うちの子に小切手
これ、自分の子供が思わぬ大金を手にしているのを知った時の親の驚きと不安を現わしています。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 15日 月曜日 17:30:14)
地下鉄半蔵門線・九段下の駅員が通行中の客に
――よう来てくだんした。
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 17日 水曜日 9:13:44)
「言葉のよろずや・大阪支社」のネタですね...
(峰さんが来る前に書き込んでおきました...)
→ 言葉のよろずや・大阪支社
峰 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 17日 水曜日 9:49:14)
こんなカンジで作っています。
無線室「滋賀県野洲郡中主町で事故発生!」
救命隊「了解。現状の様子を知らせろ」
無線室「乗用車が一台、ちゅうずりになっている模様...」
おそまつでした。
→ 言葉のよろずや・大阪支社 〜 駄洒落地理辞典 〜
satopy さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 18:39:06)
昨日行っても教育大学、来週行くのに専修大学……
#ちょっと熱っぽいもので……
→ 充電日記
satopy さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 18:42:20)
そういえば、昔々のビックリハウスだったか、面白半分だったかで、「一家りさん」という名作がありましたね。
#家族全員が東大医学部を卒業していること。
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 19:09:32)
私の本名は五十里(イカリ)です。
一昨年まで私が単身赴任(何故?自営業者なのに...)していた頃、
「イカリさんの家が一家離散」と後輩にからかわれておりました...
お粗末で..
→ 言葉のよろずや
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 25日 木曜日 12:20:11)
田河水泡『のらくろ漫画集(1)』講談社少年倶楽部文庫1975.10.16第1刷(1976.2.16第10刷)の12ページ、
「ううん残念だ毒ガスにやられた」
「残念でガス」
「かなづかいなどは現代方式」というものの、もとからある駄洒落なのか。
初出年次も書いていない。のらくろ自体は昭和6-16ごろであるらしい。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 25日 木曜日 13:00:07)
初出、書いてありました。
この集に収めたのは昭和六年一月号から九年一月号までの間の作品です。
このガスの出て来る「のらくろ突進隊」は、カラーであるために冒頭に持ってきたもので、のらくろは伍長になっている。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 11日 水曜日 11:05:39)
子供たちが「僕の背中には羽根がある」の替え歌をして喜んでいたので、教えてあげました。「ママの田舎にはワニが居た」、これ、ほんとのこと。温泉で飼っていたのだそうです。
駄洒落の用例集については以下を参照。
→ 国語学関連の洒落
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 11日 水曜日 22:18:16)
金田一春彦『ホンモノの日本語を話していますか?』(角川oneテーマ21) p.149-150に「感謝感激雨あられ」という言い方は、琵琶歌「常陸丸」(池辺義象作)の「乱射乱撃雨あられ」が元だとあります。この言い方が、もとはだじゃれに発していたとは知りませんでした。とすると、荘重な場で「感謝感激雨あられでございます」とは言えないわけです。
同書は、金田一氏の他の著作をまとめ直したような部分がありますので、「感謝感激……」の話はすでに他に書かれているかもしれないと思います。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 31日 土曜日 13:58:18)
教授会で人事案件を審議するのに際して、その構成員についての件である場合〔昇任や退職・割愛など)、その人物はその場にいないのが普通であろう。
なぜそうなのか、と問われたとき、
「ひとごと」でないから「人事」ではない。
と答えた。受けなかった。もっと効果的な言い方はないものか、と思っているが、どうしようもなさそうだ。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 31日 土曜日 16:26:46)
「今日は残暑が厳しくなるでしょう」
という天気予報原稿をここ2,3週間ほど読み続けてきて、つい、出来心で、
「今日は残暑が厳しくなるザンショ」
と読んでしまいたい誘惑にかられ続けたものの、なんとか踏みとどまっている今日この頃。
早く残暑が去らないザンショかねえ。
石猫 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 31日 土曜日 22:15:52)
道浦俊彦様>
>「今日は残暑が厳しくなるザンショ」
すみません、それやってしまいました。
→ http://www2.ezbbs.net/11/linguedechat/
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 02日 月曜日 11:17:44)
え!放送で???
だじゃれとしては、多分30年以上前から(赤塚不二夫のイヤミあたり?トニー谷とか。)あるのでは・・・。
POP3 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 02日 月曜日 17:43:05)
「残暑は暑いザンショ」(森山良子,1969年,某DJ番組で)
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 04日 水曜日 16:25:21)
DJ番組ならなんとか・・・。POP3さんは、よく覚えてらっしゃいますね。33年も前の事を。スゴイ!よほど印象に残ったのかと。ちょうど「イヤミ」がはやっていた頃かな。
POP3 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 04日 水曜日 20:53:52)
道浦さん>
もう少し詳しく思い出しました.こんな感じだったのです.
