日比谷線は大変な事故でした。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
ところで、こういった場合に運転は「見合わせる」ものなのでしょうか?
小生の感じでは、物理的に運行できない=しようとしてもダメ=不通=事実の問題であり、見合わせる=意思の問題=やろうと思えばやれないことはない、でも、事情があって様子を見ている、なのですが。
若い方は、いかがでしょうか?
畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2000年 3月 09日 木曜日 17:43:01)
若くなくて申し訳ありません (^^;。
理屈は中年さんのおっしゃるとおり。
私も同様の疑問をもっております。
ただ私見ですが、物理的問題だからといって、
運転を(が)「中止・不通・・・」ということばは、いかにも固く、冷たさ
を感じることから、言語学的には多少の疑問を持ちつつも「見合わせる」
という表現になっているのではないでしょうか。
したがって、(傾向として)客観的事実を伝えるマスコミは「中止・不通
・・・」を使い、お客を対象としている駅員あるいは駅の掲示等は「見合
わせる」を使っているような気がしますが、いかがでしょう。
中年 さんからのコメント
( Date: 2000年 3月 10日 金曜日 9:48:50)
鉄道会社が、そういう言い方をしたくなるというのは、そうかも知れませんね。
小生の書き方が、少々言葉足らずでした。
NHKは必ず ○○線は運転を見合わせています、という表現を採っています。○○線は不通となっています、というところではないかな、というのが小生の感じです。
頼んだら走ってくれるんですか?とか、何が理由で見合わせているんですか?とか、尋ねてみたくなるところがあります。余計なことは考えさせないで、駄目なんだと言ってもらう方がスッキリするように思えます。
半疑問といったことが言われますが、現代日本人のメンタリティとして、これもそういったことに関連するのでしょうかね。
ちなみに空港の場合は、「滑走路は閉鎖されている」でした。これは、管制官の判断にかかる問題なので、妥当と思います。
それにしても事故が多いですね。
畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2000年 3月 21日 火曜日 8:57:08)
↑中年さんがおっしゃるとおり、昨日のNHKテレビのニュース速報で、
「○○線、運転を見合わせ」と報じていましたね。
目くじらを立てる程でもないと言えばそれまでですが、気になります。