私は異国で日本語を外国人に教えるという、日本ではまだまだ得体の知れない職業に足を突っ込んでしまっているので、外国語に置き換える際に思わず「う〜ん」と唸ってしまう日本語について皆さんに伺いたいと思います。まず「流石」と書いて「さすが」と読ませるこの奥行きの深い言葉について。
「さすがは彼だ」「さすがの彼も弱音を吐いた」「さすがにこの時は怒った」など形の上でも変幻自在に現れるが、意味の上でも(なんといってもやはり)(そうはいってもやはり)(そうではあるがやはり)など、この語のニュアンスを伝えようとすれば思わず唸ってしまい、「これはこのまま覚えるしかない」式の授業になるわけです。
「さすが(流石)」について、当て字の由来も含めてどなたかご教示願います。
バルセロナにて
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 22日 火曜日 8:04:27)
上代語の「しかすがに」の語構成と同様。
副詞の「さ」+サ変動詞の「す」+助詞の「がに」が一語になって副詞的に用いられ、語尾の活用から形容動詞になって、やがて、「に」を落として副詞になったものでしょうか?
当て字については、晋の孫楚が「流れに漱(くちすす)ぎ石に枕す」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤ったのを、強弁して「石に口すすぐのは歯をみがくためで、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ったことから、と説明されています。ちなみに、夏目漱石の名の由来でもあることは、あまりにも有名です。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 6月 22日 火曜日 12:48:45)
「さすが」については、最近、渡辺実氏が論考を書かれ、学会誌『国語学』の展望号などで取り上げられていたのですが、小生、残念ながら、この論文に接しておりません。
下手なことは言えませんので、その論文を読むまではコメントするのは御勘弁ください。
それから、漢字をどうあてるのか、ということと意味の問題は切り離して考える方がよいと思います。
「流石」については、森川さんが書いてくだすったとおりかと思いますが、このことから「さすが」の意味を考えることは出来ませんよね。
天野修治 さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 19日 月曜日 9:28:44)
(森川さんへ)なるほど「然う有りそうに」ということですね。岩波古語辞典が日本から届いたまま放っておいたダンボール箱の底から出てきたので見てみると、(古代語は大野晋氏、中世語は佐竹昭広氏の担当)「しかすがに」では、「がに」の「が」を「所」と捉えて「然う有る所で」の意とし、「さすが」では、「しかすがにのシカスガにあたる」としていました。「がに」を助詞と捉えるか「が(所:ありかの処)+に(助詞)」と捉えるかで意味への接近の仕方に違いがあるにせよ、語の成り立ちと語の意味するところは、ほぼ結びつきました。当て字「流石」の由来と語の意味との関係も納得できます。ありがとうございました。
(岡島さんへ)渡辺実氏の論文に目を通されましたら、またコメントをお願いします。私は8月はマラガで、8月中のコメントへのお礼は9月になると思います。
バルセロナにて