古典では尊敬語・謙譲語両方を使用して、動作主と動作の受け手両方を高めることができた(「かぐや姫、おほやけに御文奉り給う」)が、現代日本語では、それはできない、という話から出てきたことなのですが・・・日本の高校で国語教師として長年教鞭を取ってこられた方が、その説に反対して、上記の例文をあげられたわけです。
上の文章は、田中先生を自分の身内として自分と対等とみて、田中先生を低めることにより鈴木先生を高めているので、田中先生に失礼ではないか・・とずっと理解していたのですが、その方によると、私の考えは間違っているそうです。
同様に、"Prof. Tanaka, did you see Prof. Suzuki the other day?"を日本語で言う際、私の理解では、「会う」という動詞に組み込んで、動作主である田中先生を高めることはできても、動作の受け手である鈴木先生を高めることはできない、と思っていたのですが、その方によると「田中先生、鈴木先生にお会いになりましたか。」は、田中先生に対する尊敬語であるが、鈴木先生に対する敬意を表するための表現として「田中先生、鈴木先生にお会いしましたか」も可能であり、決して田中先生に対して失礼にはならないとのことで・・・
私、過去数年間、日本語学習者に間違ったこと教えてきたのでしょうか???誰か、教えてください!!
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 18日 日曜日 1:12:51)
日本語話者としての素朴な感じ方ですが、私は関根さんに賛成です。
まず「田中先生、鈴木先生にお会いしましたか」は、明らかに
田中先生に失礼だと考えます。というのも、下級生の佐藤君に
向かって
(1)佐藤君、鈴木先生にお会いしましたか?
(2)佐藤君、鈴木先生にお会いしたか?
といったとき、いずれも佐藤君に尊敬の意を表してはいないと
思うからです。
(1・2の相違は「ます」のあるなしにすぎず、ここでいう尊敬
語とは関係ないでしょう。)
同様に、
(3)佐藤君、鈴木先生にこれを差し上げてください。
(4)佐藤君、鈴木先生にこれを差し上げてくれ。
は、いずれも佐藤君に尊敬の意を表していないと思います。
ただし「てください」に、単なる丁寧だけではなく「給へ」に
通ずる尊敬のニュアンスを感じ取れないこともありませんが、
やや無理でしょうか。
では、次のように変えるとどうでしょうか。
(5)田中先生、鈴木先生にこれをお差し上げください。
(6)田中先生、鈴木先生にこれをお差し上げになってください。
……
これは、田中先生へに尊敬の意を表すように、一応みえます。
ところが、こう変えたとしても、「差し上げる」というのは、
下位者(田中先生)から上位者(鈴木先生)へものを渡すことで
あり、いくら「お〜なさる」で田中先生に尊敬の意を表しても、
鈴木先生>田中先生>話し手
という上下ができると思います。
古代語ではこの点をどう解決したのか不思議です。対面して話し
ている二人の描写に、「AがBに聞こえたまふ」「BがAに聞こえ
たまふ」などとあって、書き手が両者に同等の尊敬の意を表して
いることは明らかです(「源氏」若紫の光源氏と僧都の会話など)。
現代語で穏当と思うのは、この場にいない鈴木先生への尊敬を
省略して
(7)田中先生、鈴木先生にこれをお渡しください。
(8)田中先生、鈴木先生にこれをお渡しになってください。
……
となるかと思います。つまり両先生に同時に尊敬語を用いられない
わけで、関根さんが正しいものと考えます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 18日 日曜日 1:32:53)
そもそも
>>田中先生、鈴木先生にお会いしましたか
>> (1)佐藤君、鈴木先生にお会いしましたか?
>> (2)佐藤君、鈴木先生にお会いしたか?
