2000年02月05日

いわゆる「寒いギャグ」を論ず(Yeemar)


このトピックスの趣旨は、「寒いギャグ」を集めようというものでは
ありません。「寒い」という評語の正体について論じようというもの
です。

ひとの冗談に対し、「寒い」「寒っ」とリアクションを返すことが
一般化したのはいつごろかは知りませんが、私が初めて気がついたの
は、1997年のNHK「紅白歌合戦」を見ていてであったと記憶します。

細川たかし「スマップは仲がいい、仲いい、中居正広」
中居正広「さぶっ」
細川たかし「寒くなっちゃった?」(記憶による)
「『さぶっ』というのは、冬らしい季節感にあふれたリアクションで
あるなぁ、と思った記憶があります。もっとも、私の流行に対する感
度は悪いため、「寒い」が世間ではやりはじめて1年かそれ以上は経っ
ていたのではないでしょうか。

それ以前からも、ひとの冗談に対するリアクションとしては、「おや
じ」とか何とか、要するにつまらないと評することが「お約束」であっ
たと思います。大学のころのある友人は「ああ、眠い」と言っていま
した。あえてほめるときにいう評語の代表は「座布団1枚」でしょうか。

私自身は、渾身の工夫をこらした冗談が「寒い」と言われるのがいや
さに、今ではつとめて冗談は避けるという真面目な性格になっており
ます。

しかし、分からないのは、「寒い」「寒くない」の基準であります。
私の感じでは、およそことばによる「しゃれ」は、ひとしなみに
「寒い」ものとしてしりぞけられるように思います。聞き手が笑って
いて、ウケている様子であっても、出てくる評語は「寒い」なので
あります。

これは、一種、受け手の怠慢ではありますまいか。冗談に対し冗談で
返す努力を怠っているのではないでしょうか。

一方、ことば遊びでない冗談は、単純なものであっても「寒い」と
評されることは少ないように思います。リアクションが返しやすい
からです。(ちょっと、例が思い浮かびませんが。)

要するに「寒い」というのは、「それはしゃれですね」という確認
なのでしょうか。しゃれが軽んじられているということは、つとに
井上ひさし氏らも論じているところですが、今では「寒い」という
重宝な評語を得て、一刀両断にされる時代になったのでしょうか。

大学時代、よく当意即妙のしゃれをおっしゃる先生がおられました。
 「その愛は損か得か? これを恋愛勘定と申します」
 「私は思わずセキメンして……アスベストじゃありませんよ」
私は大いに感じ入り、いつかあの先生のようなうまいしゃれが言え
るようになりたいと願ったものですが、今となっては、先生のひそ
みに倣ってしゃれの修練をすべきかどうか、迷ってしまいます。



佐藤 さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 05日 土曜日 15:05:41)


面白いご提案ですね!


私の感じでは、およそことばによる「しゃれ」は、ひとしなみに
「寒い」ものとしてしりぞけられるように思います。聞き手が笑って
いて、ウケている様子であっても、出てくる評語は「寒い」なので
あります。

笑っているのに「寒い」とは失敬ですねぇ。発想が単純すぎることを「寒い」と評し、でも面白いので笑っている、ということなのでしょうか。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 05日 土曜日 20:59:32)


<BLOCKQUOTE>を閉じて下さってありがとうございます。

「寒い」は「単純」の別語ということになりましょうか。しかし、
複雑なしゃれ、たとえば「ぶた二ながらきゃん十もの」(二人
ながら関東者=東海道中膝栗毛)などというややこしいのでは、
ますますウケなさそうです。(落語「三十石」か何かで、この
しゃれが出ていて、観客が笑っていたのは不可解でした。)

     *   *   *

今、横のテレビ(NHK「土曜特集・ふるさと皆様劇場」)で梅沢
富美男が

「『長崎は今日も雨だった』……この歌を聞いたとき、長崎は
いつも雨が降ってるのかと思いましたよ」

こういうのは、しゃれではないが、「寒いギャグ」という評語を
もらいそうです。有名な冗談だからでしょう。用意してあった
冗談では白ける、ということはあると思います。

しかし、そうすると、「おそれ入谷の鬼子母神」などという慣用
句的しゃれも「寒い」ことになってしまうのでしょうか。



佐藤 さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 05日 土曜日 23:56:41)


