海外にいると、その言葉の影響を受けて日本語が変になることがあります。また、変なのでは、と感じる自分の言葉の感性にも自信がなくなります。さて、今日ちょっとお伺いしたいのは、たとえば電話を終わらせるとき、また、だれかと偶然町で会って立ち話の末、「ちょっと、5時までに行く所があるので、すみません、失礼します」と言いたい時、つまり自分はもうその場を去らねばならないということを伝えたい状況で、行き先には言及せずに「私、もう行かなくては・・・」と言えますか?(英語では、I have to go. I'd better go. I'd better let you go.などよく使われているようです。)
私の語感では、不自然だと思うのですが、海外生活が長い友人は、これを使います。電話先で「あら、もう30分も話しちゃったのね。じゃ、わたし、そろそろ行かなくちゃ。」というのはよく耳にします。聞くたびに「行くって、どこに?」と心の中で思ってしまう私です。
森田良行氏(1968年「行く・来る」の用法)によると、「来る」と「行く」は、最低、「に格」を取らなくてはいけないとあります。私の理解では、たとえ発話に含まれなくても(たとえば、子供がお母さんに朝「もう(学校に)行かなきゃ」など)どこに行くのか来るのかが話者と聞き手の間で了解されていれば、これに含まれると思います。
ということは、単に「電話を終わらせましょう」「立ち話はこのへんにして、じゃ」という意味で、唐突に「もう行かなくては」は、やはり変なのではないでしょうか。
でも、なんとなく、関西あたりでは、「去ぬ」など使いそうですが・・
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 21日 土曜日 15:52:13)
私の感覚では、立ち話ではOK。ただし、電話では違和感、といったところです。
立ち話の場合は、どこかに行く途中である、ということが状況から推測されるからでしょうか。電話だったら、前もってどこか行くところがあるから長電話出来ないよ、と説明しておいて、「そろそろ行かねばなりません」なら言いそうだと思います。
天野修治 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 28日 土曜日 0:50:10)
私の感覚では、「行く」は特に目的地を想定しなくても「その場を離れ去る」の意味で使えると思います。ただ語源的には問題ないですが(「置きて行かば惜し」万葉集)日常的には聞き手に目的地が想定できる場合(例えば「自分の家」)が多いようです。
森田氏の説は読んでいませんが、≪「行く」に「に格」≫とは論理的にどうなのでしょうか。私は論理的には方向の「へ」をとるのが筋だと思うのですが。もちろん、実際の会話では「に」をとる例を聞くことは多いですが、≪京「へ」筑紫「に」坂東「さ」≫(ロドリーゲス日本大文典)にあるように「行く」「来る」などがとる方向を表す助詞に「に」「さ」を使うのは方言とされていて、現代でも外国人のための日本語テキストでは「行く」「来る」などの動詞は「へ」をとるように教えられているというのが私の認識です。問題が横道に逸れてしまい申し訳有りませんが、どなたか私の提起した疑問にも言及して下されば有り難いです。(バルセロナにて)
小駒勝美 さんからのコメント
( Date: 1999年 8月 31日 火曜日 12:21:40)
私の感覚では、家で電話をかけていてどこかに行かなければならないとき
には
「そろそろ出かけなくちゃ」
あるいは
「そろそろ出かけなくては」
というと思います。面と向かって話している場合は「行く」は相手から遠
ざかる意味を含んでいるように思います。「じゃあ行って来るよ」などの
ように。
しかし電話の場合はもともと相手とは充分に遠い訳です。
距離が遠い相手同士が話している場合は「行く」は「今からそっちに行く
よ」などというように相手に近づく場合に使われるように思います。その
ため、そういったニュアンスを含まない「出かける」を使うのが自然のよ
うに思います。
街角では「行かなくちゃ」で不自然ではないと思います。