2001年06月12日

この人が作った

 私が作ったに載せるものが少ないので、噂を含めて、「この人が作った」を載せたいと思います。「この人が広めた」もあり。

 赤瀬川原平・ねじめ正一・南伸坊『こいつらが日本語をダメにした』ちくま文庫1997.4.24 304頁(東京書籍1992.9.6 306頁)

南 「目が点になる」っていうのは、谷岡ヤスジさんのマンガだよね。目が点になる表現があって、それを山下洋輔さんが“点目”になるって最初に言ったんだよ、ああいう状態を。で、その後、点目を目が点になるって言ってるんだ。
――(岡島注:編集者)今のトレンディは“目点”ですよ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 12日 火曜日 20:34:24)

点目ですと、こういう文章もあります。

常識では計り知れない力がおれの身に加わり、おれは、これは断わる方が礼儀知らずの見栄っぱりのケチ野郎なのだと考えるようになった。そして、事の成り行きをやはり点目になって見ていた、ジャムライスの連中に、こうなったら、これはやってさし上げるのが人の道というものだと説きさえしたのだ。点目というのは、谷岡ヤスジの漫画の手法で、この目になった奴は、次の瞬間、近くの奴の頭にコーモリ傘、出刃包丁、ステッキ、ダイコンなどを突き刺す。(山下洋輔「ピアノ弾き 幽閉さる」『ピアノ弾きよじれ旅』徳間文庫 1977.03. p.39)
 この資料、どこかで話題にしたことがあったかもしれません。岡島さんにメールで申し上げたのかもしれません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 12日 火曜日 23:26:46)

補足情報ありがとうございます。

森純大(村田兆治監修)『プロ野球 勝負の名言』PHP文庫 1998.2.16

プロ野球界におけるさまざまな"至言""名言"のうちでナンバー1を選ぶとしたら、多くの人は、大下弘の「たかが野球、されど野球」という文句を挙げるのではあるまいか。もともとは彼の日記『球道徒然草』に出てくる言葉だが、
p116

彼(岡島注:川上哲治)はよく「球ぎわに強くなれ」と説いたが、この「球ぎわ」は彼の造語である。「この言葉は、のちにコミッショナーになられた金子鋭氏の話の中からヒントを得てつくったものです。"チームプレー"という言葉を最初に使ったのも私です」と川上は言う。
p143


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 12日 火曜日 23:31:17)

『通俗の構造』1972.9.30 太平出版
権藤晋「かつて劇画は生き死にをその本体としてあった」p162

辰巳ヨシヒロの『劇画大学』(ヒロ書房)によって、劇画ということばが造語されて以来

『劇画大学』は1968年の出版。漫画ずきの人にとっては常識のことのようで、辰巳氏の「劇画」使用はこの著書以前に遡るようですが。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 19日 火曜日 18:10:10)

ちょっと微調整です。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 19日 火曜日 22:15:59)

「芸能リポーター」の第一号

「それでは芸能レポーターっていうのはどうですかね?」
とぼくが言った時、局の人たちはみな、顔をしかめた。なにしろ、まだレポーターという言葉さえ定着していなかったのだから、それに芸能をつけてみてもよけい混乱を招くだけだからだ。それでもテレビというものはどこかおおらかで、
「梨元さん、まあ、いいや。それで行こう」
ということになった。一九七五年のこと。こうしてぼくの芸能レポーター生活はスタートした。
(梨元勝著「噂を学ぶ〜学問としてのスキャンダル〜」の34ページ・角川書店、2001、6、10発行)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 20日 水曜日 23:15:24)

呉智英『サルの正義』双葉文庫1996.7.15(親本1993.3)p232

「漫画」という用語は、本来、軽妙に世相人情を描く画という意味で、早くは北斎漫画に使われた。明治期、福沢諭吉は、時事新報紙上で北沢楽天に社会風刺マンガを描かせる時にこれを採用し、以後定着した。

