2003年02月20日

きなこ(道浦俊彦)

「きなこ」は漢字で書くと「黄な粉」ですが、もともとは「黄なる粉」だったと辞書に書いてあります。現代ならば「黄の粉」=「きのこ」となっても不思議はないと思うのですが、なぜ「黄『な』粉」なのでしょうか?
他の色(赤、青、白、黒)だと「赤い」「青い」「白い」「黒い」と「形容詞活用」ですよね。この「黄なり」だと「形容動詞的活用」で、「茶、緑、桃色、橙色」などと同じ仲間になってしまうのでしょうか?
そのあたり、ご教示ください!


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 09:08:37)

 複合語には古い言い方が残るから、という説明では不足でしょうか。

 現代語では「粉(こ)」も、複合語(や慣用句)にしか見られませんね。

 無理に現代語で作れば、「きいろごな」ではないでしょうか。「きのこ」ではなく。「黄色い……」を「きの……」という言い方は、私にはピンときませんが、道浦さんは使うのでしょうか。

 ところで、「きのこ」の歌、というのが、スーパーマーケットなどで、「おさかな天国」同様に猛威をふるっているようですが、愚息は黄粉餅を食べるときに、その替え歌で、「黄粉のこの子、元気な子」と歌っております。もちろん本歌は「元気の子」です。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 22:53:44)

京都人の私には、「キィな粉」は極めて自然な言い回しに思えます。
「マッカなお鼻」のトナカイさんは…ってのもありますね。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 22:54:44)

私が勤務の関係で宮崎にいたとき、地元の人が「黄色い」ことを「きな」と言っていたことを覚えています(記憶が正しければ)。
「きな」が本来の日本語なのか、方言なのかわかりませんが、これだと「黄な粉」と整合性がありますね。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 23:58:38)

 九州のうち、どれぐらいの地域を占めているのかは知りませんが、「黄色」(名詞)のことを「きな」と言います。信号は「あか、あお、きな」です。形容詞としては「きない」を使います。ですから、私にとっては「きなこ」は「あかおに・あおおに」と同じ感覚の複合語です。整合性があるわけです。

 ところが、「きな」は、もちろん、形容動詞の連体形「黄な」がもとであり、「きない」はそれを形容詞化したものと言うことになります(「へんない」というのもあります)。

 「きなこ」ということばは、もちろん、「きない」を元にして作られたものではなく、形容動詞の連体形からできているわけです。「縁は異なもの」の「異なもの」と同じで、「異な」という言い方が廃れて、この言い回しと「これは異な事を」というような言い方にしか残っていないと同じように、「きな」を使わない地方でも「きなこ」という言い方があるわけです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 00:58:19)

「形容動詞連体形「な」+形容詞語尾「い」」という語構成はたいへん奇妙な現象と拝見します。
 香川県では「静かな(形容動詞連体形)」に「かった(形容詞〈過去形〉語尾)」をつけて「静かなかった」(静かであった)と申します。類例、「おかしなかった」(おかしかった)。現在形は無理です(「×静かない・おかしない」)。またどの形容動詞についてもこの操作ができるわけではありません。

形容動詞「綺麗な」「静かな」などを過去形にするとき、「綺麗なかった」「静かなかった」という。「綺麗だった」「静かだった」とは言わない。これが形容詞に直接つき、「せわしなかった」という。「忙しかった」の意である。東讃では、「うれしなかった」「涼しなかった」などともいう。「うれしかった」「涼しかった」の意味である。また「あぶなげなかった」といえば、「あぶなそうであった」、「さぶげなかった」は「さぶ〔ママ〕そうであった」の意味である。
(近石泰秋『香川県方言辞典』風間書房)
もっともここにある「せわしなかった」は、「せわしない」(形容詞「せわし」+語尾「ない」)の過去形ではないかと思いますが。

「活用語の連体形+名詞」で、全体として1つの名詞として熟してしまうのも比較的に奇妙な現象と思います。「黄な粉」の語を道浦さんが注意されるのはそのあたりに着目されてのことでしょうか。「ばかな息子」は1語として熟すれば「ばか息子」と「な」がとれる。同様に「重大な問題」は「重大問題」となる。「黄な水仙」は「黄水仙」である。しかるに、そのまま「黄な粉」とはこれいかに?

