2002年12月21日

教えてください(ご苦労様)(toshi712)

ご苦労様、とか、ご苦労様でした,と言うと見下す言葉になるのですか、敬う言葉にはならないのですか、目上の人に、なんと言えばよいのですか


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 01:48:18)

下記のような戯文を書いたことがありますので、ご参考までにご紹介いたします。

目上、目下を問わず、今の会社社会では「お疲れさま」というのがスタンダードになっているような気がしますが、いかがでしょうか。学生が教師に言ったりもするようです。学生も疲れているのでしょうか(アルバイト先から輸入したことばではないかと思いますが)。

ご苦労さま


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 11:42:43)

私もふだん「お疲れさまです」「お疲れさまでした」と言っているのですが、『新明解国語辞典』第五版には、

  仕事に打ち込んでいる人や仕事を終えて帰る人にかけるねぎらいの
  言葉。〔一般に目上の人には用いない〕

と載っているから困ります。
「ご苦労」のほうには何も書いていないのに。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 16:44:11)

第4版までは「お疲れ」が立項されていませんね。第5版でとつじょ、そのようになってしまっています。

『類語大辞典』(講談社)では0508z00「御疲れ様」は

人の苦労をねぎらう言葉。「〜でした」◇目下にはもちろん、目上でも少し上の人ぐらいなら使える
とあって、『新明解』に反論する形です。対して0508z01「御苦労様」は
目下の人の労をねぎらう言葉。「〜。明日もよろしくね」◇目上に対してはつかわない。
とあって、類語の用法が区別されています。以上は大橋勝男氏のご執筆ということのようです。

いっぽう、4007z01にも「御疲れ様」があり、こちらは

同輩や目下の疲れをねぎらう言葉。「〜でした。ゆっくりお休みください」◇「ご苦労さま」「お疲れさま」ともに、「でした」「でございました」などをつけ、丁寧な言い方として、同輩・目下に限らず用いられる。
とあり、ややニュアンスが違います。「お疲れさま」だけでは目上に使えないが、「お疲れさまでした」とすれば目上に使うことができ、また、「ご苦労様でした」も目上に使ってよいとみているようです。その4007z00「御苦労様」は
目下の者の骨折りをねぎらう言葉。「〜。もう帰っていいよ」
とあります。これらは藤家洋昭氏のご執筆ということのようです。

『明鏡国語辞典』には、「お疲れさま」は立項されていなくて、「ご苦労さま」の項に

▽目上の人に対しては「お疲れ様」を使うほうが自然。
と言明しています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 30日 水曜日 15:19:11)

佐竹秀雄氏のコラムに、近年は「目上にご苦労さまと言うのは失礼だ」と考える人が減り、三割もいない」とあります。これはNHK放送文化研究所の調査(1988)を指すと思われます。

ところで、これは「減った結果なのか」という根本的な問題があります。

辞書の記述は、「目上の人に使うのは失礼」という注記を添えるものが近年多くなってきました。『三省堂』『岩波』『新選』などは、以前の版にはなかったのが、今では注記されています。『集英社』『明鏡』など最近の辞書にはもちろん注記されています。『広辞苑』『日本国語大辞典』『新明解』などは、何か考えるところがあるのか無注記です。

「『ご苦労』は昔は殿さまが使ったことばだから失礼だ」という説、これは俗説である疑いが濃くなりました。単にテレビの時代劇で言っているから、というのが根拠ではないでしょうか。近世の作品(私が見たのは浄瑠璃だけですが)では、家老が殿に「ご苦労千万」、塩冶判官の妻・顔世が高師直(夫の上役)に「ご苦労ながら」と言っています。

岩手出身の宮沢賢治は、「風の又三郎」の中で、北海道から来た転校生の父親が先生をねぎらうことばとして「ご苦労さま」を使っています。

全国的には、北海道・青森・秋田・岩手といった職場では「ご苦労さま」を目上にも抵抗なく使っている気配です。ちょっとこれ、本格的に調べる必要があるのではないかと思い、目下、全国の職場に電話調査を計画中であります。(うちはBBフォンにしたため、このようなことが可能になりました。今は、連休中ということでやめていますが。)

お気づきのことがございましたら、ご教示いただければ幸いです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 14:18:29)

戦後、文部省が中学1年用に作成した『あたらしい憲法のはなし』に次のようにあります。

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。こで、これからさき国を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、……〔本文総ルビ〕(『あたらしい憲法のはなし』童話屋 2001.02.26 p.28)
昭和天皇大葬のとき、名古屋市の74歳の男性が「心からご苦労様でした」と見送った話は拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』p.76で触れました。また、中曽根首相が「陛下、本当にご苦労さまでした」と言った話はこちらで触れました。天皇に関して「ご苦労」を使うことはしばしばありそう。