「この人が定着させた」です。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 22日 金曜日 23:05:32)

ことば自体は古くからありますので、「ここから広まった」というネタだと思います。

ブリタモリ編集委員会(赤塚不二夫・加藤芳一・タモリ・長谷邦夫)『現代用語事典ブリタモリ』講談社スコラS57.3.20

すぐれもの
雑誌『ポパイ』が推せんする秀れた品物。これよりさらに秀れたものがあると、総立ち的イイものとなるわけ。(長谷)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 16日 月曜日 22:34:14)

社用族

 私がある雑誌の『校正座談会』に出席したとき
「……社用族ということばは、たしか『朝日』の論説委員伊藤昇さんがつくられたことばだと思いますが……」
と発言しておいたところ、活字になって見ると、「斜陽族」とあった。
(加藤康司『校正おそるべし』有紀書房1959 p.227)
 筆者は、朝日新聞の校閲部に長年勤続し、のちに文春に移った人です。「社用族」は1951年の流行語と年表にあります。


武市祥司 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 21日 土曜日 16:05:38)

谷岡ヤスジ氏といえば,「ダサい」という言葉の発案(?)者も
氏という話を読んだことがあります。

酔っ払った席で「野菜」というべきところを「ダサい」と言って
しまい,それからこの語が広まったとか。
(本当ですかね?)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 21日 土曜日 21:50:00)

谷岡ヤスジ氏が酔っ払って人としゃべっていたとき、「野菜」と言おうとして「ダサい」と言ったのだという説については、あるひとからメールで教えていただいたことがあります。逢河信彦著『懐かしのマンガおもしろ意外史』(二見書房)に載っているとのことです。

「野菜」から「ダサい」ができるというのは、かなり無理があるのではないでしょうか。


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 21日 土曜日 22:45:41)

武市さん、Yeemarさん、こんにちは。
「ダサい」については、「<だ>って<埼>玉だもん」の<ださい>から来たという説がありますが、これが語源だとすると、埼玉の人に気の毒な感じもしますね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 21日 土曜日 23:09:44)

「だ埼玉」説も根強いのですが、「ダサい」が言われ出した時期と矛盾するため、これも疑わしいのではないかと思っています。

これについては以前文章を書いたことがあります。

「ダサい」はいつから


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 23日 月曜日 17:13:28)

おやおや? 「社用族」は伊藤昇論説委員が、との説を唱えた同じ著者が、その前著では次のように書いています。

 私がある雑誌の「校正座談会」に出席した時、
「社用族という言葉は、たしか天声人語の荒垣〔秀雄〕さんがつくられた言葉だと思いますが……」
と発言しておいたところ、活字になって見ると、「斜陽族」とあった。
(加藤康司『赤えんぴつ』虎書房1956 p.82)
 文章がほぼ同じで人名だけ変わっているところを見ると、初め荒垣説で、後に伊藤昇説に訂正したわけでしょうか。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 1:56:39)

これはもう、動かないところでしょうか。

  以前に聞いた話だけれど、「黒い霧」という表現を発明したのは、あの松
 本清張さんなのだという。「夜の蝶」という言葉は、川口松太郎さんという
 人の発明だそうだ。
          宮部みゆき『夢にも思わない』中公文庫 1999 93頁


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 2:04:11)

で、これは、出所が出所なので、記すまでもないかもしれませんが。

  戦後の労働運動や学生運動を通じて、 "斗争" も "春斗" も、
 すっかりおなじみなったが、この種の表記の源流は遠く我々の
 学生時代の左翼運動家の文字に発しているわけだ。
       見坊豪紀『ことばの遊び学』PHP 1980 45〜46頁
 
 昭和7年あたりに見たとのこと。自覚的に用例収集されるまえのもの
なので、挙げておきます。


小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 9:16:48)

