いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつね
ならむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
ん
となっていました。「な」の置き場所が面白い。句頭のラ行音を避けているのか。
→ いろは歌(目についたことば960926)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 15日 月曜日 15:49:28)
よく見れば、『文字と闘ふ』所収のと通じますね。
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 16日 火曜日 8:17:28)
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
ん
一番下(この場合右)が「とかなくてしす」すなわち
「咎無くて死す」ではないか...というのは有名だったと
思いますが...誰かに言われた「はぬれうけきも」にも
意味があるというのが思い出せません...
→ 言葉のよろずや
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 22日 月曜日 16:06:54)
「いろは歌」の切り方に地方色はないでしょうか?
私の場合も、筒井氏の切り方と同様に記憶していて、岡島先生のコメントのように<「な」の置き場所が面白い>とは思いません。
私の周辺(京都)では皆「よたれそつね」で切っていたように思いますが。
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 22日 月曜日 16:56:37)
色は匂えど
散りぬるを
我が世誰ぞ
常ならむ
有為の奥山
今日越えて
浅き夢見し
酔いもせず
...で正しいのかな?ホンモノは...
ところで、漢字の勉強サイトモドキを
作ってみましたので是非ご来訪ください。
→ 漢字都都逸
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 23日 火曜日 11:28:41)
「浅き夢見し」でなく「夢見じ」だという説もどこかで聞きましたが。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 23日 火曜日 12:21:45)
「あさきゆめみし」についてはこちら。
→ あさきゆめみし(弊(^_^)会議室)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 3月 23日 火曜日 12:30:34)
森川さん。関西地域では「よたれそつね・ならむうゐのおく」が普通とのお話、大変面白く存じました。「情報」について書きながら、「てんやわんや」の漫才も、これだったのではないか、と思っていました。確かめようが無いのが残念ですが、多分そうなのでしょうね。
では、いつ頃からそういう言い方が関西地域に広まったのか、というのが次の関心になります。
「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段に、
六道能化の弟子になり。さいの河原ですな手本。いろは書子をあへなくも。ちりぬる命ぜひもなや。あすの夜たれか添乳せん。らむうゐの見る親心。剣と死出のやまけふこへ。あさきゆめみし心地して。跡は門火にゑひもせず。京は故郷と立別れ。鳥辺野さして連帰る。
と見える、「らむうゐの見る親心」は、手習いの時に「らむうゐのおく」から習い始めた、ということを示しているようです。「貞徳翁十三回忌追善俳譜」にも「いろはをばらむうゐのより習初 一以」というのがあるそうです。
それが「ならむうゐのおく」にずれてしまったのは、なぜか、いつか、と興味は深まるばかりです。
南堂久史 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 03日 木曜日 16:21:19)
【 いろは 】
いろは歌で、ちょっとご教示を得たいのですが。
(大辞林などはいちおう調べたのですが、わからないので。)
(1) 歌全体の意味
涅槃経の四句の偈(げ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅巳、寂滅為楽」の
意訳だということだが、ちょっと違いすぎるような気がします。こじつけ?
(2) 主語
歌の主語は、誰なんでしょう。「わが世」なんて言っているのを見ると、
「望月の欠けたることのなしと思へば」と言った人みたいな感じもしなくは
ないが、まさかね。 (なお、歌の作者は不詳。)
で、「色は匂えど散りぬる」のは、桜の花ですよね。たぶん。……
(馬鹿みたいな質問で、済みません。でももしかして「恋人」のこと?)
(3) 京
最後に付ける「京」って、何のことでしょう?
(「ん」が付くこともあるそうだが、「京」とは何だろう?)
(4) バリエーション
同じく47音を読み込んだ歌って、いろは歌の他にもありますよね。
阿刀田高さんのエッセイのどこかに出ていたと思うが。……失念。
大辞林などでは「あめつちのことば」「たいに」があるが。
(4) 50音
「あいうえお」では、どうして、「や」行の次に「ら」行が来るんでしょう?
「やゆよ」は、(口語では)「ゐ」と「ゑ」がないんだから、「わ」行に
くっつけたほうがいいと思うんですが。
つまり、「や」行と「ら」行の順序を変えて、
まみむめも
らりるれろ
や_ゆ_よ
わ___を
ん
この方がすっきりしていますよね。電子手帳でも、この方が、50音タッチパネル
を打ちやすいと思うんですが。(小書きの「ゃ」「ゅ」「ょ」が出しやすい。)
ま、昔の人が電子手帳の操作性を考えていたわけはないが。…… (^^);
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 03日 木曜日 18:00:39)
ちょっと、これに答えるのは大変です。『大辞林』クラスではちょっと無理でしょう。岩波の『古典文学大字典』とか、新潮の『日本文学大辞典』(古いの)でないと。
安く買える参考書としては、中公新書の『いろはうた』(小松英雄)があります。
パングラムを専門的に扱ったwebページ、なくなっちゃったのかな。
「たゐに」は私のページの雑文雑考を参照。
「目についたことば」の「いろは」960926の切れていたリンクが下。
→ 究極の26字文
後藤斉 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 03日 木曜日 18:21:00)
>(4) 50音
> 「あいうえお」では、どうして、「や」行の次に「ら」行が来るんでしょう?
