1997年04月01日

鬼神−「きしん」と「きじん」−(Yeemar)

>>そういえば「鬼神」という言葉をキシンとよめば良い神で、キジンと読めば悪い神である、と書いて
>>ある本があるそうだ。

 百科事典類では知らないのですが、宣長の「玉勝間」(岩波文庫・下)で読みました。8ページ以下
を引用しましょう。

>>さて又おにかみといふことは、もと漢文の鬼神〔キシン〕といふより出たることにて、その鬼神〔キ
>>シン〕は、二字ながら神の事にて、おにゝはあらざるを、古今集の序などに、おにかみといへるはか
>>の鬼神〔キシン〕を、やかて淤邇〔オニ〕と神との事にしていへり、又二つを一つにして、淤邇〔オ
>>ニ〕にもあらず、神にもあらで、たゞたけくおそろしき物を、おにかみといふことつね也、さて又
>>俗〔ヨ〕にきじんといふは、漢文の鬼神にもあらず、かのおにかみにもあらず、淤邇〔オニ〕といふ
>>とも、いさゝかこゝろばへかはれり、俗〔サトビ〕たる諺に、鬼〔オニ〕の女房には、きじんがなる
>>といふなどは、まさしく女鬼〔メオニ〕をきじんとはいへるがごとし、世ノ中の人の言葉は、あやし
>>き物にて、かくさま゛/\に、とほくうつりゆくわざなりけり、

だそうです(引用文、一校了)。この条は、「鬼」と「オニ」は違うということを述べたものです。

 ハズしていたらすみません。

目についたことば(「ドラえもん・神」)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 4月 02日 水曜日 23:23:53)

 宣長がそういっていましたか。全く知りませんでした。教えて頂き有難うございました。
 なお、『岩波古語辞典』では「きしん」「きじん」を別項目にしていました。佐竹昭広氏のお考えでしょうか。たしか思想大系の『本居宣長』『玉勝間』収録)の担当でしたよね。
 私のみた日本語随筆本は分りません。福本和夫『私の辞書論』(河出書房新社1977.9.24)ではなかったかと思って、見てみたのですが、違うようです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 08日 木曜日 21:11:49)

 正田章次郎『謳方研究/謡曲問答』(大正2)に、

鬼神の唱ヘやうに。清濁二つあるは如何。
正しき神明の時には。清音を使ひ。悪魔の如き神には。濁音を用ゆるなり。
 橋弁慶 五條の天神へ(神明)
 熊坂  いかなる天魔鬼神なりとも(悪魔)

とありました。謡曲関係者の間でずっと言われ続けたのでしょう。正田梅香『謡と能の手ほどき』(昭和10)にも載ってます。なおこの本の校閲者になっている正田梅華というのは、さきほどの本の著者であるようです。

 なお、私の読んだ日本語随筆本はいまだ特定出来ません。


情報言語学研究室<萩原 義雄> さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 14日 水曜日 10:42:06)

鬼神ー「きしん」と「きじん」ー
 情報言語学研究室の萩原義雄です。

 しばらくご無沙汰しておりました。旅にパソコンを持ち歩き、旅先からも発信できるパソコン環境と技術がまだまだ未熟な私、そのため、「ありがとう」のメールも含め何も発信できずじまいの数ヶ月でした。

 ふたたび、参加復帰させていたきたいと思います。

 「Yeemar」さんがお読みになった『玉勝間』をみると、江戸時代の国学者本居宣長さんは、この「鬼神」の二通りの読み方について、「ことばの知識人」として深い関心をもっていたのですネ。

 私も氣になっていたことを含め、次に述べます。

 西来寺藏『仮名書き法華経』に「鬼神」八例、うち二例に読み仮名があっていずれも「きしん」と清音で表記されています。妙一本でも「きしん」三例、「くゐしん」五例計八例で同じく清音なのです。

