1998年02月24日

国語学関連の洒落

 佐藤さんの「気になることば」を読んで思いだしたのですが、仮名遣について講義する時に言いたいと思いながらも、何年かに一度しか言えない駄洒落。

 「仮名より単語」

 学生に受けることはまずないだろうし、どんぴしゃりはまっていると言うわけでもない。どうしても説明が長くなるのだ。

 この手のネタ、ありませんか。


さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 25日 水曜日 10:32:27)

「後悔、あとさきたたず」

「信じるものは、足、すくわれる」

       … なんて、いかがでしょ?


satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 25日 水曜日 12:35:19)

「匙は、投げられた」

*状況説明はこの際、省略します。 ^^;;;;

*何かいいのを思い出したら、書き込みにきます。


言魔上人 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 25日 水曜日 16:40:20)

オオソレナガラ...
私のサイトにこんなコーナーありますが...
この程度でよろしかったらいくらでもお使いください。
御投稿もお待ち申し上げております。

言葉のよろずや


satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 25日 水曜日 18:50:17)

「サダイエっていうか、テーカッテーカ」・・・・・・

「というわけで一言でいえば、定家の下官集は、仮名遣いがあらい」

・・・・・・・出直してきます。


oda さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 26日 木曜日 14:13:12)

方言周圏論の話をしているときに、
  
  「僕は、柳田」

と言うと、何人かは笑ってくれます。
昔ある先生から聞いたしゃれ「てやんでい おいこの野郎 馬鹿野郎 顔を洗って 出直して来い」
...これが本当のタンカ。
むかし「愛飢え王」というのもありました。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 26日 木曜日 16:08:34)

 なるほど「僕は柳田」。文法を先に勉強していることが前提ですね。

 「指挙げて 車が止まれば 乗り込もう」、これはヒッチ俳句でしょうか。いや季語も切字もないぞ。川柳か。柳田る?

 私は柳田国男の話題の時には、柳田邦男と混乱しないでね、と付け加えます。そして、柳田国男はヤナギタと読まれることを望んだそうだけど、邦男はどうでしょうね、テレビなんかでヤナギダって名乗ってるか確かめようと思ってるんだけど、いつも聞き忘れる、などと話します。

 下のページは多分、混乱してるんじゃないかな?

柳田邦男(日本映画データベース)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 26日 木曜日 16:13:14)

 国語学関連じゃないけど、短大時代に国語科教育法で模擬授業をやらせていた時の私のことば。

 えっとね、さっき「この詩は3連からなる」、なんていってたけどね。そこのページの変わり目。ここでも連が変ってるんじゃないの? 

紙の切れ目が連の切れ目
ってこともあるわけよ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 26日 木曜日 20:43:00)


 面白くありませんが、一回性のだじゃれとしては

「翻刻者が誤記したのか、それとも底本の静嘉堂本のせいかどうか
分かりませんが」


 単なる漢字変換ミスとしては

「源平浄水機」
「日本語の助詞も高知市の一種で」
「当時の城東区であろう」
「前者の動詞については児童施設もあるが」
「本文ではすべて信じたいとする」
「語の意味は奇術師に悔いが」

 注・実例そのままではありません。


oda さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 05日 木曜日 13:07:41)

それでは、 さん さん ななびょーし!

  「キ・ヒ・ミ!  ケ・ヘ・メ!  コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロ!」

あ、これは洒落じゃないか。
洒落といえば、このメッセージ発端の佐藤さんの「気になることば」で知った、

  「枝分かれず」

以来この文字列が頭を離れず、まともに「枝分かれ図」と言い難くなりました。


satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 05日 木曜日 17:25:26)

> 「キ・ヒ・ミ!  ケ・ヘ・メ!  コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロ!」

うっ! 確かに三三七拍子。盲点でした。
そういえば、サ変動詞の活用をおぼえるのに、

  「せしめた汁粉すするとき」云々

というのをどこかで読んだ記憶があります。ちょっと余分な部分が多いなぁと思ったことでした。

  「枝分かれず」はこちらです。(^^;


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 06日 金曜日 0:43:41)

