1997年04月10日

俗雅辞典

石井氏が触れていない俗雅辞典が出て来ましたので、紹介します。

『口語文語/対照辭典』
 序
国語には口語文語の二体がある。読書作文の実際に臨んで、口語を文語にうつし、文語を口語に訳すことは、多くの人の最も苦心する所で、思想発表の巧拙が、この文語口語の対照如何によって著しき相違を見るのである。本書の著者古川氏は多年中学校に於ける作文教授に従事した経験から、生徒が特にこの点に苦心することに省みて、此の書を作ったといふ。学生の為に至極恰好の手引草となるのみで無く、一般の読書し、作文する人の為にも、多大の便益を与へるであらうと思ふ。
  八月廿七日
  芳賀矢一しるす

 はしがき
本書は、余が多年中学校に於いて、読書作文の教授に用ひし材料と、平生読書の際に、必要と認めて鈔録したる語句とについて、取捨選択を加へ、以て一小冊子とし、聊か初学者参考の一助たらしめんとするものなり。
されば、固より必要なるものにして漏れたるもあるべく、不必要にして尚加はりたるものもあるべし。或は対照の妥当ならざるもの、或は植字の正確ならざるものも亦無しと云ふ可からず。是等は、版を重ぬるに従ひて訂正せんとす。世の識者、幸に是正の労を吝むなくんば、啻に著者の喜びのみならず、亦以て世を益する所あらむか。
 著者識す

 凡例
一 本書は、先づ口語を以て五十音順に排列し、次に普通文、書簡文及漢文を駢記して、相互対照を便にせり。
一 語句の頭に冠したる(普)(書)[漢]は、普通・書簡・漢文の略符なり。
一 漢文の字句を知りて、之に対する口語・普通文等を知らんとする者の為めに別に漢字の索引を附せり。
  さて、其の漢字は、康煕字典の順序に従ひ、偏旁冠脚によりて類別せり。
  字頭の數字は、其の文字の偏旁冠脚に對する、其の字の画数を表す。例へば、優の字は、人偏に十五画なることを示すが如し。字頭の○は、漢字の代り目に附して、異同を識別し易からしむ。
  漢字の下の数字及上・中・下は、本文の頁数と段とをあらはせり。

大正元年九月二十五日印刷
大正元年九月二十八日発行
編者 古川喜九郎
発行所 博報堂

p1-192
漢字索引p1-p99


これは、現代語から古語を引くというよりも、口語から文語を引く辞典です。でも面白い。これもいずれ画像化します。

もう1冊ありますが、これは序文を打ち込んで又。

「たしかめる」


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 4月 11日 金曜日 13:22:58)

俗雅辞典、追加です。
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『雅俗對譯/國語辭林』
  緒言
雅言とは何ぞ。俗言とは何ぞ。此の二者の間には判然たる區別あるが如くにして、決して然らず。従來の國學者が雅言俗言と稱せしは、予に於ては何の謂なるかを解しがたく、殆んど無意味なるが如き感なくんばあらず。念ふに、今日、雅言と稱するものは古代の俗言にあらずや。然らば、今日の俗言といふもの亦將來の雅言たらじともいひがたし。况んや、太古以來今日に至るまで、その語形意義の變ぜずして、文語にもロ語にも用ゐらるゝもの數多これあるや。然るに、此の間に儼然たる區劃を立てんとするが如きは、固より誤れるのみならず、古代の死語を以て雅とし、今日の活語を以て俗とするが如きは、最もいはれなき謬見といはざるべからす。
是を以て、本書に雅言といひ、俗言といふは、敢て從來の國學者のいふが如き意義に使用せるにあらず。要するに、雅言とは、今日にありては一般に用ゐられずして多くは、古文、又は、古文を摸したる文に用ゐらるヽものを指し、俗言とは、昔日にありてはあまり用ゐられずして、主として、今日普通に用ゐらるゝものを指すと知るべし。名稱は、唯通俗の稱呼に從ひたるのみ。
本書中の假字遣法は、雅言は一々古來の慣例に準據したれども、漢字又は俗言に至りては、概して發音に從ひたり。されど、彼此一定せざるものあり。例へばジヂ、ズヅ、オヲ等を混じたる,イウとユーと、ソウとソーとの一様ならざるが如きこれなり。こは、材料を一人にして採集せしにあらずして、數人の手によりてせしと。初め記述の方針を約せしにも關せず、不知不識の間に、從來の慣用法に束縛せられ、又は、偶然彼此を混合せるとによる。看者幸にこれを諒せよ。
本書を編纂する上に於て、編者の抱懐せる意見は一二に止らすといへども、今此にこれを詳述する餘裕を有せず。且つ、本書中の材料につきても、編者の意に満たざるもの少からず。こは、他日再版の期を待ちて訂正増補を加へ、以て漸次完成の域に達せしめんとす。
 明治三十九年四月下旬
                       編着しるす。