状況が、も一つわからないので質問したつもりだったのですが……



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 06日 日曜日 12:09:38)


ご質問ということでしたか。具体例をまったく出さずの論で
失礼しました。

たとえば、友人についての話をしていて

「彼とはそういう関係です。そういう、交友関係です」
「さむー」

でも笑っている、という具合です。



ののまる さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 13:02:06)


いわゆる「寒いギャグ」と呼ばれるようなものについては、いくつかの条件があると思います。
1.そのギャグ(駄洒落)があまりにも単純で、誰でも思いつきそうな場合。
(「オヤジギャグ」の垂れ流し状態とか)
2.逆に、複雑すぎてわかりにくい、あるいは特殊な知識が必要な場合。
(「ひねってるけどオチてない」と評されたりする)
3.話の流れを分断してしまうほど文脈と関係ない場合。
(いわゆる「間が悪い」もこれに入るか?)
で、こういう場合の「笑い」ですが、上のような場合を直接笑っているならば、
「冷笑」「嘲笑」、そうでなくとも「憐憫としての笑い」でしょうが、
実際にはそこまで攻撃的な笑いではないと思います。
1.「つまらない」「寒い」と言うことで相手の体面を汚さないように、笑って攻撃性を弱める。
2.余りにばかばかしくて笑ってしまう、つまり「くだらない」「寒い」こと自体を楽しんでいる。
(類似の状態に、頭の判断では非常にインテリジェンスが低いギャグなのに、
おかしくてたまらない場合があります。こういう場合私は、
腹を抱えながら「くだらね〜!!」と笑い転げます)
笑いを伴った「寒い」という言葉の機能は、こういうことではないのでしょうか?
「つまらない」とか「ふん!」と鼻であしらうという行為のような、単なる拒絶ではなく、
相手との関係を悪化させないための「受容」というプロセスが同時にあるのではないか、と。

逆に「寒くない」ギャグの用件を考えてみます。
1.当意即妙である程度わかりやすく、場の雰囲気を壊さない。
(「寒い」3つの条件にすべて当てはまらず、しかも「間がいい」)
2.聞く側が「くだらないギャグ」を期待して、楽しもうとしている場合。
(林家ぺーがいくら駄洒落を言っても「寒い」と言われないゆえん)
さきの「三十石」の例は、この2に当てはまるのではないでしょうか?
笑いに来ている場で「笑え」という記号としてのギャグ・駄洒落を提示されたので笑う、という。
つまり「寒い」の「拒絶」の部分がないのです。

なお、松本修氏の「キレる・ムカつく考」(『日本語学』vol. 18 No. 13)によると、
「寒い」の『現代用語の基礎知識』への初出は1993年だそうですが、
これはダウンタウンが広めたそうです。
もとは関西の楽屋用語だったのが、彼らが舞台やテレビでも使うようになり、
ブラウン管を通じて広まったそうです。
ご参考までに。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 15:00:40)


ののまるさんのご考察、参考になります。

まず事実関係に触れておくと、1997年が私の「初聞き」と
いうのは「感度が悪すぎ」だったようですね。1993年が
『現代用語』初出ですか。米川明彦氏『若者ことば辞典』
(東京堂)によれば、1992年の都染直也氏編『甲南大学
キャンパスことば辞典』にも載っているそうですから、
私は5年がとこ遅れていることになります。

ののまるさんの定義1・2・3をまとめると、「難しからず
易からず、当意即妙のギャグ」であれば、「寒くない」と
いうことになりそうです。どういうのが「当意即妙」なのか、
これは実験するしかないのでしょうか。つまり、ギャグを
連発して、統計的母集団を大きくし、どのギャグが受けた
かを分析するという実験。

どういう冗談でも受ける方というのはいらっしゃいますね。
林家ぺーと言わず、お年を召した先生の冗談は、単純でも
学生には大受けだったりすることがある。人徳も関係して
いるのでしょうか。嫌われているひとは、面白いことを言っ
てもウケる可能性が低いかもしれません。

なお、このトピックは、私のギャグが受けず、腹立ちまぎ
れに始めたというわけではありません。ふだんから疑問に
思っていることなのです。



かねこっち さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 15:57:12)