五十音図の順番は基本的には悉曇の字母順によるとされます。そして、サンスクリットで
どうしてya,ra,la,vaの順番になるかは、調音点によって、硬口蓋、反り舌、歯、唇歯と、
後から前に並べているから、と考えられます。後から前という順番は破裂音では明瞭に
現れています。
→ Apte Sanskrit Dictionary Search
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 03日 木曜日 18:33:44)
後藤さん、よいページをご紹介頂き有難うございます。
南堂さん、この表の中から、日本語にある音を抜き出して行くと、だいたい五十音図の順になるというわけです(アイウエオもアカサタナハマヤラワも)。但し、サ行はsではなくc、ハ行はhではなくpで見てください。
佐藤@岐阜大 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 03日 木曜日 20:47:20)
「屋下屋を架す」ですが、よろしかったらどうぞ。
→ 気になることば〜五十音の配列
後藤斉 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 10:37:16)
>後から前という順番は破裂音では明瞭に現れています。
は「破裂音/鼻音の系列」とすべきでした。
さて、y,r,l,vが半母音として一括される理由は一般音声学的に考えても
もちろんいいのですが、サンスクリットでの特別の事情もあります。
つまり、サンスクリットには母音としてのr,l(Apte Sanskrit Dictionary
SearchでR,Lと転写されているもの。印刷時は普通rとlの下に白抜きの
小丸をつける)があって、語形変化や環境によって子音としてのr,lと
交替します。これはi,uがy,vと交替するのとほぼ平行しています。したがって、
y,r,l,vを子音の中でも半母音の系列として一括することになる訳です。
Monozuki さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 13:24:53)
Color and smell (love and enjoyment) vanish!
In our world who (or what) will be enduring?
If this day passes away into deep mount of its existence,
Then it was a faint vision ; it does not even cause gliddness (it loves you cold).
(Translated by J. J. Hoffmann.)
『英語世界』第十八號 明治三十一年八月 三十二頁
南堂久史 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 15:20:57)
いろいろとご教示ありがとうございました。打てば響く、といった
感じですね。なんか、私みたいな門外漢がしゃしゃりでると、場違い
みたいな感じもしてきますが。…… (^^);
で、私の方からも、ちょっと。
上 ( Date: 1999年 3月 23日 火曜日 12:21:45) にリンクのある
「あさきゆめみし」の会議室ですが、誤字が見つかりました。
OCR のエラーですね。
露と滑えて → 露と消えて
難字を葉めて → 難字を集めて
ぺし → べし (半濁音/濁音。箇所多数。)
有爲の奥山 → 有爲の奧山 (「奥」:新字と旧字)
※ 位置はいずれも検索で探してみてください。
※ 新字と旧字の違いは、「奥」以外にも10箇所以上ありますが、省略。
もしかしたらもともと新字(俗字)を使っていたのかもしれないので。
※ だけどたいていは正しいので、OCR って、なかなかお利口ですね。
ORiCo
【 余談 】
紹介された別ページを見ていたら、数の数え方の読みが出ていた。
それに関連して……
「 ひい、ふう、みい、よ、い、……、と 」
は英語で言うと、次の通り。
「 he, who, me, you, it , …… ,to 」
(トイウノハモチロンジョウダンデス)
似たようなのに、次のがあります。(悪のり)
「 kiss, kiss, turquoise, kite, nut 」
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 16:50:08)
南堂さん、誤字情報有難うございます。OCRに読ませた後、目でざっと見てはいるのですが、随分間違っていますね。まとまった量のものをOCRにかけた時には、「ぺし」のようなものは訂正すべく、sedを通したりするのですが、その時には、そうした作業を行なわなかったのです。
それから、「門外漢」ではありましても、関心をお持ちになりましたら、新書ぐらいには調べる範囲を及ぼしても良いのではないかと考える次第です。
Monozukiさんの、書き込まれた英訳は、あの日本学者ホフマン、幕末ごろに『日本文典』を書いたホフマンのものですね。この「いろは」何に載っているのでしょうね。
しかし面白いのは「Color and smell」ですね。「いろは」を「色香」でとらえる考え方(「は」を助詞と考えずに)もあったのですが、それに従っているわけですね。
「いろは」の意味はさまざまな考え方が有りまして、江戸時代などは大変です。涅槃経がこじつけだ、というのも言われることです。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 17:32:37)
