「とれとれの魚」の話は、どういう風に進んでましたっけ?
清河八郎『西遊草』(岩波文庫 1993)をたまたま開いたら、次の
ようなものが目に入りました。
二十一日(安政二年七月−−satopy注)
朝はれけれども、時々細雨ありて、暮かた余程の雨となる。
夜のあけあけに宿をいで、壱里廿九丁にて日阪にいたる。
やっはり「あけたばかりのころ」の意味でしょうね。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 22日 水曜日 18:20:44)
satopyさん、ご教示どうも有難うございます。
>「とれとれの魚」の話は、どういう風に進んでましたっけ?
「いけいけ」の方に行ってしまってまして進んでませんでした。
清河八郎、山形の人ですね。日本国語大辞典には、平泉・仙台で夜明け方というような意味が載っていますね。あるいは「ちょうどあけつつあるところ」であるかもしれませんね。
動詞反復をアスペクト的に見たような論考はないものでしょうか。今まさに進行している、というのは、「〜つつある」にしても、西日本の「〜よる」にしても、将然といいますか、まさにそうなろうとしていることをも現わしますが、この動詞反復の場合には直後を指すのでしょうか。〈瞬間動詞+ている〉の場合は「直後」というわけではなく、ずっとだし。
?この文章は考え考えのものだ。
→ とれとれ
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 0:18:48)
日本国語大辞典を眺めていたら、「おきおき」とか「うまれうまれ」とか。
「きえぎえ」とか「くれぐれ」も多分関係して来るのでしょう。連濁してますね。
satopy さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 1:52:41)
ちょっと路線が異なりますが、「さえざえ」などの重複型も、
ヒントにはなるかもしれませんね。あるいは、そのような、
古典的な造語法の現代版として「とれとれ」などが位置づけ
られるとおもしろいのですが。
(もちろん、「現代的」ですので、まったく同じニュアンスを
再現するとは限りませんけど)
重複型の語構成は、何事かの強調ということになりますが、
何(形容か、状態か、アスペクトか.....)が強調されるかで、
古典性と現代性が分かれるというか。
もちろん、連続的である場合も考えられますが。
峰 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 23日 木曜日 14:29:36)
京滋方面では、”very small”を表現するのに「このあめちゃん、ちっちゃいちっちゃいなぁ」などと言いますよね。
なんか、関係あるんでしょうか?