2001年04月04日

「すら」と「さえ」(道浦俊彦)

昨日の大リーグでメッツの新庄選手が初打席初ヒットを放ったというニュースで、

「イチローですら、なしえなかった”初打席初ヒット”を、新庄が達成」

という文章があり、私は「おやっ?」と引っかかったのです。
「すら」は「Aすら〜」という使い方をしたときには、Aは最低限のものを当てはめて、「あの出来の悪いAですらできるのに、おまえはなぜ出来ないのだ」というふうな、どちらかというと、相手を非難する使い方をするのではないかなあと考えているからです。「Aすら出来るのに、なぜ出来ない」という形は、Aは出来る、おまえは出来ない、というパターンです。
しかしこの場合は、
「あのすばらしいAですらできなかったすごい事をやったんだよなあ」という、誉めるパターンで使われています。「Aは出来ないのに、おまえは出来た」です。

時制から言うと、これは「できた」という「過去形」に対して、私が考えている形は「できない」という「現在形」という違いもあります。

わたしならこの「イチローすら」のかわりに「イチローさえ」を使います。「さえ」はOKだと感じています。
「すら」はどちらの場合でも使えるものなんでしょうか?
辞書では、例文等から考えると、三省堂系は私と同じような考え、岩波系は、「イチローすら」を認める考えのようです。
ご意見お聞かせください。よろしくお願いします。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 1956年 9月 04日 火曜日 23:36:01)

↑の投稿の日付が、なんと45年も前になっていますが、別にタイムマシーンを使ったわけではありません。
正しくは、2001年4月5日です。ちゃんと出るかな?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 05日 木曜日 15:46:55)

 「蘇るサーバ」で書きましたが、サーバがハード的に限界のようで、設定しても、リスタートがかかると日付が戻ってしまうようです。

 サーバの切り替えを検討しているところです。

蘇るサーバ


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 09日 月曜日 16:24:48)

森田良行『基礎日本語2』(角川書店) p.173にこうあります。

……「さえ」が、極端なAを示すことによって、Aを含む全体を類推させる暗示意識であったのに対し、「すら」は“極端なAだから当然……だろう”という予想を打消すことによって、主体の特殊性を強調する意識である。「十円さえないのです」と言えば、“まして百円、千円のあろうはずがない”という含みを持った表現となり、「十円すらないのです」と言えば、“金が全くない”ということの強調となる。だから、「財布の中には」と言えば「すら」を使うほうが自然なわけである。
「たし算すらできない奴だから、何を教えたってむだだ」「ご飯どころか水すらのどを通らぬのだ」「先生ですらわからぬ問題」「オリンピック選手ですらかなわない相手」
ここでは、「先生」「オリンピック選手」は「最低限のもの」ではないので、森田氏の見解は道浦さんの感じ方と異なるようです。

私は、よく分かりません。漢文の「Aすら〜、ましていはんやBをや」という構文にあてはめれば、「十円すら尚ほ存せず、況していはんや百円、千円をや」となり、「すら」は十分使えそうです。日本の漢文訓読体の文章ではよく出てきます。しかし、これは古文であって、現代文ではまた違うのかもしれません。私の言語感覚では微妙な違いが分かりません。

では、私は「だに」「すら」「さえ」を使い分けていないかというと、下の表のように使い分けているようです。

以下、疑問例もすべて「○」とし、絶対不可能のみ「×」としましすと

  用法だにすらさえ
1

雨も強いのに、その上風__吹いてきた。累加

×

×



2

子どもに__できるやさしい仕事だ。肯定

×





3



じっと座っていること__つらいことでした。肯定(意味上は否定)











4

病気で水__のどを通らない。否定







5

あなた__いればほかには何もいらない。仮定

×

×



このようになります。「イチロー(で)すら……」は4にあたるでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 09日 月曜日 21:04:30)

Yeemarさん、ありがとうございます。古文の例で分かりました。
確かにイチローの例は、Yeemarさんのおっしゃる「4」のパターンで、私は
「Aですらできない・・・いわんやBはできるはずがないーーー」
というパターンを無意識のうちにイメージしていたようです。
だから、「イチローですらできなかった」と前段で来たら、後段は「いわんや新庄にはできるはずがなかった」と順接で否定の文章が来るはず、と思っていたようです。それなのに、前段は否定、後段は肯定(可能)なので、???と違和感を覚えたようです。
「4」の例文で言えば、「病気で水すらのどを通らない。(いわんや)ごはんはのどを通るはずがない」となるのです。
ただちょっと違うなあと感じたのは、この「水」は目的語(?)というか「モノ」であって、「イチロー」とはちょっと違います。「イチロー文」的にすると、
「病気で、水ですら、通れなかったのどを、ごはんが通る事ができた。」
ということになりましょうか。なんか違和感がありますね。
「Aですら」の「A」は「物」ではなく「人」「動物」など、意志を持ったものが来ている時と、「水」のような「物」が来てる場合では違うのではないかなあと思います。
しかし現代文では、大多数の人にとって「イチローですら〜新庄できた」はOKなんでしょうね。


posted by 岡島昭浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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