2002年04月30日

日本語の音韻は欧文字で書けるか(Yeemar)

恥ずかしい標題かもしれません。音韻に関する私の知識不足による疑問のような気もします。

日本語古来の音韻をアルファベットで表すのは、それほど造作がないことと思います。たとえば、佐藤喜代治氏編『新版国語学要説』(朝倉書店、1973)を見ると、ほぼ訓令式ローマ字のとおり、ただし拗音は/y/ではなく/j/、撥音は/N/、促音は/Q/、長音はなし、となっており、とてもかんたんなのです。

服部四郎氏の論文「日本語の音韻」(『言語学の方法』岩波書店、1960 p.360)では、/チ/、/ツ/だけは/ci/、/cu/となっていますが、これは服部氏の発明だったのでしょうか。かんたんなことには変わりありません。

ところが、外来語音を含めて考えると、話がややこしくなるようです。/ファ/を金田一春彦氏は/hwa/とし、城生佰太郎氏もこれを踏襲しています(『岩波講座日本語5 音韻』)。

松崎寛氏は、これでは「フュージョン」などの/フュ/が表せないと指摘しました。/hwju/と書けば、「合拗音の拗音」という「音節構造から逸脱した型を認めることになってしまう」(「外来語音と現代日本語音韻体系」『日本語と日本文学』18、1993)からです。松崎氏は、ファ行に新音素/f/を立てて直音とみなし、/fi/、/fe/、/fa/、/fo/、/fju/を認めました。

松崎氏の主張には見るべきもの多く、/si/(/スィ/)、/zi/(/ズィ/)、/sje/(/シェ/)、/zje/(/ジェ/)、/ci/(/ツィ/)、/ce/(/ツェ/)、/ca/(/ツァ/)、/co/(/ツォ/)、/cje/(/チェ/)、/je/(/イェ/)、/hje/(/ヒェ/)、/nje/(/ニェ/)、/du/(/ドゥ/)、/tu/(/トゥ/)、/dju/(/デュ/)、/tju/(/テュ/)、/wi/(/ウィ/)、/we/(/ウェ/)、/wo/(/ウォ/)などの外来語音もきれいに説明されています。

ところが、割を食った(?)のは古来の日本語音韻で、松崎氏によれば、/シ/は/sji/、/ジ/は/zji/、/チ/は/cji/と、拗音扱いになってしまうのです。

/シ/が拗音であれば、音声学的に口蓋化している/ニ/も/nji/になるべきではないかと思いますが、これは/ni/のままです。

そもそも、拗音という概念が抽象的なもので、乱暴にいえば、日本語話者が「ひねっている」と感じれば、それが拗音なのでしょう。拗音か直音か合拗音かが、客観的に決定できないことは、/ファ/が立場によって合拗音とみなされたり直音とみなされたりすることでも分かります。

「音韻体系」を、単に、相互に弁別される音の総体と考えるならば、/ファ/を/hwa/と表記しようが/fa/と表記しようが、/フュ/を/hwju/と表記しようが/fju/と表記しようが、はたまた、/シ/を/si/と表記しようが/sji/と表記しようが、区別さえできれば運用上は問題がないであろうと思われます。

しかし、「直音」とか「拗音」とか「撥音」とか「促音」とかいう、音声学的に観察が不可能で、日本語話者の頭の中にしかない概念を音韻体系上に表現しようとするならば、/シ/は直音として表現すべきではないでしょうか。どう考えても、これが「ひねっている音」だとは思えません。

/シ/、/ジ/、/タ/、/チ/、/ツ/、/テ/、/ト/、/ハ/、/ヒ/、/フ/、/ヘ/、/ホ/をいずれも直音と解し、/si/、/zi/、/ta/、/ti/、/tu/、/te/、/to/、/ha/、/hi/、/hu/、/he/、/ho/と表すのがすっきりしていると思います(佐藤喜代治氏の方法にしたがうわけです)。その場合
  1./スィ/
  2./ズィ/
  3./ティ/、/トゥ/
  4./ツァ/、/ツィ/、/ツェ/、/ツォ/
  5./ファ/、/フィ/、/フェ/、/フォ/
の表し方が問題になります。4については/ca/、/ci/、/ce/、/co/とすることが可能で、5については/fa/、/fi/、/fe/、/fo/とすることが可能なので、実際には問題は1〜3です。もはやアルファベットの子音字では間に合いませんし、何か添え字をするのも実際上の感覚とずれますから、結局、このあたりの機微をアルファベットで表すことはできないということにならないでしょうか。

論理に瑕疵が多いかと存じます。ご指摘いただければさいわいです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 30日 火曜日 14:43:45)

 いろいろな問題が絡んで来そうですね(というのは逃げ口上でしょうか)。

 「アルファベットで」というのは、「アルファベットの子音字では間に合いません」から見ると、〈1音素は1文字で表す〉が条件なのでしょうか。
サスセソの子音と、シャシシュシェショの子音を別物とみた場合、どちらも1文字で表したい、と。(例えばキリシタンのようにsとxで)

とりあえず、関連スレッド

ローマ字


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 30日 火曜日 17:30:35)

「1音素は1文字で表す」は、従来とられてきた音素表記の方式からすれば、やはり条件になるのではないかと思います。

】/チ/、/ツ/、/ティ/、/トゥ/、/ツィ/をいずれも直音と解するとき、たとえば、/ツィ/の子音字として2文字を使い、
  (1) /ci/、/cu/、/ti/、/tu/、/tsi/
などという方法があるような気もします。しかし、これでは/ツィ/が二重子音ということになり、音声学的にはともかく、日本語話者の内省としてそう意識されてはいないでしょうから、適切でないと思います。/txi/などの新しい表記を採用する方法もあるでしょうが、やはり二重子音とまぎらわしいと思います。

