1998年02月15日

三十年前の日記

 昨年に続いて、三十年前の日記を掲げます。

 二月十五日 木
 今日は、まちに まった
たん生日です。
 お母さんが 五時半に
おきて
「雪が ふっているよ。」
と いいました。ぼくは、
六じ半に おきました。
 たん生日に 雪が ふる
なんて たのしいなあ。
 お母さんの プレゼント
は、ちきゅうぎと マーキ
ングペンです。
 ほりの おばちゃんたち
のは、ケーキです。
 マーキングペンは、三し
ょくで 赤、黒、青です。
「みんな」にも あげました。
 朝テープで へやを か
ざりました。
 岡島昭浩と かいた か
みと おたんじょう日 お
めでとうと かいたかみを
とこのまに はりました。
 お父さんから はがきが
きました。おじいちゃんと
たつおくんから でんぽう
が きました。
 いろいろ たのしいこと
をしました。

父は出張でもしていたのか。
「マーキングペン」とはなんぞや。
なぜ「みんな」と鍵括弧を付けているのだろう。この鍵括弧は升一つを使っていないから、この行だけ文字数が多くなっています。

 そういえばこの会議室も一年ほど経過したことになります。

目についたことば(97.2.15)


satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 15日 日曜日 18:02:54)

> 二月十五日 木/ 今日は、まちに まった/たん生日です。

 おめでとうございます。

>「マーキングペン」とはなんぞや。

マジックインキ(登録商標?)の代用語でしょうかね。以下、参照。

浜松信用金庫
角筆について(なぜか角筆・・・・)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 18日 水曜日 14:04:37)

>おめでとうございます。
ありがとうございます。この年になると、「まちにまった」ではありませんが、やはり年を一つ無事に取れたことを喜びたいと存じます。

「マーキングペン」情報も、有難うございます。ラインマーカーはまだなかったよなあ、と首を傾げていたところでした。
マジックインキの一般名詞は「フェルトペン」であると聞いててもピンと来なかったのですが、浜松信用金庫の説明は有り難いところでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 12月 25日 金曜日 0:01:05)

 誕生日ではありませんが、30年前のこの時期はあまりちゃんと日記を付けていないみたいです。それでちょっと載せます。


 十二月二十五日 水
 今日 おかあさんが 手
のり文鳥を かって 来ま
した。一わが 千百円だか
ら 二わで 二千二百円だ。
一ぴきの名前は、ルルちゃ
んと 名ずけました。もう
一ぴきは、チチちゃんです。
とても かわいいです。
わらの あなから くびを
だしたりします。
(1998年註、「わら」の後に「かご」を挿入している)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 12月 27日 日曜日 23:31:07)


十二月二十七日 金
 今日とりかごの中に わ
らかごを いれました。
「へんなかんじ。」
といって いるみたいな
かおつきでした。
 いの丸に いって十円の
こまひもを かいました。
家に かえって まわして
みると よく まわりまし
た。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 15日 月曜日 10:26:37)

30年前、上記の12/27以降、2/14までは記載ありません。

二月十五日 土
 きょうは、うれしい ぼ
くのたん生日です。学校に
いくとき はやくかえりた
いな。と 思いました。か
えるとき 走ってかえりま
した。家に かえってから
足立君と すこしだけ あ
そびました。かえって や
くそくしていた もち上げ
るのをかいに いきました。
岩田やについて 五かいで
かいました。なまえは て
つせいアレーです。家に
かえってから 何回も も
ち上げました。
ねだんは、八百五十円です
二つ はいって いました。
三キロでした。
 そのまえに 地図の パ
ズルを 見つけました。こ
んど かってもらおうと
思います。

岩田屋は戸畑店。
「2つはいって」というのは、驚いたのである。買う前は1つでその値段だと思ったいたのが、二つで一セットと知ったのである。
「地図のパズル」は、日本地図が県別のピースになっているものである。確かに後に買ってもらい、日本地図を覚えるのに役立った。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 16日 火曜日 12:39:42)

  二月十六日 日
 きょうは、雨が ふりま
した。ずっと ふりつづき
ました。午ごになって や
みました。おとうさんと 
ピッチングの れんしゅう
を しました。ぼくが カ
ーブに なるのを そって
投げました。おとうさんが
「すこし カーブ したよ。」
と いいました。ぼくは、
うれしかった。
 だいたい二百球ぐらい
しました。そのうち 百球
は、ストライクに はいり
ました。そのうち どまん
中は、二、三十球 ぐらい
でした。
「そって」は「そっと」であろう。「カーブば投げてみるけんね」とは言えない性格である。
しかし、多分、態度かフォームに出ていたのであろう。親の誉めことばを真に受けて、我ながらおめでたいやつだと思う。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 16日 火曜日 12:45:06)

 戸畑岩田屋はもう存在していないようです。

岩田屋


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 18日 木曜日 14:03:03)

1969/2/17は記載なし。

  二月十八日 火
 きょう 二じゅうとびが
できるように なりました。
でも 一回です。ヒューと
おとが します。おかあさ
んに みせようと 思いま
した。
 あそびから かえってき
て アレーを 何回も も
ち上げました。バットもふ
りました。きょうの おか
ずに うすあげが ありま
した。