この『あたらしい憲法のはなし』は、1947年8月に発行、1952年3月まで使われた。10年以上前に、あるラーメン屋さんがそのまま復刻して出版したものを買ったことがありますが、今、見当たりません。上記童話屋版は、新たに写植により本文をつくったもの。「本書の一部には、現行の制度とは異なる表記や、現在では不適当と思える表現があるが、終戦直後に執筆されたもので、当時の文部省のあり方を知る上で資料的な意味があるとの判断から、そのままとした」とありますが、どのていど正確かは分かりません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 21:39:10)

奥山益朗『日本語は乱れているか』昭和四四年一〇月一〇日 東京堂出版、p18-19に、

映画・演劇・テレビ関係はどうかというと、これは夜になっていても「おはようございます」とあいさつするし、別れるときはどういうものか「お疲れさま」という。あの「お疲れさま」の起源はどういうところにあるのか知らないが、(中略)若いカメラマンや技師に「お疲れさま」といわれて、驚いたことがある。
 もし「お疲れさま」というなら、上の人が下の人にいうことばとしてふさわしいので、下から上は「ありがとうございました」であるべきだろう。
(中略)
「ご苦労さま」も同様、おかしなことばで、これは軍隊(陸軍)でよく使われた。上の者が下の者に「ご苦労」ということもあるし、下の者から「ご苦労さま」といわれることもしばしばあった。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 22:14:08)

上記の私の発言

> 目下、全国の職場に電話調査を計画中であります。

これは自衛隊の全国の地方連絡部(すべての都道府県、北海道は4カ所)に電話したのです(2003.05)。結果は内輪で発表しました。一部は拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』で紹介しました。

その時の資料をもとにまとめますと――

上官に対して「ご苦労さまです」「ご苦労さまでした」というあいさつをすると答えた人が少なからずおり、また、地域的にも偏りがみられました。

上官に対し「ご苦労さまです」など「ご苦労」を使う地方は、北海道・北東北・北陸・四国・九州などに多く、近畿・東海・南東北などにはありません。

北海道のうち、函館地連では、「自分は『お疲れさま』を使うが、同僚は上司・部下区別なく『ご苦労さま』を使う」との回答を得ました(回答者男性、年齢不明、函館出身)。また、帯広地連では、「自分はご苦労さまを使わないと教育を受けたが、職場の人は『ご苦労さま』『お疲れさま』を使う」との回答を得ました(回答者男性、44歳、九州出身)。

中央から離れた地域で「ご苦労さま」が目上にも抵抗なく使われているように見受けられます。しかし、東京・神奈川などでも「ご苦労さま」が使われています。

東京地連では、上司に「お疲れさまでした」と言うことはあるものの、それは内容により、「出張の時は『お疲れさま』、小一時間程度の仕事であれば『ご苦労さま』と言う」との回答を得ました(回答者男性、39歳、北九州出身)。ただし、この回答者はかつて北海道に10年勤務、その後静岡・東京で勤務したとのことで、北海道などの職場での習慣が残っているのではないかとも考えられます。また、神奈川地連の回答者(男性、31歳、東京出身)は、「上官には『ご苦労さまです』と言う」と回答した上で、「区別は本当はあるんでしょうが……」と自身なさそうにつけ加えました(故に、「南関東で上官に『ご苦労さま』と言う習慣がある」とは即断できないわけです)。

北陸の福井地連では、「上官に対して用務の時は『ご苦労さまでした』、仕事が終わったときは『お疲れさまです』と使い分けがある」との回答を得ました(回答者男性、44歳、石川出身)。

上官に「ご苦労さまです」と言うのが「自衛隊の習慣である」と述べた回答者もありました。新潟地連の男性(年齢不明、県内下越出身)は、「自衛隊では『ご苦労さま』と言う習慣である」と述べました。香川地連の男性(32歳、大阪出身)や、大分地連の男性(49歳、県内出身)も、やはり同様の回答をしています(このあたり、奥山益朗氏の「これは軍隊(陸軍)でよく使われた」との記述との関連性が注目されます)。

逆の回答もあります。鳥取地連の男性(34歳、米子出身)は、「自衛隊では『ご苦労さま』は目上が目下に言うことばだ」と述べ、舞鶴の教育隊では「目上に『ご苦労さま』と言ってはならないと厳しくしつけている」とつけ加えました。また、福井地連の男性(前出)は、NTTの人が来て「お疲れさま」「ご苦労さま」の使い分けについて教育したことがあったと述べました(これは「目上に『ご苦労さま』を使ってはならない」という趣旨の教育であったものと思われます)。大阪地連の男性(51歳、兵庫県出身)は、「ご苦労さま」は「目上に使うことばではないと思う」と回答しました。

自衛隊内で「ご苦労さま」を使うことは、必ずしも組織としての習慣ではなく、かりに習慣であるとしても、ある地域に限定された習慣、換言すれば方言的な要素が含まれているのではないかと考えられます。「方言的」というのは、たとえば、旧陸軍の習慣が地域的に強く残っているというような可能性も含めてのことです。

上記の結果は、いずれ他の論考の一部などに使う場合があるかもしれませんが、現時点で判明した事実ということで書き込みます。


Shuji さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 17日 水曜日 10:10:43)

たとえば、会議の初めに進行係が「皆さん、本日はお忙しいところ、ご苦労さまです」と挨拶する場合、この「ご苦労さまです」は「お疲れさまです」には置き換えられないような気がします。これから仕事が始まる場合などは、当然まだ疲れていないわけですから「お疲れさまです」は使いにくいと思います。
また、歩いて数歩の隣家の人が回覧版を持ってきた時にかけるねぎらいの言葉でも、「お疲れさまです」では寧ろ皮肉になり、やはり「ご苦労さまです」ではないでしょうか。
目上目下に使える云々以前に、「ご苦労さま」と「お疲れさま」は意味が違うのではないかと、私は感じています。
Shuji


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 26日 金曜日 00:28:33)

>上官に「ご苦労さまです」と言うのが「自衛隊の習慣である」と述べた回答者もありました。

野間宏「真空地帯」に、二等兵が上官に「ごくろうさん」を連発する場面があったと
記憶します。

「軍隊内務令」(軍令陸第16号、昭和18(1943)年8月11日、陸軍大臣東條英機発)は、
上官などに対する敬礼・敬称・敬語の用法を規定していますが、「ごくろうさん」
は見えないようです。(初版は「軍隊内務令」陸達第百九十七号、明治21(1888)年
陸軍大臣伯爵大山巖発)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 26日 金曜日 22:45:10)

軍隊の例を含めて、「ご苦労」に関する例を2つ拾いました。

昭和14年の軍歌「ほんとにほんとに御苦労ね」(作詞・野村俊夫)では、〈楊柳芽をふくクリークで/泥にまみれた軍服を/洗う姿の夢をみた/お国の為とは言いながら/ほんとにほんとに御苦労ね〉とあります(表記は現代の歌集による)。これは、兵士に対しその妻が「ご苦労」と言うわけですが、現代ならば「何を偉そうに」と怒る夫がいるかもしれません。

公の仕事をしている人に対して「ご苦労さま」を使う例。森谷司郎監督の映画「海峡」(1982年東宝)では、青函トンネル開通を実現した高倉健と、昔命を救われた吉永小百合とが、終幕近くで次のような会話をします。
 吉永「ようやくお仕事が――おめでとうございます」
 高倉「ありがとう」
 吉永「本当に、長い間ご苦労さまでございました」(頭を下げる)
高倉健は目上と考えられます。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 31日 水曜日 11:57:33)

武田寧信・中澤信三著『軍用支那語大全』帝国書院(昭和18年)には5箇所出ていました。
日本語の文例だけを抜き書きします。

●先発隊の宿営準備(村長に対し宿営の交渉)
 「村長は何処に住んでゐるか」「村長に会ひたい」「貴方が村長さんですか」「私はお願ひがあつて来ました」「今日我々の部隊がこの土地で宿営するのです」「私はその準備に来ました」「よろしく頼みます」
 「さうですか、御苦労さまです」「どのくらゐの人数ですか」

●作業(屋外作業)
 「おい、苦力、その二人の苦力来て手伝へ」「よし此処に置け」「御苦労々々々」「暫く休め」

●受付(文書送達人との問答)
 「公文書を持つてきました」
 「御苦労さん」
 「こゝに受領印を下さい」

●外出(伝令)
 「ちよつと伺ひます、司令部は何処でせうか」
 「貴方の仰有るのは日本の司令部ですか」
 「いや、支那の警備司令部です」
 「ほら、旗が立つてゐるでせう、あの白い建物が司令部です」
 「判りました、有難う」「これは警備司令部ですか」「御苦労さん、私は伝令に来たのだ」
△歩哨が立つてゐたら「辛苦辛苦」(御苦労さん)と挨拶すべきである。
 「受付は何処ですか」「もし\/、誰もゐないのか、私は公文書を届けに来た」
 「やあ、これは御苦労さま」

日本軍は2回が「御苦労さん」、1回が「御苦労々々々」。
中国人は2回とも「御苦労さま」。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 31日 水曜日 12:42:16)

私の感覚を書いたつもりでいたのですが、まだ書いていなかったようです。

単に話し相手が目上・目下、ということではなく、苦労を掛けるのが誰か、という要素も絡む気がします。

目下の人、たとえば学生さんに、書類に印が欲しいからと呼び出されて印を押して、「ご苦労様です」「お疲れさまです」と言われたとすると、がっくりすると思います。(ここは感謝の意を表して欲しい)

