四国の高知にて「今日は天気、変わるニカワランねえ。」意味は「変わらないかもしれない」なのですが、これは古語で言うところの「変わるニカアラム」ではないでしょうか。
bahutohu さんからのコメント
( Date: 2000年 4月 26日 水曜日 13:34:11)
上の発言、ちょっと訂正します。意味は「変わるかもしれない」でした。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 4月 27日 木曜日 11:39:31)
金田一春彦『日本語セミナー・四・方言の世界』(筑摩書房1983.3.31)の「方言の文法」の補注(p124)では、
この言い方は、しばしば、古語の「するにかあらむ」から変ったなどと説明される。しかしスルニカーランというアクセント《右傍線で全高を示す》から見て、また、スルニのあとで、文節の切れ目が感じられることによって、「するに変らん」の転であろうと解する。としています。また、意味は「きっと……する」であると説明しています。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 4月 27日 木曜日 11:48:12)
どちらが、よい解釈であるのかは、私には分かりません。高知方言のこの言い方についての情報がこれだけしかないからです。
太田 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 13:26:48)
若干趣旨がちがうかもしれませんが。先日群馬県の草津に行ったときのこと。旅館の人に「いい塩梅のときに声をかけてください」と言われました。意味はわかるものの、ひっかかるものがありました。そもそも塩梅なんて言葉をつかわないこともありますが、使うとしても「塩梅は?」とか「塩梅良くたのむ」など疑問や依頼などで使い、「いい塩梅のとき」なんて使い方を初めて聞いたからです。もっともこれが方言なのか、私の言語観からでてきているかわからないので申し訳ないですが。また、ここまで書きながらなんですが、実はこれが「あんばい」だったかどうか確かでないのです。聞いたとき上記のように感じたことは確かですが、後からメモしようとしたらド忘れして、思い出したものなので記憶で改ざんされているかもしれません。
ただ書き込みしたかったのは、方言の要素として使用頻度、状況なども大切な要素であることが一つ。(言語をちゃんと勉強していないので偏見にすぎないのですが)。そしてもう一つが地方には漢字の熟語を方言としていることがあるのではないか、と感じたからです。上記の「塩梅」のほかに広島の人がで疲れた意味で「たいぎ〜」といいます。これも大儀(大義?)とつづると考えてます。殿様がドシンと座ってる様子が疲れたときの座り込む様子と似ているからとの私見です。(関西弁の「えらい」が疲れたと偉いの意味があるのと同様?)。方言と漢字の関連を考えてみたら面白いかもしれません。
推論につぐ推論で論理にも無理がありますが、皆様のご意見で思索を重ねられたらと思います。
NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 16:10:51)
「都合がよい」「よい程合い」の意味で「いい塩梅」を使うのは違和感はありません。
孫引きになりますが、松村史陽編『大阪ことば辞典』(講談社学術文庫)に見える『大言海』の(4)の意味ですよね。
アンバイ【塩梅】(名)
『大言海』に「あんばい、塩梅。塩、呉音あむ。此語に安排の字を用ゐるは借字なり。安排に調味の意なし。(1)飲食物に加へて調味する塩と梅酢と。えんばい。(2)転じて、五味を程よく調味して、飲食物を作ること。味の加減、調味。(3)大政を輔佐して、程よく処理すること。(4)物事のをりあひ。ほどあひ。加減。都合。程度。(5)からだのほどあひ。身体のぐあひ。健康」と見える。アンジョォと友に、代表的な上方方言である。<以下略>
「疲れた」「億劫」なの意の「たいぎい」「たいぎな」は、香川・岡山あたりでもよく使うと思います。西日本各地で広く通用するのではないかと。若い世代では使われなくなっているかもしれません。
他にも方言だと思っていたのが古語辞典やふつうの辞書に載っているのを知って驚くことがあります。
関西方言で「捨てる」の意の「ほかす」は「放下す」が語源。
四国方言?で「怖い」の意の「きょうとい」は古語の「気疎し」が語源。
など。