1999年07月30日

人名謎解き

 飛行機乗っ取り、国内で初めて殉職した、機長の娘さんのお名前が「留合」と書いて「るり」さん。何故だ!と思ったが分からない。妻に聞くとあっさり解いてくれた。「百合」を分解したのであろうと。なるほど。熟字訓の分割か。

 そういえば以前、谷村新司が「バラのバの字」と言っていたなあ。海がアイウエオの全部に読める、というのもそれだわなあ。


石ねこ さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 31日 土曜日 0:00:11)

 私も似たような例を思い出しました。
 歌手の「中村美葎子」さん、名前は「なかむらみつこ」と読むそうですが、どうして「葎」が「つ」なのか分かりません。思い当たるところ、「葎=リツ」と読むがこのツリを分解して「ツ」と読ませたのではないか。
 同様のケースが他にもあり、私の会社にも「美律則(みつのり)」さんがいらっしゃいます。
 ただ、「葎・律」と「津」を混同または転用した、という可能性もありますので断定はできません。


言魔 さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 31日 土曜日 8:38:40)

私自身が本名「五十里」で「イカリ」と読みますので、人名に関しては
興味津々...
正確な文書はどうあるかわかりませんが、「人名漢字」にある字であれば
どんなのを使っても良く、且つ、読み方は自由というのを聞いたことが
あります。
つまり「一郎」と書いて「ゴンスケ」と読んだとしても良いはずです。
大先輩で
「雪中高士雄」と書いて「ウメオ」さんがいます。
生徒で
「明子」と書いて「サヤコ」がいます。
私自身も「光彦」で「テルヒコ」です。祖先もヒネクレモノなら親もヒネクレモノでして...

言葉のよろずや


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 02日 月曜日 16:04:06)

石ねこさん。 
演歌歌手も「美律子」ではありませんでしたっけ。「葎」を使っているのは「中村嘉葎雄」という人が居ました。もとは別の字だったのを改名したと記憶しています。
私は「津」からの類推で(ツが音読みであると誤解し)、「律」「葎」もツと読んでいるのであろうと思っていました。

言魔さん
おっしゃるとおり、名前はどうよんでも構いませんね。(私も岡島ショーコーと名乗ることも可能なわけです)
戸籍にはよみは書かないわけですから。但し転入などを届け出るときに、整理のための読み仮名を書かされることもありますね。住民票には読みを記入している自治体も有るのでしょう。

しかし、どう読んでも構わないからといって、なぜそう読むのだろう、という疑問を持たないわけには行きません。納得したいのです。
もし「一郎」がゴンスケだと言われたら、何故そう読むの?、と尋ねます。
「二」ならゴンと読めるかな、とか、「郎」は「すけ」と読めるかもしれない、と思ったりします。

「雪中高士雄」と書いて「ウメオ」さん、納得出来ます。「雪中高士」が梅をさすからです。
「明子」と書いて「サヤコ」、さやけき光りですね。
「光彦」で「テルヒコ」、「光」を「テル」と読むのは、「ミツ」と読むよりもずっと理解出来ます。「照る」ですから。
「光」を「ミツ」と読むのは、「充」と字形が類似していることによると言われています。

「雪中高士」がウメだからといって、「雪中」をウ、「高士」をメと読んで欲しくはないな、というのが、「留合」と書いて「るり」であり、熟字訓の分解、であるのです。


小駒勝美 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 03日 火曜日 11:27:55)

「日日」あるいは「日月」と書いて「たちもり」と読む姓がありますが、

 ついたち(一日)+つごもり(晦日or月隠)

という熟字訓の一部をちぎったものだと思います。「日月」のほうはちょ
っと無理があるようですが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 03日 火曜日 11:46:18)

「日日」で「たちつか」と読む例は、『醒睡笑』巻之三・文字知顔に
出ていますね。

一 革細工の方へ、「侍のもとより」とて太刀に文を添持來る。披キ
  見れば、「此日日念を入玉り候へ」と有。つゐに讀者なし。亭主
  わざと侍の許へ行、直に尋ねければ、「それこそ誰も知るべき
  文字よ。頭の日は『朔日』のたち、次の日は『二日』のつか。『太刀
  の柄を巻て呉よ』にて濟たる者を」と也。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 04日 水曜日 11:10:10)

時々、拝見しております。コメントははじめてです。
外相重光葵の親戚という方から、葵がなぜ「まもる」であるかわからない、と聞いたことがあります。伝記なども多い人物なので、折にふれて注意して見るようにしていますが、わかりません。漢籍などになにかいわれでもあるんでしょうか。
まさか、徳川のあの「紋所」に関係しているってことは・・。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 05日 木曜日 20:29:27)

古辞書の「類聚名義抄」(観智院本)に「恭」の異体字が
載っていますが、これに「マモル」(マホル)の訓がつ
いています。

見たところ「葵」と似ていないでもないですが、関係は
ないでしょうか。

たぶんないですね。こじつけはいけません。すみません。


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 05日 木曜日 22:30:56)