知り合いに落語家がありまして、時々話す機会があります。
その噺家によりますと、本来、仲間内においても噺家は駄洒落を言ってはいけないんだそうです。ところが決まりはそうであっても、いつもきれいに洒落のめすことができるとは限らないし、また、どうしても駄洒落が言いたくなって、いってしまうヤツも出てくる。でもって、時に駄洒落が出たその時は、(時には礼儀として)貶すんだそうですね。「なんだねまた」とか、「しょうがねえなあ」といったように、あるいは顔をしかめて見せたり。
相手が偉い先輩の噺家の場合は「ご機嫌ですね、こちら」とか「なんか、今日はお誕生日ですか」なんて具合に、ちゃちゃを入れて、その駄洒落がたとえ面白くても、それを直接誉めることはしない、という。
一種の見栄でしょうか。
ところが素人が駄洒落を言った場合、そこに噺家がいれば当然その駄洒落がどんなに下手でも「うまい!」って誉めるわけですね。

つまり、噺家など玄人の「貶す」「誉める」という行為には「内(=玄人)」と「外(=素人)」の意識が働いていたはずであると思うのです。
ののまるさんの投稿にもあるように、「寒い」の起源が芸能界であることは濃厚であるようです。
いまや、国民総吉本興業化して「突っ込む」やら「すべる」やらの楽屋言葉を皆が日常使うようになって、全てが楽屋にいる玄人「内(=玄人)」と思いこんでしまったことがこの風潮の流行ということではありますまいか。

(Yeemarさん)
>これは、一種、受け手の怠慢ではありますまいか。冗談に対し冗談で
>返す努力を怠っているのではないでしょうか。

仰る通りだと思うのですが、「玄人」とはいってもしょせん勘違いして形だけ取り込んだ「擬似的楽屋にいる玄人」ですから「冗談に対し冗談で返」せるはずはない(笑)

(Yeemarさん)
> 林家ぺーと言わず、お年を召した先生の冗談は、単純でも
> 学生には大受けだったりすることがある。

また、林家ぺーはあまりにぶっ飛びすぎで「外」、お年を召した先生は、あきらかに「外」を感じさせるので、「寒い」とはいえないのかもしれません。

少し距離のあるはずの、知り合って間もない人、先生や上司に対してなど、本来「外」である人にまで「寒い」なんて仲間言葉を言えば、いわれた方は、失礼に感じるのは当然のことに思われます。



ののまる さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 21:02:41)


>どういうのが「当意即妙」なのか、
>これは実験するしかないのでしょうか。つまり、ギャグを
>連発して、統計的母集団を大きくし、どのギャグが受けた
>かを分析するという実験。

どうなんでしょうねぇ。
ギャグの選び方だけでなく、言った人の表情、受ける印象、
その他いろいろと複雑なものがからみ合うので、
意味のある結果が出るかどうかは難しいのではないでしょうか?
むろん、そこではっきりした結果が出れば、
お笑いに言語学的分析が深いところまで踏み込めることを示してますが(^^)。

あと、落語家さんの話ですが、これは内対外なんて抽象的なものでなく、
「商売敵の同業者」対「客である素人」という、利害対立がもろにからんだ関係だと思います。
噺家にとって笑いのネタは飯の種ですから。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 21:31:48)


かねこっちさんの「内」、身内にはキツい評語を、という話に
沿って申せば、ある場合には、身内意識を高めるためにあえて
「寒い」と言うこともありそうです。

インターネットで検索すると、「部長の寒いギャグがまた聞きた
い」などというようなのもあり、こうなってくると、拒否の反応
なのか親愛の情なのか、よく分かりません。

「勘違いして形だけ取り込んだ」結果、相手のしゃれ(だじゃれ
に限らず)には、自動的に「さむー」と返すべきものと思ってい
る人も多そうです。

昔は「しらー」なんていうのもありましたっけ。これも厳しい評
語です。しかし、もっと昔は、ひとのしゃれ・だじゃれには、素
直に笑っていた時代があったのではないでしょうか?

