手塚治虫『マンガの描き方』光文社(カッパホームス)1977.5.30
音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくがはじめたものだ。(112頁)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 10日 金曜日 17:51:00)
「はじめた」→「始めた」です。
「わたしではない」という記録もとりたいものです。例えば徳川夢声が「漫談と言う語を作ったのはわたしではない」と発言したようなもの。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 10日 金曜日 19:48:01)
ちょっとずれますが、手塚治虫がらみで。
まだ日本車もソニー製品もそれほど出回らず、日本への関心も薄かった一九六三年の米国、手塚が米NBCテレビに売り込んだアニメ第一作「鉄腕アトム」は、米国で視聴率二一%を記録した。animeは鉄腕アトムから。本当? デーブ・スペクター氏の証言というところが頼りない。
「『アニメ』という短縮語が米国に生まれた。いかに『アトム』がすごかったかですよ」。〔デーブ・スペクターのコメント〕〔企画報道室 遠藤正武〕(朝日新聞夕刊 1998.02.14 p.7)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 12日 日曜日 14:54:56)
福本和夫『私の辞書論』(河出書房新社1977.9.24)p184-187
弁証法に「アウフヘーベン(Aufheben)という語がある。私以前には、これが「止揚」と訳されて、それが普及していた。しかしそう訳したのではこの一語で弁証法は死んでしまうと考えて、これにかえる事に「揚棄」の訳語をもってすべきであると私が主張したのは、一九二五年のことであった。……今ひとつは「人間疎外」「自己疎外」の訳語についてである。……私が率先、かつ、真剣に取りあげて、これ〈Menschliche EntfremdungとSelbstentfremdung〉に「人間疎外」「自己疎外」の訳語を与えたのは、一九二五年二月に書いた長篇の政治論文においてであった。……くわしくは、拙著『自主性・人間性の回復を目指して四十五年』(一九六九年八月刊行)の第三章「私の訳語、『揚棄』『端初』『人間疎外』の半生物語」全九節の記述を参照されたい。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 14日 火曜日 18:02:23)
『週刊朝日』昭和30.12.4号(60巻49号、通巻1885号)の「徳川夢声連載対談 問答有用」第二百四十二回 新村出
試みに最新刊岩波版の「広辞苑」をとって、“まんだん”の部を読んだら、ドキリと相成った。
(1)とりとめもない話。(2)大正十三年頃から流行したもので聴者を笑殺する滑稽を主とし、世相・人情の批評・風刺をも取入れた話術。徳川夢声が始めた〈原文傍点〉。
右の如く甚だ光栄なことになっているが、これはわたしが始めたというものではない。木星号で死んだ大辻司郎君が、そのむかし私とも相談して“漫談”という看板を掲げ、大いに売りひろめたものである。
漫談の実態は昔から存在したが、“漫談”という文字を、こうして看板にして話業を始めたのは、正に大辻司郎君なのである。但し“漫談”なる文字は、徳川時代の読物などにも用いられているそうだ。(夢声前白)
米川明彦『新語と流行語』では、ちゃんと大辻司郎としています。
なお、この対談には、森鴎外という文字が出て来て、「鴎」の字が朝日文字「区鳥」で書かれている。
佐藤@岐阜大 さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 17日 金曜日 3:38:17)
本人ではないのですが、固有名が出てくるので。こういうのでもいいかしら。
もっとも流行語が定着する場合もある。徳川無声がはじめた「彼女」や古川緑波がはじめた「はりきる」はその例である。(金田一春彦『日本語教室』ちくま学芸文庫 80ぺ)
うぅむ。語感が分からないとダメですね。これは。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 19日 日曜日 12:06:13)
嫌煙と喫煙
「まずマスコミの話題にならなきゃ、と考えましたね」。「嫌煙権」という言葉の生みの親、コピーライターの中田みどりさん(三四)は振り返る。一方、「言語生活」322 1978.07 p.70「ことばのくずかご」に「“嫌煙権”が流行して…」とあり、その中に
「排煙」「遠煙」……。いくつか浮かんでは消え「嫌煙」と決めたのが五十一年暮れ。ちょうど東京では「日照権」運動が大きな成果を収めつつあった。「ひょっとしたらたばこの煙が嫌、ということも基本的人権なのかもしれない」。中田さんは、日照権にあやかって「嫌煙」に「権」の字を加えた。
(朝日新聞 1987.05.12 p.4)
参考2 ことし二月、日照権をヒントに作られたことば。(「朝日新聞」5月11日朝5「ことば」欄)とある。時期にズレがあります。
