ちなみに、
私の場合 :い’る(’がアクセントのつもり)
子どもたちの場合:いる’
それでは要ると区別がつかないではないか、と論争にもなります。NHK方言では、いる’が主流のようですが、この傾向は、最近とみに目立つ(耳につく)ようになったとの印象を持っています。
なお、「いる」のみならず、例えば「なくなる」をなくなる’とするなど、いたるところでこのての発音が跋扈しているように思えます。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 24日 水曜日 15:26:24)
アクセントの歴史を文献上で遡ると、「居る」は「要る」と同じアクセントでした。東京アクセントもこれを受け継いでいて、ともに平板型で発音するようです。京都でもそうです。
「中年おじさん」さんは、どちらの方でしょうか。貴地ではおそらく、「居る」は「要る」とは違うアクセントで発音するようになっていたのでしょう。また、お子様達のアクセントは東京アクセントの影響ではないかと考えられます。
「なくなる」は「中年おじさん」さんの場合にはどのようなアクセントでしょうか。「な’くなる」あるいは「なくな’る」でしょうか。これは「なくなる」を1語ととらえるかということとかかわって来ますが、「な’くなる」は2語であるという意識を反映した言い方でしょう。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 2月 24日 水曜日 15:33:31)
「この手の発音」というのは、平板化する、ということだと思いますが、この「居る」「なくなる」はそうした指摘がされる以前から、平板型であったようです。山田美妙も「全平」としています。
続く さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 23日 火曜日 13:22:05)
→ 続く