「夏の終わりには切り山椒を食べましょう,だって残暑は暑いザンショ」
たまたま森山良子大好きの友人と一緒に聞いていて,後で友人が「あれはおもろかった」と繰り返し言っていたので記憶に残っています.
番組名は「ダイヤモンドジョッキー」であった気がします.
切り山椒=菓子の一。 しん粉に砂糖とサンショウの汁または粉を混ぜて蒸し たあと、ついて細長く切ったもの。[季]新年。
なんてのは さっき始めて知りました.
イヤミがうけていたのはもう少し前の1965年前後のように思います.
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 07日 土曜日 11:49:18)
トニー谷の第一次流行は1950年代前半のようですが、その後、いつ頃はやったのでしたっけ。CDの「This is Mr. Tony Tani」を持っているのですが、まだ出てきません(本の間で割れてたりして。でも小林信彦の解説は読めるでしょう)。 「さいざんすマンボ」が聞きたくなりました。村松友視『トニー谷ざんす』は未入手未読です。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 07日 土曜日 13:47:59)
たまたま私の部屋に、そのようなタイトルのCDが転がっておりました。
時は流れて一九六二年十月、日本テレビの「アベック歌合戦」で、トニー谷はカムバックする。翌年、私〔小林信彦〕は初めてトニー谷にインタビューした。トニー谷は、十年前を回想して、「客席と舞台が一体となって燃えましたよ」と涙を流した。すでに、〈往年のトニー谷〉を知る人は少なくなっていた。このCDの歌詞冊子をざっと見たところ、「〜ざんす・〜ざんしょ」に引っかけたしゃれは特にありませんでした。(小林信彦「〈時代の産物〉としてのトニー谷」CD「ジス・イズ・ミスター・トニー谷」解説)
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 09日 月曜日 21:21:30)
「アベック歌合戦」はよみうりテレビの制作のはずです。もちろんまだ私は入社前ですが。ネット検索したら「昭和タイムス」というのに「アベック歌合戦人気〜ソロバン片手に谷ザンス」というのが1967年(昭和42年)5月〜8月で出てます。POP3さんの森山良子さんは、そのちょっとあと(1969年)ですね。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 16日 水曜日 01:10:49)
『悪魔はあくまで悪魔である』というのは、都筑道夫氏の作品名ですが、「飽くまで」を「悪魔で」と勘違いしている人もいるやに聞いております。
さて本題。森田草平「自叙伝」(画像PDF)は、洒落なのでしょうかね。
悪魔は絵に画かれた程黒くはないとも思へない。もっと/\黒いやうだ。飽迄も黒いが可い。(p487上段)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 14日 日曜日 22:53:43)
米原万里氏は、しゃれのたいそう好きな方らしく、著書にはしばしば秀逸なしゃれの例が出てきます。
以下は、『ガセネッタ&シモネッタ』文春文庫 2003.06.10 第1刷〔単行本 2003.12文藝春秋刊〕、および、『魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章―』新潮文庫 2000.01.01 発行〔単行本 1996.08読売新聞社刊〕に見える例です。
エビス
食卓の通訳でも、気は抜けない。危険はいたるところにあるのだ。日本人が愛してやまないビールとして、好んで注文する「エビス」は、ロシア語ではfuckの命令形に相当するから、ロシア人にとっては、突然かなりキツイ冗談を一発かまされたようなものだ。(『魔女の1ダース』p.89)
かかあ
その昔在プラハ・ロシア語学校に通っていた少女時代、珍しく入ってきた日本映画を見る会があった。題名はすっかり忘れてしまったその映画の中で、主人公の少年が母親に向かって、/「かかあ」/ と呼びかける度に、会場の爆笑を誘って、私は肩身の狭い思いをしたものだ。おそらくあれは、愛国心とか民族的誇りなんてものを幼心に具体的に意識した初めての経験かも知れない。ちなみに「カカア」とはロシア語で「うんこ」のこと。(『魔女の1ダース』p.90)
カツオ
さて、その昔、イタリアに料理留学していた妹が、/「日本ではスープのだしを何でとるのか」/ とイタリア人コック仲間に尋ねられ、/「カツオという名の魚の乾物で」/ と答えると、一瞬聞き手一同の怪訝{けげん}な表情と沈黙があった。続いて、連中はドッと笑いころげ、何人かは立っていられなくなってへたり込んでしまうほどの喜びようだったという。「カツオ」は男根を意味するイタリア語の響きに限りなく近いためである。(『魔女の1ダース』p.90)
