Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 00:48:18)
これは講談社文庫、川瀬一馬氏の解釈では、医師篤成が正字の「鹽」を知らず、略字の「塩」しか知らなかったため、「『しお』は何へんですか」という質問を受けて、部首が「土へん」に属する「塩」の字のほうを思い浮かべ、そのように答えたのがおかしいということになっています。
でも、漢和辞典を見ますと、「鹽」も「塩」も「鹵」の部首に属します。ということは、仮に彼が「塩」という字を思い浮かべたとしても、「土へん」と言ってはだめで、「部首は『鹵』に属します」と答えなければならなかったのです。これが岩波文庫の解釈(を私が押し進めたもの)です。
そういえば、私の知る西洋人で、日本人である私に「○○という漢字の部首は何か知っていますか?」と、引っかけ問題を出しては悦に入っている人がいました。彼が徒然草を知っていたら、私に対して「才のほど、既に顕れにたり」と言ったかもしまれません。そのようなクイズを出して喜ぶタイプの人はたしかにいます。
ところが、ここでまた逆転がありまして、小松英雄氏は『徒然草抜書』(講談社学術文庫)で、上のような解釈はちっとも徒然草が読めていない人の言うことだ、と批判します。「いづれのへんにか侍らん」というのは、「どの文献(篇)に出ていますか」という意味だというのです(今、小松氏の説を乱暴に要約しています)。長慶天皇の「仙源抄」という書物にも「いづれのへんにつきてか」ということばは出てきて、「どのような典拠によって」という意味で使われています。
つまり、この医師篤成は、「塩についての説明は、どういう文献(篇)に出てきますか」と質問されたのに、どの文献かを知らなかったため、「えーと、あのー、土へんです」と、苦しいとんちで答えた、そこが面白いと小松氏はみているわけです。私もこの解釈が最も話として分かりやすいと思います。
いかがでしょうか。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 08:23:59)
(すみません、あまりわかっていないのに、書き込みをして・・・)
あのお、「篇」と「偏」ではアクセントが違うので、間違わないのではないでしょうか?「篇」は頭高、「偏」は平板アクセントでは?それでも取り違えた、ということなのでしょうか?
skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 11:28:54)
アクセントの違いがあるからこそ、間違えたのではなく、苦し紛れにトンチで答えたという解釈がさらに説得力を持つことになりそうですね。
もちろん、登場人物の出身地によるとは思いますが。
『日本国語辞典』第二版を見ると、『名語記』や『太平記』では「偏」を「篇」と表記しています。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 11:39:54)
ああ、そうですね、間違えたのではないと。苦し紛れで答えるからこそおもしろいのでしたね。早とちりでした。
ところで「篇」と「偏」が同じ表記もあると言うことですが、「篇」と「編」は同じですか?
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 08日 火曜日 05:58:51)
今ならばさしずめ、「源氏物語の作者はだれですか」と聞かれて、わからなかった人が
「えーとあのー、源氏鶏太(源氏書えた)」
と言った、というたとえはどうでしょう。(全然違いますね)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 08日 火曜日 20:20:28)
これには、山田健三さんの論文がありまして、詳しいことは今度書きます。
「〈しお〉という漢字は、説文解字による漢字の分類では〈何に従う〉ことになっていますか。」
「えー、長沢規矩也の『明解漢和辞典』なら土の部に出ています」
というところでしょうか。
ちょっと強引すぎる纏め方ですが。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 04日 水曜日 04:26:13)
山田建三氏のご論文は不勉強で存じませんでした。また、池田証寿氏の「徒然草第百三十六段の一解釈――漢字使用の実態と漢字字体規範とのずれ――」 (『国語と国文学』76-5 1999)がご本人のホームページで読めるのですね(こちら〔PDF版〕)。別スレッド「研究会のご案内」に書かれているご発表はこれに先行するものでしょうか。
池田氏のご論文によれば、小松英雄氏の説は、その後の研究(伊東玉美氏他)であまり肯定的にとらえられていないようで、ものたりなく感じます。
私には、小松英雄氏が長慶天皇「仙源抄」の定家仮名遣いに関する記述――「音にもあらず義にもあらず、いづれの篇につきて定めたるにか、おぼつかなし」を引いて、「徒然草」のこの部分を解釈されたのは、まことにあざやかで、ほとんど文句のつけようがない解釈だと思われました。「そうそう、『仙源抄』、そんなことが書いてあったっけ」と思って本文を確かめてみると、その「いづれの篇」は、どう見ても「徒然草」のこの部分と同じ用法としか思われないのです。
笑話の設定としても、無理がなく、これは簡単にはくつがえせない説だと思われました。ところが、池田氏によれば「近時の諸注釈がこれをほとんど無視するのは、解釈としての分かりにくさに弱点があるからであろう」ということでした。
「塩についての説明は、どういう文献(篇)に出てきますか」「えっ、あの、塩。塩というと、えーと、何だっけなあ。あのー、どういう篇かというとね、あなたね、それは土へんです」「君とはやってられんわ」
現代のギャグとしても、通用すると思うのですが。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 04日 水曜日 21:12:08)
詳しいことを書くと言いながら、そのままになっておりました。一度コピーが出てきたのですが、また行方不明になりました。
山田健三「しほといふ文字は何れのへんにか侍らん―辞書生活史から」
国語国文68-12(1999)
です。当時の漢字辞典(玉篇)は、後の字彙・康煕字典などと違って親切ではありません。もちろん現在の漢和辞典のような音訓索引なんてありませんし、「塩」をひくと「鹽を見よ。何ページ」などとは書いてありません。それに漢字が何の部首にあるのか、というのは、単なる字形や物知りの問題ではなく、漢字の思想、ひいてはその漢字の表す物事の思想と深く関わるものだと考えられていました。説文や玉篇の部首は、画数順ではなく、思想的に関連する連想式配列になっています。
という背景を考えないと行けないよ、というのが、山田さんの論(の一部)であったかと記憶します。
池田証寿氏の説は、青山学院大学で開かれた訓点語学会で発表されたものかと思います。1998年でしたか。句読点学会でのお話は、山田健三氏のものよりもあとですね。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 06日 金曜日 18:41:13)
その後、伊東玉美氏、山田健三氏の論を含め、小松氏より新しい論文を拝見しました。教えられるところが非常に多くありました。
しかしながら、小松説は、なお魅力を失っていないように思われます。もともと「小松ファン」である私の先入観のせいばかりではないでしょう。
〈小松氏は、「へん」を「本草書の部立て」のことと考えている〉と受け取られているふしがあり、また、そのような前提で批判されたりもしているのですが、小松氏は著書の追記で「書籍の下位分類」(部立て)のみならず、「書名」の可能性もあると、事実上訂正しています。
とすれば、長慶天皇「仙源抄」の用例とうまくつながるのです。「いづれの篇につきて定めたるにか、おぼつかなし」(どの本によってそう決めたのか、不明だ)と、「徒然草」のこの部分とそっくりの用例があることをどう説明するのか、この点についての言及が、どの論にもまったくないことを不満に思います。私は、「仙源抄」のことば遣いとの似寄りが非常に気になります。
もう一点、「徒然草」の逸話は、多くは学者以外の人がよんですっと分かる話となっており、この段のおちも、一般受けする(と言って悪ければ、学者以外の人の微笑をさそう)ものでなければならないはずなのに、それにしては、多くの説では、いわば専門家受けするおちになっていて、話として弱いのではないかという疑問があります。小松説は、そこをクリアしていると思うのです。