昭和7(1932)年1月18日付けの
「栃木事変・蜂須賀農場立禁斗争・和田村争議の應援斗争に干して(指令第16号)」に手書きの「斗争」があります。「争」は旧字体。

栃木事変・蜂須賀農場立禁斗争・和田村争議の應援斗争に干して(指令第16号)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 15:04:24)

小矢野先生、ありがとうございました。興味深い資料群ですね。

「事務長たる可き人と連絡をとレ
「宜●(=人偏+専)部」(宣傳部カ)

ガリ版という制約・事情から来る、文字・字形の選択があったものか……
 ↓

日本労働党関西事務局指令


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 15:34:30)

 いや、ほんとうにガリ版の文字は面白いですね(参照)

「鬪」の「斗」は中国起源でしょうが(「門構えに斗」は『宋元以来俗字譜』にもあります)、日本に入ってきたのは、なんとなく中国共産思想と日本の社会運動との関係であろうとおもっておりました。ですから、もっと後だろうと思っていたわけです。

昭和5年のもの、めっけ。

失業防止闘争同盟闘争ニュース


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 15:37:52)

「社用族」についての加藤康司氏の発言は「言語生活」1953.04座談会 p.5と判明しました。

 加藤 〔……〕しかしこれは書き言葉だけでなく話し言葉でも、「天声人語」の荒垣さんが生みの親だと記憶していますが、「斜陽族」〔ママ〕という言葉などは当時の世相をよく現わしておった新語ですから非常によく普及しました。そういうように新聞社で作った言葉が、いろろい非難になりますけれども、それがいい言葉ならばぼくは普及して行くと思うんですけど、どうでしょう。
太宰治の「斜陽」から「斜陽族」はできましたが、こちらは自然発生でしょうか。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 15:47:58)

 昭和5年のは他にもたくさんありました。いや、本当に面白い資料群です。

 「リストラ」と同じような変遷をした「合理化」ということばも見えますね。年次が分からないのが残念ですが。

合理化反対


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 15:50:46)

正誤

 ×いろろい非難に → ○いろいろ非難に

前出加藤氏の『赤えんぴつ』は一種の校正随筆ですが、出版時宣伝のため巻末に「(誤植を)五字以上見つけた方に一万円進呈。」と銘打った。ところが発売後、続々と誤植の指摘が相次ぎ、何ともいいのがれできない誤植だけで20本は確実。加藤氏、「完全に打ちのめされてしまった」。そのてんまつは『続・赤えんぴつ』にリアルに書かれています。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 26日 木曜日 18:28:14)

丸文字の元祖?
これまた、どこに書き込めばいいか、分からないので、ここにて。
小矢野先生が教えてくれたところをいろいろ見ていたら、丸文字
(のようなもの)が。

丸文字は昭和40年代ころ以降と思っていたのですが、昭和2年。
もちろん、変形の仕方は、発達しきった丸文字末期には及ばない
でしょうけれど。

大丸に対する我々の要求は之だ!


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 27日 金曜日 7:39:25)

「やっぱ、ドコモでしょ!」のような「絶対・・・だ!」という意味の「・・・でしょ」という言い方と、「これ、かわいいじゃん。・・・〜みたいな。」というような「〜みたいな」という言い方は、とんねるずの石橋貴明が言い始めたと、TBSプロデューサーの園田憲さんという人が、7月27日(金)の産経新聞朝刊16面「インサイド」で。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 28日 土曜日 16:48:54)

そう書いたら、いきなり7月27日朝日新聞・朝刊の経済欄の囲み記事、「株主オンブズマン」が「ソニー」の来年の株主総会で取締役報酬を個別開示するように、定款変更を求める株主提案を求める方針を明らかにしたニュースが出ていて、その見出しが、
「明朗経営もブランドでしょ」
でした。これもとんねるず石橋の影響でしょうか?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 28日 土曜日 16:53:31)

7月27日、読売新聞社説”「公人」「私人」で騒ぎたてるな”の中で、こういう事を言い出したきっかけについて。

「公人か私人かという”区別”問題が生じたのは、1975年、当時の三木武夫首相が靖国参拝に際し、”私人として”と述べてからのことである。以来、首相や閣僚の靖国参拝に”公私”問題が伴うようになってしまった。」


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 31日 火曜日 17:41:48)

 とんねるずについては、下記のラサール石井の本を見てみたいところです。

〜系


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 03日 金曜日 5:10:58)

ラサール石井氏の本、行きつけの本屋さんに聞いたところ、出版社にも問い合わせてくれましたが、やはり、ないそうです。古本屋でみつけるか、図書館ですね。


岡島 さんからのコメント
( Date: 1956年 8月 28日 火曜日 4:13:53)

金田一先生と「現代かなづかい」という名称 松坂忠則

『金田一京助先生思い出の記』昭和47.11.14

 終戦のあくる年、昭和二十一年に、国語審議会の中に設けられた「かなづかいに関する主査委員会」が、かなづかいの新しい方式を作るべく、六月から九月までの間に、精力的に十七回の主査会を開いたその最後の開合で決めたものであった。しかし、この名は、その日に突然に考え出されたものではない。この名にも、そしてまた、この名に託された理論にも、金田一先生の、以前からのお考えがこめられていたのであった。

加茂正一『新語の考察』(三省堂1944.7.2)には、サイノロジーを金田一京助氏の造語としているのですが、こちらの方はどうでしょうか。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 22日 水曜日 23:40:50)

加茂正一『新語の考察』の「新語家列伝」を引用しておきましょう。米川明彦氏の『新語と流行語』南雲堂に引き継がれているものもあります。

井上哲次郎−倫理学、美学、人格、意識、絶対、相対
石川半山−ハイカラ
石坂周造−石油
伊沢修二−唖鈴、棍棒
伊東祐亭−轟沈
上田萬年−標準語
宇田川榛斎−神経
宇都宮三郎−化学
宇野浩二−等等等
岡本一平−泥仕合、とんからり
小山内薫−演出
尾崎紅葉−俥
尾崎行雄−趣味
加藤弘之−進化論、生存競争、優勝劣敗
筧克彦−「弥栄!」、日本体操(やまとはたらき)
海軍兵学校−〓[舟力](カッター)
金田一京助−サイノロジー
久米正雄−微苦笑
今和次郎−考現学
佐久間象山−留影鑑(後の写真機)
サトウ・ハチロウ−めんこい(小馬)
沢田例外−出歯亀
桜井忠温−肉弾、銃後
志賀重昂−大和民族、日本ライン、日本アルプス
新居格−左傾、モダンガール、マルクスボーイ
杉浦重剛−茶話会
鈴木梅太郎−オリザニン
高山樗牛−憧憬
坪内逍遥−仂車
鉄道省−多客、以遠、降り乗り
東郷平八郎−撃滅
徳川夢声−ワンサガール
外山正一−「万歳!」
夏目漱石−馬穴(バケツ)、非人情
西周−哲学、主観、客観
橋本邦彦−科学する
福沢諭吉−「ヴ」の用字、演舌、西洋、議事院
福地桜痴−活動写真、社会主義
正岡子規−俳句
箕作阮甫−国会、元老院
水野広徳−宣伝
都民中−すててこ
柳川春三−雑誌
矢野文雄−速記


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 23日 木曜日 15:32:34)

