発音が同じで、文字も同じの語同士を、「同音同綴(どうおんどうてい)異義語」と申します。國廣哲彌『意味論の方法』(大修館書店)に見える語。
たとえば、英語のport〈港〉とport〈ポートワイン〉は発音も綴りも同じなので、同音同綴異義語。kind〈種類〉とkind〈親切な〉もそうでしょう。
こういう類は、英語では簡単に発見できますが、日本語ではなかなか見つかりません。
「皮」と「川」はアクセントは同じですが、漢字が違うために、日本語では同音同綴とはいえません。逆に「上手(じょうず)」と「上手(かみて)」は字は同じですが発音が違います。
夜空の「星」と相撲の「星」は同音同綴という気もしますが、しかし、これは夜空の星が丸く、相撲の星も丸いところから、比喩的に転用されたものと思います。こういうものは、むしろ「多義語」と言ったほうがいいでしょう。犯人を指す「ホシ」は、夜空の「星」からかなり意味が離れているのでまさに「異義語」かもしれませんが、語源的にはおそらく、犯人の目印か何かに星印をつけたところから来ているのでしょう。もしそうだとすれば、完全に意味的な関連性がないとまではいえないわけです。また、ふつうは「ホシ」とカナ書きされるため、むしろ「異綴」になってしまうという嫌いもあります。
意味的に似ても似つかない、しかし見てくれは同じという、いわば「他人のそら似」のことばを、必要あっていろいろ考えていました。
とりあえず、「月齢」(月の満ち欠けの度合い)と「月齢」(赤ん坊が生まれてからどれぐらいたつかを月を単位に表した長さ)という例が思いつきました。しかし「齢」は〈時の長さ〉という点で共通しているので、今ひとつという感じです。
それから、「重文」(山田文法の用語で、複数の文が対等の資格で結合したもの)と「重文」(重要文化財)というのを思いつきました。さらに、「国体」(天皇を中心とする神国日本の姿)と「国体」(国民体育大会)というのもありますね。これらは、一方が略語である場合です。
ここでネタ切れとなってしまいました。ほかに、このような「他人のそら似語」をご存じありませんでしょうか。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 05:28:59)
英語の辞書では語源が同じにも関わらずport〈港〉とport〈ポートワイン〉、
kind〈種類〉とkind〈親切な〉を別項として挙げているのに、
日本語の辞書の場合は月齢、重文、国体とも同じ項目にひっくるめられてしまいますね。
別の言葉とする基準が全然違うのでしょうか。
動詞ではこういう例は沢山あるような気がします。
「壁にかける」「胡椒をかける」「電話をかける」の「かける」は
違う単語といってもよいくらい意味が異なるけれども同じ項
(広辞苑では「掛ける・懸ける」)として挙げられています。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 12:44:52)
2つのport、kindともに語源は同じなのですね。Portの例は、國廣哲彌氏も「究極的にはラテン語の‘portus’〈港〉に遡る」と説明しています。Kindは、『スタンダード英語語源辞典』によれば古英語(8〜11世紀頃)では「種類」のほうは「cynd(e), 古形gecynd(e)」、「親切な」のほうは「gecynde」で〈「種類」を参照せよ〉というマークがあります(つまりは同語源であることを示すのでしょう)。
「壁にかける」「電話をかける」などの「かける」も、くしくもこの國廣氏の本で考察されています。同氏いわく、「関連のある諸用法を連続するように並べてみると,その全体は,何かをある対象物目がけて移動させ,その結果対象物と接触し,その何かは対象物に支えられることになる,あるいはさらにその先まで移動することもある,という行程を示す」とのことです。
また、森田良行『基礎日本語』によれば、「かかる」は「それ自体では不安定な状態にある事物が(安定するように)他の事物を支えとして関係してくる。そのような状態にもっていくことは「かける」。」と分析されています。さらに「不安定な状態にあるもの(A)と、そのAが安定するようAの支えとなるもの(B)とが必要条件。Aはよりかかる側であり、Bに身をあずけ、Bなくしては安定しない状態のもの。一方、BはAによりかかられる側」とされます。
とすれば、それぞれの「かける」は、たとえば英語の動詞のgetやcomeなどのように、「用法の広いひとつの語」とみなすことができるようにも思うのです。
いっぽう、2つの「重文」「国体」などは、成立過程がまったく異なるので、あたかも「他人のそら似」という比喩が使えると思うのです。
こういうことは、「重要文化財」→「重文」というような省略語でもないと、日本語には容易に起こりえない現象なのでしょうか。
「三本(さんぽん)」というのを思いつきました。ひとつは野球の「三塁・本塁」ということで、「三本間で挟まれた」などと使うと思います。もうひとつは、「3つの書物」ということで、たとえばある古典の写本が3つ存在するとき、それらを見比べることを「三本対照」といいます。これは「さんぼん」ではなく「さんぽん」でしょう。『三本対照 宇治拾遺物語』などと書名に使います。しかし、あまりに特殊な例のようです。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 13:14:04)
2つのport, kindも結局は同語源であるとすると、英語でも、「成り立ちの違う語同士が、たまたま発音・綴りの上で同じになる」ことは少ないのかもしれません。start〈始める〉とSTART〈戦略兵器削減交渉〉などはそれにあたりますが、この場合も一方が略語ですね。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 14:10:55)
> とすれば、それぞれの「かける」は、たとえば英語の動詞のgetやcomeなどのように、
>「用法の広いひとつの語」とみなすことができるようにも思うのです。