 なるほど、たしかに。「キケコソ、トノヒヘ、ミメモヨロ」よりも語呂がいいのは、三三七拍子だからだったのですね。

 宴会の終りなどにも、「キヒミ、ケヘメ、コソトノ」と手締めをしてもいいかもしれませんね。で「もいっちょ」の代わりに「モヨロ」と言う、というのはどうでしょう。

 「せしめた汁粉をすする時、こすれよ背中わすれずに」とかいう文句でしたかね。これで何を覚えるんでしたっけ。サ変? 昔、高校で非常勤をしてた時、「丸暗記すんなよ」といつも言ってたんですが、分かってもらえませんでした。そんなに丸暗記したいなら、例えば「ず」なら、「ずずぬね」と覚えてあとはラ変と組み合わせろ、と言っても「ずーざらずーざり」などという覚え方しかしてくれない。文法嫌いを減らすことの難しさを感じたことでした。

 「べくべから、べくべかりべし、べくべけれ」を上の句に据えた短歌もありましたね。これは暗記用ではなく真面目な短歌です。えーっと、妻の蔵書『NHK短歌入門 佐佐木幸綱 短歌に親しむ』に載っていた永井陽子と言う人の歌です。

 歌で思い出しましたが、「いろはうた」が75757575の今様形式だ、ということを示すために、歌ってみせたこともありました。一番インパクトが強いのはやはり「炭坑節」でしょう。

 いろはーにほへーと、ちりぬ〜るを〜、アヨイヨイ


oda さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 06日 金曜日 12:40:25)

>「いろはうた」が75757575の今様形式だ、ということを示すために、歌ってみせたこともありました。

文節を教えるのに、「君といつまでも」を歌うとか。
 (ふたりを〜、夕闇が〜・・・君の〜、ひとみは〜、星と〜、輝き〜)

岩波国語辞典[第4版、第5版]の「しゃれ」の項に、

   「へたなしゃれは やめなしゃれ」

わ! 新明解の富田と「とんだ」は有名だけど、岩波国語よ、おまえもか...。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 06日 金曜日 13:59:41)

 なるほど。「もーえーて」とそこで息を止めて、皆の顔を見回して後に、「いるー」と歌えば、「ている」と文節の問題点などを示すことが出来そうですね。私にはそこまでの芝居っけは無いですが。

 私が上に掲げた短歌の三句目は、もちろん「べきべけれ」の間違い。丸暗記しようたって駄目だ、ってことですね。

 「駄洒落を言うのはだれじゃ」というのは、駄洒落にもなっていないと思うのですが、よく言っている人が居ました。これ、どこかの国語辞典が載せないかな。ああ、そういえば、「駄洒落の辞典」みたいなのが欲しいと思うことがありました(もちろん用例つきで)。テレビのボキャテンなどで、「おいおいそれは古典だろう」というのがいくつもあり、時にそれが最優秀になったりすることが有ったりした時です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 07日 土曜日 1:07:05)

 古典的な洒落ということで、国語学からやや離れますが、
校正ミスの怖さを戒めた「校正おそるべし」という箴言の
出所がどこか、ということに悩んでいたことがあります。

 説はふたつ知っています。藤井紫影説と、福地桜痴説で
す。しかし、いずれも伝聞の形なので、はっきりしないの
です。

(1)
>>亡友藤井紫影がいったごとく「校正おそるべし」の名言
>>通りだ。
   (新村出「『広辞苑』その後」新村出全集9 p.206)
(2)
>>さいきん、校正者をお叱りになっている、こういう表題
>>の随筆を新聞、雑誌で二、三拝見したし、校正者を主人
>>公にしたテレビの題名も同じく『校正おそるべし』であっ
>>た。/ 福地桜痴が論語の「後生可畏、焉知来者之不如
>>今也」をもじって、校正者を戒めたこのことばも、それ
>>ほどポピュラーになってきたようである。私も借用する
>>ことにした。
           〔自序・昭和三十四年八月八日〕
             加藤康司「校正おそるべし」
             有紀書房,1965.10.01奥付改訂


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 07日 土曜日 14:24:06)