「伊東祐亭」は「伊東祐亨」の間違いでした。さて、加茂氏の揚げたもののうち、米川氏『新語と流行語』の「新語の作り手」に継承されないのは以下の通り。

井上哲次郎−美学、意識
石坂周造−石油
伊沢修二−唖鈴、棍棒
宇田川榛斎−神経
宇都宮三郎−化学
小山内薫−演出
尾崎紅葉−俥
筧克彦−「弥栄!」、日本体操(やまとはたらき)
海軍兵学校−〓[舟力](カッター)
佐久間象山−留影鑑(後の写真機)
サトウ・ハチロウ−めんこい(小馬)
志賀重昂−日本アルプス
新居格−モダンガール
坪内逍遥−仂車
外山正一−「万歳!」
夏目漱石−馬穴(バケツ)
福沢諭吉−「ヴ」の用字、演舌、西洋
福地桜痴−活動写真、社会主義
箕作阮甫−国会
水野広徳−宣伝
都民中−すててこ

○加茂になく米川にあるもの
天気相談所長、大野義輝─秋雨前線
お天気相談所長、柳沢恭雄─人災
天気予報官、中田義雄─梅雨前線
東京銀座木村屋─あんパン
つきぢ田村の主人、田村平治─懐石料理
美津濃社長、水野利八─カッターシャツ,ボストンバッグ
文房具店主、福井庄次郎─シャープペンシル
鶯亭金升─福神漬
皇学館館長、武田千代三郎─駅伝競争
大宅壮一─駅弁大学,家庭争議,ステッキガール
松坂屋呉服店─客本主義
第一高等学校生徒─漁夫る,弥次る,庭球
近衛文麿─現状打破
政治家、平沼騏一郎─複雑怪奇
植物学者、平瀬作五郎─自在画,用器画
パリーグ記録部長、山内以九士─自責点,防御率
画家、蕗谷虹児─抒情画
林野庁─森林浴
映画製作者、城戸四郎─すれ違い
出版者・政治家、山本実彦─絶讃,弾圧
財政学者・法学博士、田尻北雷、本名田尻稲次郎─つんどく
東宝取締役、森岩雄─ニューフェース,マネジカルスタッフ
朝日新聞記者、三浦守─説教強盗
都新聞記者、吉見蒲州─封切
都新聞記者、土方正己─軽演劇
映画評論家、岩崎昶─文化映画
作家、梶山季之─産業スパイ
作家、源氏鶏太─三等重役
作家、永井龍男─別冊
作家、岩野泡鳴─刹那主義
漫画家、古谷三敏─ダメおやじ
徳川夢声─彼氏
大辻司郎─漫談
古川ロッパ─声帯模写
新居格─モガ,モボ
第一高等学校野球部、中馬庚─野球
評論家、竹中労・草柳大蔵─ルポライター
大槻磐渓─共和政治
西周─現象,肯定,衝動,否定,本能,命題
井上哲次郎─功利主義,範疇
箕作麟祥─国際法,統計学,民権
中江兆民─象徴
アメリカ人中国宣教師ウィリアム・マーチン─万国公法
穂積陳重─法系
津田真道─民法

同じ人で、一方で抜け、一方で追加されている人がいますね。新居格氏は、モダンガールが抜け、モボ・モガが追加されています。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 24日 金曜日 23:51:34)

米川氏のうち、『ことばのくずかご』に見えるもの。
永井龍男─別冊
大野義輝─秋雨前線
中田義雄─梅雨前線
山内以九士─自責点,防御率
田尻北雷─つんどく
徳川夢声─彼氏
竹中労・草柳大蔵─ルポライター
柳沢恭雄─人災
同じく『60年代ことばのくずかご』に見えるもの。
美津濃社長、水野利八─カッターシャツ,ボストンバッグ
文房具店主、福井庄次郎─シャープペンシル
鶯亭金升─福神漬
画家、蕗谷虹児─抒情画
出版者・政治家、山本実彦─絶讃,弾圧
つきぢ田村の主人、田村平治─懐石料理

志賀重昂の「日本アルプス」が消えたことについても、『60年代ことばのくずかご』を参照。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 21日 金曜日 15:54:22)