今、手許の『ひょっこりひょうたん島』(ちくま文庫)を繰って
みると、
 「花がたべられるかというんだ」「ハナシになりませんな」
などという掛け合いがどんどん出て来ますが、テレビを見ていた
子どもたちはにこにこ笑っていたと思う。

ある時期から、こういう冗談が白けるもの、寒いものになったの
だと思います。それは、学園紛争のころ?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 21:41:53)


ふと思い出しましたので、ついでに申します。

もう7、8年前に、深夜のテレビで「金色にコーティングしたシャープ
ペンシルの芯」というのを紹介していた。(ずっと昔、そういう金色
の芯が子どもの人気を集めていた。)

スタジオでゲストが「これがシャープペンシルの芯ですか?」
司会の児玉清氏「しんじられない……」

一瞬の沈黙の後、一同から感嘆のため息が上がっていた。私は笑い転
げました。

「ギャグを集めようという趣旨では」なかったつもりですが、私の気
に入っているしゃれなので、つい書いてしまいました。私が真似する
には注意を要するかもしれません。



ののまる さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 07日 月曜日 23:53:18)


「ボケと突っ込み」という観点で、ちょっと思い付きました。
これまた漫才の用語で、元は楽屋の符丁でしょうが、
「ボケ」が非常識あるいは間違ったことを言い、
「ツッコミ」がそれに対応して、常識の側から正し、
そこで笑いが起こる型式です。
非常に陳腐な例で言うと、
 「あつはなついな〜」
 「あべこべやがな!!」
こういう笑いの取り方は、何も漫才に限ったものでなく、
笑いに関する芸能ならばどのようなものにもある程度存在します。
で、この場合「笑いの契機になる発言」と「それに対する反応」があって、
はじめて観客の「笑い」になる構造です。
ところが、駄洒落の場合、それだけで完結しているため、
ツッコミの役割ももつ聴き手の「笑いを引き出すための反応」が出にくいのです。
そのために、何らかの言葉を補うことにより、笑いを引き出す必要があると、
「ボケとツッコミ」に慣れた人々は思うわけです(^^;)。
で、このときにはどんな言葉が適切かというと、
「駄洒落=ボケの発言」に対する「ツッコミ」なので、
ある程度批評性をもった言葉が要請されるのです。
ですから「くだらない」のような相手の「ボケ」をおとしめて、
普通の状況に戻すような言葉が期待されます。
ところが「くだらない」では、相手の発話に対する攻撃性が強くて、
笑いを引き出す合図としてはあまり適当ではありません。
そこで、手垢にまみれていず、かつ「面白みがなくて荒涼とする」という
ニュアンスをかもし出せる言葉である、「寒い」が広まった、
そういう風にも考えられます。
つまり、駄洒落を聞いての反応である「寒い」という言葉は、
「その駄洒落は面白くなくて寒々するよ」というニュアンスをもちつつ、
「ハイここ笑うところですよ」ってマーカーの役割も背負っているのではないでしょうか?
あくまで思いつきなんですが(^^;)。

話し変わって、「寒い」を「歯の浮くような言葉」のあとに使った例もあります。
 例)とあるパソコンのCM
 「君は僕の太陽だ(とつぶやきながらキーボードで打ち込んでいる)」
 「さむっ!!」
この例と「駄洒落」のあとの「寒い」を考えあわせると、
「そんなの白けそうでおれにはとても言えない」ってニュアンスが
あるのかも知れません。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 08日 火曜日 19:50:45)


話の玄人でないのに、会話の中で「ボケ役」と「突っ込み役」を演じ
なければ、という義務感に駈られているという気はします。「話をま
とめる」とか「オチをつける」とかいうのもそうでしょうか。

日本特有のことなのでしょうか、ほかの国ではどうなのでしょう。

こないだ土曜深夜にNHK「爆笑オンエアバトル」で、芸人さんが言って
いた話ですが、恋人が横で冗談を言ったときには「うそつけ」と突っ
込んであげるのがよいそうです。
「この踏み切りなかなか開かないわね。私、髪が少し伸びちゃった」
「うそつけ」
という具合。これでオチがついて、会話が丸く収まる。

さきほど「週刊読売」を読んでいたら、義兄(姉の夫)が入院したと
きの会話を報告した投書が。
主治医「慣れるまでは食べ物をのみ込みにくいでしょう」
姉「もともとのみ込みが悪いですから」
これに対する反応として「さむー」は言えないようです。うまいジョ
ークだから、ということもありますが、ののまるさんの表現を借りれば、
だじゃれのようには完結していないためでしょうか。もともと「さむー」
と言えない種類の冗談であるように思います。「うそつけ」も言えない。
吉本の芸人風にいうならば「だれがやねん」でしょうか。「だれがのみ
込みが悪いって?」ぐらいになりましょうか。

冗談がうまい・へたに関わらず、「さむい」といわれない種類の冗談
はたしかにあります。この間、これから会えなくなるある人と別れを惜
しんでいたとき、
「Yeemarさん、私のことは忘れないでくださいね」
「一生忘れませんよ。ところで、あなたどなたでしたっけ」
「いきなり忘れとるやないか」
これは、寂しさをまぎらわす我ながらよいジョークであった。



言魔 さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 09日 水曜日 19:53:56)


拙「言葉のよろずや」にて「駄洒落の小部屋」を閉鎖した上に、サーバからも
削除した理由というのが、世代の相違による理解度合いが気に入らなかった...
つまり、自分勝手...からでした。もっとも、他のコーナーの方がよほど
作る側にとっては力が入っていた(過去形)ものですから...つまり、
ののまるさんの分類で言えばわからない人に対して
>逆に、複雑すぎてわかりにくい、あるいは特殊な知識が必要な場合。
であろうと私が勝手に判断しています。

ただし、この他に、昨今の若者用語の特徴として「否定的な表現は親愛の情を
示す」的な法則を感じていますので、案外、そういう用法もあるのではないかと
思っております。つまり、「寒い」というのは「おもしろいよ」という意味では
ないかと...
これに類するのが「ヤバウマ」(やばいくらい美味い)とか「あれ、いいよ、
まずいよ」とかいう表現です。前者は何故か、大宮駅前の「山姥ギャル」から
採取しましたが、後者はあちこちできいていますし、確か、この会議室で、長野
五輪のころ話題になったような記憶もあります。

また、もう一つ、「寒い」というのは、裏業界の方々の使っていた表現で、
オドシを掛ける時に「ずいぶん、寒いねぇ..」というのが...(私、その
業界とはほとんどカンケイありませんから...あくまでもほとんど...)
「冷たい」と言わずに「寒い」という表現を確か、昭和50年代半ば頃に聴いた
覚えがあります。


まさか、こんなところで、隠し文字にしておく必要性など何も無いのですが...
1.とある会社に勤めていた頃総会屋対策の係であったこともあるというだけで、裏の業界のハナシはおわりです。
2.「ただし、」ではじまる段落にとてつもなく寒い言葉遊びを含んでおります...

と、いったところで..

言葉のよろずや



ののまる さんからのコメント

( Date: 2000年 2月 10日 木曜日 1:24:42)


「寒い」を使ってる立場から論ずるのを忘れてた...(をい)。

私が「ギャグがつまらない」の意で「寒い」を使うのを耳にしたのは、
1993,4年頃、当時大学生の間で話題になっていた番組「ウゴウゴ・ルーガ」ででした。
そこでは、登場人物の一人がつまらないギャグを言うと、
「ぴゅー、さむー」と、他の出演者に言われてしまうのです。
ここで「寒い」の「つまらなくて寒気がする」という意味での用法を覚えました。
それ以後、私の周りでも「寒い」を使う人が増え、
メディアでも「寒い」を耳目にするようになりました。
ただしその時点では、「寒い」は字面通りの、相手のギャグを貶める言葉でした。

上で「寒い」はダウンタウンが広めたと書きましたが、
確か笑いを伴った「寒い」も、ダウンタウンで最初に見た覚えがあります。
ダウンタウンの番組で、番組スタッフが漫才やコントをやり、
そのギャグに笑いながら「さむ〜!」と連発してたのです。
ギャグ自体は間も悪く、実際つまらないのですが、
しどろもどろしながら懸命に笑わせようとする姿は、おかしかったのです。

「くだらない」のような語と「笑い」が一緒にあらわれる例は、それ以前にもあって、
例えばビートたけしは、若手のネタを見て、笑いながら
「つまらねーな、オイ」と良く言ってました。
これも「つまらなさ」を楽しんでる例でしょう。

私が「寒い」を使う場合、ほとんど純粋に「つまらなくて寒気がする」という意味なので、
笑いながら「さむー」と言う感覚が今一わからないです。
#つまらない駄洒落を連発するくせに、
#他人のギャグには評価が非常に厳しい都合いい性格なんで(^^;)。
通時的には、ダウンタウンのような「ギャグと様子を別々に評価する」ような時に
たまたま使われてた「寒い」が、「笑いながら使ってもいい」と思われたのかも知れません。


posted by 岡島昭浩 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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