これも類例を求めれば、「すぐな文字(ひらがなの「し」のこと)」「濃い口(醤油)」「多いめ・早いめ……」「大い君(長女を言った古語。大き君ということと思います)」「いいもん(悪者〔もん〕の反対)」などが思いつきますが、いかがでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 01:07:25)

「母じゃ人(ははじゃひと・はわじゃひと)<母である人=お母さん」(名詞+じゃ連体形+人)も同様の例といえるでしょうか。同様に「父じゃ人・兄じゃ人・姉じゃ人」等。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 01:15:51)

動詞ならば「御忌むこと」(御受戒の意。単に「忌むこと」とも)もそうでしょう。「御忌むことは、いと安く授けたてまつるべきを」(源氏物語・手習)『日本国語大辞典』には立項なしですが。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 03:51:52)

黄色と黄について: 私は鹿児島市ですが, 私も母(1929生)も今は
「キーロカ」です。ただ母の若いころには「キーカ」という人が多か
った由。ちなみに「黄色くなった」は 「キオナッタ」だったそうです。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 04:17:02)

小学館国語大辞典(Bookshelf 2)によると、

| 【な】
|  〔格助〕体言を受け、その体言が下の体言の修飾にたつことを示す上代語。
| 同様の連体格助詞に「の」「が」「つ」があるが、「な」はきわめて用法が狭く、
| 上代すでに固定し、「たなごころ」「たなすえ」「まなかい」などのように
| 語構成要素化していた。
とあります。

「の」の意味の「な」が使われている単語には他に、
 あなうら(足の裏)
 たなうら(手の裏)
 まなざし(目の指)
 まなこ(目の子)
 まなじり(目の後)
 みなそこ(水の底)
 みなと(水の戸)
 みなも(水の面)
 みなもと(水の本)
 みなづき(水の月)
等々があります。

広辞苑ではこれらの語の構成を「た‐な‐うら」というようにハイフンで区切って示しています。
(というわけで上の例は「‐な‐」で全文検索して見つけたものの一部です。)

で、きなこの項を見ると
|  きな‐こ【黄粉】
となっていて、広辞苑はこの「な」を格助詞とは見なしていないようです。

確かに「足」「手」「目」「水」に比べると「黄」という語の"基本度"は低いように思います。

因みに私も福岡出身ですが、中学の頃、黄色のチョークのことを「きなのチョーク」と呼ぶ年配の先生がいらっしゃいました。
クラスの皆で口真似をしてからかっていたものです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 12:15:01)

格助詞「の」に相当する「な」と、「黄な粉」「直(す)ぐな文字」などの「な」は、広辞苑にも示唆されているように、時代からいっても区別すべきものと思います。前者は上代以前の語法ですが、後者の「な」は「なる」の変化で、平安時代末期以前にはあまり例がないでしょう。

「歩きたいのよ高輪 灯がゆれてるタワー」(「別れても好きな人」)と歌われる東京都港区の高輪(たかなわ)の「な」は、上代語の「な」を思わせるものがありますが、この場合は、「縄」などとの関連を考えるべきもののようです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 13:08:15)

 広辞苑の「-な-」で面白いのは、「きなこ」は「きな-こ」なのに、「いなもの」は「い-な-もの」となっているところです(私が常用しているのは第3版―電子ブック初代のデータ)。

 「きなくさい」などの存在を考えると、形容動詞の「きな」からではなく、名詞化した(もしくは形容詞語幹の)「きな」からできたものという筋道も考えられるかも知れません。形容詞「きない」は、日本国語大辞典でみると、関西にもあるようですし。

