1999年10月14日

「ながらう」べきか「ながろう」べきか(うかんるり)


 はじめて質問させていただきます、うかんるりです。
 仮名遣いについて勉強しているのですが、ひとつ疑問に思うことがあります。「歌をよみたまふ人」という文を音読するとき、みなさんは「たまふ」をタマウと読みますか?たぶんタモウとよむでしょうね。では「のたまふ」とか「さぶらふ」はどうでしょう?私はノタマウでもノタモウでも違和感はないと感じます。しかし「いらふ」はイロウとは読めません。逆に「(風が)あらふ(吹く)」はアラウと読んだ方がいい気がします。
 ハ行転呼音のみ「う」として読むか、ハ行転呼音とその前のア段音とを合わせて長音として読むかの違いなんだろうと思います。これらは違和感があるかないかとか、意味が通るか通らないかで読み方を判断しなければならないのでしょうか。
 それから「わらふ」をワロウと読むと関西弁のような響きに聞こえますが、これは関西弁のルーツを示しているものとみていいのでしょうか。どなたか合わせてご教授ください。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1999年 10月 15日 金曜日 14:22:25)


 「たまふ」はタマフからタマウになり、さらにタモーになりました。遅くとも室町時代にはタモーと長音化していいたようです(といっても、オモフからきたオモーのモーとは江戸の初期まで発音が異なっていました)。
 この「給う」を、現代ではタモーではなくタマウと読んでいますが、これはどうやら幕末頃からそのように読まれる傾向が強まったようです。「申す」はモースのままでマウスに戻らなかったのに、「給ふ」がタモーからタマウに戻ったのは、他の活用形のタマワ、タマイ、タマエというタマに引かれたためだと考えられます。
 このように口語では、タモーではなくタマウと発音されるようになったのですが、古典を読む場合や、文語の歌を歌う場合には、古い言い方がよしとされました。古いといっても江戸時代の読み方ですが、国学の伝統がそうさせたのだ、と解釈することも出来ましょう。
 伝統というのは、ずっと前のものではなくちょっと前のものを規範として見ることがおおいように思います。古典を読む際に「給ふ」をタモーと読むのは、少しだけ古いものを真似ているのだと思います。本当に古いものを真似たければ「タマフ」と読めばよいわけで、我々現代人としてはタマウと読んでおくのが、理解し易くて良いのではないかと思います。

関西弁的にお感じになるのは、「て」に続く「わろーて」を連想するからではないでしょうか。

「あらく」から出た「あらう」もアローになりましたが、最近の西日本方言のあちこちで見られる変化として、アローナルではなくアラナルのような言い方が出てきていて、これも「あらい」「あらかった」の「あら」に引かれて、アロであることをやめたものだと思います。



うかんるり さんからのコメント

( Date: 1999年 10月 15日 金曜日 19:51:26)


 今はタマウと読むのが普通だったとは、どうもよく現状を把握していなかったようで申しわけありません。それも幕末から退化するようなかたちでタマウになったとは、退化的進化?とでもいっていいんでしょうか。それから関西弁とはあまり関係なかったみたいですね。何にせよ他の活用に引かれたというお考えは参考にさせていただきます。ありがとうございました。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1999年 10月 16日 土曜日 23:07:45)


私が上で書きましたのは、

「給う」など、ア段音を語幹末に持つハ行四段(アワ行五段)動詞(あふ・使ふ・違ふ・歌ふ・手伝ふ・しなふ・這ふ・奪ふ・かまふ・食らふ・祝ふ……)の終止形連体形は、アフ(カフ・ガフ・タフ・ダフ・ナフ・ハフ・バフ・マフ・ラフ・ハフ)からアウ(カウ・ガウ・タウ・ダウ・ナウ・ハウ・バウ・マウ・ラウ・ワウ)になり、さらにオー(コー・ゴー・トー・ドー・ノー・ホー・ボー・モー・ロー・オー)になりました。遅くとも室町時代には長音化していいたようです(といっても、オフ(追ふ・憩ふ・誘ふ・雇ふ・集ふ・思ふ・揃ふ……)からきたオーとは江戸の初期まで発音が異なっていました)。
これを、現代ではオー(コー・ゴー・トー・ドー・ノー・ホー・ボー・モー・ロー・オー)ではなくアウ(カウ・ガウ・タウ・ダウ・ナウ・ハウ・バウ・マウ・ラウ・ワウ)と読んでいますが、これはどうやら幕末頃からそのように読まれる傾向が強まったようです。
という意味でした。この部分までは口語での話で、その後が古文の音読の問題になります。他のところで書いたものをいじった(イロータ)ものなので、ちょっと分かりにくいかとも思います。「給う」というのは、口頭で使われても文語的な感じであるので、例としては適当ではありませんでした。

御質問を考えるに、古文を音読する際、〈古文らしさ〉と、〈耳で聞いての意味の分かりやすさ=口語との平行性〉をどのようにバランスを取って読むか、ということになるのではないでしょうか。
私は〈耳で聞いての意味の分かりやすさ〉を重視して読むがよかろう、と思っております。しかし、個々の語について、現代人に分かりやすいように考える、ということまではしない方がよいように思います。「給ふ」をタモーと読むのであれば「いらふ」もイローと読む。逆に「いらふ」を「イラウ」と読むのであれば、「給ふ」もタマウと読む、と統一する方がよいのではないかと思うのです。補助動詞はタモーと読みたい、という人があるかもしれません。そういう場合は、本動詞はタマウ・補助動詞はタモーと使い分けることになるでしょうか。
#「酔ふ」はちょっと困りますが。
#「たふる・あふる」などはまた別の話ですが、金田一春彦・安西愛子『日本の唱歌(上)明治篇』(講談社文庫1977.10.15)で「仰げば尊し」について、

この歌の初句は、文語であるから「オオゲバ」と発音するのが正しいはずであるが、「アオゲバ」と広く歌われてしまっている。
としていますが、ちょっとびっくりしました。「倒る」もトオルと発音するのが正しい、ということになってしまいそうです。「扇」があるから、オオグと読む、ということだとしても、腑に落ちませんが、明治大正の文語の音読ではそう読むのが習慣だったということなのでしょう。

話を戻しまして、
「荒く」から出た「あらう」は「荒し・荒き・荒けれ……」の「アラ」の音を残して置きたいということだと思いますが、その場合は「早う」も「ハヤウ」と読むことになるのでしょう。なかなかツラウ御座います。
私は西日本の人間ですから、「荒く」の意味のアローとか、「高く」の意味のタコーを口語で使いますので、「アラウ」「タカウ」という読みはあまりしたくありませんですねぇ。

御質問にかこつけた勝手なおしゃべりが、ちょっと長くなってしまいました。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 13日 月曜日 14:05:00)

「行う」など「アウ」系の動詞終止形が「オー」と長音化したのが、なぜ江戸時代に「先祖がえり」して「アウ」となったのか? その理由については、


濱田敦「国語音韻体系における長音の位置―特にオ段長音の問題―」(『続朝鮮資料による日本語研究』臨川書店1983.08)


に記されていると、手元のメモにあります。すぐに紛失しそうなメモであるため、こちらに心覚えとして書き込みます。他にも論文はありますでしょうか。


新宿のレコード店(CD店?)で、米川裕枝という人の箏曲のCDに、「海―たゆとふ―」という曲が入っているのを見ました。(たとえば、日本コロムビア B00000JD2S。amazon.co.jpのジャケット拡大画像


「TAYUTOFU」とていねいに振りローマ字があったように記憶するのですが、ちょっとそれは検索できません。


posted by 岡島昭浩 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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