禁煙の報酬こちらは有名かもしれません。
「禁煙ほどやさしいものはない。これまで何百回でもやれた。」文豪マークトゥエインが言ったとされるこの有名なジョークほどタバコをやめるむずかしさをうまく表現しているものはありません。
(週刊文春・平和生命広告・平和の健康情報No.87「ドクターナラ〔奈良昌治〕の成人病診察室」1993.11.11 p.201)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 12月 23日 木曜日 0:37:56)
別のツリーのご発言ですが
taijaSさん
>>例えば;
>> 「一姫 二太郎 三なすび」とか。
これは創案者が著作権を主張しています。
十月十七日(日)〔1976年〕
テレビの「笑点」を見ていたら、モダン・カンカンというデブの漫才トリオが「一姫二太郎三なすびと歌いやがった。カッと逆上してわめき散らす。
「一姫二太郎三ナスビ」はぼくの造った合成諺(初出「狂気の沙汰も金次第」八十四ページ)である。三年も前の作だ。
(筒井康隆『腹立半分日記』実業之日本社1979.12.25初版 p.128-129)参考 「狂気の……」は1973.09.30サンケイ新聞社出版局刊。該当部分は1973.04.08「夕刊フジ」掲載の由。新潮文庫の本文p.114でみると「他にも「一姫二太郎三ナスビというのができたが、これはまだどこにも使っていない。」
糸数剛 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 01日 土曜日 7:28:00)
「言葉のよろずや」のサイトを通して、このサイトを知りました。わたしにとって、とても関心のあるサイトです。これからもよろしくお願いします。
>1999年 12月 12日 日曜日 14:54:56)
>福本和夫『私の辞書論』(河出書房新社1977.9.24)p184-187
>弁証法に「アウフヘーベン(Aufheben)という語がある。私以前には、これが「止揚」と訳されて、それが普及していた。しかしそう訳したのではこの一語で弁証法は死んでしまうと考えて、これにかえる事に「揚棄」の訳語をもってすべきであると私が主張したのは、一九二五年のことであった。……
「ネーミング術語」を提唱するわたしにとって、とても興味深い材料です。
ここの部分を読んで、はじめ、「うんうん、そうだ、そうだ」と共感し、次に、「あいや!」とのけぞりました。
というのは、わたしは「止揚」などという難しい術語は好きではないのです。なるべくわかりやすい日常語に近い言葉で術語を命名するほうがよいと考えています。ネーミング術語は《日常語術語》、《わかりやすい術語》、《くだき術語》などの性格をもちます。
さて、「止揚」がふさわしくないので、もっとわかりやすい言葉を主張するのかと期待したのに、なんと「揚棄」だなんて、さらにむずかしい言葉になってしまった。
福本和夫氏は、わかりやすくしようと思ったのではなく、より《対象概念最適表象語》(ネーミング術語もこれをめざしはします)をめざして「揚棄」を主張したのですね。
《対象概念最適表象語》も大事だが、《わかりやすい術語》としての性格も考えてほしかった。しかし、時代を考えると無理もないかという感もあります。
わたしならば、《含み込み法》、《含み込み高まる法》、《ぶつかって高まる法》、《雨降って地固まる法》、《正反合併(法)》、《反合生成(法)》などと名づけます。
ネーミング術語は《その場かぎり術語》、《下手な鉄砲も数撃ちゃあたる術語》などの性質ももちます。
わたしのHP「ネーミング術語」も読んでいただけましたら幸いです。
http://ha7.seikyou.ne.jp/home/namingt/
→ namingt@ma7.seikyou.ne.jp
糸数剛 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 01日 土曜日 12:07:20)
アウフヘーベンのネーミング術語、また思いつきました。
《いいところどり法》というのはいかがでしょう。
→ namingt@ma7.seikyou.ne.jp
高橋半魚 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 05日 水曜日 17:47:22)
あけましておめでとうございます。
まえにすこし書きましたが、ミポリン(中山美穂)などのリンは、
楳図かずおの「まことちゃん」のミカリン、マコリン、ママリンな
どのほうが先かと思っていましたが、岩崎宏美(歌手のほう)が、
いぜんヒロリンと言っていた事を思い出しました。楳図のリンは、
ダリが、おくさんのガラをガラリーナと呼んでいたところから、楳
図がとったのだそうです。これは、10年くらい前の、NHK日曜美術
館でダリ特集の時、楳図が言っていたそうです(私の弟が見た)。
まことちゃんの、ミカリンの初出がいつ頃か、調べてみます。
たほう、岩崎宏美のヒロリンを御存じの方、いらっしゃいませんか。
「600こちら情報部」で一度見た事が有るのですが、年代があやふや
です。
