2006年06月21日

「しか」と否定(やぶちゃん)

かなり以前、会話記号(「,」)の成立年代の質問をさせて頂いた、高校の国語教師をしている者ですが、小論文指導をしていて、ふと考えた疑問があります。現代語で係助詞とされる「しか」は、打消しの語が呼応しますが、この打消しの「ない」は構文上、何を打ち消していると説明すべきなのでしょうか。例えば「老人を集団としてしか見ていない」「自分は自分でしかない」という文では、「老人を集団としてのみ見て、個人として見ていない」であり、「自分という存在は自分以外ではなく、自分のみである」という意味であり、この場合、元の文に打ち消すべき対象は現れないわけですが、これを高校生に説明するとしたら、どのように言うのが最も解りやすく適切でしょうか。辞書等の「打消しの語を伴って、それ以外を全て否定する」という説明しかないのでしょうか。また「しか」という語の元となった語が分かりましたら(近世以降の成立のようですが)、合わせてご教授願います。
Posted by やぶちゃん at 2006年06月18日 22:53
posted by 岡島昭浩 at 22:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 文法一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「否定」というのは、大きな問題のようで、それだけについた論じた本などもあります。

今、手許にありますのは、月刊言語の特集号「[例解]否定の意味論」(2000年11月)ですが、太田朗『否定の意味』大修館1980などもあります。

また、『日本語の文法2時・否定と取り立て』岩波書店2000は、日本語におけるこの問題を取り上げたものです。

語源については、江戸で「しきゃ」と言ったことなども考え、「しきは」ではないか、などと言われていますが、よく分かりません。
Posted by 岡島昭浩 at 2006年07月04日 10:18
「しか」は、単なる副助詞のくせに、文の肯定否定を正反対にしてしまうもので、そこが非常に特殊な点だと思います。

「映画など見なかった」「映画だけ見なかった」「映画さえ見なかった」の「など」「だけ」「さえ」は、除いても、文の肯定否定は変わりません。ところが、「映画しか見なかった」の「しか」を除くと「映画を見なかった」となり、肯定否定が反対になります。どうも不思議です。

「しか」の用法については、詳論があります。では、「しか」が、どういう理由、どういう論理によって「それ以外をすべて否定」することができるに至ったのか、これという説明を知りません(岡島さんご紹介の文献もざっと拝見しましたが、この点は、合点が行きません)。語源がわからないため、論じようがないのでしょうか。

此島正年『国語助詞の研究』(桜楓社)p.257に「「しか」を「ほか」の音韻変化と考えることができれば最も簡単であるが、無理である。」とあります。たしかに、「行くほかない」ならば、論理的にもわかりやすい言い方です。その「ほか」が「しか」に変化したのならば、納得できます。しかし、それは「無理である」というのです。

「しか」のほかにも「七輪1つきりない」「私たち2人よりない」の「きり」「より」も同様の論理を表す副助詞です。これらの言い方がありうる理由も、統一的に説明されなければなりません。

私には、この中で考えやすいのは「2人よりない」です。これは「2人より(ほかは)ない」という文の「ほかは」を言わずになまけた(言語化しなかった)ものとみて、まあ問題ないところでしょう。

肝心な部分をなまけて言わずにすますことは、よくあります。「只の一本ならですが(=只の一本なら大したことはないのですが)」(夏目漱石『彼岸過迄』)のような言い方も、なまけた言い方です。

とすれば、「1つきりない」も、「1つきり(で、ほかは)ない」をなまけた言い方でしょう。また、「しか」も、「きり」と同じく限定を表す言い方で、「そのほかは」の部分を言わずになまけた言い方なのでしょう。

「老人を集団としてしか見ていない」は、「老人を集団として見るしか(ほかのことは)ない」で、「しか」は限定の意味(=きり・だけ・のみ)を表し、「そのほかは」という意味は言外に表される、という説明でどうでしょうか。
Posted by Yeemar at 2006年07月04日 22:27
岡島先生、Yeemar先生。
不学の小生のためにご苦労頂き、恐縮致します。国語学的な正否はおくして、Yeemar樣の説明が、高校生には分かり易い(同時に、私自身にとっても腑に落ちる)と思いました。
両先生に、心より感謝申し上げます。ありがとう御座いました。
Posted by やぶちゃん at 2006年07月08日 08:57
「しか」は、除くと肯定否定が反対になると書きましたが、ならない場合があります。それは、「しか過ぎない」と続いた例です。「太陽」コーパスによれば、1909年の第13号に「北極探検」(横山又次郎)という記事があって、そこに、

〈其の厚さは、意外にも、平均僅に三十四五尺にしか過ぎないといふ説である、〉

とあります。「三十四五尺に過ぎない」と「三十四五尺にしか過ぎない」とは、事実としては同じこと(=三十四五尺を超える厚さでない)を述べています。この場合、「しか」はまさしく限定の意味だけを表しています。

こういう例は、「しか」の役目がまずは限定の意味を表すということを示すように思われます。もっとも、「しか過ぎない」という言い方が、どれだけ古くまでさかのぼれるのか、分かりませんが。
Posted by Yeeamr at 2006年07月16日 00:03
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