>葵がなぜ「まもる」であるかわからない、

「玉塵抄」巻九に

[曹植]傾陽葵、葉向日不令照根、日ノ光ヲ葉デカクイテ、モトヲテラサセヌゾ、
マコトヲ守テアル心ゾ、人ハ吾ガ根本ヲ守ライデハゾ

(「カクイテ」は「隠して」) (現存三本ほぼ同、私に濁点・読点を補)

とありますが、この解釈によるものではないでしょうか。
「葵」のマモルさんは、少なくありません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 06日 金曜日 1:29:31)

なるほど、「恭」の線はやはりないのですね。不用意なことをいうも
のではありません。

「下学集」にも「葵……左伝に云はく、鮑荘が智、葵に如かず、葵は
猶能く其の足を衛る。此の時、鮑荘罪を犯して足を削らるる、故に爾
云ふ也」とあることから、原典は春秋左氏伝でしょうか。

重光葵は、脚をまもることができず、朝鮮で爆弾テロに遭ってしまっ
たわけですが。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 07日 土曜日 8:29:28)

大漢語林には「葵花向日」(仏)として「…また、主君に対して真心を尽くすたとえ。」
とあり、このあたりの解釈か、と思っていましたが、なんとしても「訓み」が出てこない
ので、困っていました。「葵花向日」ではヒマワリのような別の植物のようですし。
「葉向日不令照根」「葵は猶能く其の足を衛る」はぴったりですね。得心がいきました。
豊島正之さん、Yeemarさんありがとうございました。

この解釈からしますと重光葵の遭難の件は本当に因縁話のようですね。
爆弾テロ(場所は確か上海であったかと)では陸軍大将が亡くなるなどの大惨事でしたから、
むしろ命があったのは幸運で、彼のその後の大抜擢や「隻脚の外交官」としての活躍をみれ
ば、片足を犠牲に命、名声を「まもる」こととなったといえはしないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 05日 月曜日 16:09:10)

紅白で目についたことば」の「一青窈」へのレスポンスをこちらに書きます。

このスレッドの上のほうに、「日月(たちもり)」「留合(るり)」のような熟字訓の一部を使った姓・名が紹介されています(「たちもり」の「もり」のもととなる「つごもり」は「提月」のよみから?)。

その式でいえば、「一青(ひとと)」は、「ひと」に「万年青(おもと)」の「と」がくっついたものかなあ、と漠然と思っていました。苦しい説かもしれません。この名字は石川県の地名に由来する、窈さんの母方の姓だということです。すると、地名に熟字訓の一部を使うことがあるかということが問題になりますが、そのような例はあまり聞きません。

「ヒトツアヲ→ヒトト」という変化と考えることは納得しやすいものですが、類例はあるでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 05日 月曜日 21:51:26)

類例はまだありません。

「つあを」→「と」について補足しておきますと、tuaoからtoになるにあたって、単純にuaが落ちたとは考えない方がよさそうです。おそらく、
  ao > o: > o
という過程を考えた方がよいと思うのです。


unspec さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 08日 木曜日 15:14:14)

「シトト」という霊鳥に由来する説を紹介したページがいくつか見つかりました。その霊鳥の正体は不明です。

■観光情報「じんのびーと能登」
きれいな水と景勝のふるさと・鳥屋町
 「昔、湿地・沼地が多かったこの地域にシトトという霊鳥がいて、その鳥の羽が青かったことから一青という字があてられた、といわれている」

■テレビ金沢「じゃんけんサタデー」
2003年5月24日(土)鳥屋町
 昔昔、真っ白な体に一部分だけ青い羽を持ったシトトという鳥がいたから、あの辺りをひとと地区というそうですけど、珍しくて素敵な名前…。

■「めぐり逢うことばたち」(かぐら川 氏)
2003/12/19 (金) 「能登の一青」鳥伝説
 “真っ白な体に一部分だけ青い羽を持ったシトトという鳥”が、一青という不思議な地名の由来であるとか・・・。

「一青」と書いて「シトト」と読ませる方もおられるようです。
順天堂浦安病院・整形外科 科長:一青 勝雄(しととかつお)氏

---------

ついでに、google検索結果...

 "一青" +窈 31,900件
 "一青" +窃  2,490件
 "一青窈"  31,800件
 "一青窃"    365件


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 08日 木曜日 22:33:50)

「しとと」(鵐)の方言形は『日本方言大辞典』でみられますが、先日パラパラと見たとき、「ひとと」の語形では関東・静岡・鳥取・福岡あたりにしかなく、石川を含む北陸にみられなかったため「一青」と「しとと」(鵐)を結びつけるのは困難であろうかと、追究をやめていました。

しかし、石川県で霊鳥の「しとと」に「一青」が当てられているとは、虚をつかれました。考えが足りませんでした。

そうすると、「鳥家」「鳥羽」を「とや」「とば」と読むごとく、「しとと」は「しと鳥」なのだろうかという思いも生まれます。「鳥屋町(とりやまち)」には「鳥屋比古(とやひこ)神社」(畝源三郎氏「能登の社・寺・祠」)があるそうですし。しかし、このへんは語源遊びになるかもしれません。筆者畝氏は「「鳥屋」は万葉語「とや」に対する当て字であり、平野を意味する枕詞であって」と書きます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 08日 木曜日 22:46:42)