 大阪毎日新聞社校正部編『文字と闘ふ』(昭和一五)によりますと(p87-89)、福地源一郎『懷往事談、附新聞紙実歴』(明治三七)にあるそうです。

余は一日曽て校正の悪しきが腹立しき餘りに、「校正可畏。焉知〓[石朱]筆之不如墨也。四回五回而無訂焉。斯亦不足恃也已」と紙に大書して、校正擔当者が並べたる傍の壁に貼付け置きたれども、彼輩は一向平気なるものなりき。
福地のこの本はたしか改造文庫に入っていて持っていたと思うのですが……。

 また『文字と闘ふ』には、齋藤緑雨(出典未記)の、

校正恐るべしとは、弱法師の傍訓を大半はヨワに誤りし頃より、新聞界に傳はれる洒落なり。
というのも紹介しています(p47)。

 『文字と闘ふ』は『校正の研究』(昭和一一)の改訂版なのですが、巻末に諸家の『校正の研究』への評が載せられています。藤井紫影も書いていて、題名は「校正可畏」です。

 「駄洒落の多元的発生」ということもあるだろうと存じます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 07日 土曜日 17:40:27)

ありがとうございます。『文字と闘ふ』は知りませんでした。毎日
新聞社からは『字件ですよ! 校閲ウンチク話』というのが最近出
ていたと思いますが、戦前からこの種の本を出版していたのですね。

>>「駄洒落の多元的発生」ということもあるだろうと存じます。

「重いコンダーラ」のようなものでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 09日 月曜日 17:42:08)

 『校正の研究』を昭和11と書きましたが、昭和3.9.25の間違い。これだとp24-26あたり。

 改造文庫も出て来まして、その200頁あたりです。「新聞記者并に校正の事」という章です。ただ、この文庫によれば明治37ではなく、明治27とのこと。『校正の研究』の誤植でしょうか。しかしこの改造文庫、伏せ字が有ったりして、昭和16.6.19。解説は柳田泉。

 紫影藤井乙男と言えば(オトオさん、と呼ばれたことはあるのでしょうか)、『諺の研究』あたりに載せていないかとも思ったのですが、無いようですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 10日 火曜日 21:49:23)

 『文字と鬪ふ』を読みました。

>>毎日新聞社からは『字件ですよ! 校閲ウンチク話』というの
>>が最近出ていたと思いますが、戦前からこの種の本を出版して
>>いたのですね。

と書きましたが、むしろ「校閲うんちく本」というより、まさに
研究の書で、校正とは何か・校正の歴史・校正者の資格・校正の
方法といったものを論じたものでした。また「用語の手引き」的
な性格もあるようですね。

 「校正おそるべし」については、p.108に

>> また、文学博士藤井乙男氏は、執筆者の立場から、校正難を
>> 嘆じて、かういつてゐる。
>>  校正畏るべしとは誰かの秀句であるが、実際容易ならぬ仕
>>  事である。〔……〕

と、「誰か」別の人のことばであることを言っているので、藤井
紫影説はかすんできます。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 8月 16日 日曜日 18:35:36)

>テレビのボキャテンなどで、「おいおいそれは古典だろう」というのがいくつもあり、
上の方へのコメントですが、古本屋で『タモリのボキャブラ天国』が50円で売っていたので買ってみました。

なんと「糠に首」が載っていました(p193)。これなんて、古典も古典、大古典じゃない?! 

 p68の「ここに鯱あり」ってのも多分いろんな人が既に言っていると思いますが。「ここに鯱あり、赤い海」とか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 8月 21日 金曜日 18:02:32)

 なんにもしなかった画家は?

