「ライオンという名があるから、人間はそれほどおそろしがらないが、ライオンという名前すらなかったら、どれだけ恐ろしく感じるだろう」(取意)の出典です。御存じの方、御教示いただけると幸いです。
#一旦、「ああ、勘違い」に書きましたが、やはり分岐させるべきと考え、新たに投稿しました。申し訳ありません。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 5月 26日 水曜日 15:13:43)
清水義範『パスティーシュと透明人間』新潮文庫し33-4に、「正体不明の何かいいもの」という題の文があり、
かつて安部公房は、SFについて論じた短文の中で、虎という名がつく前の虎は、今よりはるかに恐ろしいものだっただろう、という主旨のことを書いていた。
とありました。
安部公房といえば、サルトルの『嘔吐』について、まだ名付けられないものが人間に与える「むかつき」を書いたものだ、ということを書いた文章を見たことがあります。
小生、恥ずかしながらこの「嘔吐」を読んだことがありません(さきほどぱらぱらとめくっては見たのですが)。しかし、どうもこの周辺が気になります。
佐藤@岐阜大 さんからのコメント
( Date: 1999年 5月 26日 水曜日 21:44:23)
どうもありがとうございます。
実存哲学でしょうか。私も、これをてがかりに当たってみます。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 11月 21日 火曜日 15:08:55)
日本SF大賞をとったという巽孝之氏の『日本SF論争史』に載っている、安部公房のものに、たしかトーマスマンで、として、ライオンが名付けられる前の恐怖の話を読んだ、というようなことが書いてありました。研究室に戻れば近くの部屋に全集があると思ったので、ちゃんと覚えてこなかったのですが、全集は別の場所に移動してしまったようです。
1966年ごろのSFマガジンに掲載されたもののようでした。