「と(鳥)」は「名詞の上に付いて、とり(鳥)の意を表わす。「とがり(鳥狩)「とぐら(鳥栖)」「とや(鳥家)」「とあみ(鳥網)」など。」(『日本国語大辞典』)ということですから、下に付く「しと鳥」はさすがに無理らしくも思われます。

上代仮名遣いはどちらも乙類のトのようですけれども。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 10日 土曜日 10:07:46)

 以前、「蔀」という名字と「人見」という名字の間に関連性を考えたことは有りましたが、「しとと」と「ひとと」には思い至りませんでした。故実読みのような感じですね。「しとと」→「ひとと」に変化したときに、「一」字が影響を与えた、というところでしょうか。

 それから、この「しとと」は、どういう鳥なのかが気になりますね。ホオジロでよいのか、ホオジロがそのような色を呈することがあるのか。ホオジロではなく似た鳥でそんな色の鳥がいるのか。などなど。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 02日 月曜日 03:07:08)

# 4つ上の発言者は私(の分身)です。→(Date: 2004年 01月 08日 木曜日 15:14:14)

「鵐」はスズメ目ホオジロ科の総称のようですね。一青の近くにある黒氏(くろじ)は「黒鵐」のことなのかもしれません。憶測ですが。

■日本国語大辞典
しとど【鵐・巫鳥】〔名〕(古くは「しとと」)「ホオジロ類の鳥、ホオアカ・アオジ・クロジなどの総称の古名。しととどり。
[方言] 鳥。(1)ほおじろ(頬白)。… (2)あおじ(青鵐)。… (3)くろじ(黒鵐)◇石川県鹿 児島県

以下、地名「一青」について。

■平凡社『日本歴史地名体系17 石川県の地名』
一青庄{ひととのしょう}
 現一青・黒氏{くろじ}から大槻{おおつき}にかけての町域の大半に比定できる皇室領。 <以下略>
一青村{ひととむら} (現)鳥屋町一青
 二宮{にのみや}川・長曾{ながそ}川の複合扇状地の末端部で、邑知{おうち}地溝帯の分水界に位置し、西の枝村深沢{ふかそ}は眉丈{びじょう}山麓を走る西往来に沿い、黒氏{くろじ}村の深沢と接する。地名は当地が往古湖沼であった頃、之止止{しとと}という霊鳥が群集したことから生じたという。鳥の毛色が青いことから「あおひと」ともいわれ、一青の二字をあて「ひとと」とよぶようになったと伝える。弘法大師が統治を通ったときに水を請うたが進上しなかったため、大師が水を封じ井戸はすべてかれたという(能登志徴)。中世一青庄の中心であった。 <以下略>

■角川書店『日本地名大辞典17 石川県』
 ひとと 一青〈鳥屋町〉
「しとど」ともいう。能登半島中央部,邑知{おうち}地溝帯の二宮川扇状地末端部に位置する。地名の由来は,かつて低湿湖沼がシトト(志止止)鳥の群集地であったことによるといわれるが不詳。〔中世〕一青荘 平安末期から見える荘園名。能登国鹿島郡のうち。保元2年3月,保元の乱で敗死した左大臣藤原頼長の旧領が後院(後白河天皇)領となったなかに,「能登国壱処」として「一青荘」とあるのが初見(兵範記)。 <以下略>

■冨山房『増補 大日本地名辞書』(吉田東伍)
一青{ヒトト}
今鳥屋村の大字とす、旧庄名にして、田数目録に一青庄捌拾町と載す。○三州志伝、一青庄羽坂村に鳥屋比古神社てふ式内あり、一青{シトト}鳥の地名は、此神より起るか。村岡氏云、一青はヒトトにてシトトに非ず。按に一青を之止止に仮るは、鳥名に因るか、和名抄箋注曰「天武紀云、巫鳥此云芝苔苔、与漢語抄合、然恐非漢名、新撰字鏡、〓、志止止、或曰枕冊子、有美古止利、当是、未知然否、小野氏曰、之止止、種類多、乃之古、頬白、頬赤、頭鷹、乃呂之、皆之止止也、漢名未詳、按古語拾遺、令片巫志止止鳥、占求云々、用巫鳥字、蓋因之、類聚名義抄、有神鳥、訓加宇奈伊之止止、亦是義也」しかも此に一青を之止止にかれる所以を釈くあたはず、又ヒトトと云ふに拠ればヒトツアヲと仮借せるか。

■吉川弘文館『日本荘園史大辞典』(瀬野精一郎、2003.3.10)
能登国鹿島郡の荘園。現在の石川県鹿島郡鳥屋町の付近、邑知潟低地帯の中央部にあった古代中期以降の荘園。 <中略> 「一青」を「ひとと」とよむのは、「一青」は「一音」と誤ったためではないかとか、「ヒトトドリ」という鳥の名より起こったものではないかとか各説あるが、明らかではない。

探鳥記 舳倉島(輪島市)


NISHIO さんからのコメント
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posted by 岡島昭浩 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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