さてこの「秋雨」、「あきさめ」と読みますが、なぜ「あきあめ」でなく「あきさめ」なのでしょうか?
「さめ」と読む「雨」には、このほか「春雨」「氷雨」「小雨」「村雨」などがありますが、音韻的に「さ」に変る理由があるのでしょうか?
雨の降り方に関しては、しとしとと降る雨に「さめ」が使われているように思います。あまり「豪雨」に「さめ」はないのではないでしょうか?
そこから考えると、もtもとは「小」と書いて「さ」と読む「さ」が、この言葉の間に挟まっていて、「秋小雨(あきさあめ)」だったのが約(つづ)まって「あきさめ」になったのではないか?
秋と春の雨は、あまり豪雨ではありませんし、それに比べると豪雨だったりする「夏」の雨や、「小」というイメージよりは「重」というイメージの「冬」の雨は「さめ」に適さないのかもしれません。
そうすると、「小雨(こさめ)」はもともと「小小雨」になってしまって
「こさあめ」→「こさめ」になったのか?それは重複しているのでは?ということですが、これは「御御御付け(おみおつけ)」のようなものなのでしょうか?
皆様のお知恵を拝借したいと思います。
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 11:03:28)
御参照いただければ幸いです。
→ 「三朝」
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 13:58:15)
佐藤さま。
拝見しました。確かに私も「はるさめ」ということばが最初にあって、それに「春雨」という字をあてたのではないか?という風にも考えました。「たたき」→「三和土」のように。
しかし「雨」ということばにとらわれていると、「その考え方もどうかなあ・・・」という風に思ってしまうのです。
どうなんでしょうかねえ。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 14:12:18)
同僚のH氏の意見。
「沖つ白波」の「つ」にあたるものが、「春つ雨」とあって、「はるつあめ」。その「つあ」が「さ」に変わって「はるつぁめ」→「はるさめ」になったのではないか?
ということなんですが。本人は「かなり自信あり」という思い付きです。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 16:43:41)
「みささ」のような地名とは違って、「はるさめ」の場合は、文字をあてる以前であろうが、「はる」「あめ」との関係を考えざるをえず、
paru same
paru s ame
いずれかを想定せねばなりますまい。
後者の場合、「s」が何か、と考えた時、御同僚Hさんのお考えでは「つ」との関連を考える、ということになるわけですね。
前者の場合は「雨」が「same」という音だったと考えるわけですね。sameが、複合語の後ろではなく、頭に来た場合に、なぜ「s」が落ちる(落ちた)のかを考えねばなりません。「鮫」はsameのままなのに、何故「雨」は「same」ではなく、ameになったのか、ということです。佐藤さんが御言及の亀井孝氏の考えでは、鮫の語頭子音と、雨の語頭子音は違っていた、ということではなかったかと思います。
例えば、鮫はs2ame、雨はs1ame(春雨はparu-s1ame、春鮫はparu-s2ame?)。
後、語頭のs1が脱落するが、語中のs1は残る。s2は脱落しない。
鮫はs2ame、雨はame(春雨はparu-s1ame)
「s1」と「s2」の区別が無くなる。
鮫はsame、雨はame(春雨はparu-same)
「s1」「s2」のいずれかが「s」で、いずれかが「ts」であったかもしれません。
なお、雨の他の例としては、「くましね」という言葉が、「くま・いね」ということであろうと思われるものがあります。
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 18:24:35)
>「s1」「s2」のいずれかが「s」で、いずれかが「ts」であったかもしれません。
可能性としてはありえますね。なんと柔軟な頭! 敬服。確認は困難?
あるいは、「s1」「s2」は、音価ではなくアクセントの差を考える手もあるか。
鮫 平安 ●● (上上。日国2)
雨 平安来○●○(平平軽。アメ。下線は1拍分。日国2)
稲 平安・鎌倉 ○●(平上。イネ。日国2)
もちろん、奈良時代アクセントが平安時代のアクセントと大きく異ならない
という前提でのこと。それ以前は、やはり確認困難。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 04日 火曜日 14:17:34)
母音が続くのを避けて「s」が入るという説ですが、それだと「大雨」が「おおさめ」とならずに「おおあめ」で、「にわか雨」が「にわかさめ」にならない・・・など理由の説明ができないのではないでしょうか。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 04日 火曜日 14:48:49)
「おおあめ」「にはかあめ」は比較的新しいことばです。母音連続が許される時代に出来たものと見なされるわけです。
「あきさめ」は比較的新しいようですが、これは「はるさめ」に類推しての言葉と考えられます。
母音連続が許されなかった時代に、母音連続を避ける方法として一般的なのは、母音の融合でした。「ながあめ」が「ながめ」になるような。
もし、same→ameを考えるのなら、
はるさめ時代
ながめ時代
おおあめ時代
と変遷したと考えないといけませんかね。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 20:31:56)
倉嶋厚「雨のことば辞典」(講談社2000・9)に「細雨(さいう)」のことを古語で「さあめ」と言うとありました。「日本国語大辞典」で「さあめ」をひくと「小雨(さあめ)」で出ていて「(”さ”は接頭語)雨。さめ。」とあります。「さあめ」は「さめ」なのですね。そうすると、「あめ」が先にあって「さめ」は後の時代、ということになりませんでしょうか?