二重とび1回、うーむ、娘のほうが優っている。3回できたそうだ。でも娘は今8歳5ヶ月。三十年前の私よりも五ヶ月、長じている……、って、娘と張り合う私。しかし、この頃の私、殊勝にも体を鍛えている。感心感心。

「うすあげ」。油揚げは油揚げか「おあげ」であり「うすあげ」とは言わない、厚揚げはあるが……、とおっしゃる向きもあろうが、私にとっては、厚揚げが無標であった。

なお、この日以降、日記の記載無く、日記帳(こくご 12マス きょくとう ずかん がくしゅうちょう 30えん)が以下は白紙になっています。


半魚 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 21:22:00)

この30年前の日記のコーナーは、楽しいですね。

 しかし、なぜ分かち書きをしているのでしょうか。僕は習った
記憶が無いのですが。

 それと、以前テレビで、若いお笑い芸人が、「関西の子供は、
面白いという評価基準が定着しているから、うらやましい。おれ
はひょうきんな子供だったが、九州育ちなので、全然評価され
なかった。九州では、鉄アレイなんを持って体を鍛えるのが
ふつうで、強いという人間評価の基準が一番スタンダードだ」
というような事を言ってましたが、ほんとうなんですね。


小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 24日 水曜日 19:19:15)

42年前(昭和32(1957)年)、小学校2年生の時の絵日記が残っています。
少ないマス目を一杯に使うために、分かち書きはしていません。
ところで、「油揚げ」のことですが、ボクは「あぶらげ」(低低低高)
ないしは「あぶらあげ」(低低高低低)と発音していました。
自分自身としては「あぶらげ」が主流ですが、母親は「あぶらあげ」と
言っていたように思います。
「あぶらあげ」は、意識としては「あぶらーげ」と、一種外来語的な
感覚でした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 25日 木曜日 14:00:37)

 なぜ分かち書きか。なぜでしょう。教科書は分かち書きですからそれに習ったのかとも思いますが、親の指導によるものでもあると思います。

親が……(あんまり関係ありません)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 24日 水曜日 15:46:42)

昭和43年度通知表より。

身のまわりの整理が悪く学校での落し物忘れ物が多いのが気になります。

「行動および性格の記録」で「基本的な生活習慣」のところには3段階評価のC。「健康安全の保持、礼儀作法、整理整とん、ものをだいじにする、きまりを守ることなどができる」がCだからね。まいっちゃいます。

学習中やさしい問題はそっぽを向く。体育は最初からあきらめている感じが強い。

そんなぁ! アレイ買って鍛えてるじゃない! そっぽを向く? うーむ。気が散りやすいのは確かでしたが。あ、今でもか。

黒板の字がはっきり見えずに式をうつし間違える様です。

カセイ近視とか言われて、緑を見るようにしなさい、という指導を受けたのだけれども、北九州工業地帯を支える中小工場群のある戸畑区牧山地域には緑なんて無かったような気がします。「日本一空気の汚い小学校」とかで、空気清浄機が付けられたということが有ったような気もします。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 20日 火曜日 23:22:36)

アポロ11号という題で書いている。作文のような日記のような。

サターン五形(ママ)ロケットには、オルドリン、アームストロング、コリンズの三ひ行士がのっていました。ぼくは、はっしゃを小くらのカラーテレビで見ました。とてもきれいでした。
けむりは赤とみどりでした。
きょういってよかったなとおもいました。
ほうとうは、あしたいくつもりだった。と思いました。
21日9じ45分からテレビでみました。さいしょは、ぼやっとしていたけどあとは、はっきりしていました。21日午前五時十七分四十びょうに月に着陸しました。
きょう毎日小学生新聞にがらがらへびのところのしゃしんがのっていました。アームストロング船長が月面に第一歩をふみだしたのですごいなとおもいました。前には、毎日小学生新聞には、第一歩は、左足とかいてありました。
そのあと20分おくれてオルドリンが着陸船からおりてきました。
人間が月を歩くなんてすばらしいなあとおもいました。
しれいせんでまっているコリンズひこうしは、月着りくせんとドッキングさせました。ニュースでドッキングはせいこうしたといいました。ぼくはぜんぶせいこうすればいいなと思いました。

何日か掛けて書いたものらしい。テレビで見たのか、新聞で読んだのかよくわからない。「小倉のカラーテレビ」というのは父母の同郷の人で、親戚のように付き合っていた家でのこと。うちは戸畑区の牧山の宿舎から同じく中原の借家へ引っ越そうという時期。わたしの家ではカラーテレビは中原へ引っ越してから購入。「トランジスターよりも真空管がいい」と父。私はポンパ(ポンとつけるとパっと映る)が欲しかったのだけれど。「がらがらへび」は着陸地点の地形の呼び名であったかと。


岡島 さんからのコメント
( Date: 1999年 9月 15日 水曜日 1:47:16)

 たぶん、三十年前の今頃からめがねをかけ始めたのだと思います。でも記録が残っていません。


posted by 岡島昭浩 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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