。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 06日 木曜日 13:32:19)
ここのお話ですね。
→ ミン・ポン・ピー
小駒勝美 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 25日 火曜日 19:54:42)
内田百間(門構えに月)の「四谷左門町」を読んでいたら、ゴマ点は
鈴木三重吉が始めた、と出ていました。真偽のほどはどうなのでしょ
う。
以下の引用は仮名遣いのみ原文通り、新字体にしました。
今考へると不思議な気がするけれど、私なぞ若い時から読み馴れた
評論、批評の文章には、筆者自身がここの所は大切だぞと云ふ事を読
者に知らせる為に、文章のその箇所の右側に小さなルビの様な○や◎
や△などを振つた。
それを三重吉さんは小説の文章にも用ゐて、しかし丸や二重丸や三
角でなく、句読点の丶を文章の右脇に振る事を始めた。「胡麻を振る」
と云つた様である。黒胡麻と白胡麻とあつて、黒胡麻は丶であり、白
胡麻は中を抜いた〓である。それを使ひ分けて大事な所には頻りに胡
麻を振つた。<以下略>
豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 26日 水曜日 23:35:27)
「松花堂弁当」の創作者・命名者
お弁当に、松花堂というのがありますが、…
[松花堂昭乗の]住んでいた松花堂という小さい庵が八幡にのこっていて、…
庵のなかに、薬箱にも、種箱にも、たばこ盆にも、弁当にもしたのでしょう、
四角い箱で、深さは七、八センチ、なかを十文字に四つに仕切ったものが
あったのです。…それを私が見てきて、これはいい、これに点心を入れて
出そうとおもったのが、はじめです。… まあ、自慢するつもりはありませ
んが、いまどこでもやっている松花堂というものは、じつは私がはじめたの
でした。
湯木貞一「吉兆味ばなし」昭和61年3月25日四刷(暮しの手帖社) p.174
豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 28日 金曜日 23:35:48)
「熟字訓」
(以下 表記{かな} の{かな}はルビです)
義訓といわれているものがある。たとえば「紅葉{もみじ}」「五月雨{さみだれ}」
のごときもので,かつて昭和16年8月に成稿(プリント)した「整理に関する調査
資料」のなかで熟字訓と称したものである。
三宅武郎「音訓整理はなぜ必要か」言語生活昭和39年2月号 p.35
昭和16年,わたしが漢字整理事業の調査報告を書いたときに,はじめて熟字訓と
名づけたものである。これが広く外部に伝わるようになったのは,昭和24年,当
用漢字音訓表の新聞発表のときからである。
三宅武郎「現代国語の書き表わし方」(明治書院昭和37年8月)p.10
# これは或る資料の孫引きで、上記引用原典には、未だ当たって居りません
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 1月 30日 日曜日 18:03:19)
神保格『国語音声学入門』(昭和11年4月8日発行 今14年5月28日改定新版による)刀江書院刊
◆カ°キ°ク°ケ°コ°といふのは、臨時に工夫した新しい符号である。これを最も簡単にいへば、これは「鼻にかゝる音」である。もう少し詳しくいへば、マ行の中の子音mや、ナ行の中の子音nと同様な音である。
◆(中略)
◆そこで仮名文字を使つて音を書き別ける必要があれば、カ°キ°ク°ケ°コ°のやうな新工夫をしないと区別することが出来ない。−−(これは筆者の新工夫の字である。これに限つたわけではない。他の文字を工夫してもよいわけであるが、今に仮にカ°キ°ク°ケ°コ°を使ふことにする)。(強調は岡島)
ところが、これと同じ表記法は以前からある。幕末・明治。
偶々同じ形になったのかもしれぬし、神保格・常深千里著の『国語発音アクセント辞典』昭和7年11月14日発行、厚生閣刊が、その定着に果たした役割は大きいであろうが。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 2月 05日 土曜日 9:36:44)
旧情報へのリンクです。
→ 浪漫−夏目漱石
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 2月 05日 土曜日 9:38:22)
同じく。
→ 四畳半フォーク−松任谷由実
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 05日 木曜日 15:42:32)
「元気印」という言葉は、1982年に始まった月刊『明星』のぼくの連載コーナーから世に出ていった。今や誰もが知っているこの言葉に秘められた意味を知る人は少ない。
(中略)
あきらめてしまったら、未来永劫に打開の道はない。針一点の可能性があれぱ、そこに
ミクロの光でもたぐりよせるべく手をのばそう。「元気印」には、そんな意味を込めた。
保坂展人『いじめの光景』集英社文庫(1994.1.25)p8-9
