「論語」の種々の読み下し文でどうなっているかは知りませんが、小学校国語教科書『新しい国語 六年下』(東京書籍 平成16年2月10日検定済・平成17年7月10日発行)p.122「「論語」の言葉」に、
子{し}曰{い}は{(わ)}く、「故{ふる}きを温めて新しきを知る、もつて{(もって)}師と為{な}るべし。」と。とあるのを知りました。
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子{し}曰{い}は{(わ)}く、「故{ふる}きを温めて新しきを知る、もつて{(もって)}師と為{な}るべし。」と。とあるのを知りました。
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貝塚茂樹訳(中公文庫)も「鄭注」によっており、その訳注に、
「温」を朱子の新注で「たずねる」と訳しているが意訳にすぎる。漢の鄭玄にしたがって、冷えた食物をあたためなおす意味にとるが、これが原義である。
と書いています。ただ、「鄭玄」のルビが「ていげん」となっているのが、少々気にはなりますが。
以上、ご参考まで。
(引用開始)
えっ、と呟{つぶや}いて、テレビの画面を観た。
風呂から出て、居間でぼんやりしているくせが、ぼくにはある。
テレビはついているが、ちゃんと観てはいない。なるべく、どうでもいいもの――その夜でいえば、NHKBSのエンタテインメント・ニュースがうつっていた。
〔略〕
〔映画の〕クリップが終ったので、寝ようか、とうつむいた時、
――古きを温{あたた}めて新しきを知る、と言いますから……。
と、女の子が言った。
〔略〕
説明するまでもなく、これは〈古きをたずねて……〉の間違いである。〈温故知新{おんこちしん}〉を国語辞典でひけば、ちゃんと出ている。
この間違いは、約三十年前、某有名番組の某司会者が口にして、視聴者から怒りが殺到し、結局、(それだけの理由ではなかったが)司会者は辞任することになったものである。その人は軍隊に行っていた年齢のインテリで、そういう間違いをするのが、ぼくには信じられなかった。(注・「あたためて(復習して)」と読むという説もないではないが。)
(引用終了)
ということです。田島さんの引かれる金谷訳・貝塚訳は「ないではない」説として軽く扱われています。ただ、この「注・……ないではないが。」というのは、単行本(または文庫本)にするときに補った注ではないでしょうか。きまりの悪そうな一文です。
「あたためて」と言った某司会者が、辞任しなければならないほど「怒り」を買ったとは思えませんが、どなただったのでしょうか。