「点目」の関連、「波目」です。「この人が作った」かどうかはわかりません。

ということは昼間だから眩しかったのかな。でもほかの奴〔フクロウ〕は同じ条件なのにあんな波目ではなかった。色白だしほんと、おたふくが烏になったようでありました。(内田春菊『私の部屋に水がある理由』文春文庫 1996.02.10 p.33)
短大生H・Rさんから教えていただきました。(〜v〜)かような目のことをいうのでしょう。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 21日 月曜日 16:04:40)

 久米宏以前の、さらに言うならば「ぴったしカンカン」以前の、「ちなみに」について知りたい、と妻が申しております。

 私はこの番組を見てはいなかったのですが、妻は見ていたらしく、「ちなみに」という言い方はこの番組で覚えた、と言います。

 ちょっと見て見ると、「因みに言う……」という言い方は古くからあるようですが、「因みに、……です」のような言い方がいつ頃からあったものなのか、気になるわけです。

 例えば、「ついでに言えば……」というのを、「ついでに、……です」というと、やや舌足らずな感じを覚えますが、「ちなみに」はどうだったのか、という疑問です。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 21日 月曜日 18:06:09)

手元にある青空文庫2001年9月1日版(『ASCII』2001年11月号付録CD-ROM所収データをテキストファイル化したもの)から「ちなみに OR 因みに」を検索すると:
(作家と作品はファイル名からご判断ください。)

C:\TextData\ja\aozora\terada\terada02.txt
615 : ちなみにわが国の神官の間に伝わる言い伝えに、人間の霊魂は「妙《たえ》に円《まろ》き」たま[#「たま」に傍点]であるという考えがあるそうである。
703 : ちなみに故|日下部四郎太《くさかべしろうた》博士が十年ほど前に「時の素量について」という意味の題目で一つのおもしろい論文を東京数学物理学会に提出した事があった。

C:\TextData\ja\aozora\odasaku\seisyun.txt
1248 : 因みに彼女はアンドレ・ジイドが愛読書だと、かつて映画雑誌のハガキ質問に答えたことがあった。
1683 : 因みにいえばたいていの職業をもつ女はそんなに嫌いな男でない限り、話があるといわれれば、出掛けるものである。

C:\TextData\ja\aozora\dazai\romanesque.txt
30 : ちなみに太郎の仙術の奥義は、懐手して柱か塀によりかかりぼんやり立ったままで、面白くない、面白くない、面白くない、面白くない、面白くないという呪文を何十ぺん何百ぺんとなくくりかえしくりかえし低音でとなえ、ついに無我の境地にはいりこむことにあったという。

C:\TextData\ja\aozora\takedarintarou\rakugokatachi.txt
19 :(ちなみに逆説的にいへば、今日の江戸つ子なんてものはみなえせ江戸つ子である。本年八十歳にしてなほ高座に生きる小勝にしてからが、その誹りを免れぬ)

C:\TextData\ja\aozora\unno\haisennikki.txt
915 : ちなみに一家は茨城県太田へ移ったという話だが、この太田は日立よりやや北方、海岸ではないが海に近く、あまり安全とは申されない。

C:\TextData\ja\aozora\tosakajun\doutokunokannnen.txt
124 : ――因みに近世に於ける社会理論乃至社会科学の発展は、一方に於て倫理学乃至道徳理論と直接関係が少なくないと共に、本質に於てやはり一種道徳論的乃至倫理的である処のユートピア(非科学的社会主義・前科学的社会科学)との関係を離れては考えられない。

C:\TextData\ja\aozora\yumeno\dark_minister.txt
745 : 因みに、その時同人は新しき革足袋《かわたび》を穿き、古きメルトン製の釜形帽を冠りおりたる由……おわり……」

C:\TextData\ja\aozora\touson\yoakemae2_ge.txt
252 : 彼はまた、師のあとを追って東京に出た中津川の友人香蔵のことを正香の前に言い出し、師が参与と神祇官《じんぎかん》判事とを兼ねて後には内国局判事と侍講との重い位置にあったころは、(ちなみに、鉄胤は大学大博士ででもあった)、あの友人も神祇|権少史《ごんしょうし》にまで進んだが、今は客舎に病むと聞くと語った。