なるほど、確かにそうですね。
> 英語でも、「成り立ちの違う語同士が、たまたま発音・綴りの上で同じになる」
> ことは少ないのかもしれません。
野球のbatとコウモリのbatなどは語源も違うと思います。
日本語よりは例を挙げるのはたやすいと思います。
というか日本語の場合は漢字表記も同じという条件によって
随分制限が厳しくなってますね。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 15:00:44)
略語では、ありますね。大学名の福大(福島大が区と福岡大学と福井大学)山大(山形大学、山口大学、山梨大学)とか。もっとも山梨大学は「梨大」、山口大学は「口大」でしたっけ?別のスレッドになってしまいますね。
地名で別の場所というのは?大阪の福島と福島県の福島とか。
日本語表記は漢字で表意文字だから、表音文字のアルファベットより、同じ文字で違う意味を避ける傾向が強いのではないでしょうか。表音文字じゃあ、避けようにも避けられませんからね。
ひらがなにしてしまえば、おと(ひょうき)だけいっしょで、いみがちがうものは、いっぱいあることになりまう。あたりまえか。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 16:02:23)
広辞苑を眺めていると、同じ漢字同じ読みの単語は基本的に一つの項目にしてしまうようです。
例外は、
a) 地名や人名。括弧付きで(地名)などとつけて別項とする。
例:【山川】という項目とは別に【山川(姓氏)】という項目がある。
b) 一方の単語で使われない漢字表記が別の単語では使われる。
例:【空手】(=手に何も持たないこと)とは別に【空手・唐手】(=拳法の一種)が、
【人手】(=他人の手、他人のたすけ)とは別に【海星・人手】(ヒトデ綱の棘皮動物の総称)が、
それぞれ別項として挙げてある。
これら以外に、同一項目にされているものの中にも、
【大意】
(1) 大体の意義
(2) 大きな意思
【大気】
(1) 度量の広いこと
(2) 地球を取り巻いている気体の総体。
というような、本来は違う単語として生まれたけれども複数の意味を持つ同一漢字によって
たまたま同じ綴りになったと思われる単語が結構見受けられます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 21:45:25)
道浦さんがホームページで挙げていられた(こちら)「brake」「break」は、英語の「同音異綴異義語」の例ですね。
私は『岩波国語辞典』で、語釈が(1)(2)と分かれているものを初めから見て行き、異義語と思われるものを拾っていったのですが、途中で挫折してしまいました。
「空手」「人手」は、人々の意識の中では異義語になっているかもしれませんね。度量が広いほうの「大気」は知りませんでした。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 13:13:25)
「本屋」(書店)と、「本屋」(母屋)とは、由来来歴の違うことばが同音同字になったのでしょう。
「新人」(ニューフェース)と「新人」(クロマニョン人)とはどうでしょう。両方とも「あたらしいひと」には変わりないので単なる多義語の範囲でしょうか。しかし、後者は「原人」「旧人」などともに学術用語としてあらたに造語されたものと思います。
「国交」(国と国との交わり)と「国交」(国土交通)というのも最近できました。これは「重文」「国体」とおなじく略語由来グループです。
かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 14:41:05)
かしゅう【加州】
(1)加賀国の別名。
(2)アメリカ合衆国のカリフォルニア州。
というのがありますね。
金沢に加州銀行がりました。(現在はどうでしょう)
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:26:26)
これは広辞苑でも別項になっていました。
【日中】(日のある間)
【日中】(日本と中国)
成り立ちから言えば「重文」のケースとあまり変わらないような気がしますが、
項目が分けられている理由には両者のアクセントが違うことがあるのかもしれません。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:31:23)
これは広辞苑でも別項になっていました。
【日中】(日のある間)
【日中】(日本と中国)
成り立ちから言えば「重文」のケースとあまり変わらないような気がしますが、
項目が分けられている理由には両者のアクセントが違うことがあるのかもしれません。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:36:12)
申し訳ないです、投稿ダブってしまいました。
このメッセージも含めて削除して頂ければ幸いです。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 14:36:52)
「日中」で思い出しましたが、以前、寄席の中継で桂米朝師匠が
「ちかごろ、新聞の一面に私の名が大きゅう載っとりますのや。『米朝』『米朝』いうてな。ある時は『米朝、ついに決裂か』やて、えらい驚きましたわ」
というような意味のことを語っていました(大阪弁はでたらめ)。米朝枠組み合意のあった1994年ごろのことではないかと思います。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 15:40:35)
「米朝南北会談」あるいは「米朝南北対談」というのもあって、米朝が鶴屋南北の怪談をやるのか、はたまた米朝と南北が対談するのか、と思っていたことでした。いや、違いますね。「米朝会談」「南北会談」だったですね。
「中国(ちゅうこく)」には、「中期国債」と「中学校国語教員(養成課程|免許)」の意味がありそうです。