「お会いする」というのもおかしなことばで、鈴木先生を
高めるためならば「お目にかかる」というべきなのでしょう。
「お〜する」は、「御髪をお直しする」とか「先生を拙宅に
お招きする」などのように尊敬の相手が対象格(ヲ格)に
なる場合に使うと思います。
いずれにしても田中先生や佐藤君への尊敬の意はないと思います。
テレビなどで言う「ではまた来週お会いしましょう」は、
「ではまた来週お目にかかりましょう」などとするのが
本来の敬語ではないでしょうか。話がそれましたが。
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 18日 日曜日 14:07:26)
関根さん、あなたの感覚で正しいのだと思います。
「田中先生、鈴木先生にお会いしましたか」という表現はどう考えても不自然です。
「お(ご)〜する」という表現は元来、謙譲表現で、「先生、その鞄私がお持ちします」とか「先生、私がご案内します」のように自らの行為をへりくだって言うときに使うものです。ですから、「田中先生、鈴木先生にお会いしましたか」などと言うと、「田中先生」が随分低い位置に置かれてしまいますし、何よりもこんな言い方は不自然です。
「田中先生、鈴木先生にこれを差し上げて下さい」の方は、先の表現よりは不自然さは少ないようですが、でも、関根さんの指摘通り、これでは「田中先生」に敬意は払われていないことになります。どちらの先生にも敬意を表す必要があるときには、例えば「鈴木先生にこれを差し上げようと思うのですが、田中先生から手渡していただけませんか?」などと二重の言い回しが必要でしょう。
「日本の高校で国語教師として長年教鞭を取ってこられた方」というのがどういう人なのか、よく分かりませんが、現在の日本語では、尊敬語と謙譲語の違いが分からなくなって混乱が起こって来ています。特に「田中先生、鈴木先生にお会いしましたか」に類する誤用は非常な勢いで広まっています。司会者が「では、先生にお話しいただきます」とか「では、先生にお話をしていただきます」というべきところを、「では、先生にお話ししていただきます」などと言う例は頻繁に聞かれます(言うまでもないことですが、「お話しする」という表現は謙譲表現です)。
誤用もそれが趨勢になれば、誤用ではなくなるわけですが、私はまだこれを正しい表現と呼ぶのには抵抗があります。
言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 19日 月曜日 16:57:34)
この辺の内容を現代女子高校生(これだけで、セクハラと言われるかも..に
聞いてみようと思っております。多分、今週中に機会があると思います。
手前味噌な表現ですが、私(41歳)を含め、現代人は敬語の感覚が難しくて
わからなくなっている場合が多いと思いますし、更に、若い人々には、
「尊ぶ」「敬う」という単語など、それこそ「死語」でしょうから...
私なら...
「田中先生、鈴木先生にこれをお渡しいただけますでしょうか?」と
お茶を濁した表現をしてしまいそうです。(これでも正しいのかな?)
→ 若者用語の裏知識
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 19日 月曜日 22:10:36)
>>手渡していただけませんか?(森川知史 さん)
>>お渡しいただけますでしょうか?(言魔 さん)
>>お渡しください。(私の文)
森川さん・言魔さんのおっしゃるように問いかけの形にするほうが
「敬意表現」として正しいですね。そもそも上位者に命令すること
自体に問題があるわけですね。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 20日 火曜日 15:34:33)
>古典では尊敬語・謙譲語両方を使用して、動作主と動作の受け手両方を高めることができたが、現代日本語では、それはできない、
というのは、体系的にいうとそうだろうと思います。ですから、この場合、Yeemarさんも書いていらっしゃるように、眼前に居る人への配慮、ということが効いて来ると思います。
逆に、眼前に居るのだから、丁寧語を使う・あるいは前後の文で尊敬語を使うことで許してもらって、この文章では謙譲の立場に立ってもらう、という選択も可能である気はします。
まあ、田中先生に向かって言うわけですから、田中先生自身の認識としてが鈴木先生より下、という意識があることがはっきりしていないと、謙譲の立場に立てて云うことは恐くて出来ないと思いますが。
関根恵美 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 20日 火曜日 16:01:40)
日本語学習者に間違ったことを教えていなかったことを確認できて安心する一方、敬語の難しさを再認識させられました。
実は、その「長年日本で国語教師として教鞭をとってこられた方」(彼は、多分50才ぐらいで、特に古典に造詣が深い方です。もしかしたら、いつも古語交じりで話しているのかも??(冗談))が出されたもう一つの例文というのが、
「校長先生は、この話を文部省に申し上げて下さったんでしょうか。」
というもので、私は、これにも違和感があります。私にとっては、謙譲語「申し上げる」を使うこと自体が、その動作主である校長先生を自分より下か身内として扱っているように思えるわけで・・自分の上司の行動に言及するのに謙譲語「申し上げる」を使うこと、つまり、
「校長が申し上げましたでしょうか」
は、対外的に話している時のみ使えるのではないか・・と私は理解しています。同僚間で上司のことを話題にする場合は、私なら
「校長先生は、文部省に話してくださったんでしょうか。」
と言うと思うのですが・・
その元国語の先生がおっしゃっているのは、
「校長先生は、この話を文部省に申し上げて下さったんでしょうか。」
は、その校長先生のもとで働く教師間で普通に使われるものであり、「申し上げる」により文部省を高め、「下さった」により校長先生を高めているから、決して校長先生に失礼にならないと・・・うーん・・・・でも相手が天皇だったら、やっぱり
「校長先生は、天皇に話して下さったんでしょうか」では、ちょっとおそれ多い??
