1.「この荷物、もう冷蔵庫に入〔はい〕らない」を、「この荷物、もう冷蔵庫に入〔はい〕れない」と言いたくなるそうです(中国語では「東西不能放進氷箱里」〔モノを冷蔵庫の中に入れることができない〕がふつうとのこと)。また、
2.「もうこんな時間?! 終電に間に合わない」を「もうこんな時間?! 終電に間に合えない」と言いたくなるそうです(中国語では「我不能〓{走にょうに干}上電車」〔電車に追いつくことができない〕)。
私(Yeemar)が思うに、「荷物が入〔はい〕れない」と言わない理由は、「人が主語でないから」という説明でもすみそうです。いっぽう、「間に合えない」と言わない理由は、「間に合う」にすでに可能の意味が入っているから、というのがいちおうの説明でしょう。しかし、「可能の意味が入っている」と判断するのはなぜか、ということになると、簡単ではありません。どう説明すればいいのか、いまのところ、分からないままです。
まとめると、
1. 「○○が」の部分が人でなければ、可能を明示する形はとらない。
例、「(なべにふたが)合う・(私に音が)聞こえる・(病気が)治る・(荷物が冷蔵庫に)はいる・(私に景色が)見える・(私にバイトが)見つかる・(私に答えが)分かる」などは、「合える」「聞こえられる」「治れる」などとは言わない。
2. 「可能」または「自然にそうなる」の意味が入っている動詞は、可能を明示する形はとらない。
例、「(私が大学に)受かる・(私が行かずに)済む・(私が電車に)間に合う・(私が/私の気持ちが)安らぐ」など。
このうち2は、「可能の意味が入っているかどうか」を判断する基準が人によって違うと考えられます。たとえば、「済む」も、私は「済める」とはまず言いませんが、「管理職 ならずにすめたと 負け惜しみ」(朝日新聞「しごと川柳」2001.02.05 p.20)という例があります。また、「安らぐ」も、「ゆったりとした席に座ると身も心も安らげて、とにかく居心地がよい。」(VISA広告「Hanako」2000.02.02 p.53)のような例もあります。
「大学に受かれる」は、ワープロでも「浮かれる」しか出てきませんが、「受かることができる」という形にすると、やや言いやすくなります。電子辞書版『明鏡国語辞典』には「受かることができる」という用例が出ているそうですが、ほんとうでしょうか。手元の紙の辞書ではその例文はありませんが。
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また、その中学人留学生は、自動詞で言うか他動詞で言うか、迷う場合もあるようです。
・「牛乳が温まらない」か「牛乳を温められない」か
・「電話が(うまく)かからない」か「電話をかけられない」か
・「バイト〔が〕、見つかったの?」か「バイト〔を〕、見つけられたの?」か
私(Yeemar)の考えでは、「温まらない」は、私は温めるための手段を十分に尽くしたのに、周りの環境のせいで、牛乳が温かくなることが実現しないという感じがします。一方、「温められない」は、周りの環境だけでなく、私の技術・能力が十分でないという感じがします。
朝鮮語では、両者を使い分けることができるようです。「牛乳が温まらない」は「ttatteuthaejiji ana〔温かくなら ない〕/deueo jiji ana〔温まら ない〕」、「牛乳を温められない」は「ttatteuthage hal su eopseo〔温かく する ことが できない〕/de'ul su eopseo〔温める ことが できない〕」のように言うそうです。中国語では、表現し分けることがむずかしいのかもしれません。