 これをうけて、鈴鹿本『今昔物語集』で「鬼神」を検索すると、一七例あり、原本(五月二五日影印本発売予定)には読み仮名が未記載なのですが、これを校訂した岩波大系本では、鈴鹿本該当箇所の巻における「鬼神」の読みは「きじん」一四例、無表記三例となっていて、すべて濁音読みです。
 「きしん」と読むべき内容のところの頭注四273六六には「人の目に見えず、超人間の自由自在の力をもつもの。普通は乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩=羅伽等をさす。」としています。

 『栄花物語』一五<大系上四四三I>にも見えます。「十億恒河沙の鬼神まもるものなり」。これを索引でも「くゐじん」としているのです。

 ここで角川古語大辞典は眼を開いてくれます。この「鬼神」を両様別項目とし、「きしん」では、「鬼」は死者の霊魂、「神」は天地の神霊の意。超人間的な力を持つ、目に見えぬ神霊。天地万物の霊魂。「きじん」とは本来別であり、『日ポ』(日葡辞書)では「Qixin おに、かみ<悪魔と神と>」「Qijin おに、かみ<悪魔>」と区別し、謡曲でも両者を発音し分けているが、近世には混同されて、ともに「きじん」ということが多くなった。(以下省略)岡島さんの指摘は此のあたりに関連してますネ。

 さらに「きじん」の方は、「ジン」は呉音。@仏語。超人間的な威力・能力を持つ神。仏法を守護する善鬼神と、それを妨害する悪鬼神とがある。A恐ろしい力を持つ鬼〔おに〕。変化〔へんげ〕。悪鬼。B「きしん(鬼神)」に同じ。とあります。
 
 実に詳細に識別区分されていて用例も引かれ、「きしんは邪なし」である『今昔物語集』巻第二七・31の大系四520N「実の鬼神と云ふ者は道理を知て不曲ねばこそ怖しけれ。」をこの諺の最も古い用例として取り上げています。納得できます。

 死者でも自分に縁の深い霊魂は「きしん」なのです。縁の薄い祟りをもたらすものこれが「きじん」なのでしょう。室町時代の『玉塵抄』に「なを妄執の瞋恚とて鬼神魂魄の境界に帰り、我と此身をくるしめて」は「きじん」なのです。

 ですから、日本国語大辞典の上記ことわざの「きじんに横道=邪なし」の記述はおかしいのです。ついでに、「鬼神簿」は「きしんぼ」と正しく記載されています。

 日本人の誰もが母国語を正しく理解しょうと思って繙く指針となる辞書をめざすのであれば、これは訂正されるべきものではないしょうか?

貴重な発言心から感謝申し上げます。

hagi


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 15日 木曜日 11:22:40)

 萩原さん。詳しい書き込みを有難うございます。
 なにせ話題の始まりがドラえもんですから、私も全然調べていなかったのですが、諸辞書でもとりあげているものだったのですね。
 謡曲関連でも、古い本にもありそうですね。

 そういえば、ダイマジンを「大魔人」と書いてあるのを、また見ました。たしかweb上かどこかのMLだったと思います。単なる誤変換かもしれませんが。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 15日 木曜日 11:32:59)

 今gooで検索したら、大魔人・大魔神ともに200以上も出て来ました。
 大映の映画は、勿論「大魔神」です。

日本映画の感想文


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 02:01:41)

ヘボン『和英語林集成』三版(講談社学術文庫版)においても、「きしん」と「きじん」とは別項目になっています。

KIJIN キジン 鬼神 (oni gami) n. An evil spirit, devil, imp, fiend, demon: oni no nyōbō ni wa kijin ga naru.

KISHIN キシン 鬼神 n. Gods, divinities; spirits or manes of the dead: ― ron.
英語の部分をテキトーに訳しておきましょう。
キジン……邪悪な霊魂,悪魔,小悪魔,悪霊,魔神。

キシン……神々,神々; 死者の霊魂・精霊。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 03:30:22)

ブリンクリー・南条文雄・岩崎行親・箕作佳吉・松村任三編『和英大辞典』(三省堂書店、明治29年)も「きじん」と「きしん」は別項目でした。
ただし、「きしん」の用例では、

  Kishin wo kanzeshimu, 鬼神ヲ感ゼシム, to move deities to
admiration; to cause demons to sympathize with.

となっています。

  


posted by 岡島昭浩 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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