 

 

 

 

 

セザンヌ

でも実際には「ざり」には「ぬ」ではなく「つ」が付くようですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 16日 火曜日 23:11:42)

『藝文』という雑誌に載った佐佐木信綱「鈴屋翁逸話」に「幼少の時松坂に住んで居で、故老から耳にした」話をいくつか挙げていますが、その一つ。

 先生が漢字三音考を講じ、我國には古来ンといふ音は無い、ヌとか、ムとか、ニとかいつたといふ事を切りに説かれた其頃の事で有る。先生が大平を訪ねられた時、元来木訥篤實な大平が手をついて、しぬなむ先生よくこそと挨拶したので、先生も大笑せられたといふ。蓋し先生の事は、松坂では春庵(シュンナン)先生と呼ぶを習として居たからで有る。

「死ななむ」「死になむ」ではなく、「死ぬなむ」ですから、「死ぬなむ恐ろしき」のような形が想定されましょうか。

 ちなみに、シュンアンではなく、シュンナンであるというのも気になるところ。所謂「連声」です。
 江戸時代の無駄口に「(それは)残念、閔子騫」というのがあるのですが、これも「顔淵・閔子騫」の顔淵をガンネンと呼んでいたからこそ成り立つ無駄口です。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 17日 水曜日 7:26:10)

「死ぬるなむ」じゃないといけませんでしたね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 2月 09日 水曜日 16:05:21)

「駄洒落の古典を知らん!」と怒った私でしたが、私も知りませんでした。「仮名より単語」、明治時代からあったようです。先日何かの本でアチャーと思うたのですが、何の本だっかた忘れてしまいました。
「校正恐るべし」が「国語学関連の洒落」での話題であったこともすっかり忘れておりましたが、本日「校正畏るべし」を捜してこのページにたどり着いて、「仮名より単語」のことを思い出した次第。


taijaS さんからのコメント
( Date: 2000年 2月 21日 月曜日 17:33:45)

> 「仮名より単語」、明治時代からあったようです。先日何かの本でアチャーと思うたのですが、何の本だったか忘れてしまいました。

大修館書店『月刊 言語』2000年2月号(特集「ことば遊びを作る」)ですね。48頁、永野恒雄「パロディことわざのすすめ」の中で、明治二十五年『行灯地口語呂合』にあると紹介されています。
ただし永野氏の引用は、東京堂『ことば遊び辞典』(鈴木裳三 編)からの孫引きの由。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 23日 土曜日 0:20:09)

岡島さん
>そういえば、「駄洒落の辞典」みた
>いなのが欲しいと思うことがありました(もちろん用例つきで)。

小田島雄志『駄ジャレの流儀』(講談社、2000.01)がそれに近いでしょうか。大学における会話の中での実例も豊富です。

 英文学者の小池滋が都立大学の学部長に選ばれ、評議委員会に出るようになったとき。当時のTV人気番組「オレたちひょうきん族」をもじって、
「オレたち評議員族!
 と叫んだが、(p.64)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 23日 土曜日 0:33:38)

数学でよく用いられる洒落でしょうか、「時に反例なきにしもあらず」というのは。小説にも以下のように出てきます。

「〔……〕若い女の人は、カッと思いつめると、今にも天地がひっくり返りそうな大げさなことを書くが、さて会ってみると、案外ケロリとしていることが多いもんでね。……斎村さんは、もちろん、そんなお天気屋さんとはちがうんだが、しかし、時にハンレイなきにしもあらず。……どうなんですか、貴女の本心は?」(石坂洋次郎『暁の合唱』新潮文庫1970.01.20 38刷改版 1981.05.15 55刷 p.44)
これは「太平記」にも載る児島高徳の漢詩「天勾践を虚しうする事無かれ 時に范蠡無きにあらず」に基づき、「范蠡」(人名)と「反例」を掛けたものと思われます。「物事にはときに反例があるものだ」という意味で使っているのでしょう。

「反例」は数学用語でしょう。このようにせりふの中でサラリと使われるということは、学校の数学の時間か何かに、常套的に使われていた洒落ではないかと思いますが、詳しいことが分かりません。

「反例」は『日本国語大辞典』などには載っていません。また人名「范蠡」のところでも、忠臣の名ということしか書いていませんが、これは辞書の限界でしょうか。高徳の詩の意味は、配流になる後醍醐天皇に対し「大丈夫ですぞ、范蠡のような忠臣はここにもおりますぞ」と言ったものでしょう。

ウェブにも「時に、反例……」の用例はありました。

ブルータスお前もか!
「時に、反例なきにしもあらず。」とはこのことか。
前後がよく分からないのですが。


OG3 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 23日 土曜日 20:55:01)

