2002年02月08日

よい「文章読本」/悪い「文章読本」(リョウ)

文章の書き方の本が多数出ていますが、参考になった書籍(「これはトンデモ本だった」も含めて)があったら書名を教えてください。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 10日 日曜日 0:28:12)

「『いい文章を書くためには、副詞を使わないで書け』と、井上ひさしさんが新潮文庫の新刊で言っていますよ」
「えっ、そうなんですか。井上氏にしては、ずいぶん妙なことを言うなあ。副詞を使うことをきっぱりやめてしまっては、文章がいっこうにくわしくならないんじゃありませんか?」
「その、『ずいぶん』とか『きっぱり』とか『いっこうに』ということばを、うるさいと感じる人が多いんでしょう」

知人にそう解説され、不得要領のまま、井上ひさしほか・文学の蔵編『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)を読んでみました。

事実は逆でした。むしろ、「日本語は擬音語、擬態語が豊富」(すなわち、情態副詞が豊富)なので「みなさんにうまく使っていただきたい」(p.116)、「文章が複雑になって長くなるときは、必ず先触れの副詞〔呼応の副詞〕を使うこと」(p.121)とあり、副詞を使うことが奨励されています。

反対に、接続詞ならびに接続助詞の使用はいましめられています。「文章に接着剤を使い過ぎるな」という表現が用いられています。なんとなれば、「事情の説明抜き」に「『理屈をこねる』のに使われてしまう」、それゆえ、読んだ人がまごつく、よって、接続詞は使わない方がいいということらしいです(p.142、また、p.25も)。

知人は、肝心かなめのところを逆に理解していたようです。

ところが、接続詞について、井上氏は今年の元日の新聞に、次のような一文を寄せています。

最近のわたしたちは、考えるための最良の武器である、この接続詞をあまり使わなくなった。超高層ビルが二棟も自爆テロで崩れ落ちるという世の中だからムリもない。あんなおぞましい光景を目のあたりにすれば、感動詞を絶叫しながら呆然{ぼうぜん}としているしかないではないか。〔略。目下山積する課題について〕せめて小学生なみに接続詞を駆使して、一つの大きな文脈にまとめることが、今年の優先順位第一の仕事である。
(「朝日新聞」2002.01.01 p.31)
『作文教室』での接続詞の説明とはくいちがっているようですが、井上氏が、けっして「接続詞は悪いことばだ」と思っているわけでないことは、これで確認されました。

さて、『作文教室』を読んで思ったことをまとめます。

 一、「日本語とはどういう言語か」について、音韻・アクセント・語彙・文法などの観点から、多くの紙幅(時間)を割いて説明がなされています。しかし、後半の添削実例から判断するに、これらの知識は作文を書く上で喫緊必須の知識ではないようです。

 一、それらとは別に、喫緊必須の正鵠を射たアドバイスも示されています。「適切な題名をつけよ」「達意を心がけよ」「考えのひとまとまりをひとつの段落とせよ」「いきなり核心から入れ」等々。しかし、後半の作文実例をみると、かならずしもそれらのアドバイスが生かされていないものも多い。

 たしかに、「達意」はむずかしい。また、文章の論理に沿って「段落」をまとめるのも容易ならぬ作業だろう。でも、本格的な作文教室ならば、それらの欠点を逐一指摘して、改善案を示すべきところ。

 本書の作文の書き手は、多くが人生の試練を経た年輩者で、その文章は技術の巧拙を超えた輝きのあるものばかり。したがって、井上氏の朱筆がかなり手加減されたものとなっているのはやむをえない。結果として、本書の読者にとって参考となる添削例の数が少なくなっているのではないか。

――といったところです。

(新刊)日本語本レビュー


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 7:01:06)

「(新刊)日本語本レビュー」みたいですが、斎藤美奈子「文章読本さん江」(筑摩書房・2002、2、5)で、各「文章読本」をナナメ読みしています。まだ全部読んでは、いないのですが。


posted by 岡島昭浩 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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