(上編 雅言俗訳)p1-96
(下編 俗言雅訳)p97-p175

明治三十九年五月五日印刷
明治三十九年五月十日発行
編纂者 宮脇郁
発行所 參文舎(東京)・積文社(大阪)
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この俗言雅訳は漢字が少ないので、OCRでもそこそこ読んでくれるのではないかと思いますので、いずれ試してみたいと思います。

 それから、石井氏も紹介している佐々木弘綱・信綱の『詠歌辞典』もありますが、これは信綱氏の著作権が残っていますので掲げられません。なお、この『詠歌辞典』は、今月の尚学堂の古書目録に載っていました。私はその目録を見た時点では、自分が持っているのが『詠歌辞典』なのか、それとも雅俗びきのみで俗雅びきの無いという『詠歌自在』なのかが分りませんでしたので、注文してしまいました。売切れててくれたほうが嬉しいようにも思います。

 『俗語辞海』は古書目録で注文して二度ほどはずれたという書です。改題本であるという『俗語大辞典』(大正六年三月二十八日発行、集文館)は持っています。著者が堀籠美善の一人になっているものです。
 序文が芳賀矢一で福井県人なので載せておきます。山田忠雄氏の大著によれば、この序文は『俗語辞海』の序文から、堀籠氏以外の二人の名を削ったものとのことです。

 序
方言は區々であって、教育上からも標準とすべき口語はまだ定まって居らぬ。いはゆる口語は演説筆記にも、學術上の著書にも、小説にも、段々用ゐられて來たが、その外にどうしても文語といふものゝ勢力はまだ中々盛なものである。文語の文體にもそれ%\の時代を代表したもの、和漢洋の語脉を加味したもの等があって一定して居らぬ。隨って文法といふものも、色々の時代にわたって學ばなければならぬ。ところへ新しい西洋文明が輸入されて少しまご/\すれば、直ちに時代後れになる。さうかといって古い東洋の事も知らずには居られぬ。智識の上にも新舊の兩方が入用である。こんな樣な時代の有樣を考へて見ると、今の世の中に字書や百科辭典が澤山に刊行されることは少しも不思議ではない。字書の發行は西洋諸國でも中々盛であるが、我國の今日としては尤も至極な次第であるとおもふ。簡便な有益な辭書の出ることは慥に一つの國民教育になるといふことは余の元來の持論である。今度堀籠君の俗語大辭典の出るといふことも、やはり時世の要求に應じたものに相違ない。余は十分に其内容を見たわけでは無いが、同君が極めて著實な熱心な人であることを知って居るから、其著書も同じく信憑すべきものであらうと思ふ。よって國民教育の爲に亦一つの新しい機械を具へ得たのを喜ぶのである。
  芳賀矢一しるす

凡例は略します。これも山田氏によれば、協力者の名を削ってあるそうです。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 4月 15日 火曜日 14:49:23)

 やはり、『詠歌辞典』あたってしまいました。版が違うのがせめてもの救い。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 15日 木曜日 11:35:53)

 古書店で、佐々木信綱の『歌の栞』という本を見たところ、雅俗・俗雅辞典が載っていた。『詠歌辞典』と比較したいところだが、買わずに来てしまった。やはり先日『詠歌辞典』を二重買いしたのが悔やまれます。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 02日 月曜日 14:40:08)