道浦俊彦 さんからのコメント
(Date: 2002年 1月 21日 月曜日 20:59:13)

テレビ東京の人に聞いたのですが、「ちなみに」を使うたびに、「○月×日の△△という番組で”ちなみに”を使っていたが、あそこに”ちなみに”を使うべきではないっ!」と抗議の手紙を送ってくる視聴者の方がいらっしゃって、「ちなみにおじさん」と呼ばれて、おそれられて(?)いるそうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 21日 月曜日 21:18:14)

「ちなみに」を接続詞的に用いるのはすこぶる古そうですね。
『日本国語大辞典』(第2版)には「南海寄帰内法伝平安後期点(1050頃)二」から

因(チナミ)に、護命の事を論ずる、且く復其現行を言ふ
というのが出ていて、なんのこっちゃら、という感じですが、試訳すれば
「ちなみに、護命(法師?)のことを論ずる〔にあたって〕、とりあえずまたその現行(仏教用語)のことを述べよう」
ということでしょうか? 依然として、何のことやら分かりませんが。この場合の「ちなみに」は「論ずる」もしくは「言ふ」と相呼応しているのでしょうか。

次に載っている「正法眼蔵(1231-53)弁道話」の

予発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる、あひしたがふ霜華、すみやかに九廻をへたり
は、だいたい訳すならば
「私は仏道にこころざしてから、日本全国に物知りを訪ねてまわった。ちなみに、建仁寺の明全和尚にお会いし、彼に従って学んでからの年月は、またたく間に9年をかぞえた」
とでもなりましょうか? こちらは、「ちなみに」を「言ふ」等で受けていないので、久米宏式ではないでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 21日 月曜日 23:42:30)

 私の調査不足が露呈していますが、正法眼藏のものは、「ついでに言えば」の意味ではなく、「その関連で」というようなことかと考えておりました。


POP3 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 22日 火曜日 8:04:46)

禅の語録では「因みに」を「あるとき」と解釈することがあるようです.
例えば,中央公論社「世界の名著18」,p188, p189, p210 など.


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 22日 火曜日 10:17:40)

「ちなみに」は「正法眼蔵」に頻出していました。『日本古典文学大系』テキストから例を引くと、たとえば

杭州塩官県斉安国師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、「一切衆生有仏性。」
はPOP3さんのおっしゃるとおり「あるとき」の意味らしく、
麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。」
は「……するそのとき」、また、『日本国語大辞典』の例は岡島さんのおっしゃるとおり「その関連で」とか「そういう折に」とか訳すべきものでしょうね。

この手の「ちなみに」はすべて、久米宏式(?)の「そのついでに言うと」という意味ではなく、「言うと」の意味を欠いていて、「そのついでに」「その際」「そのとき」などというような訳をあてはめるべきものですね。

久米宏式は、「ちなみにいふ」の「いふ」がとれてできたもので、「正法眼蔵」の時代の用法と直接に結びつけないほうがよさそうだと納得しました。

  ◇  ◇

後藤さんの挙げられた「青空文庫」のテキストの作品名は下記の通りでした。

 寺田寅彦 1878-1935 寺田寅彦随筆集第二巻「科学について」
 織田作之助 1913-1947 青春の逆説
 太宰 治 1909-1948 ロマネスク
 武田麟太郎 1904-1946 落語家たち
 海野十三 1897-1949 海野十三敗戦日記
 戸坂 潤 1900-1945 道徳の観念
 夢野久作 1889-1936 暗黒公使
 島崎藤村 1872-1943 夜明け前 第二部下

