国交相の名字は「おうぎ・ちかげ」ではなく「おおぎ・ちかげ」であるらしいことを最近知りました。
発端は、朝日新聞2001.01.22 p.6の小学生向けコラム「きょういくTODAY」の
国土交通大臣{こくどこうつうだいじん}の扇千景{おおぎちかげ}さんも「移転に使うお金を、国際都市東京の整備{せいび}につぎ込むべきだ」などと発言したことがあるの。({ }はルビ)という文章。これが「校閲のミスではないか」と仲間うちで話題になりました。「『扇』は『おうぎ』なのにねえ」などと言っていました。
ところが2001.02.12 p.8の同欄でましたしても
扇千景{おおぎちかげ}・国土交通大臣{だいじん}の発言などで話題になったね。とあり、まさか朝日の校閲が何度も同じミスを犯すわけはないので、「さては」と思い至りました。
国交省のページでも「おおぎ」と表記してあるので間違いはないでしょう。
つまり「『おうぎ』なのにねえ」と言うわれわれのほうが賢しらだったわけで、新聞社の校閲ともなると、このような落とし穴はきちんと弁えているのだと感嘆しました。
「仰木(おおぎ)監督」の例に似て面白く思った次第です。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 2月 18日 日曜日 18:25:41)
地名の現地音主義にもにた、本人主義なのでしょう。市町村名が役場決定であるように(赤穂「あこう」、直方「のおがた」もそうだと聞きました)。
仰木監督も、常に「おおぎ」のようですね。
国語学の當山日出夫氏も、自署では「とおやま」としてらしたと思います。国語年鑑では「とうやま」ですね。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 27日 水曜日 10:09:46)
『新しい歴史教科書』市販本(扶桑社 p.307)では昭和天皇の歌
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむともを紹介したところで、「たふれ」の「ふ」に「う」とルビを振ってあります。「たうれる」では意味が通じません。歴史的仮名遣いのなかでも「あふぐ」「たふれる」は要注意。
→ 日本語の歴史を歪曲?
岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 27日 水曜日 11:00:30)
ちょっと、この流れでコメントするのはよくないのですが、私もその本、立ち読みしました。
日本語史が「日本史」の中で、正しい記述をされることは、この本に限らず、望み薄なのかもしれませんが、ちょっとなあ、と思いました。批判本も沢山出ているようですが、語史についての批判はなさそうですね。
初めの方に掲げてあった、擬似レポート「時計」、日本国語大辞典の語源説が引用してあります。やはり日本国語大辞典の「語源説」は罪作りなのでしょうか(『国語学』204。私は語源説欄はあってよい、と思っています。ただ、凡例で、もうちょっと説明して欲しい)。でも、教科書に載せる模範レポートとしては……。
それはさておき。
「あふる」も難しいですね。「あおる」と「あふれる」に別れちゃうし。そういえば、青空文庫の掲示板で、「屠」の振り仮名が話題になっていました。「ほうる」とあるのは「ほふる」の間違いではないか、と。これ、面白い問題ですよね。「放る」(はふる)との関係が気になるところです。
話し言葉として消えていたことによる綴り字発音か(あまtsuさえ・あるhiわ)、のようなものか、とも思ったりもします。
ヘボンの三版でもHofuriとなってました。
また別の話ですが、『国民の歴史』でも、「ウラルアルタイ系とは断言出来ない」というような言語学者の話を勝手に膨らませて、その膨らませた部分までもが言語学者の説であるかのように書いてあり、いかんなぁ、と思ったことでした。
→ 青空文庫みずたまり
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 06日 日曜日 12:10:17)
2003.07.06 11:50 NHK「みんなの童謡」で下総皖一作曲「たなばたさま」が流れました。
字幕スーパーで「しもおさ」と書かれていました。歴史的仮名遣いなら「しもふさ」、現代仮名遣いに即するならば「しもうさ」でしょうか。
下総皖一は1898-1962に生きた人ということですが、戦後、自ら「しもおさ」と名のることでもあったのでしょうか(おおぎ大臣のように)。それとも単なる誤植でしょうか。
インターネットを「下総,かんいち」のキーワードで検索すると「しもふさ かんいち」と出てくる場合が多いようです。これはこれで疑問が残ります。
「みんなの童謡」今月の歌は日曜ごとにNHK総合とNHK教育で午前・午後に放送するはずなので、また確認の機会はありそうです。