やはり、「秋小雨(あきさあめ)」→「秋雨(あきさめ)」なのではないでしょうか?
そもそも「天」(てん・あめ)から降るから「雨(あめ)」なのでは?
(なんで”雨=てん”でなかったか?「てん」は漢語で「あめ」は和語だから?)
「?」だらけですね。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 23:06:05)
確かに「さめ」には「しとしと降る雨」というイメージを持っています。
でも辞書を引くと
ひさめ【大雨・甚雨】:ひどく降る雨。おお雨。皇極紀「―ふり雷(いかずち)なる」(広辞苑)
なんて語もあったりします。
# 普段は使わない言葉ですが。「ひさめ」といえば「氷雨」ですよね。
私の頭の中では「さめざめと」という副詞の影響で「さめ」=「小雨」というイメージが出来ているような気がします。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 23:15:25)
UEJさん、そうなのです、「大雨(ひさめ)」なんですよね。また「村雨」「叢雨」(むらさめ)も激しく降る雨のようだし。
しかし、「日本国語大辞典・第二版」で「こさあめ」というのもあって、これは「こさめの変化した語」と出ています。「さあめ」はたんに「雨」で「さ」は接頭語。その「さ」の意味は、必ずしも「細かい」とか「しとしと」ではないんですが、「さぎり」「さみどり」「さおとめ」など字はそれぞれですが、なんとなくイメージがありますね。
ちなみに「雨のことば辞典」では「〜アメ」が100語に対して、「〜サメ」は15語しかありませんでした。
高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 06日 木曜日 11:49:34)
久しぶりに立ち寄ってみました。
稲(イネとシネ)などの存在も指摘されていますね。
いま、山口佳紀『古代日本語文法の成立の研究』(有精堂)を見てみたら、
サ行だけでなく、他の子音の例もあげられていますね。
(第一章・第二節「語頭子音の脱落」)
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 06日 木曜日 18:29:50)
高山さん、「サ行」以外にはどんなものがあるのでしょうか?
語頭子音は、ほかにもあるのですか?「サメ」「シネ」以外に。よろしければお教え下さい。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 07日 金曜日 16:32:27)
高山さん、どうも有難うございます。
関連部分の、例のみを抜き出します。
カ行
うまこり うま+おり(味織)
サ行(雨・稲の他)
かたしは かた+いは(堅磐)
みそこなはす み+おこなはす(見行)
タ行
こころつごく こころ+うごく(心動)
ナ行
なにも な+いも(汝妹)
にひなへ にひ+あへ(新饗)
例だけでは、なんですから、この本を是非とも手にとってご覧ください。
高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 15:26:31)
道浦様、岡島様
例示(手間)を省いてしまって、済みませんでした。
サ行子音については、岡島さんのコメントにもありましたが、文献以前
の日本語では異なる二つの単位に分かれるかもしれないとの推定がある
わけですが、サ行以外の場合はどうなのでしょうかねえ。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 15:57:16)
菅野洋一・仁平道明「古今歌ことば辞典」(新潮選書)に「秋雨」が載っていました。
万葉集以来「秋の雨」の語形で使い、「秋雨」は十三世紀頃成立の順徳院の「八雲御抄」に「(藤原)光忠があきさめなどいへるたぐひはをかしき事なり」と非難しているためか、幕末(安政3年)の井上文雄「調鶴集」に「しめじめと秋雨そそぐ芭蕉葉の破れし影にこほろぎの鳴く」に現れるぐらいだそうです。
また室町時代の一条兼良「連歌初学抄」に「春さめ、秋さめ、小さめ」を連歌の用語としてあげているそうです。
つまり「春雨(はるさめ)」が先にありき、ですね。
OG3 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 11:44:18)
大野晋先生が,「丸谷才一の日本語相談」(朝日文芸文庫版)176ページに雨は「アマ」が本来形であると書いておいでです.
とすると,same, ame, ama の関係はどう考えれば良いのでしょう(話を混乱させるだけみたいな書込みで失礼).
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 13:16:17)
amaを本来の形であると考える立場は、複合語の前に立つものを本来の姿と考えるものですね。「ama-」というようなものと、「ame$」というものを比べた時、後者を「ama-i$」と考えた方がよかろうと。つまり、後ろに何も続かない時には「-i」というようなものをくっつける、ということです。
これに対して、ame,sameの話は複合語の後ろに来る場合の話です。A雨Bというような複合語があれば、「A-sama-B」というようなものを考えねばならないのでしょうが、とりあえず「A-sama-i」、としておけば、両説を併存することが出来ます。
「ame」が露出形、「ama」が被覆形と呼ばれます。後ろがむき出しになっているか、別の語によって覆われているか、ということによる命名です。先日、書こうと思ったのですが、それに準えて、「same」を被覆形、「ame」が露出形、と呼ぶことも出来るわけです。こちらは、語の頭がむき出しか否か、という観点ですが。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 13:19:33)
どうも、中途半端な書き方で済みません。
「sama」という形はないけれども、「-same」を「-sama-i」と考えることでよいだろう、ということでした。
S挿入説の場合には、「-s-ama-i」となるわけです。
OG3 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 19日 水曜日 10:59:55)
「本来形」とは,複合語の問題とは無関係にその語自体の元々の形だと思っていたのですが,素人の速断であったようですね.
上のご説明からは,same は s + ame → same という流れで見るほうが自然に思えてきました.