2000年11月29日

鼻濁音


 11/27に、JNNニュースバード(skyperfecTV)で、1977年放送の「たそがれのガギグゲゴ」という番組(TBS)がありました。出演者の名前が表示されないのでちょっと残念でした。分かったひとを書いておくと、
 鼻濁音擁護派、五木ひろし、池田弥三郎、三遊亭円生、阿久悠
 非鼻濁音派、 南沙織、  寿岳章子、 桂三枝、  作詞家?
対になっています。

それから、ディレクターは行司役と言ってたけど、やはり鼻濁音派の金田一春彦。大釜と大蟇の例を挙げてました(大硝子と大烏ではなく)。

五木ひろしと南沙織は「よこはまたそがれ」と「くれそでくれないたそがれどきは」での話題です。非鼻濁音派の作詞家はこの南沙織の歌を作詞したひとらしい。作曲の田山さんというのは田山雅充?

しかし、助詞だけでも鼻濁音で、という考え方もあるのだ、と知り、「助詞だけでもwoで」という考え方と通じる、と思ったことでした。

このチャンネルは日頃は試聴していませんが、この番組のために1ヶ月分払いました。
 



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2000年 11月 29日 水曜日 14:22:49)


下のページによれば、
人恋しくて 中里綴 田山雅充
とのこと。

http://member.nifty.ne.jp/CynthiaStreet/songs/single.html



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2000年 11月 29日 水曜日 14:27:22)


中里綴については、ここに情報がありますが、番組の中では島根県出身と言っていました。

http://www.yo.rim.or.jp/~mutsu/idol80/miscDB/Writer.html



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 10日 火曜日 01:32:38)

 今日、新古書店で流れていた歌、ユーミンが作りバンバンが歌った「いちご白書をもう一度」のカバー。「映画がまた来る」で鼻濁音だったのが妙に耳につき、聞き耳をたてると、その後、非鼻濁音も出てくる。なにか使い分けがあるのか。


どうも、ガだけが鼻濁音で、ギグゲゴは非鼻濁音であったような気がする。違うかな。もう一度聞く機会があるだろうか。

たぶんこれ



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 16日 月曜日 01:32:07)

 また聞きました。語中のガ行音を、ガを鼻濁音で、ギグゲゴを非鼻濁音で、という原則でよさそう。エイカ°カ°マタクル ジュキ″ョーオヌケダシテ

後半になると息切れするのか、ガでも非鼻濁音が出てくるが。


半端な矯正で、助詞のガのみを鼻濁音にする、というのは、これまでにも気づいたことがあったが、こういう例は、私にとっては初耳。


そういえば、NHK-FMの「楽しいコーラス」か何かで、課題曲について説明している人が、歌詞の一々について、「ここは鼻母音」と指摘していたのを聞いたことがあり、なんとご丁寧なことよ、と思ったことがあったのですが、それを思い出しました。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 16日 月曜日 18:01:19)

「それでー、私がー」と語尾を延ばす話し方は、耳に障るものですが、この「私がー」の「が」を鼻濁音で言う人がいます。


べつに何の不思議もないかもしれません。もともと鼻濁音を有する地域の人が語尾延ばしをすれば、そうなるのかもしれません。


しかし、語尾延ばしというのは最近の人の傾向で、かつまた鼻濁音を使わないのも最近の人の傾向ですから、「語尾延ばしをする一方で鼻濁音を使う」というのは、なんだか主義が一貫していない(?)ような気がします。


私が違和感をもつわけは、単に、これまで接した何人かの「語尾延ばし鼻濁音」の使い手が、鼻濁音をもたない地域の出身であることを知っているからかもしれません。


つまり、当人は、「鼻濁音を使うのが美しい」と聞いて鼻濁音を習得したが、「それでー、私がー」と語尾を延ばすのが美しくないとされていることには思い至らず、「半端な矯正」をしているのではないかと思うのです。



豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 17日 火曜日 19:30:43)

>この「私がー」の「が」を鼻濁音で言う人がいます。


これは、子音だけが鼻濁音(ng)で、その後は普通のアなのでしょうか。

それとも、ひょっとして、ng で始り、その「鼻的矯正」が止まらずに、母音

までも鼻母音になって延ばし続けられるという事でしょうか。


後者は過剰矯正にありがち(ng の前から鼻母音になる事もある)ですが、驚く

べき事に百年前の日本語にもその例が見受けられます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 17日 火曜日 20:33:45)

そうです、私の記憶をたぐってみると、話し手は「がー」の母音も鼻母音化していたと思います。この話し手はおもに女性で、しかも日本語学を専攻している人であったりするのですが(あまり申すと差しさわりがありますが)、それらの「がー」がなぜ耳に障ったのかをいま考えてみますと、半端な矯正のせいというよりは、鼻母音が耳に立ったということかもしれません。


