1997年03月08日

現代新聞(小説)における辞書未記載のことば(情報言語学研究室(ハギワラ))

現代新聞(分類:小説)における辞書未記載のことば

カイテイ【開剃】
 ○それならこの遠征を、自分たちの戦いとして戦うほうがよいと判断したのである。日本征討に積極的に協力したこと、モンゴルの服装をして、モンゴルふうに開剃(かいてい)(頭髪を剃(そ)ること)し、モンゴルの皇女を妻にし、まるで元の皇族の一員
になったような忠烈王にたいして、またしても、 ――民族の裏切り者  という声がきこえてくる。 
*この漢語について追跡調査を実施。現在一般に見られる国語・漢和辞典類からは見い出せないことばである。このことばの典拠を知りたいものだ。

 私の調査した辞書一覧
 国語辞典
  広辞苑・大辞林・学研国語大辞典。

 漢和辞典
  大漢和辞典・広漢和辞典・大漢語林・新大字典。

*陳舜臣の使用以前にこのことばの用例が他資料にあるのか?
*陳舜臣の独自のことばなのか?

そこで、追跡続行のことばに認定する。
ご教授を待つ。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 3月 09日 日曜日 15:50:00)

 閑古鳥の鳴く「ことば会議室」へようこそ。ありがとうございます。
 陳舜臣の朝日新聞連載小説ですね。
 まず陳舜臣と言うことは、まず中国語である可能性を考え、手元の小型辞典を引いたのですが出てきませんね。『漢語大詞典』でも引かなければ、と思います。
 次に歴史小説ですから、原典の表現に影響されている可能性(ひょっとするとモンゴル語に影響された漢語ではないかとか、もとは「開剃」というのが一語ではなくたまたま並んでいたのかもしれないとか)がありますので「忠烈王」について調べてみました。この人は高麗の人なのですね。『大漢和辞典』の20823-239(七巻826頁)に載っているのですが、ここにも「元の服を着させた」とありますから、文献として挙がっている『高麗史』『高麗史節要』にそのことが書いてあるのでしょう。あるいは頭のことについても記載が有るかもしれず、「開剃」という語があるのかもしれません。
 仮定ばかりですが、この「開剃」は朝鮮製漢語かもしれませんね。漢韓辞典とか「〜玉篇」の類を引いてみないとなんとも言えません。私自身、あまり手近には大きめの本がないので引けますかどうか。


mare@zinbun.kyuoto-u.ac.jp さんからのコメント
( Date: 1997年 3月 10日 月曜日 11:51:48)

齋藤です。書庫にもぐったついでに《高麗史》をめくってみました。

岡島さんのご推察通り、「開剃」の語は忠烈王のところに、「不開剃」や「非惡開剃」などと出てきます。陳舜臣はこれを使ったのでしょう。

《漢語大詞典》にはありませんでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 3月 10日 月曜日 14:44:37)

 齋藤さん、有難うございます。
 『高麗史』にまとまって出て来るのに、『漢語大詞典』にないというのは、やはり朝鮮の漢語なのでしょうか。
 『大字源』という名の1冊本の漢韓辞典(張三植著、集文館seoul、1972序、1984重版)を引いて見たのですが、載っていませんでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 3月 11日 火曜日 13:11:26)

 大阪外大の『朝鮮語大辞典』(角川書店)に載っていました。メモしてこなかったのですが、高麗時代、蒙古から入ってきた髪型のように書いてあったと思います。動詞(日本語の漢語サ変にあたるもの)でもあるようです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1997年 3月 11日 火曜日 20:08:15)

 手近にみられることばでないと思いこんでいましたが、ご議論に触発されて
手許の小学館『朝鮮語辞典』(1993) を見ますと出ていました。

>>ケチェ〔開剃〕[kεt∫he](名) ha他 《史》頭髪を辮髪〔べんぱつ〕
>> にすること.▼高麗末期に流行した.

 朝鮮語の辞書のことゆえ文字を正確に引用できていませんが。
 


posted by 岡島昭浩 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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