しかし、公用などで遅くまで仕事をしている様子を見られて、「ご苦労様です」「お疲れさまです」と、学生さんに言われたとしても、自然に受け入れると思います。

苦労を与えるのが、より上方から来ているから許容されるのであろうと思っております。

私も、人に声を掛ける時には、苦労を掛けるのが自分である場合には、「ご苦労さまです」とは言わないようにしているつもりです。自分も一緒に働いて疲れた場合には「お疲れさまでした」を使いますが。


masa さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 06:09:05)

私は現在の言葉に関して、余り過去にとらわれるのは如何なものかと考えています。
「昔はこうだったから、今もそう」
という論理は言葉を考える時には慎重であるべきです。

もし、違ってれば申し訳ありませんが、便宜上断定します。
それは、例えば「ありがとう」は本来「有り難き幸せ」だと思います。
現在の挨拶では「有る事難し」(滅多に無い)としか言われていませんが、
果たして現在「途中で省略するな」と批判する人がいるでしょうか。

言葉には様々な変遷があります。
だから、昔の文献では肯定していたとか、軍隊では使われていたなどのご意見は、参考にならないと考えます。
一番大事なのはコミュニケーション上、大多数の人がどう感じるか、
どう使っているかなのではないでしょうか。

さて私の意見です。
前述されているような「回覧板の受け取り時」や「自分が苦労をかけたとき」は
別として、やはり目上の人に使うべきではないと思います。

回覧板の例は気づかされたようで興味深いですが、上下関係が希薄という点で
特殊とも考えられます。

自分が苦労をかけたときは当たり前としか感じません。そんな人いるのかな?といった感想です。

あと、軍隊等ですが、軍人などの「公務員」の方はおそらく特殊なのだと思っています。
例えば役所で住民票を受け取ったときに担当者は
「ご苦労様です」
と言うケースが多いです。
私はその時気分を害したので色々と考えてみましたが結論は
「公務員は頭を下げずに飯を食ってる」
です。
全ての公務員の職種を網羅して思考したわけではありませんが、
私の思いつく限り公務員は「ありがとう」と言う必要がありません。
もちろん職務上のみで、職場の人間関係上などでは言うこともあるでしょう。
しかし、外部の人間に対し「ありがとう」と言う必要は無いのです。
第一、「外部の人間」を「顧客」という表現が出来ないんですから。
役所で住民票を発行した時
「ありがとうございます」が使えるでしょうか?
おかしいですよね。
だから私は公務員を「頭を下げずに飯を食ってる」人種と考えるようになりました。
仕事上、公務員と接することが多いですが、他にも違和感を感じるケースがありました。

反対も考えました。
公務員"以外"の人たちは「頭を下げないと飯が食えない」のかと。
驚いたことに私には頭を下げずに生活が出来る、公務員以外の職業が
全く思いつきませんでした。現在も。

新卒から定年までなら40年前後。しかも回りも同じ人種。
そんな公務員は特殊な人であると結論付けさせていただきます。
よって、多少上下関係の感覚が、公務員以外の大多数の頭を下げないと
飯が食えない人たちと違うので言葉の文化も違うのではないでしょうか。

あと、地方の問題は意外でした。
私は関西ですが、目上の人に「ご苦労様」を使う事はありません。
絶対のタブーです。しかも初歩的な。
しかし、目上の人に使っても問題が無い地方で、
「お疲れ様」と言い換えても問題は無いのですよね。

ではやはり「お疲れ様」を使うべきで、
「ご苦労様は」目下の人に対してのみ言える、というのが
「現在」の日本の文化ではないでしょうか。

皆様のご意見が頂けると至極嬉しいと存じます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 10:30:24)

masaさんへ、私は

「目上の人には『お疲れさま』を。同輩目下には『ご苦労さま』を使いましょう」

という標語ふう(?)の考え方が昔からのものなのか、そうでなければ、いつごろから、どういういきさつでできたかに興味をもっています。とりわけ、この掲示板でこのルールに合わないいろいろな例を拝見し、また私も書き込むなかで、興味は増してきました。

自衛隊での例などを出していますが、これはべつに、「自衛隊で『ご苦労さま』を目上に使っているから、われわれもどんな時でも気兼ねなく『ご苦労さま』を目上に使ってよいのだ」と主張するためではありません。そうではなく、現状が上の標語のように図式的に割り切れるものではないことを示す一例として挙げたのです。(軍隊の話はその関連でご紹介いただいたもので、『軍隊で目上に使っていたから、われわれも目上に使ってよい』という話ではありません。)

