話題がそれると思いましたので。
金川さんwrote:
>> それから、確か、NHKは戦争中も「ニュース」「アナウンサー」
>>は使っていたところではないでしょうか?
いま用例を挙げられないのですが、「報道」「放送員」
と言っていたと思います。
戦争中の英米語禁止というのは法令によって決められた
とは思いがたいのですが、「英米語禁止ニ關スル法律」と
かいうものはあったのでしょうか。それともいわば「自粛
の集積」だったのでしょうか。
「フライス盤」などということばは工場でもふつうに
使われていて、言い換えられたわけではなかったようです。
峰 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 19日 金曜日 17:33:01)
今でも使用されていますね。>「放送員」
例えば宮城県警
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 19:14:45)
戦後のカタカナ表記などを研究したわけではありませんが、
手元に「天声人語」1945.9〜1949.12があるのでちょっと
見てみました...
1945年9月6日、8日のものには全くカタカナ表記がありません。
が、9月12日に既に「ガソリン」「キャンプ」「タイプ」が
登場。しかも、9月16日の記事では、
「日本国民にプラスしたものであった」などという表現が...
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 21:01:27)
よく考えたら「ラジオ」はそのまま使われていたのでは
なかったでしょうか。
人名・地名以外のカタカナ語がどれだけ生き残っていたか
調べてみたら面白いかもしれませんね。
幸いなことに日本図書センターというところが朝日新聞の
縮刷版を続々覆刻していて、家庭でも古い新聞の縮刷版を
みることができるようになりました。たとえば昭和20年は
上下2巻で36,000円です(ただの2巻で収まっているのは当時は
タブロイド2頁だったから)。
趣味で買うとしてはやや高いですが、ちょっと気になります。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 23日 火曜日 21:43:21)
まったく調べないまま書いていますが、昭和13年国家総動員
法施行、昭和15年ごろの国民精神総動員運動あたりからカタ
カナ語への風当たりがきつくなってきたわけでしょうか。
ところが日米開戦を伝える朝日新聞夕刊紙面(S16.12.9)でも
「薬用美手クリーム ヒスタメント 専門に手の健康を護る
クリーム、朝夕すり込めば、荒れに悩まず働けます」の広告、
記事本文「石油タンクが火を發して」「燃料タンク及びホテル
は目下炎々として」等有り。
また敗戦を伝える朝日新聞(S20.8.15)では「インフレ防止に
強力措置」「モラトリウムの如きは絶対に行はず」等とあつ
て、和語漢語に換言困難なる語は其侭使用せるものゝ如し。
これらを総て日本語に言い換えなければ気が済まないような
過激な国粋主義者は、当時いなかったのでしょうか。