100年前の例というと、これは録音ですね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 18日 水曜日 11:37:28)

これですね。

初期録音資料に基づく音韻・翻刻データベース



豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 19日 木曜日 00:44:48)

御炯眼恐れ入ります。

所蔵元との契約により、音自体は(今のところ) www に載せる事が出来ない事を

残念に思います。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 28日 土曜日 07:10:49)

「朝日新聞」夕刊2003.02.13に、

  「庭の花がよほどきれいになりて…」

  日常会話 最初期の録音

  ウィーンの資料館 1901年、医学者吹き込む

と紹介されていたものですね。切り抜いてあったのですが忘れていました。


その後「言語」2003年3月号に縄田雄二氏がこれに関する論文を発表されたそうですが、まだ読んでおりませんでした。


このさい、朝日の記事を部分引用しておきます。

 会話は、今村〔精神医学者の今村新吉〕が一人二役で演じており「私のうちの庭の花がよほどきれいになりて春のようになりましたから、どうぞお遊びにいらっしゃってくださいましよ。……さよなら」「ありがとうございます。この次の日曜日にでもあなたのところに……」といった内容。同資料館〔オーストリア学術アカデミー・録音資料館〕が世界の言語を収集するために、独自に開発した装置(フォノグラフ)に録音された。/このほど縄田雄二氏・中央大文学部助教授が音声の提供を受け、初めて具体的な内容を確かめた。
1900年にパリ万博で川上音二郎一座が吹き込んだ日本語は「甦るオッペケペー」(東芝EMI、TOCG-5432)としてCD化されていますね。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 28日 土曜日 07:15:52)

正誤


> このほど縄田雄二氏・


「氏」はトル。



豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 28日 土曜日 08:09:04)

>1900年にパリ万博で川上音二郎一座が吹き込んだ

これより古い録音が出て来たのです。しかも女性。

詳しくは、清水康行さんの国語学会での御発表を御参照下さい。

http://www.jpling.gr.jp/taikai/2003a.html



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 08日 水曜日 22:12:29)

 小林麻美「初恋のメロディー」は、助詞「ガ」のみが鼻濁音で、それ以外は非鼻濁音、という樣子でした。


 それから、小林信彦 大滝詠一『小林旭読本―歌う大スターの伝説』キネマ旬報社(2002/03)(アマゾン)の、大滝詠一氏の論の中に、アキラの鼻濁音と裕次郎の非鼻濁音についての考察がありました。



豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 18日 土曜日 10:36:37)

>これより古い録音が出て来たのです。しかも女性。


音源所蔵元の御厚意により、音源の見本をwwwに掲載できるようになりました。



1900年7月録音、現存世界最古の男女の日本語会話です。


http://www.gicas.jp/project/phonarc/


http://www.gicas.jp/project/phonarc/



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 18日 土曜日 17:52:44)

本日および、明日(2003.10.19)午前、両国の「江戸東京博物館」でも聴くことができるということですね(「朝日新聞」)。行ってみたいと思っています。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 22日 水曜日 15:22:38)

春の国語学会でのご発表は拝聴できなかったのですが、今回、江戸東京博物館で録音を詳しく聴かせていただくことができました。


上記の豊島さんの:

> これは、子音だけが鼻濁音(ng)で、その後は普通のアなのでしょうか。

> それとも、ひょっとして、ng で始り、その「鼻的矯正」が止まらずに、母音

> までも鼻母音になって延ばし続けられるという事でしょうか。


> 後者は過剰矯正にありがち(ng の前から鼻母音になる事もある)ですが、驚く

> べき事に百年前の日本語にもその例が見受けられます。


これについては「ウィーン録音の過剰矯正(?)」という節で豊島さんからご説明がありました。お話の中では「先行母音鼻音化+ガ行子音〔鼻音化しない摩擦音γ〕」がウィーン録音などに散見されるということでした。一方、おそらくは持ち時間などの関係で、ガ行子音の後の母音が鼻母音化する話はお触れにならなかったようです。


乱暴に私のことばで言い換えますと、たとえば「歌が」を、100年前に「ウタカ゜」ではなく「ウタ~ガ」(~は「タ」の母音が鼻にかかるのをあらわしたつもり)と発音することがあり(録音で緊張したときなど)、それは、規範である「ウタカ゜」を発音しようと意識しすぎてそうなってしまったものだ、ということだと理解しました。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 23日 木曜日 04:55:45)

鼻濁音が苦手な人が、意識してガ行鼻濁音を発音しようとすると、その前の清音まで鼻濁音ぽく鼻に詰まってしまったケースは、私が教えていたアナウンス学校の生徒にもちょくちょく見受けられました。


posted by 岡島昭浩 at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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