「お疲れさま」「ご苦労さま」の使い分けは、目上目下というような単純なものではなさそうだとの私の認識は強まるばかりです。目下の人から「お疲れさま」と言われてがっくりする例については岡島さんがに述べていられます。私の授業を受けている学生も、教室を出ながら、教える側の私に「お疲れさまー」と言うことがあって、強い違和感を覚えます(この話は書いたつもりで書いていませんでした)。おそらく、masaさんが私の立場でも同様にお感じになることと思います。

目上には「召し上がる」「ご覧になる」、同輩目下には「食べる」「見る」というような敬語法の場合は、純粋に文法的なもの(英語で言えば一・二人称はeat、三人称はeatsとなるようなきまり)ですが、「お疲れさま」「ご苦労さま」の区別はそのような文法的なものではなかったと考えます。しかし、いまの趨勢として、文法的な区別に向かっているようだという感じは受けます。

では、そういう流れを加速しているものは何か? ここからは想像ですが、私は「ビジネス敬語」のせいではないかと思います。どの集団にも特有のことばづかいが生まれるものですが、会社でも、電話口で「どちらさまでしょうか」と聞くときに「お名前のほうちょうだいできますか」とか「失礼ですが……(と黙る)」とかいうような特有のことば遣いがあります。ビジネスの場で「目上には『お疲れさま』」というルールが発生し、ビジネス以外の場にも及んできたのではないか、と。

われわれはどういうことば遣いをすべきか、という「べき論」を述べるつもりはありません。現状がどうであるかを正確に把握できれば、私としては満足です。そして、その現状はどのようにもたらされたのかが分かれば、もっと満足です。「『ご苦労さま』は主君が家臣に使ったことばであるから、今も目上には使わないのだ」という説明が誤りであることは、少なくとも分かりました。

現状について、役所の担当者が「ご苦労さま」ということが多いというご指摘は興味深く思います。福岡県M市の市民課に勤務されるある方からも、「住民票などを取りにきた市民や業者に『ご苦労さま』と言う職員がいて、とても気になっていた」との証言をいただきました。もしかすると、これも全国調査の価値があるかもしれません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 12:01:38)

masaさん、ようこそ。
ご意見、ありがとうございます。

>私は現在の言葉に関して、余り過去にとらわれるのは如何なものかと考えています。
これは、おっしゃる通りだと思います。

ただ、このスレッドで昔の話が出てきたのは、
>「昔はこうだったから、今もそう」
>という論理
ではなく、
「昔はああだったのに、今はこうなってしまった」
という(咎める場合の)一般的な見方に対する検証のためでありました。

この部分にありますように、「近年は「目上にご苦労さまと言うのは失礼だ」と考える人が減り、三割もいない」の「減り」への疑問でした。少なくとも、「昔は十割の人がそう感じていた」というわけではない、ということを示すためのものでした。

>私は関西ですが、目上の人に「ご苦労様」を使う事はありません。
>絶対のタブーです。しかも初歩的な。
ということについて、お教えいただきたいのですが、これをタブーである、とお感じになったのは、どのようにして獲得なさったことなのでしょうか。
幼い頃から自然と身に付いたことなのか、それとも社会人として暮らして行く内に自然と身に付いたのか、あるいは誰かに教えられたことなのか、このあたりの内省が出来るのであれば、お教え願いたいと存じます。
また、現在、どの年齢層にあるのかもお教えいただければ幸いです。

公務員批判については、あまりこの会議室での話題にならないと思いますが、たとえば図書館で本を借りたり返したりするときに、バーコードのある面を揃えて提出すると、「ありがとうございます」と言ってくれる係の人には何人もお目に掛かります。
また、「顧客」であるはずの人に向かって頭を下げることをしない、と批判される人として、医師があげられることもよくありますね。

Yeemarさんが既に書かれたことと重なる部分もありますが、書いたままアップロードします。


masa さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 16:31:16)

引用文献の無い私的な経験則に基づくのみの、
稚拙な書き込みに早速のレスポンスをありがとうございます。

岡島昭浩様へ

>「昔はああだったのに、今はこうなってしまった」
>という(咎める場合の)一般的な見方に対する検証のためでありました。
失礼致しました。
全くおっしゃるとおりですが、掲示板全体を通して私のような感じ方の方が
多いのではと思います。

>幼い頃から自然と身に付いたことなのか、それとも社会人として暮らして行く内に自然と身に付いたのか、あるいは誰かに教えられたことなのか
幼い頃から身に付いた物ではありませんし、
社会人として暮らしていく上で自然に身に付いたかというと、
少しニュアンスが違います。
「自然に」身に付いたのではありません。
うろ覚えでは有りますが「いつ」「どこで」「誰に」教えてもらったのか、
はたまた、強制及び矯正されたのか思い出すことが出来ます。
言葉を習得していく上では極めて珍しいケースかと、今思いました。
最初はやはり、疑問に思ったことを思い出します。
私は「最初の就職先で」「入社まもなく」「上司に」教えられました。

