼女は首を横に振った。(第二回)があります。
朝野は悪夢でも払うように首を振って、
「いや、違う」
と大きな声で言って、(第四回)
「いや、いや」
と、朝野が首を振った。(同)
「いいや」と私は首を振った。(第十回)
「あら、――倉橋先生」
という声があった。声をたよりに眼を据えると、サーちゃんであった。
私はこういう場合に慣れないので、とっさに言うべき言葉が浮ばず、やあ、やあと首を振ると、(第九回)
とんでもない誤解であると私は言った。言うのもあほらしいくらいであった。
「誤解?」ドサ貫が三方白の眼を私に注ぐのに、
「うん」
私は大きく首を振ったが、ドサ貫は何も書わず、首を小刻《こきざ》みにうなずかせた。承認のうなずきではなく、そうして私の言葉を吟味《ぎんみ》している風なのに私は心|穏《おだ》やかでなく(第十一回)
それに又一つ増に嫁が気に入る様になり升た。から人々がエロル夫人さへ御寵愛なさる様になつたといふも空言では有ませんかつた。とありますね。ほかに、二葉亭四迷「浮雲」他(「からして」も)、漱石「それから」他にも。
私の知人の中にも百歳すぐそこの会長職が数人いらっしゃっていずれも引退どこ吹く風。おかげで毎年山海の珍味が届く。ので私は引退反対。〔時実新子〕(「週刊朝日」2004.01.2-9 p.122)など。また「なので」の新しい例は
ちなみに、今私が住んでいる部屋には全身鏡がない。ので、いつも窓ガラスに映している。〔金原ひとみ〕(「朝日新聞」夕刊 2004.04.23 p.10)
『ダカーポ』は80年代の『朝日ジャーナル』に似ている……といってもお若い読者は「そんな比喩(ひゆ)ではわかりませーん」と思うだけだろう。なので別の言い方をすると、『ダカーポ』は組織でいえばナンバー2、家族でいえば次男の雰囲気なのだ。〔斎藤美奈子〕(「AERA」2002.08.26 p.69)などです。
河野〔明子〕 私、兄と弟との3人きょうだいで、女は1人なんです。なので父は比較的、私には甘かったです。(「週刊朝日」2004.06.04 p.56)
それに又一つ増に嫁が気に入る様になり升た。から人々がエロル夫人さへ御寵愛なさる様になつたといふも空言では有ませんかつた。とありますね。
それに又一つ増に嫁が気に入る様になりましたから、人々がエロル夫人さへ御寵愛なさる様になつたといふも、空言では有ませんかツた。