『元気印大作戦』(たしかこれも集英社文庫)という本になっているものじゃないかと思うのですが、見当たらない。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 12日 火曜日 12:03:15)
分岐させました。
→ この人が作った
岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 13日 水曜日 13:52:07)
いきなり「骨考古学」などと言っても、「はて、聞き慣れぬ言葉だが……」といぶかしがられる方も多かろう。それもそのはず、この私自身でさえ、実はこれまで、この言葉を聞いたり、あるいは活字として見たりしたという記憶が、どうもないようなのである。となると、どうやら私自身の造語である可能性が高い。新しい言葉を創るというのは大変勇気のいること。(中略)ちなみに、すでにイギリスなどでは、これに対応する言葉が考古学などで用いられていることを付け加えておきたい。
片山一道『古人骨は語る 骨考古学ことはじめ』角川ソフィア文庫257 1999.12.25(1990.5 同朋舎を文庫化) p12
本書の最も重要なキーワードとなっている「骨考古学」は英語のosteoarchaeologyに相当する用語で、イギリスでは数年前から国際的専門雑誌が刊行されている。
同書解説「骨考古学とカズさん」百々幸雄 p232
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 17日 日曜日 0:33:41)
有名なところですが。
今和次郎『考現学入門』ちくま文庫1987.1.27
「考現学総論」(『考現学採集』1931.3)
考現学はどうして生まれたか、という来歴をここに記しておきたい。
まず「考現学」という名辞の説明からしておくと、それは昭和二年(一九二七年)の秋に、新宿の紀伊国屋書店において同店主田辺茂一氏のすすめによってわれわれ同志は、それまでにやっていたいわゆる調べものの展覧会をやることになった。その際に、ただ『しらべもの展覧会』とだけではこの際おもしろくない、何か適切な名がないかというので相談の結果(そのときのメンバーは私と、吉田謙吉氏と、新井泉男氏と、そして小池福太郎氏とだったが)『考現学展覧会』がよかろうというのでそう決めた。これはそれまでに考えついていた名であるが、一般的に公表したのはそのときがはじめてであった。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 29日 土曜日 20:43:09)
けり出し・たたき出し
記者 吹き出しというのは?「僕がこしらえた」と明言しているのは「けり出し」だけですが、「たたき出し」もそうでしょうか。「吹き出し」はどうでしょうか。
田河〔水泡〕 その人物がしゃべっている言葉をまるく囲うでしょう。それを吹き出しと言う。それから足のうしろへまるくポッ、ポッとあるのがけり出し{4字傍点}……。
長谷川〔町子〕 それは私、知らなかった。
田河 僕がこしらえたのだ。名称がなくちゃ困ると思ってね(笑)。それからたたくでしょう。頭でもお尻でも……あるいはぶつかってパッと星が出る。あれはたたき出し{5字傍点}……だから吹き出し、けり出し、たたき出しと三つあるわけだ。(「新女苑」1952.01=長谷川町子『長谷川町子思い出記念館』朝日文庫 p.186)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 01日 月曜日 0:02:40)
歩くときに後に、ほこりを立てかのように書く、ということを、田河水泡が始めた、というようなことは読んだことがありましたが、名称まで付けていらしたとは。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 24日 日曜日 23:35:47)
3月24日のNHK-FM、「日曜喫茶室」で、はかま満緒氏の発言。
コントの最後に「ちゃんちゃん」というのは、DJ時代に私が始めたということになっている。
幼児に向けて話の終わりにいうことばの「ちゃんちゃん」との関係やいかに。
→ 目についたことば97.10.13
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 25日 月曜日 12:07:46)
「日曜喫茶室」って、まだやってたんですか!スゴイ。中学〜高校時代に毎週聞いていました。はかま氏も相当なお年では?そちらに驚きました!!来週、ためしに聞いてみようかな。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 20日 土曜日 20:51:24)
中日新聞サンデー版2002.7.21
室伏哲郎「構造汚職のカラクリに「一票一揆」の制裁を」
『構造汚職』という言葉を私が造語したのは、今から三十四年も前の一九六八(昭和四十三)年のことだった。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 22日 木曜日 16:31:54)
パソコン通信ということばを作った人は?
