文藝春秋の八月号はなかなか面白い。大野晋「語源の限界」であるとか、「二十世紀図書館」(井上ひさし・立花隆対談)の『日本国語大辞典』への言及であるとか、……もだが、高松宮妃喜久子「徳川慶喜の孫に生まれて」が面白かった。
職仁親王、織仁親王、幟仁親王、熾仁親王。似たような字で、ややこしくて、むずかしいから、私たち、代々のご先祖さまを、ハバヘンだの、ミミヘンだのと言ってたのとか、
「お揃いあそばしましてご機嫌ようならっしゃいまして」「大宮さんにもなんのお障りさんもあらっしゃりませんで」とか、
三十一文字を、九字、十字、九字、三字と四行にわけて書くのが決まりなのです。これを九十九三と云うの
など。
satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 21日 火曜日 0:52:10)
皇室版『旧事諮問録』(これでよかったかな)ですね。
>九十九三
なんと読むのでしょう。ルビがありましたか?
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 21日 火曜日 1:18:14)
残念ながらないのです。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 24日 金曜日 15:30:15)
「九十九一」なら「つくもはじめ」でしょうが。というような冗談はさておき、立花隆と井上ひさしの対談に出て来た、『日本国語大辞典』を挙げていた人が居る、ということですが、掲載分全員について目を通してみたのですが、この中には載っていませんでした。
『辞林』を挙げていた人はいますが。確か武藤康史だったと思います。
対談では、国家がやるべきものを、出版社がやった、と誉めていました。現在改訂中であるとのことも書いて有りました。