1998年07月22日

「明け明け」(satopy)


「とれとれの魚」の話は、どういう風に進んでましたっけ?
清河八郎『西遊草』(岩波文庫 1993)をたまたま開いたら、次の
ようなものが目に入りました。

二十一日(安政二年七月−−satopy注)
朝はれけれども、時々細雨ありて、暮かた余程の雨となる。
夜のあけあけに宿をいで、壱里廿九丁にて日阪にいたる。

やっはり「あけたばかりのころ」の意味でしょうね。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1998年 7月 22日 水曜日 18:20:44)


 satopyさん、ご教示どうも有難うございます。
>「とれとれの魚」の話は、どういう風に進んでましたっけ?
「いけいけ」の方に行ってしまってまして進んでませんでした。

 清河八郎、山形の人ですね。日本国語大辞典には、平泉・仙台で夜明け方というような意味が載っていますね。あるいは「ちょうどあけつつあるところ」であるかもしれませんね。

 動詞反復をアスペクト的に見たような論考はないものでしょうか。今まさに進行している、というのは、「〜つつある」にしても、西日本の「〜よる」にしても、将然といいますか、まさにそうなろうとしていることをも現わしますが、この動詞反復の場合には直後を指すのでしょうか。〈瞬間動詞+ている〉の場合は「直後」というわけではなく、ずっとだし。
 

?この文章は考え考えのものだ。


とれとれ



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 0:18:48)


 日本国語大辞典を眺めていたら、「おきおき」とか「うまれうまれ」とか。

 「きえぎえ」とか「くれぐれ」も多分関係して来るのでしょう。連濁してますね。



satopy さんからのコメント

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 1:52:41)


ちょっと路線が異なりますが、「さえざえ」などの重複型も、
ヒントにはなるかもしれませんね。あるいは、そのような、
古典的な造語法の現代版として「とれとれ」などが位置づけ
られるとおもしろいのですが。

(もちろん、「現代的」ですので、まったく同じニュアンスを
再現するとは限りませんけど)

重複型の語構成は、何事かの強調ということになりますが、
何(形容か、状態か、アスペクトか.....)が強調されるかで、
古典性と現代性が分かれるというか。

もちろん、連続的である場合も考えられますが。



さんからのコメント

( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 14:29:36)


京滋方面では、”very small”を表現するのに「このあめちゃん、ちっちゃいちっちゃいなぁ」などと言いますよね。
なんか、関係あるんでしょうか?


posted by 岡島昭浩 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック