と言う意味の「ほんの?」からきているのでしょうか?
朝日新聞の記事を見てフトそう思いましたが、私には確かめる手だてがありま
せん。「ほのぼの」も関連がありそう。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 20日 火曜日 12:29:37)
大宮さん、いらっしゃいませ。
私はその朝日新聞の記事を見ておりませんし(ご面倒でなければ何時の記事であるのかをお教え願えませんか)、アイヌ語にも詳しくないのですが、多分 pon という語がご指摘のものだと思います。「少し」と連用的に用いるときに ponno となるようですね。
日本語の中にアイヌ語起源のものがあると言うこと、これは時折言われることのようですが、その指摘の多くは問題点が多いようです。
総論的なことは、以下にリンクしましたページをお読みください。言語学者の中川裕さんが書いたものです。
中川氏も書いていらっしゃいますが、梅原猛氏のアイヌ語・日本語同系説は強引なところがあるようです。私も氏の著作をちゃんと読まずに非難するのはいけないのですが、テレビかラジオで、日本語の「オソマツ」はアイヌ語の大便の意味のosomaから来ているのだ、と言っていました。これなどは、日本語を歴史的に見ることをせずに、現代語鑿をみて直接比較する、という悪い例の代表だと思います。
まず、「オソマツ」という形には「オ」の付かない「ソマツ」という形のある事を無視しています。歴史的に見て、実はソマツという語はオソマツという形を誤解することによって出来た語である、ということを証明しなければ、オソマツとosomaを関連付けることは不可能です。現に室町時代の資料にオの付かないソマツの形が見られるのです。
そのソマツには普通漢字が当てられます。「粗末」あるいは「麁抹」という語は中国では見当たらないようなので、中国起源とは言えないのですが、日本人が漢字を組み合わせて日本製漢語を作り上げることは、あることです。
こういう悪い例を、自説のエッセンスとして話すのですから、あとは知れたものだ、という気がいたします。
勿論、梅原氏だけが、アイヌ語と日本語の関係を説いているのではないわけですが、ことばの歴史を扱う人間を納得させる論が出ていないことは確かだと思います。
個別的な語としては、例えばコンブなどは、アイヌ語起源であることが一般的に認められ、中国の辞書でも「昆布」を「蝦夷」起源としています。
さて、お尋ねの「ほのか」「ほのぼの」「ほんのり」ですが、これら3つの語が同語源であることは間違いないのですが、これをアイヌ語と関連づけるのは難しいと思います。
「ほんの」に関してては、語源を「本の」と考えるのが普通ですが、おっしゃるように「ほのか」などと関連づけることも出来るかもしれません。語源としては「本の」であっても、使い方として「ほんの小さな」という使い方に限られているのに、「ほのか」のような語があずかっている可能性があるからです。
いずれにしましても、アイヌ語と関連づけるのは困難かと存じます。
折角お越しいただいたのに、否定的な答えでなんですが、またお出でください。
→ アイヌ語と日本語は関係があるのだろうか(アイヌ民族博物館)
大宮海鈴 さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 01日 日曜日 1:17:52)
言葉の語源を特定することの難しさがよくわかりましたが、「ほんの」の語源
が「本の」であるならば「本の」の意味は何ですか?字面から考えると「本当
の」でしょうか、もしそうだとすると「ほのか」「ほんのり」「ほのぼの」な
どの説明がつきません。「ほんの」=「少し」だとうまく説明がつくのですが
それに 「本の」はいかにも当て字っぽいですよね。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 10月 24日 金曜日 18:56:39)
私が考えた可能性は、「ほんの」と「ほの……」は元々別のことばであったのだが、「ほの……」に影響されることもあって、「ほんの」の意味が限定されていったのかもしれない、ということです。
「本」から「ほの……」の意味を説明しようとするつもりはありません。