 『俗語辞海』が入手出来ました。明治四十二年三月二十五日の再版本です。
 芳賀矢一の序文です。


方言は區々であって、教育上からも標準とすべき口語はまだ定まって居らぬ。いはゆる口語は演説筆記にも、學術上の著書にも、小説にも、段々用ゐられて來たが、その外にどうしても文語といふものゝ勢力はまだ中々盛なものである。文語の文體にもそれ%\の時代を代表したもの、和漢洋の語脉を加味したもの等があって一定して居らぬ。隨って文法といふものも、色々の時代にわたって學ばなければならぬ。ところへ新しい西洋文明が輸入されて少しまご/\すれば、直ちに時代後れになる。さうかといって古い東洋の事も知らずには居られぬ。智識の上にも新舊の兩方が入用である。こんな樣な時代の有樣を考へて見ると、今の世の中に字書や百科辭典が澤山に刊行されることは少しも不思議ではない。字書の發行は西洋諸國でも中々盛であるが、我國の今日としては尤も至極な次第であるとおもふ。簡便な有益な辭書の出ることは慥に一つの國民教育になるといふことは余の元來の持論である。今度松平、山崎堀籠、三君の俗語辭海の出るといふことも、やはり時世の要求に應じたものに相違ない。余は十分に其内容を見たわけでは無いが、三君が極めて著實な熱心な人であることを知って居るから、其著書も同じく信憑すべきものであらうと思ふ。よって國民教育の爲に亦一つの新しい機械を具へ得たのを喜ぶのである。
 明治四十二年二月
 文学博士
芳賀矢一しるす
改題本と違うところを強調しました。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 7月 03日 木曜日 15:20:39)

 『雅俗對譯/國語辭林』、テキスト化を断念して、画像としました。

雅俗対訳/国語辞林


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 12月 01日 月曜日 14:39:27)

 5月15日に書いた、『歌の栞』をその後入手したのですが、書き忘れていました。
 その時にみた書店ではありません。また、尚学堂の目録に載っていたものでもありません。

博文社
明治25.4.2出版
明治26.7.24三版発行

 「歌のしをり中篇」の「歌詞便覧」、その上が佐々木弘綱・信綱輯「雅語俗訳」(p1-66)、下が佐々木信綱編「俗語雅訳」(p1-186)。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 5月 27日 木曜日 18:58:05)

 水庭進編『現代俳句/古語逆引き辞典』博友社1992.11.20
というのがありました。「逆引き」というのは、「古語が引ける」という意味で、これは俗雅辞典です。用例は現代の俳句です。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 1999年 5月 27日 木曜日 19:39:34)

箱の裏側には「『現代語で引ける』 ユニーク古語辞典初登場!」とあるのですが、
誇大広告気味でしょうか。類語が多数集まっているところがユニークなのかな。
用例・出典記載なし。

現代語から古語が引ける古語類語辞典


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 5月 27日 木曜日 23:35:17)

この「俗雅辞典」のもとである、「たしかめる」へのリンクが切れておりましたので、改めてリンクしておきます。

たしかめる


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 24日 土曜日 20:37:29)

『雅俗対訳国語のしるべ』(小田清雄著、国文館、明治24年)を入手。
大阪の出版物です。
明治期国語辞書大系に入れそびれていました。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 25日 日曜日 10:22:05)

『明治期国語辞書大系』は、「全巻完結!」してしまったのですね。全部で26巻+別巻、774550円。個人では別巻は買うとして、あとはどうしようかと思います。

『雅俗対訳国語のしるべ』は、NDL-OPACで見ると、マイクロフィルムと書いてありますから、近代デジタルライブラリが増補されて言語の部が入れられればそこで見られるようになることでしょう。しかし、近代デジタルライブラリでは辞書を引くような作業はやりにくそうです。

私のサイトの画像のリンクがうまくたどれませんが、下のリンクにある、pdfがそれらです。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/gazoku/


posted by 岡島昭浩 at 18:41| Comment(1) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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現代語から昔の言い方を知る
Excerpt: 小二田さんのコニタスというblogで「現代語から古語を引く辞書」*というのがありました。 「たしかめる」*、「俗雅辞典」*の話です。
Weblog: ことば会議室
Tracked: 2005-12-27 01:49