ホフマンのは日本文典に載っていますね。明治書院刊の三沢光博訳によれば、
色も匂も(愛も快楽も)消え行く。
この世に何者(何事)か永続すべき。
今日の日の深山に消え行かば、
総てはかなき幻影にして、酔への道ともならざりき。(汝に残るはただ寒さ)
さきほど私が書いたのは間違いらしい。漢字による書き方が書いてあって、
色匂散
我世誰常
有為奥山今越
浅夢不酔
「色は匂へど」を「色も匂いも」としているらしい。
南堂久史 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 22:25:34)
「いろは」英文
※ 以下、当たり前すぎるので、国文系の人は読む必要はありません。
例の英文は誤訳でしょう。現代の日本人もけっこう誤解している人が多い。
(1)
「匂い」となっているが、これはそもそも「匂う」を口語の意味で解釈
したため。文語で「匂う」は「映える」の意味です。たとえば:
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
(間違っていたらごめんなさい。本居宣長の作。)
(2)
「有為の奥山」が「 deep mount of its existence 」となっているが、
これは「有」という文字をそのまま解釈したためらしい。
「有為」はサンスクリット語のなんとかかんとかの、訳語。「無常」
とほぼ同義。「有為無常」「有為転変」ともいう。
────────────────────────
新潮「波」で、丸谷才一の新刊本の紹介がある。
それによると、和歌はみんな、愛(性愛)で解釈できるらしい。
その伝で言うと、いろは歌も、そう解釈できなくはない。
「小町のところへ百夜通いをした少将だが、そのひとときが過ぎて
しまえば、一気に恋が冷めてしまった。あれほど憧れていたのは、
いったい何だったのだろう。この世に永続するものなどはあるのだ
ろうか。焦がれていた美女の深山も、踏み入ってみれば、すべては
浅い夢、酔いも醒めてしまった。」
……既婚者なら、身に覚えがあるのでは?
(※ ダジャレで、「卒塔婆小町」に掛けています。解説省略。)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 23:36:07)
こんなページがありました。
→ 新いろはうたくらぶ
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 04日 金曜日 23:40:28)
こちらも。
→ 現代いろはうたホームページ
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 09日 水曜日 17:36:40)
新潮の『日本文学大辞典』「いろは歌」の項から、執筆は橋本進吉氏。
【京の字】いろはの終りに「京」の字を添へたものは、今日では「悉曇輸略図抄」(了尊作、弘安十年成)に見えるものが最も古く、それより、「伊呂波聞書」(嘉元二年成)、頓阿の「高野日記」以下に続いて見え、近世では、これをつけるのが普通になつた。何故に「京」をつけたかの問題については、或は梵字の字母の終りに、liam,ksaの如き二合字(文字を二つ併せて一字としたもの)のあるに倣つたと云ひ、或は拗音を示す為めと云ひ、或は假名手本の終りに、京の大路小路の名を書した為めであると云ふが、何れも確証なく、未だ解決することが出来ない。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 18日 日曜日 23:54:42)
国語学会のポスター発表で清水康行氏に聞かせていただいた1900年の日本語録音。
いろはの唱え方のうちの一つは、「……ヨタレソツネ、ナラムウイノ、オクヤマケ、フコエテ……」であるように聞こえました。
杉花粉ではないものによる花粉症とおぼしくて、くしゃみ連発なので、部屋から出てちゃんと聞けなかったのが残念でした。
→ 目についた言葉「いろは歌」
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 19日 月曜日 01:28:16)
国語学会、せっかく大阪で開かれたのに(それも国語学会としては最後なのに)行けなくて残念でした。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 09:23:33)
今回の近代語研究会で聞いたものは、
「イロハニホヘト、チリヌルヲワカ、ヨタレソツネ、ナラムウイノオク、ヤマケフコエテ……」
でした。
"ふたりで声を合わせて、「イロハニホヘトチリヌルヲワカ、ヨタレソツネナラムウヰノオクヤマケフコエテ……」という、このリズムのあるテンポが特徴でしたけども、これが私のテンポと兄貴のテンポとが違うわけですわ。"という証言も残っています。
なお、「てんやわんやの」と書いたのは、おそらくNHKの番組で、「二組のネタを取り替えてやってみようという試み」を見た記憶によるものではないかと思います。
私の群馬県では、筒井康隆「情報」と3行目から違って:
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつね
ならむうゐの
おくやまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす ん
と覚えています。東京の武蔵野市や京都でも同じとのこと。地域により色々あるようですが、いずれにせよ七五調の歌の区切りをなぜわざわざめちゃめちゃに変えて唱えるのか。永年の疑問が解けません。