「校長先生は、天皇に申し上げて下さったんでしょうか」
になるのかなー???とすると、彼の説にも一理ありだなー、とやはり今一つすっきりしない私です。
この手のことを詳しく説明してある本をご存知の方、いらっしゃいますか?
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 20日 火曜日 19:08:31)
またまた、こんな問題を提起されましたね。
「申す」は現代語では基本的に謙譲語と理解されているのですが、歴史的には決して謙譲の意を表してばかりはいなかったことは、よく知られています。
例えば、
幸助手前の真面目では出来かねようと(おやぢが)申されましたが少し心に障りまして(天保十年・縁結月下菊)
のような例では、軽い尊敬の意として「申される」が使われています。ご承知の通り現在では「申される」は謙譲語の「申す」に尊敬表現の「れる・られる」を付けた表現なので誤りとされているのですが。
つまり、「申す」は歴史的には決して謙譲語とばかりは言えない上に、更に、現代語でも「申す」と「申し上げる」とは謙譲の対象者が異なるということがあります。
例を示しますと、
A.私は犯人に自首するように申しました。(○)
B.私は犯人に自首するように申し上げました。(×)
のように、A.の表現は可能でも、B.のようには言えないということがあります。
つまり、「申す」は、聞き手への謙譲表現であるのに対して、「申し上げる」は補語(上記例では犯人)に対する謙譲を表すからです。
このようなことを考え合わせると、関根さんが提起された問題はなかなか厄介だということがお分かりでしょう。
関根さんは、
校長先生は、この話を文部省に申し上げて下さったんでしょうか
という文について、違和感がある、とした上で、
謙譲語「申し上げる」を使うこと自体が、その動作主である校長先生を自分より下か身内として扱っているように思える
と言っておられる訳ですが、以上のことから考えると、「必ずしもそうとも言えない」ことが分かりますし、でも「絶対にそうではない」と言えるほど明確なことでもない、とも思えます。
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 20日 火曜日 20:23:52)
「この手のことを詳しく説明してある本を」とのご要望ですので1冊だけ記しておきます。
「敬語」菊池康人著・角川書店(2400円)
現代語の敬語について非常に巧くまとめてあると思います。
関根恵美 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 20日 火曜日 23:17:48)
森川様、
私、「申す」と「申し上げる」の違い、また「申す」の歴史的意味等(お恥ずかしい話ですが・・)まったく知りませんでした。たいへん参考になりました。特に、「申す」と「申し上げる」の違いを考えたことすらもなく、又、知らなかった私にとって、な、な、なんと、これは、す、す、すごい、そうだったのね!!!本当にどうも有り難うございました。今日1日で、10倍ぐらい利口になったような気になってしまう私は、幸せ者?
豊島正之 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 21日 水曜日 14:21:46)
>>古典では尊敬語・謙譲語両方を使用して、動作主と動作の受け手両方を高めることができたが、現代日本語では、それはできない、
>というのは、体系的にいうとそうだろうと思います。
菊地敬語論では、基本的には、古語も現代語も変わらない事になっていますが…。
菊地論の眼目は、所謂「謙譲語」が、実は補語敬語と主語卑下語に分かれるという処にあると思います。
両者のテストは、更に主語尊敬語を付けられるかどうかですので、
○部長、資料を社長にお差し上げになりましたか? (差し上げる+お…なる)
×部長、事故を社長にお申しになりましたか? (申す + お…なる)
から、「差し上げる」は補語敬語、「申す」は主語卑下語と判別されます。
尚、「申される」は「申す」とは別語としないと説明が付きません。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 21日 水曜日 14:48:09)
私も、菊地『敬語』、読んで勉強しなければいけません。
なお現在に講談社学術文庫で買えます。
関根恵美 さんからのコメント
( Date: 1999年 4月 21日 水曜日 17:00:55)
こちらの大学の図書館でも、「敬語」菊池康人著・角川書店(1994年)がありました。私も早速読んでみます。皆様、貴重なご意見、本当に有り難うございました。