1999年10月29日

日本語教師の投稿(天野修治)


この「会議室」の皆さんの言葉への蘊蓄を伺いながら、いつも羨ましく思っています。私のように外国人に日本語を教えることを仕事にしている者は、職業がら無意識のうちに、日本語に貫かれているはずの論理的な規範(俗に云う正統)を探す癖が身に付いていて、「会議室」の皆さんのように日本語の多様性を楽しむ余裕がほとんどないからです。生徒も必死ですが教師も日々これ戦いで、日本語学習者に「これもいいし、あれもよい」という曖昧な印象を与える教え方は、特に初級者には日本語への不信を芽生えさせ日本語学習への自信を失わせる原因となりかねないからです。私の投稿が多少硬質で性急に感じられるとしたら、たぶん異国の地で「豊穣だが未整備な我が日本語」を背負って「体系の整ったスマートな他の大言語」に戦いを挑んでいるような意識が投稿に出ているのだろうと思います。
例えば、私は「4分」は「ヨンフン」と教えています。日本語教科書によっては「ヨンプン」も併記されていますが、「4本」「4匹」「4票」と同様、「4分」の4は「yon 」で、3が中国音の影響で「sam」で入ってきて助数詞と結びついた(3ぷん、3ぼん、3びき、3ぴょう)のとは区別されるべきだと考えるからです。NHKでは使用者の多数派をとってか「4分」は「ヨンプン」としているようですが。
コメントに困るような投稿で申し訳ありませんが、これは遅まきながら私の「会議室への挨拶」と受け取って下さればいいと思います。
バルセロナにて



言魔 さんからのコメント

( Date: 1999年 10月 31日 日曜日 8:59:27)


二十数年前、AFS交換留学生として、米国中西部の人口8千人の村で1年間
暮しました。当時17歳、中学校入学以来、5年少々の学校教育での英語以外に、
駅前留学やらなにやらの「英会話」を勉強する方法もなかったので、学校で
学んだ通りの英語以外は理解していませんでした。痛感したのは、
「英語って通じるんだな」ということと「英語って通じないんだな」ということです。
そして、その後、主婦対象の英会話サークルや、企業の英会話の先生などもやった
事がありますが...多分、そういう講師としては失格なんでしょうが...
絶対に言えることは「相手の目を見て心の中を伝えなさい」です。

「言葉のよろずや」をはじめたのも、決して「若者用語」を揶揄しようと思った
わけではなく、「この時代にはこの言葉が使われていた」というデータベースと
してみたいという発想からです。天野さんのおっしゃる「豊穣だが未整備な我が日本語」
というものが、ますます発展していくならそれはそれで楽しいことですが、
昨今の「若者用語」はあたかも、原始人の会話のように語彙数が異様に少なく
なってきているような気がします...ということは、その彼らの使う少ない語彙を
教えてしまえば、実用的日本語としての最低条件を充たすのでは...という
乱暴な考え方すらしてしまうのは、私が学者ではなく、商人だからなんでしょうかねぇ..

と、まとまらない書き方ですが、違った立場にいる人間としてのコメントと
させていただきます。(アムステルダムに6年間駐在していたにも関わらず、
スペインには一度も行ったことが無い...キェロ、コメール、パェ−ジャですじゃ)

言葉のよろずや



浜チャン さんからのコメント

( Date: 1999年 11月 01日 月曜日 13:40:53)


少々、この話題からはピントのずれた発言になるかもしれませんが、私の4歳になる娘が
最近数字に対して興味を持ち始めましたが、「4」を「シ」と教えたのがケチの付き始め
でして1から10まで連続でカウントする時は「シ」でも良いのですが個数を表現する時
に困っております。
例えば林檎が4つあって、さてこれは何個でしょう?と言った場合、「ヨンコ」と言えないのです。
彼女は「シコ」と言い、その都度「ヨンコだよ。」と訂正するのですが、「4」を
「ヨン」と発音する事がどうも理解できていないようなのです。それどころか益々
混乱しているようで、どのように教えたら良い物やら……。
日ごろ何気なく使っている言葉なのに、いざ人に説明するとなると本当に難しい物
ですね。血の通った我が子にも満足に説明できない自分が辛いです。
それを思うと日本語教師の天野さんをはじめこのサイトの皆さんは本当にすごいな
と唯々感心するばかりです。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1999年 11月 02日 火曜日 11:16:03)


4(ヨン)については以前から興味がありました。私は4分はヨンプンと読んでおります。
以前書きましたものを参考ページに。

それから、「他の大言語」は、本当に体系が整っているものなのでしょうか。

目についたことば1996.9.20



天野修治 さんからのコメント

( Date: 1999年 11月 02日 火曜日 12:50:47)


頂けるとは思っていなかった三つものコメント、ありがとうございます。国語・日本語の研究者の方々が鋭意努力されているにもかかわらず、こと「外国語としての日本語」教育に関して言えば、現代日本語の「未整備」は切実に感じられ、「待った無し」の最前線に立たされている現場の日本語教師としては、とにかく「何とかせねば」との思いが投稿に出てしまいます。
「何分(ナンプン)」「何本(ナンボン)」と和語「何」の後に来る「プン」「ボン」は確かに一筋縄ではいかないようです。他の漢語からの類推で後の音が両唇・閉鎖音化したのでしょうか?(南北、難破、etc)
英語・スペイン語などを見ると、国際社会の中でいかに自分達の土俵の上で事をスムーズに進めるか、という国際社会を生き抜くための戦略(かつての植民地政策の遺産をうまく生かしたとも言えますが)が感じられ、それが「外国語として母語を見る」という自己研磨に働いているように思えます。飽くまでも比較の問題ですが、これから益々国際社会の厳しい風にさらされる「外国語としての日本語」という視点からすれば、早急に整備しなければならないことが多いと感じています。
やっぱり生硬・性急な投稿になってしまいましたね。


posted by 岡島昭浩 at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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