>また、現在、どの年齢層にあるのかもお教えいただければ幸いです。
私は現在30歳代前半です。女性なら後厄になるのでしょうか。
ただ、職場内での環境も職務上関係する外部の人たちも、
40歳を超えたような年令の方が大半の環境でした。
しかし、現在も過去も、同年代の人たちと本件に関して考え方が違うと感じたことはありません。

>公務員批判については、あまりこの会議室での話題にならないと思いますが、
私の文面がそのようなニュアンスを含んでいたことに謝罪いたします。
しかし、断じて批判ではないのです。
私自身がこの事に気づいたときから、
人を分析する時には本当に重要なファクターではないかと思っているのです。
誰かがこの事に関しての研究をなされていないかとも思っているくらいです。
私は日本語が本当に好きなのですが、心理学も好きなものでついつい、
この方面から考えてしまいました。
正直なところ、「公務員」と書かずに「公務員の方」と書くかどうか悩みました。
結局、読みやすさと私の指の健康を考えて省略したのがアダとなりました。
批判から生まれるものは少ないと思います。
重ねてお詫びいたします。

Yeemar様へ

まだまだ考えが及ばず、個人的な感想のみですが、
「ビジネス敬語」という音感が私には抵抗無く滲みこんできます。
想像の域を出ませんが、
電話や郵便の使われ方を鑑みると、
仕事上のコミュニケーションが
日本全体でなされているコミュニケーションに占める割合は大変多いような気がします。
なので「ビジネス敬語」が日本の言語文化に確固たる地位を確立していても
おかしくないのでしょう。

とすれば、私が違和感を感じる言葉の一つである
「奇妙な過去形」も浸透してしまうのでしょうか。
「奇妙な過去形」とは例えば、レジでお金を受け取った店員が、
「1万円からのお預かりでよろしかったでしょうか」
や、商品の確認時に
「こちらの商品でよろしかったでしょうか」
という風な表現です。
今までは「1万円からのお預かりでよろしいでしょうか」や、
「こちらの商品でよろしいでしょうか」でした。
とあるニュースキャスターがブラウン管で違和感を訴えていたのがもう、
1年以上前になると思います。
既にこのHPの他の掲示板に取り上げられていればお詫びいたします。

「言葉の変遷」と「自己の美的感覚」の狭間に悩まされることが多くなりました。
だから面白いんですけどね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 00:13:01)

この会議室での話の傾向として、歴史的な方向に行きやすい、ということはあると思います。しかし、いつも、昔からこうだから今もこうあるべきだ、という思いは毛頭なく、いつ現代のようになったのか、いつから現在思うのと同じように思われるようになったのか、という視点であるつもりです。
この会議室に来て間もない人にとっては、昔のことばかり調べて、と思ってしまうようですが、言葉とがめをする人は「昔からこうだから」というのを論拠にすることが多いので、本当に昔はそうだったのか、昔というのはいつごろなのか、ということを考えたいと思っています。(言葉とがめをする人の「昔」は、おおむねその人が言葉を覚えた頃だろうか、と推察していますが)

おおよその年齢と覚え方をお尋ねしたのは、自然に習得されたのだとしたらおいくつぐらいの方だろうと思ったからです。お教え下さって有り難うございます。

今、「目上にごくろうさまを使うな」という注意書きのものとして、手許で目についたものとして、昭和46.5.10の内山みち子『ことばのエチケット』明治書院(ビジネスマンことばシリーズ7)があります。

「ごくろうさま」というコトバがあります。ひと仕事すんだときや、骨折り・疲れなどをやさしくねぎらい、いたわるコトバです。そして、これは対等の者か、それ以下に向かって使うコトバですから、学校で校長先生から用務員のおじさんに向かってなら使えますが、用務員さんから校長先生には使えません。(p17-18)
というのですが、これは「「すみません」と「ごくろうさん」のつかいわけ」という節の中の一部です。最初は「すみません」と「ありがとう」を使い分けるべきとの話から始まるのですが、それに加えて「ごくろうさん」が出てくるものです。

自然に(教わったのではなく)、いつでも「ご苦労様」は目上の人には使えない、という人がいたのか、それとも、感謝の意を示すときに「ご苦労様」を目上の人に使うのに違和感を感じる、ということから出発して、いつでも使ったら駄目、という風になったのか、と考えております。

「ビジネス敬語」の枠内と別の所にいるのが、公務員であり医者であり、また教員であり、ということではないでしょうか。

「奇妙な過去形」については、下のスレッドですね。

名古屋で聴いた完了態?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 20:56:46)

上の方で書いた、奥山益朗氏の後の著書の中に、詳しく書いてありました。『日本人と敬語』(東京堂出版 S47.3.25)。「ご苦労さま」p227-231、「続・ご苦労さま」p232-236。ガードマンが「ご苦労さま」ということに関して、