私は、数学の講義などで「時に反例なきにしもあらず」には出会ったことはありません.野暮をいうと,数学の世界では,Yeemar さん引用の石坂洋次郎の文章のような意味では「反例」は使わないようです.
数学で古典となっている洒落には・敖膽・萓犬痢嵌罅ξことはネ罅ηせよ」ぁΒります。・


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 24日 日曜日 1:33:14)

ご教示ありがとうございます。私は、高校の数学などで「反例」という用語を聞いた覚えはありますが、当時授業中にしばしば昏睡に陥る持病を持っておりまして、正確な意味を覚えておりませんでした。『日本国語大辞典』が載せていないのは学術用語であるせいでしょうか。俗な使い方として「例外」などの意味で用いられることは(石坂洋次郎の例がたぶんそうであるように)あると思うのですが(このあたり、気になります)。

「微分のことは……」については、satopyさんがご自分の「気になることば」で触れておられまして、追加情報がこちらにも載っています。


OG3 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 24日 日曜日 10:33:08)

こちらこそ色々勉強になりました.「反例」が「日本国語大辞典」にものっていない事は初めて知りました.考えてみると、数学に関して以外は「反例」を見聞きした記憶がないので,やはり一般的な言葉ではないのでしょう.その意味で数学界の「方言」と言えると思います.広い意味の学術用語とも言えるでしょう.科学の他の分野で使っているかどうかは知りません.
数学では,論理的に証明されていないことは定理・法則としては認ないのが原則です.その原則を背景として,反例とは

成立すると予想・推測できる事柄が実は成立しないことを示す例

を言うのが普通です(ここで「反例」の具体例があげられないのは残念ですが).したがって,日常的な意味の「例外」とは少し意味のずれがあるわけです.
高校数学教師で「反例」を適切に使える方は相当の実力の持ち主であると思います.高校までの数学教育には反例はほぼ不要ですので. Yeemarさんが習われた先生も実力十分であられたのでしょうね.

言葉としての「反例」は,外国の数学書に現れる「counter example」の訳として使い出されたのでは,と推測しています.こちらは英和辞典(例えば,小学館英和中辞典)に載っており,意味は

(定理・命題に対する)反(証)例

となっています(訳に「定理」が現れるのは上の原則に照らして問題ありと思いますが).
以上,野暮と無粋を掛け算したような記述で失礼しました.又,「反例」の用法については私の知る数学に関するものに限定した記述であることをお断りしておきます.
「范蠡」の方は1973年頃,ルバング島から帰国した小野田中尉の発言で知った記憶があります.当時も「范蠡なきにしもあらず」は正確な引用でないといった批判があったのを記憶しています.

「微分のこと・・・」の出典は

数学の自由性,考え方研究社,1949, p32

であると,一松信「解析学序説 上巻,1962年」,p49 の脚注にあります.残念ながら,原文は見ていませんが,「微分積分学の基本定理」の証明に由来する言葉であることは有名であるようです.


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 24日 日曜日 13:19:42)


「范蠡」は小野田さんも使っていたということで、それならば小学校で習ったのかと思い、国定読本のデータベースを見たところ、第2期(明治43〈1910〉年)6-1、第3期(大正6〈1917〉年)5-2に「兒島高徳」のエピソードが載っていました。昔はこれで国民的に有名な話だったのですね。

ちなみに「暁の合唱」は「『主婦之友』昭和十四年一月号から連載して満二ヵ年、十六年一月号で完結した作品」(文庫解説)ということです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 28日 木曜日 19:44:05)

 小田島雄志『駄ジャレの流儀』、面白そうですね。駄洒落索引とか、元文句索引とかは付いてないんでしょうね。

 買ってから作ればいいのか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 2月 25日 日曜日 10:28:30)

 「めについた言葉」で触れた「校合と交合」の橋本進吉発言ですが、三省堂ぶっくれっとでの山田俊雄・柳瀬尚紀対談がweb上にありました。

移る時代、変ることば


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 11日 水曜日 11:01:09)

 『パタリロ!ダジャレ王(キング)』白泉社 平成11.7.28 という本を100円コーナーで手に入れましたが、これも駄洒落の用例集です。

話題が似ているので、下のと分かりにくいですね。

だじゃれ


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 07日 金曜日 12:24:10)