データに作品発表年の記載がなかったりして、いつの用例かただちには分からないものもありますが、これらはざっと昭和に入ってからといったところでしょうか。江戸から昭和までの様子が気になります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 23日 水曜日 19:55:00)

「”最初はグー”ってのも、オレと仲本さんが始めたんだよ。」

〜2002,1,22(火) 24:05 日本テレビ系「ロミヒー」で、志村けんの発言。「始めた」というのは、「8時ダヨ!全員集合」(TBS)の番組の中で「始めた」という意味かも。あるいは、「流行らせた」という意味かも知れませんが。一応、本人がそう言っていたということで。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 23日 水曜日 23:11:21)

 私の妻の「ちなみに」への疑問は、『三省堂国語辞典』の初版(昭和35)に、

〔今までのことに関係して〕ついでに(いえば)。

とあることにより、ひとまずは納得しました。『明解国語辞典』(再版)では「ついでに」でした。

 Yeemarさんのおっしゃるように、「いつごろからなのか」という疑問はまだ残っております。


 道浦さん。「私が作った」というのもあります。

私が作った


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 24日 木曜日 7:25:36)

そうでした。失礼しました。。。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 24日 水曜日 16:50:15)

 「里山」という言葉、京都府立大学元学長の作った言葉であるといわれています。「私が作った」と書いてあるものがないものかと思って、ここには載せずに来ましたが、どうなのでしょうね。

日国NET(里山)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 22日 木曜日 07:30:02)

今朝(8月22日)の日経新聞40面、文化欄「『衛生』の父、庶民の視点」というコラム。長崎シーボルト大学(!そんな大学が・・・不勉強でした)教授の外山幹夫さんという人が書いてらっしゃいます。それによると、
「『衛生』という言葉は意外に新しく、明治になって使われ始めたものだ。もともとはドイツ語から来た言葉である。衛生と意訳し、日本で最初に用いたのが、長与専斎(1838−1902)である。(中略)最初の仕事が欧米の医療福祉の視察で得たドイツ語『ゲズンドハイツプレーゲ』の翻訳である。直訳は『健康保護』だが、そう単純ではなく、広く国民健康の保持の意味合いを専斎は持たせたかったようだ。結局『荘子』の中にある衛生の語句を当てた。」
とあります。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 04:14:07)

芥川龍之介『侏儒の言葉』(1923-25)の中の「作家所生の言葉」と題された一文からです。

「振っている」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行われるようになったのは夏目先生から始まっている。こう言う作家所生の言葉は夏目先生以後にもない訣ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるものであろう。なお又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。
「振っている」は「ふるっている」です。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 01:56:00)

「微苦笑」についてもうひとつ。三島由紀夫『文章読本』(1959)からです。

久米正雄氏は微苦笑という言葉を発明し、今日ではそれは誰でも知っている言葉になりました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 01日 水曜日 21:11:25)

飛行機
「朝日新聞」2003.04.12 p.7に「「飛行機」初訳者は鴎外? ライト兄弟飛行の2年前」という記事が載っています。

 航空史家の村岡正明さんが、日本航空協会の季刊誌「航空と文化」に発表した。
 飛行機開発の動きが日本に紹介された明治中期には、「飛行器」などと訳されていた。誰が「飛行機」と最初に訳したかはっきりしないものの、定着させたのは、09年に国が設けた「臨時軍用気球研究会」とされてきた。
 鴎外は著作で飛行機に触れたり、独の戯曲を「飛行機」と改題して訳したりしている。村岡さんがさかのぼってみると、「小倉日記」の01年3月1日付に「飛行機の沿革を説く」とあるのが初出だった。
このことについては朝日の記事よりも早く、「山陰中央新報」2003.02.09の「明窓」に載っているようです。

『日本国語大辞典』では「*万朝報-明治四一年(1908)」が最古例。


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posted by 岡島昭浩 at 12:02| Comment(1) | TrackBack(2) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by 岡島昭浩 at 2008年05月13日 17:45
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