まあ、それはよいのだが、表題の件。
文字を媒介とせず、耳で聞いたとおりに発音すればよい、というのはリズムにおいてはそうであろう。しかし、文字を媒介としなくとも日本語を母語とするものの耳は日本語化しているはずだ。日本語に引き付けて聞き、それを聞いた通りに発音する場合でも日本語に引き付けて発音してしまう。〈ちょっと変化させた感じ〉と捉えることが出来ても、それをどう発音するのかは理解しがたい。
テレビの中でも、〈母音間のtはラ行音に〉と言っていたが、日本語のラ行音の多様性を認識していない指導法ではあるまいか。方言による差もあるし、個人差も多い(歯の抜け具合、出具合にもよる)。語頭のラ行音は確かにdに近く破裂音的に発音されることが多い。ところが語中のラ行音はかなり弱まる。英語のtの音として適当かどうか。
中津燎子『なんで英語やるの?』(文春文庫)では、それでは駄目だ、としている。
ヤンキーなまりだとたしかにイリズときこえるけど、Iの母音の息をちゃんとしてから次に行き、Tをやってから次のIに行っているので決してカタカナのリの発音と同じではないのです
これは、半可通への警鐘でもある。英語が出来ない人に「わあ、英語の発音上手ね」と誉められてもしょうがないでしょう。
テレビなどで、耳から聞いた英語が通じるかどうか、という実験は時折目にするが、「通じた通じた」と喜ぶだけで、検証をしないように思う。片仮名英語と比べてどちらがましか、という検証、あるいは片仮名英語にちょっとした指導を加えた場合とどちらがよいか、という検証。
「ウエストケンシントン」よりも「上杉謙信」が理解させやすいとしても、応用が効かないではないか。ネイティヴの言っているのを聞いてからでないと発音出来ないなどとは困るではないか。発音記号をちゃんと発音できる練習、というのをしなければなるまい。また英語の辞書に載っている発音記号は英語のための簡略表記だ、ということも教えなければなるまい。
日本語のラ行音をローマ字で書く時、rとlのどちらが適当であるか、という問題を、〈「英語の人」のrは日本語のラ行音には聞こえない〉という観点だけで片付けようとするのはいただけません。日本語のラ行音もいろいろですが、西洋のrにもいろいろなものがあるのです。
〈聞いている内に覚える外国語〉というのはいかがわしい、と思っているのだが、どの程度まではいける、あるいはどの程度までしか行けない、という検証をどこかしてくれないかな。
番組中、ジョン万がまた出て来たので、「掘った芋」に期待したのですが、出ませんでした。
→ 掘った芋(目についたことば97.6.3)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 4月 14日 火曜日 14:12:21)
びっくりしました。書き終わってから、のらくら日記を読みに行ったら、日本語のラ行音とr・lのことが書いて有りました。シンクロニシチってやつでしょうか。
なお、今月下旬にはこのページに移行すると思われます。
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