いまのガードマンの訓練は、大体自衛隊の流儀だと聞いているが、そうなると「ご苦労さま」はもとの陸軍から自衛隊に伝わった言葉なのかもしれない。

『言語生活』(S46.10)の「耳」欄を引用して、
文章の感じからすると、大阪の岡さんは、若いBGのようである。目上の人に「ご苦労さま」ということが失礼だという感じは、すでに四十歳代以上のものだろうか。(中略)「相手の労をねぎらう」という感覚は、主として上から下、あるいは同位の者の間で行われるもので、下の者が上の者をねぎらうということはあり得なかったのである。(中略)それは感謝とか恐縮の表現をとるべきものである。
 従って、朝日新聞(昭和四十六年十月十五日付)に掲載された左の記事はおかしい。見出しに「ご苦労さまでした両陛下」とある。(中略)もっとも、ハード・スケジュールで、全く「ご苦労さま」と申し上げたい気持ちというのはよくわかるのである。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 22:40:40)

奥山益朗氏がすでに自衛隊の習慣について指摘されていたのですね。知らずにいたのは迂濶でした。知っていれば、拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』の自衛隊の話の所でも触れたかったと思います。

ガードマンも「ご苦労さま」を使うとのことですが、警察官もそのようです。
ある方から、

私は以前、警察におりましたが、そこでは皆、「ご苦労様」でした。
例え相手が警視総監であっても、「お疲れさま」とは絶対言いません。
これは多分、全国どこでも一緒だと思います。
との証言をいただきました。この方は「お役目ご苦労さま」とは言うが「お役目お疲れさま」とは言わない、お上から授かった役目に対して「疲れる」は不適当だ、「ご苦労」ならば、お役目を果たしている事に対する感謝の意となる、という主旨の考察もしてくださいました。

読売新聞の校閲の方からも、何人かの方の証言を教えていただきました。元警察官は、「警察学校時代からご苦労さまを使っていた」。元電話交換手の方は、「社長に『お疲れさま』と言ったところ、『交換手ごときがお疲れさまとはなんだ、ご苦労さまと言え』と叱られて釈然としなかった」等々。

ところで、奥山氏はすでに1970年代の初めに「目上の人に『ご苦労さま』ということが失礼だという感じ」を書いている由ですが、今よく言われるように「代わりに『お疲れさま』というべし」ということではないようですね。おそらく奥山氏は「ご苦労さま」にしろ「お疲れさま」にしろ、労をねぎらうことそのものを不適当と述べているものと思います(詳しくはきちんと読んでみます)。

奥山氏の触れる「言語生活」の記事は、おそらく下記の引用の3と思いますが、ここでも「耳」欄の担当者は「目上をねぎらうものではない」との考えを示しています。「主君が使ったことはだから目上にダメ」という説は怪しいとしても、「ねぎらうことばだから目上にダメ」は説得力があり、かつまた、そのような考え方は昔からあったに違いないと思います。それにしては「ご苦労さま」を目上に使った例が昔にしばしばあるのはどう説明をつければよいかということになります。

天皇に対し「ご苦労さま」をいう例は、私は大葬の礼のときの例を拾いましたが、かつて中曽根首相も使って物議をかもしました。昭和46年の「朝日新聞」でも使っていたのは初めて知りました。このような例をしばしば目にすると、目上に対してであっても、公的なことがらについてであれぱ「ご苦労さま」は使えたのではないかと、やはり思われるのです。(会議、回覧板なども含む)

なお、下記の「言語生活」の例では、1・2では「ご苦労さま」と言われた側は不愉快に思っていません。1ではむしろ「遊びに行くのに『ご苦労さま』と労をねぎらわれてくすぐったい」と感じています。一方、4のような場合には、相手が目上でも目下でも「ご苦労さま」は失礼であろうと思います。

(以下、『言語生活の耳』より引用)


▼地下鉄の出札口でキップを買ったら、「ありがとうございます。ご苦労さまでした{8字傍点}。」公休日で映画でも見に行こうとしていたA君は少しくすぐったい思い。(1953 p.29)


▼混線? 本音!!
 統一地方選挙花やかなある日、一候補者の宣伝カーのマイク。
「みなさん、毎日のお勤めご苦労さんでございます。若き世代の代表○○がごあいさつに参りました。みなさんご苦労さんでございます。ご苦労さんです。ご苦労さんの○○がごあいさつに……」

秋田県仙北郡 遠藤純さん)(1971 p.293)

