1997年06月03日

新聞の言葉遣いその他(早川武男(小新聞社勤務))

 初めまして。私、とある業界紙で、整理部員として校正・校閲、レイアウトを担当している者です(ライバルがいるので、具体的な名前は勘弁してください)。
 こちらにうかがうのはこれが初めてです。実はみなさんに、意見をうかがいたくてここに書かせていただきました。
 うちの会社は小さい新聞社ですが、いろいろな部署があり、支社も全国にあります。それなりのクオリティーを保ち、きちんとした紙面を作ろうと思っています。
 悩みは言葉遣いです。「記事表記」といって、どこの新聞社でもマニュアルを作り、用語や漢字の使い方、送り仮名等を統一し、読みやすさを追求しています。
 うちは朝日新聞が市販しているマニュアルを基本に、独自の業界用語を加えたものを使っています。たとえば、「人々」は「人びと」に、「我々」は「われわれ」に直しています。三千メートルでなく三、〇〇〇メートル、三、〇〇〇人でなく三千人です(縦書きの新聞です)。
 業界紙というのは特殊なところがあり、例えば地方支社だけが1ページを担当するとか、営業担当の人が業界の団体や会社からお金をもらってページを作ることがあり、必ずしも編集部だけで紙面を作っているわけではないのです。
 ここで言葉遣いの問題が生まれます。地方の人は、「このあたりの業界の者は、これでわかるんだ。この方がとおりがいいんだよ」「うちの担当のページはこれで行く。このページはいつもこの使い方ってことで、通していけばいいじゃない」と言い、営業の人も「これはいわば広告。普通の記事みたいに難しい漢字に読み仮名を付けたりするのは逆にかっこわるいよ」と主張します。
 編集面の責任者のデスクや整理部の人間は、そのつど直したり直さなかったりしながら、毎日チェックに追われています。
 普通、小説でも何でも言葉遣いは統一されています。そもそもこれはなぜなのでしょう。同じ作家でも、同じ短編集の中で送り仮名が違う、なんてことはありませんよね。いつも「行う」と書く人は「行なう」と書いたりしないですね(そんな実験小説も可能性としてはありますが)。新聞や雑誌や本も、いつも同じ言葉遣いをしています。この「言葉遣いを統一する」場合、それぞれの人たちは、どういう行動原理で動いているのでしょうか。なぜ統一が必要だと思っているのでしょう。
 私は必要だと思っています。しかしその理由は単に読みやすいからというものです。しかし、記者の人たちの中には、さきの三、〇〇〇メートルも、場合によっては読みにくいので三千人にすると言います。彼らに対して、私はどう説明すればいいのでしょうか。
 知りたいのは

人間はどんなとき、読みやすいと感じているのか。
統一されている言葉遣いは読みやすいのかどうか。
メディアはなぜ言葉遣いを統一するのか。

です。
 私が感じる心地よさの理由を知り、人に説明できるようになりたい。この文書をここに出させていただいたきっかけは、確かに仕事のうえでのものですが、これは文字を読む私自身に対する疑問でもあるのです。 よろしければ答えを、または参考になる情報のありかをお教えください。本でもホームページでも論文でも、何でもかまいません。
 よろしくお願いします。


佐藤貴裕 さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 03日 火曜日 16:56:16)

 ちょっと手が空いたので、発言します。
 去年、大学用の教科書で「文字・表記」なんて柄にもなく引き受けてしまい、公刊までされているのでその一節を示し、御笑覧に供します。明治以降における近代国家形成とのかねあいなどは、多分、岡島さんがきっちりおさえてくれるでしょうから(^^;、一意見として御参照いただけれは幸いです。


