はじめまして、筑波大学地域研究科の留学生(フランス人)で、フレデリック・ルシニュと申します。
突然、このことば会議室に投稿させていただく無礼をお許し下さい。2週間前に岡島先生のホームページを初めて聞きましたが、今日幸いにアクセスができました。
実は、私は日本民俗学における「民族」概念の歴史を今年の修士論文で研究しております。特に柳田国男の文献における「民族」概念と「国民」概念の採用を比較してみました。
そのために、まず「民族」概念の歴史的な起源を探し始めました。「民族」という用語はいままで調べたところ、明治時代に初めて登場したことが分かりましたが(尹健治1993)、残念ながら、一番最初に何年、どのような文献に現れたか、まだ見つかりませんでした。
明治・近代の国語語彙事典を何冊も引いてみましたが、無駄でした。「民族とことば」というような本はあるのですが・・・
そこで、岡島先生のページで調べることにしました。しかし、その内の「語彙研究」を開いても、そのことばの起源は見当たりませんでした。
どう探せばいいですか?お手間をおかけして申し訳ないのですが、このメッセージにお答え下さるようお願いいたします。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 11日 水曜日 15:38:43)
一つ一つの言葉の初出を探すことは、とても難しいのが現状です。いろんな辞書を引いたり、語彙索引のついた本を丹念に見て行くしかないのです。
今、手元の書を見てみますと『普通術語字彙』という本には載っていますね。これは明治38年のものです。これの索引も、「語彙研究」のところに置いておこうと思いながら、まだ手直しを、と思っている内に忘れていました。
今冬より刊行される、『日本国語大辞典』の第二版が待たれます。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 11日 水曜日 17:16:30)
『明治文学全集』の索引も引いた方がよいです。政治小説に用例があるようです。
フレデリック・ルシーニュ さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 12日 木曜日 15:45:25)
どうもありがとうございました。
筑波大学の図書館には『普通術語字彙』という辞書はないようですが、『明治文学全集』が確かに入っています。
「民族」という用語は、「民主」や「民権」と違って西洋の概念を直接に誰かの啓蒙学者によって訳された言葉ではなくて、民衆や新聞記者のあいだにわりと自発的に誕生したのようです。明治時代の文化人類学者が作った言葉ではないらしいです。最初はその意味合いにおいて、政治的な側面が強かったといえます。つまりネーションという意味でした。
最近、民族学者などはその意味合いをethnic groupという英語の概念によって再検討して、再解釈したあげく、「民族」とはある文化を所有するグループだと設定し、もっぱら文化的な基準にしか基づかない構図を提供しています。ethnic groupという概念も変化してきましたが、やはり「民族」概念の歴史をみると、一番初めの意味合いと現在の意味合いが正反対と言っていいほどの前提のうえに立っていることは、ずいぶん対照的です。しかし、実は一般の住民に限らず学者も、言葉の意識において、歴史の重さを軽々しく忘れたりすることが容易ではないでしょうか。つまり、明治時代から積み重なってきた、今の「民族」概念を限定している歴史的な条件をなくなるはずはないから、それを検証する必要があるのでしょうか。
そこで、「民族」の誕生日を探すことには無理があるといって、意味もないかもしれないが、少なくとも明治時代と現在の意味合いを対比的に検討すれば、日本人はどれほど変わってきたか、またイワユル日本文化、日本民族というものは、実はそれらを見ている目によって求められている要素が異なり、その姿自体もかわる、という根本的なことがわかると考えましたので、この研究を試みた次第です。
なぜそういうことを先生に申しますかというと、私が知っている限りでは、多くの日本人の文化人類学系研究者は、言語そのものに関して、言語が現実を反射するという、referential的な見解をもっていらっしゃるようです。それと対照的に、全てではなくても多くの西洋研究者は、Phenomenologie等の影響を間接的にうけて、言語に関する構造主義的なアプローチを持っていると思います。それはもちろん無意識における選択であるだけに、それを検証することが難しいです。その辺の問題を言語学である先生にお伺いしたいです。お忙しいところにまたご迷惑をおかけいたしまして申し訳ありません。