公僕
さる自治体に依頼されて仕事することがあり、そこの担当職員の服装がド派手なのにぶったまげて、つい、/「まあ、公僕にはとても見えないお方」/〔略〕まずシモネッタが叫んだ。/「唐変木」/間髪入れずに〔友人の〕ガセネッタがトドメを刺した。/「ウドの大木」(『ガセネッタ』p.35)
サンドイッチ
〔上略〕サンドイッチのこと韓国語で何というか、知ってますか?」/「エッ、あれは韓国にとっても朝鮮にとっても外来品だから、サンドイッチって言うんじゃないの?」/「ハムハサムニダって言うんです」(『ガセネッタ』p.17)
失楽園
〔上略。『失楽園』という映画が評判のため〕それでわが同僚は、市場視察という名目で映画館をのぞいてみたんですね。そうしたら、中年男が多いなんて、ガセネタもいいところ。どこも四〇代から六〇代までの女性ばかりだったんです」〔略〕「シツラクエンなんて、とんでもない。そこは、トシマエンだったのですね」(『ガセネッタ』p.15)
スウェーデン
「スウェーデン食わぬはオランダの恥ってなもんだ、ハハハハ」(『魔女の1ダース』p.87)
どじ
「万里ちゃん、お客さんに『ああ、ドージ通訳の米原さんですね』なんて初対面で言われたら、なるべくド≠ニジ≠フあいだを詰めて、『はい、ドジ通訳の米原です』と聞こえるように受け答えした方がいいよ。なにしろ、同時通訳に失敗はつきものだからね。とくに米原さんはね」〔徳永晴美〕(『ガセネッタ』p.17)
芙蓉
それで、通訳中たびたび困るのは、日本のホテルにはなぜか必ず「芙蓉{ふよう}の間」と名付けられたホールがあること。会議会場や、レセプション・ホールとして使われることが多い。これをそのまま訳すと「フヨーヴィイ〔男根の形容詞形、また、「何の役にも立たない、どうしようもない、最低の」〕」と音韻的に一致してしまうので、無用な誤解を避けたいと、通訳としては苦しみ悶{もだ}えるのである。(『魔女の1ダース』p.89)
ほいほい
「なぜ〔日本民謡はレニングラード・フィルの団員の〕抱腹絶倒を誘ったのでしょうねえ。いまだに分からないのですよ」/ と首を傾ける〔日本の〕楽団員に尋ねられたわたしには、思い当たることがあった。/「その時唄{うた}われた民謡ですが、『ホイホイ』という合いの手が入っていませんでしたか」/「エッ、なぜ分かったんですか」/ と楽団員はちょっとびっくりした様子。実は「ホイ」は、男根を意味するロシア語の俗語の響きと非常に似通っている。こんな合いの手を入れながら、真面目{まじめ}に歌を唄われたら、そりゃ笑いころげたでしょうよ。(『魔女の1ダース』p.88)
毛沢東思想
「モータクトーシソー(毛沢東思想)ってのは、ありゃ中身をとって見りゃあモーソー(妄想)だね」(『魔女の1ダース』p.87)
老人ホーム
〔上略〕それでいまから共済会を結成して基金を募って、将来的には通訳者たち共同の老人ホームを創れたらいいと思うんだけど、米原さんものらない? 老人ホームの名前はもう決まっているんだ」/「へーっ、気が早いこと」/「アルツハイムって言うの」(『ガセネッタ』p.16)
んだ
仙台を始めて訪れたロシアの労働組合代表団があった。なにせ初対面だから、日露双方コチコチに固くなって、会話もギクシャクしている。そのとき、一行に随行してきたロシア人の日本語通訳が、/「日本も東北地方になるとロシアに近いせいか言葉も似てくるようですね。ロシア語ではyesはダーですが、皆さんはyesの意味でンダーと言いますもの」/ と述べて爆笑を誘い、緊張した雰囲気を一気に解きほぐしてくれたことがある。(『魔女の1ダース』p.88)
田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 00:27:23)
民間語源とか語源俗解とか呼ばれるものもやはり、「だじゃれ」と言うことができるのでしょうか。つまり、「寝ずに見るから『寝ず見』」の類です。
「よばい」は「夜這ひ」にあらず、「呼ばふ」の連用形の名詞化だ、ということをかつてお聞きした憶えがあるのですが、獅子文六の『無頼の英霊』(集英社日本文学全集55『獅子文六』所収,1968.8.12発行)に、
「野外演習のごときも行われる。それを夜の蠅と書くのか、夜のハイキングと称するのか知らぬが、瀬戸の桑畑を音のせぬようにかきわけて、家宅侵入に及ぶ術を、先輩が手をとって指導する。」(p316)
とあって、おぼえず吹き出してしまいました。ここでは、「蠅」が東京で「はい」と発音されることも踏まえてのことなのでしょうか。