  (2) /ci/、/cu/、/ti/、/tu/、/qi/
  (3) /qi/、/qu/、/ti/、/tu/、/ci/
のように、中国語のピンインにもある/q/を用いれば、促音の/Q/とまぎらわしいようにも思いますが、弥縫策にはなるでしょうか。

】「サ行」の直音・拗音と、「スィ」とを、/s/と/x/とによって
  (4) /sa xi su se so sja sju sje sjo/、/si/
と書き分けることはできるかもしれません。これでは/s/が複数行にまたがって異様なので、
  (5) /sa si su se so/(/サスィスセソ/)、/xa xi xu xe xo/(シャシシュシェショ)
としてみると、こんどは「シャシュシェショ」が直音扱いになってしまい、日本語話者の感覚と大きな齟齬をきたします。
  (6) /sa si su se so/(/サスィスセソ/)、/xi xja xju xje xjo/(シシャシュシェショ)
とすればいいのかもしれませんが、/xja xju xje xjo/が「シャ行の拗音」というおかしな扱いになってしまうところに問題を残します。

】ここまでで、アルファベットのうち「aiueo」と「bcdfghjkmNpqQrRstwxz」とは使ってしまっています。これらを引けば、残るは
 「lvy」
ですから、「1音素は1文字で表す」ことを守るかぎり、/ジ/、/ズィ/の音韻を直音として表記することはできません。/ジ/を/zi/、/ズィ/を/li/とする、というような強引な約束事は実際的ではありませんし。

というわけで、悩みは深いのです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 01日 水曜日 11:24:35)

 日本語に内在する体系性(日本語話者の感覚も含めて)と、アルファベット26字で現わそうとする設定(1音素1文字ということも含めて)は、両立させるのが難しい、といいますか、なぜ、苦労してまでそうするのか、と思ってしまいます。


 頭の体操としてならば……

服部四郎・新日本式を基本に(ティトゥは解決)、
合拗音のWを立て、スィズィツィにも使う(チはci、ツィはcWi)、とか。


もっと、日本語の感覚をとりいれれば、直拗だけでなく清濁もちゃんと表記したい。ogawaのgawaとkawaが同じものであることを表したい、と。

「かが」は「ka,ga」ではなく「ka,Ka」とでも(見にくいなら「ga,Ga」?)。1字1音素にとらわれなければ、「ka,k~a」あるいは「k_a,k~a」でもよいのですが、ハ行音が困りますねぇ。

などと考えていると、新日本文字制作の方へ話が行きそうになるのでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 01日 水曜日 23:45:13)

おっしゃるように、ここから先は「頭の体操」の領域という気もいたします。

かような迷路に入り込んだきっかけは、外来語音をふくめた日本語の音韻体系をアルファベットで人に説明しようと考えたことにありました。上述の松崎氏論文では、それがきわめてきれいに体系づけられているのですが、/チ/を表すにあたって/cji/とし、その理由として

直音のチにあてている/ci/をツィの方に譲る必要がでてくるので、チの方は拗音系列の一部とみなして/cji/とでも表記することになる。つまり、直音チの「直音」として現れたツィが、音韻体系の組み替えを要求したという解釈が成り立つわけである。
と述べています。

すると、松崎氏の/cji/という表記は単に便宜上のものではなく、これを「拗音」とみて表に反映させていることになります。

/シ/、/ジ/、/チ/を拗音として人に説明していいのかな?というのが迷いの出発点でした。

いっぽう、城生佰太郎氏は『岩波講座日本語6 音韻』で、「/hw/は[φ]または[f]を示す」とし、/hw/を必ずしも合拗音というわけではなく便宜的にそう表記しているもののように読みとれます。だとすれば、/フュ/を/hwju/としても「合拗音の拗音」を表しているのではないことになります。

/チ/を/cji/とするとしても、「これは便宜的なもので、拗音というわけではない」という保留が付けば、私も違和感はないのです。

音韻体系を記すにあたり、「拗音」「合拗音」などの概念を体系に反映させるかさせないか、立場の違いがありそうです。どちらでもいいのか、黒白をつけるべきなのか、というのも迷いのひとつでした。この点は、依然として迷っています。

いちばん厳格な方法をとるなら、「直拗だけでなく清濁」も書き表すところまで行くかもしれず、その先には、たしかに「新日本文字」がちらちらし始めます。反対に、音韻体系をアルファベットで示すのは便宜のためであると考えれば、/フィ/は/hwi/でさしつかえなく、もしくは、/スィ/、/ズィ/、/ツィ/とあわせて/hWi/、/sWi/、/zWi/、/tWi/と記すのが明快な解決法のひとつですね。この場合は「合拗音のW」を立てたことにはならないものと思います。


posted by 岡島昭浩 at 01:04| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
随分前のエントリーに対してタイムマシンに乗ってやってきたみたいな遅レスで申し訳ありません。

ローマ字を表音的に音を主体に考えるのではなく、翻字的に仮名を主体に考えるとだいぶすっきりとまとめられるのではないかと思います。
よろしければ、ご参照ください。
http://roomazi.knz.main.jp/
Posted by knzmetal at 2016年11月13日 10:19
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