ちなみに、「パソコン通信」という言葉だが、米国にはそんな言葉は存在せず、オンライン・サービスと言う。日本に米国のオンライン・サービスを紹介したとき、オンライン・データ・サービスと混同されて本当のインパクトが伝わらないと考えて、パソコン通信という言葉を作って使った(ただし「著作権」を主張するつもりはない)。主語がありませんが、脇氏が「わたしが作った」ということでしょう。(脇英世『Windows入門―新しい知的ツール―』岩波新書 p.146)
ちなみにこの書物はWindows95が世に出た際に著されたものです。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 01日 日曜日 11:34:10)
『産経新聞』「双方向プラザ」2002.9.1 「ソクハイ」業務推進室 坪谷浩さんの投稿の中に、
この「即配」は辞書に収録されている一般用語ではなく、当社が創作した独自のものです。とあり、他社のことを紹介するときに「即配」の語を使わないで欲しいというのが投書の趣旨のようです。編集局の回答。
短時間配送のバイク便で知られるソクハイ社によると、「即配」という語は昭和五十七年の創業時にソクハイ社が考案したもので、特許庁に今年六月、商標登録の出願をしています。
「NHKと商標」にも関係しますね。
→ NHKと商標
面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 00:28:28)
現代用語の基礎知識(編)『20世紀に生まれたことば』(新潮OH!文庫、2000年)の巻末に収録されている「言葉の窓からのぞいた現代風景」と題された座談会からです。
臼井 ぼくは一つだけつくったですよ。いまでも使われている。そして、ぼくがつくったということはおそらくだれも知らないで使われているのはこの『現代用語』の日本経済と社会風俗の項にとり入れられている“自転車操業”というのがそれです。あれは「改造」の座談会にぼくが言い出したことです。「改造」で、中野好夫さんと、大宅さんと三人でムダ話をやったでしょう、あの時に言い出した。いまや、つくり主がだれかわからぬくらいに……。座談会出席者は、鵜飼信成(東大教授)、臼井吉見(文芸評論家)、大宅壮一(社会評論家)、和達清夫(日本学術会議会長・気象台長官)の4氏。1960年9月19日の『日本読書新聞』に掲載されたものの再録とあります。なお、引用中の『現代用語』は『現代用語の基礎知識』のこと。『20世紀に生まれたことば』本編のほうでは、「自転車操業」は1949年の項に、「才女時代」は1957年の項にそれぞれ入っています。
大宅 そこで版権とっておいたほうがよかったな。(笑)
臼井 “才女時代”もぼくの造語だが、曾野綾子君なんかの出てきた頃ではなかった。言葉が出てくると、それに応じて現実のほうが生れてくるんですね。(笑)
大宅 “まず言葉ありき”だね。
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 06日 土曜日 00:15:43)
昔、新鮮な食材を"切る、裂く、割る"ことを「割鮮」と言っていましたが、死語になっていた。でも、新鮮な材料が手に入る現在にこそふさわしいと考えて、私が復活させたんです。(『美味しんぼ』77)
話者は上野修三氏。『日本書紀』にも「割鮮」はあります(少なくとも字面・文字連続としてはある)。しかし、「昔」「死語」からは、かえってそれほど古いことではなく、近い過去には使われていたといったニュアンスを感じますが、さて。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 07日 日曜日 14:01:58)
以前、家の近くに「カッセン・中川」という料理屋がありました。「カッセン」はドイツ語かと思っていました・・・・。店は、いつの間にかなくなって、パーマ屋さんになりました。