私は、九州方言的な文脈ではこれを使います。「なして出て来てくれんとね」という具合に。しかし共通語的な文脈では使いません。「の」で締めるところでしょう。質問の場合は「のね」とも言えません。(「……かね」というのは、疑問の形ですが、相手にちゃんと質問はしていない感じです。)
だから、この歌の場合は、最初は質問のつもりであったが、文の途中で時分で納得してしまったのだろうか、と思っていました。
「江戸時代の隠密というのはどういう役なんですね」と、ある時わたしは半七老人に訊いた。
これは岡本綺堂『半七捕物帳』「旅絵師」の冒頭です。(旺文社文庫の3冊目)
共通語的でない、と思っていたのは、地方人の勝手な思い込みで、東京にも有るのでしょうか。あるいはかつては東京にもあったが、滅んでしまったのでしょうか。あるは誤植でしょうか。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 2:35:54)
東京人の例といえると思いますが、『山藤章二のブラック=アング
ル'77』(新潮文庫、絶版) p.111に、おかみさん姿の成田社会党委
員長の似顔絵のセリフとして
なんですねェ、そんなムツカシイ顔して、船田〔中代議士〕の
ご隠居さん! とにかくいままでのゆきがかりは水に流して、
〔後略〕
とあります。発語ではありますが、「なんですか、」といった心持
ちでしょう。
なお、ドリカムの元の詞ですが、
ねぇ せめて 夢で会いたいと願う
夜に限って〔中略〕出てきてはくれないね
のようになっていて、文のねじれはないようです。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 12:10:05)
Yeemarさん、どうも有難うございます。歌詞は勘違いでしたか。「ねえ、どうして」は「いえないんだろう」とか「でちゃうんだろう」にかかるだけなんですね。ちかごろの歌については、歌本のたぐいを全く持っていないので、こうしたことになります。
一番の歌詞とそれ以降の歌詞が平行していない(うまく言えませんが)のは、ちょっと気になります。たとえば吉幾三『酒よ』の「分るか。なあ、酒よ」と「分るよなあ。酒よ」とか(この歌は「も」の使い方も破綻していたと思いますが)。いや、これも今考えてみれば「分るかなあ、酒よ」なのかな? 一番だけ聞いたら「分るか。なあ、酒よ」にしか聞こえないのですが。
成田委員長については、あらためまして。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 16:55:28)
成田委員長、「なんですねえ」が口癖だったのでしょうね。口癖と言うか、この人を特徴づける言い方と言いますか。
口癖を、他の人が真似る場合には、デフォルメされることが多いですが、この場合はどうなんでしょう。
教育テレビで、確か去年やっていた幼児番組(低学年の道徳番組か)でカバヤネン先生と言うのが出て来るのがあったのですが、このカバヤネン先生の口癖が「……ですね」でした。「どーして、わかってくれないんですね」というような話し方をしていました。
幼児番組などで、キャラクターの特徴を示そうとして、口癖を与えるのはいいのですが、あまり破格的な言い方はしないで欲しいものだ、と思っていたのですが、これは破格じゃないのかなあ。
追記:「……かね」と同様、「……だろうね」も疑問詞とともに使って違和感ありません。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 17:20:41)
説明不足ですみません。
「なんですねェ」は成田委員長ではなく、作者である山藤章二の
語彙であると思います。成田委員長はたしか香川県、山藤氏は
東京っ子のはず。
カリカチュアは世話好きのおかみさん(成田委員長)が船田の
ご隠居さんに、女ことばで縁談の話を勧めていると
いった構図です。がしかしこのようなことばを山藤氏は落語など
から仕入れたと思います。
落語といえば、円生が「どうしてそうなるんだナ」というよう
に(上の例は不確か)「ナ」を常用していたのではなかったかと
思います。
つまりは「だろうね」「だろうかね」のようには疑問や推量の
助詞・助動詞を介さずに直接「ね」「な」が付くところが
注意を引くということでしょう。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 17:27:00)
「縁談の話」は「馬から落馬」ふうでしょうか。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 18:42:55)
Yeemarさん、御教示有難うございます。
落語、ちょっと見てみないといけませんね。やはり旧東京語でしょうか。
#船田中(1977)、というと江川問題のころですね。77年秋のドラフトでクラウンライターが指名したのではなかったでしょうか。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 02日 火曜日 23:08:52)
たとえば圓生の「小言幸兵衛」(NHK落語名人選14)では
お前はね、どうしてその雑巾を使ったらそのまんま放り出
しておくんだな。あとで役に立つように絞り出して置いた
らよかろう。猫のお碗をそっちい片づけておきな。この猫
はまたどうしてこうしっぽが長えんだな。てめえのしっぽ
をてめえで追っかけて歩いてやがるバカヤロ。いくら追っ
かけたって追っつくかい。アアッ、あらやった。おばあさ
ん、おまいはね、昔から悪い癖なんだよ、下を見ねえで歩
くから土瓶をはいちまうんだな。
とありますが、本件のテーマは
「どうして○○するね」
という言い方についてであって
「どうして○○するんだね」ではないので、
「どうして○○するんだな」も単にその異形態であるから
にはあまり珍しくないかもしれませんね。やや論点をずら
してしまいました。
カバヤネン先生のセリフは「どうして○○するんだね」の
丁寧形ですが、それにしては違和感が生じるのはどうして
でしょうか。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 03日 水曜日 0:47:55)
東京ではありませんが、九州以外にありましたので一応御報告を。
宮沢賢治「ざしき童子のはなし」に、「なぜあきたね」「どこへ行くね」がありました。
→ ざしき童子のはなし(私立PDD図書館)
岡島 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 03日 水曜日 14:26:57)
国立国語研究所の『現代語の助詞助動詞』の153ページに「質問詰問」としてあげてあるのは、「ーかね」「どうだね」の他に、
なんとかいてあるね
なんですね、おかしなことを
でした。ともに「少年クラブ」の例です。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 09日 木曜日 1:18:17)
森山卓郎「認識のムードとその周辺」(『日本語のモダリティ』くろしお出版1989.8.10)のp106,109、同じくp117の注6に、「ですね」で終わる疑問文がないことを考察しています。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 21日 金曜日 15:41:34)
こんなものもあります。
まァ、なんですねえ、静かにお歩きなさいな……」今ならば「まあ、なんですか、静かに……」となるところです。
同じ時に出てきた藤村夫人が、早速、娘をたしなめた。(獅子文六『自由学校』〔1950年発表〕新潮文庫 1973.08.10発行39刷 p.81)
岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 27日 木曜日 14:43:03)
『言語生活』278(1974-11)「録音器 試験の結果がわかった日」主婦43歳と中学2年生の会話、東京のことばらしい。
母・二番目は何点ね。
子・二番目は九七。
(中略)
母・九九点は誰ね?
子・男の子。
後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 28日 金曜日 09:55:05)
>国立国語研究所の『現代語の助詞助動詞』
画像としてですが、オンラインで読めるようになったようです。
→ 電子化報告書一覧
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 13日 火曜日 20:45:11)
2004.01.13 NHK「スタジオパークからこんにちは」で藤村志保さんが朗読した絵本『おだんごぱん』(瀬田貞二訳・脇田和絵、福音館書店)の一節に、おばあさんのせりふとして
でも何でこしらえるんですね、うちには小麦粉がありませんよ。とありました(テレビ音声による)。この絵本は丸谷才一氏が激賞していましたが、広く親しまれているようですね。
つづき