志賀直哉の作品「城の崎にて」という一文に「動騒」と言う言葉があるのですが、どこの辞書引いても載っていません。
一体どんな意味でしょうか教えてください。
岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 07日 土曜日 23:38:15)
『日本国語大辞典』でも、「城の崎にて」の用例だけですね。
自分が願っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。
「騒動」との関係については、鈴木丹士郎「『簡単』と『単簡』と」(『専修大学人文科学研究所月報』)という論文にふれてあるようですが(いま未見)、「動静」という語との関係もありそうに思われます。
天野修治 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 3:38:27)
おぼろげな記憶に頼って言うのですが、「簡単」はたしか漱石の作品で見て、当時の作家たちの茶目っ気だろうと理解していました。おそらく「動騒」も単純に「騒動」の逆さ言葉(?)と理解していいのではないかと思いますが、どうでしょうか。
天野 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 3:40:51)
失礼。私の文章の「簡単」は「単簡」と書いたつもりでした。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 16:56:42)
「単簡」は茶目っけではないと思います。漱石以前からありますし、真面目な文脈でも使われます。
軍隊用語にもあるようですが、これは隠語である、と説明されることもあるようです。
「城の崎にて」ですが、「騒動」では、やや醒めた目といいますか、対岸の火事のように見ている気がしますので、それを「動騒」と言い換えた、ということはあるかもしれません。
天野修治 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 10日 火曜日 8:13:45)
茶目っ気、というより、言葉に対する軽い「気取り」、と言ったほうがよかったかもしれません。
いずれにしても私の感覚的な印象にすぎません。
手元の広辞苑には「単簡:てみじか。簡単。(主に明治期に使われた語)」と載っていました。一方「簡単」は、同じ広辞苑に「こみいっていないこと。てがるなこと。てみじか。」とあります。
ここから両者の意味の違いはとりにくいのですが、あるとすれば「簡単>単簡」でしょうか。
「動騒」は載っていませんでしたが、「騒動」と「動騒」の違いがあるとすれば、やはり「騒動」の意味のうち、特定の意味に限って「動騒」を使ったのかもしれませんね。
また、逆さ言葉として隠語で使っているうちに特定の意味に限られてきた、ということも多いにありそうです。
何か分かりましたら、ご教示下さい。