日本語の表記
 日本語の表記には、漢字・平仮名・片仮名・ローマ字・算用数字やそのほかの記号が用いられる。漢字と平仮名がもっとも普通に用いられ、活用語の語幹やその他の自立語を漢字書きし、助詞・助動詞・活用語尾などを平仮名書きする。また、外来語・動植物名などは片仮名書き、外国語や外国語の略称などはローマ字書きされるが、これらはほとんどが名詞・形容動詞語幹である。さらに助詞の「は・へ・を」が表語文字のように記される。このような文字の使い分けのために、日本語は、おおむね文節の切れ目を示しながら表記できる。これは、文の構造を把握する助けになるだけでなく、アクセント単位とも一致するので音読にも便利な表記といえよう。
 日本語の表記体系は、世界的にみても例が少ないほどに、複数の系統の文字を駆使する。それらを過不足なく使用して、ある程度の学習課程を終えたものなら、誰にでも読み書きできるようにする必要がある。日本語使用者全員が、ある程度の共通理解をもちやすいよう、政府機関などが基準をしめすのも止むを得ない面がある。(佐藤武義編『展望 現代の日本語』白帝社)

 また、比較的手に入りやすいものでは、

金田一・林・柴田編『日本語百科大事典』(大修館書店、縮刷版、9270円)
『講座日本語と日本語教育』8日本語の文字・表記(上)
『講座日本語と日本語教育』9日本語の文字・表記(下)
(明治書院、各2800円)

などが参考になるかもしれません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 06日 金曜日 8:52:28)

 早川さん、ようこそ。コメントが遅れて申し訳ありません。
 これはなかなか難しい問題ですね。「言葉遣い」と書いていらっしゃいますが、具
体的に挙げてあるのが、表記の仕方、文字遣いですので、それに絞ってコメントさせ
て頂きます。

:人間はどんなとき、読みやすいと感じているのか。
 これは大きな問題です。そもそも文字は音声言語を書き取るために現れたものだと思われます。ですから、書かれた文字から容易に音声言語の形に復元することが可能なものが「よみやすい」と解されます。こうしたことから急進的に〈表音文字こそよみやすい文字だ〉という意見が出されることがありますが、必ずしもそうとばかりは言えないようです。佐藤さんも書いて下さったように、現代の漢字仮名混じり表記は、仮名だけを書いて行く(たとえ分かち書きしてあっても)のに比べて読み易い、と感じる人がほとんどでしょう。いまここで「読み易い」と言ったのは、単に音声化するのではなく、意味を伴って音声言語に復元する、という意味に於いてです。
 このあたりは、『岩波講座日本語8文字』の河野六郎「文字の本質」をご覧になっていただければ、と思います。「表語」ということばがポイントです。漢字仮名混じりの優れていることを言っていた本に、橋本萬太郎氏などの『世界の中の日本文字』というようなタイトルの本が有りました。
 ただ、問題なのは、日本語の表記に於いて、漢字があまりに定着し、あたかも漢字が語の一部であるかのような意識、例えば「作る」「造る」「創る」が別の語であると思ってしまうような誤解もあり、これは困ったことだと思っております。

:統一されている言葉遣いは読みやすいのかどうか。
については、統一されさえすれば読み易いわけではなく、読み易いように統一したい、読み誤るようなことが無いように統一したい、というのが本来ではないかと思います。いろいろと類推しなくても読めるようにしたい、というのが、現在までの国語政策のながれだと思います。
 しかし一方で、なるべく少ない記憶で「書けるように」、というのもあるわけで、表記を統一しようとすると、書く場合には、現状では「表内」か「表外」か、送り仮名はどうか、などということを意識せねばならず、このへんが「読み易さ」を求める表記の統一と矛盾してしまうわけです。

:メディアはなぜ言葉遣いを統一するのか。
 『朝日新聞用語の手引き』などではこのことには触れていないのですね。『岩波講座日本語3国語国字問題』の菅野謙「新聞用語・放送用語」あたりが参考になりましょうか。
 一部の知識人だけではなく、なるべく多くの人に読んでもらいたい、というのが、新聞各社が国語政策に従っている理由でありましょう。文芸雑誌などとは異なるところです。

 「近代国家形成とのかねあい」についてはご勘弁ください。とりあえずは国語国字問題を歴史的に見ている文献などをご覧頂ければ、と存じます。イ・ヨンスク『「国語」という思想』(岩波書店1996.12.18)も挙げておいた方がよいでしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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