 ピジン薄命

 生まれ変わってクレオールになっちゃうので。

 これは多分、多元的に発生している駄洒落でしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 19日 水曜日 18:58:50)

国語学的な名前

 尾高 一啓 (おだか いっけい)

 後藤 資允 (ごとう しいん)

 城陽 寛司 (じょうよう かんじ)

 福士 洋邦 (ふくし ようほう)

不自然なものを排除してゆくと、あまり残りません。そのほか、郭 汝之さんなど、中国名バージョンもあるでしょう。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 20日 木曜日 0:38:41)

 お! 面白いですね。不自然との境界線あたりにあるものならいくつか思いつきそうですが……

 音でなく、文字列でもできそうですね。文典(ふみのり)君、文法(ふみのり)君というのが居れば、よさそうですね。

 橋本文法・山田文法はもちろんのこと、核文法(さねふみのり)君とか生成文法(きなり・ふみのり)君。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 20日 木曜日 13:42:22)

五井 康成(ごい こうせい)
見城 圭吾(けんじょう けいご)

なんかどうでしょうか。

呉 清源(ご せいげん)は囲碁で実在の方です(洒落になってませんか)。

文字列といえば、
洒落にはなっていませんが時枝(ときえ)さんという女性はどこかにいるような気がします。
三浦時枝なんていう名前はさるギョーカイの方々はちょっと反応するのではないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
(Date: 2001年 11月 20日 火曜日 3:54:08)

換喩とは、英語でメトニミー(metonymy)。
隣接性(縁故)にもとづく比喩だという説明法が一般に認められている。
「赤ずきん」で少女を、「雨やみをする市女笠や揉烏帽子」で「雨宿りする下層階級の男女」を表す。つまり、目と耳(めとみみー)のように隣接しているもので代用するレトリック。

提喩とは、英語でシネクドキ(synecdoche)。
全体を表す類概念で種を表現したり、部分を表す種概念によって類全体を表現したりする比喩。
戦後の食糧メーデーでは、民衆が口々に「米よこせ」と叫んだ。この「米」は、「食物全体」という類概念を表す。もらうのは小麦粉でもべつにかまわないわけだ。デモ隊の1人は、「朕はタラフク食つてるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」と口説いた。つまり、「死ね口説き」。

「シネクドキとは、シネマに行こうと彼女を口説くことだ」と、中村明氏が言われたということを仄聞しました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 20日 水曜日 6:30:52)

↑上の文章は何のことだか分かりませんね……。要するに「メトニミー」「シネクドキ」ということばとその意味を覚えるためのごろ合わせです。

言語学者の名を使ったしゃれ――

フィールドワークの最中、驚くべき事実に気づいた柴田武博士、ふと目をぞしばたたけし(しばたたきし)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 26日 土曜日 04:25:45)

「この、助動詞『ない』が詞か辞かについては、しかじかの論文があるわけでございますが……」


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 26日 土曜日 20:57:12)

 トルベツコーイの取るべき行為、というのを以前にも書いたと思っていたのですが、書いてませんでした。「取るべき行為」は「トルベッコーイ」に近く発音すること。

 「与謝蕪村、谷口蕪村、ヤコブソン」という575もあります。

「橋本時枝」という女子水泳選手


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 27日 日曜日 02:28:50)

七五調ふうならば「コセリウ 琴龍 朝青龍」というのもあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 30日 土曜日 17:26:23)

若い人にはまず絶対に受けないだじゃれ
「日本語の『は』という助詞は不思議でありまして、ひとつの文の中で、『は』を何度も使うことができるのです。たとえば、『イギリスは、女王は、政治はタッチしないことになっている』。つまり立憲君主制ということです。こういうことを、われわれはふつうに言いますね。『イギリスは』『女王は』『政治は』というふうに、『ワ、ワ、ワ』とワが三つ続いています。ワ、ワ、ワ、ワが三つ、というのが、昔あったんですけどね」


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 16:48:55)

ハハハ。
ハが三つ。
ミツワ石鹸。
そりゃあ、無理でしょう・・・。(残念)

posted by 岡島昭浩 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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