▼私の知人が葬式にかけつけ「ご苦労さん」といわれたとかで憤慨して帰ってきました。この人には「ご苦労さん」ということばは、目下に用いるもので、目上の人にはいうものではないとの概念があるとか……。いあわせたもう一人の人が「そうでもないぜ。本社の女の子が出張所の目上の人にでも、電話で『ご苦労さまでございます』と言っているから」と言うと、「『でございます』をつけても決してニュアンスは変わらない」と言います。この問答どんなものでしょうか?
(大阪市 岡敦子さん)
「ご苦労さま」は、労をねぎらうことばなので、目上に使うとおかしな感じになるのだと思います。(1971 p.297)


▼御礼の言い方
 駅前で、アフリカの飢えを救えという例の募金を何人かの若者がやっていた。ひとりの女性がお金を入れると、募金箱を持って立っていた青年のひとりが「どうもすみません」、もうひとりが何と「ごくろうさんでした」。「ありがとうございます」が無難な言い方なのだろうが、御礼の言い方もなかなか難しい。

(東京都府中市 富沢徹さん)(1985 p.468)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 15日 月曜日 17:38:59)

泉鏡花文庫「鏡花花鏡」によれば、泉鏡花「飛花落葉 御苦労でした」という作品があるようです。『春宵読本』明治42年文泉堂刊に収録とのこと。

3人で東京の向島百花園を訪れ、夜になって出ようとすると、主人が小腰をかがめて

「お靜に入らつしやい、あり難うございます。」いと丁寧に挨拶す。〔ルビ略〕
この「おしずかに」というあいさつは、今、東北などに残っていますね。

それはともかく、自分ともう1人は「ハイ」とだけ答えて出たが、「春葉さん」だけはいんぎんにあいさつを返した。

「御苦勞樣でした。」と、蓋し一ばし〔ママ〕會釋をしたつもりなり。此言に困れば、主人が門に彳みたるを大に勞ひたるものゝ如し。同人所以を解せず、意地わるくこれを問ふ、春葉さん大にじれて「分つてるよ。」〔ルビ略〕
つまり、春葉さんは「ご苦労さま」と言ったが、主人としてはただ門の前に立っていただけだから、「私が何かねぎらわれるようなことをいたしましたっけ」と意地悪く問い返した、春葉さんはじれってくなって「分かってるよ」と、がぜんていねいさを失った――という話でしょう。

ここでは、「ご苦労さま」に「いんぎんでていねい」な語感がなければ、話が成立しません。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 14:24:26)

六代目三遊亭圓生の芝居噺「淀五郎」。
淀五郎が歌舞伎の中村仲蔵を訪ねる場面。
楽屋へ入る淀五郎が「おはよう存じます」といった後、圓生師の説明が

 俳優のほうは、初めて会うと夜でもなんでも、おはようございます。
 われわれのほうは、来たときに、ご苦労様、帰るときにもご苦労様と申します。

と続きます。
この場面の前には、芝居の世界も噺家の間でも楽屋の席次にやかましい決まりがある
と述べるくだりがあります。(1976年12月28日東横劇場のライブ録音)

「われわれのほう」とは寄席の楽屋の芸人同士の挨拶のことでしょう。
三遊亭圓生は明治33年生まれ、大正9年には真打ちとなっています。
礼儀作法などについてとくにきびしい師であったとはよく知られたことです。
「寄席育ち」などの著書もあるくらいですから、噺家の世界では「ご苦労様」が
ふつうの挨拶として長く行われていたことは確かではないでしょうか。


masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 07:23:50)

三遊亭 円丈「プロ仕様噺家前座マニュアル」に次のようにありますので、現在も使われているようです。

楽屋の挨拶と礼儀
 前座は先輩、師匠方は楽屋入りや、高座に上がる時、下りた時、帰る時、1人につき最低計4回は挨拶をする。挨拶する機械と思うべし。まずキチンとした挨拶が、出来ないと「今度の前座は与太郎だ!」となってしまう。
先輩、師匠の楽屋入りの時全て
    ・・「おはようございます」
師匠方が高座に上がる時
    ・・・「お願いいたします」または 「ご苦労様でございます!」
師匠方が高座を降りてきた時
    ・・「お疲れ様でございました」
師匠方が帰る時
   ・・ 「お疲れ様でございました」

三流亭まどべの楽屋レポ−壁の花は見た−でも師匠に「ご苦労様!」と挨拶しています。

 出囃子とともに高座へ上がっていかれる圓窓師匠を袖に立って送り出す一門のみなさん。「ご苦労様!」「ご苦労様!」「ご苦労様!」と、ドスのきいた声。声。声。
ひえーーーーっ! 「組」のおっさんの集まりかと思っちゃうよぉ。怖いぃ! 圓窓師匠は、まさに組の親分。怖いよぉ。しくしく。いいえ、私は壁の花。石っころと同じでございます。しくしくしく。

三遊亭 円丈「プロ仕様噺家前座マニュアル」


posted by 岡島昭浩 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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