 しかし、「連体形+名詞」がそのまま複合名詞になることも、できる語形が短い場合には、Yeemarさんの挙例の様に、ありそうなことです。

 〈形容動詞語幹+な〉が、形容詞の語幹となる例については、「徒然ない(とぜんない)」など、「甚し(なし)」との関連で説かれることもありますね。

 福井県の大野市周辺では、形容詞がおおく「〜ない」の形をとる様になっていて(「せわしない」の仲間がたくさんある)、「せわしなくない」のような形がどう出てくるのかに注目した福井大学生の卒論があったのですが、うまく整理がなされておらず、もどかしく思ったことがありました。

 鹿児島の「きいか」「きおなった」ですが、「きおなった」は「きうなった」(「きゆうなった?」)の転でしょうか。イ列の形容詞が少ないのであれですが、「おおきゅうなった」は「おおきおなった」とはいいますでしょうか。いや、「おおきか」は使わずに「ふとか」でしたか。シク活用は「うれしゅうなった」でいいのでしたっけ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 13:21:34)

「黄な粉」の話のきっかけになったのは、実は「イカナゴ漁」の「いかなご」だったのですが、これも「いか・な・ご」なのでしょうか?取れた手を見ていると「烏賊(イカ)」のように透明で、その子どものようにも見えるのですが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 14:34:52)

Microsoft Encarta 2002によると、イカナゴは、
 「糸のように細長い小魚」という意味の古語に由来する。
とのことです。
「イカナゴ」をどのように分解するのかは分かりませんでした…。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:03:17)

「きなくさい」は、小学館国語大辞典(Bookshelf 2)によると
| 衣(きぬ)臭いの意か
ということです。
他の辞書を見ても「黄臭い」と表記しているものは見当たらないので、
「黄な」とは分けて考えたほうが良さそうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:11:56)

ははあ、「如何子」「如何魚子」という説があるのですね。

イカナコ(如何子)の義で、カマス(梭子魚)と区別がつきにくいためという説がある〔大言海〕。また、イカナルナノコ(如何魚子)の義か〔日本語源=賀茂百樹
(『日本国語大辞典』)
これは「語源説」を紹介するだけの欄で、正しいとも誤りとも分からないのですが、大言海説のとおりであれば「如何な(形容動詞連体形)+子(名詞)」であり、もし「黄な粉」が形容動詞連体形+名詞とみてよければ、その類例ということになりましょう。また、賀茂百樹説のとおりであれば、「如何(いか)・魚(な)・子(ご)」であって、「な」は魚を意味する名詞ということになりましょう。しかし、これらは確証がないので、何ともいえないというのが現状でしょう。

「烏賊な・子」と解すると、あたかも「ピーチな・関係」「ITな・人たち」のような今ふうのことばになってしまいそうです。

また、「た・な・ごころ(手な心)」「み・な・そこ(水な底)」と同様に「烏賊・な・子」と解していいかというと、上代語、つまりは奈良時代語の「な」がこんなところに残っているものだろうかという疑問がわきます。もっとも、近世に松永貞徳が「色々に袋の数やそめつらむ はたけ芥子の花ぞ咲ける」と詠んだそうで(犬子集)、この「な」は何だろうと思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:15:04)

「「糸のように細長い小魚」という意味の古語」という語源説の出所が知りたいですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:34:57)

「はたけな芥子」は「はたけなる芥子」ではいけないのでしょうか。「そこな人」と同じような。

 「きなくさい」を「黄色」と関連付けて説いているものはありませんでしたか。「かんこくさい」が「紙」であるように、「きなくさい」も「衣」であるということなのでしょう。「きぬくさい」がもとだとしても「黄な」の牽引はありそうな気がしますが、方言地図の分布を見て、また考えたいと思います。

 少なくとも私にとっては、きな臭い匂いと黄色い色には共感覚があります


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:43:00)

「はたけな芥子」が、「はたけなる芥子」であれば、非常によく分かります。これは、『日本国語大辞典』の上代語の格助詞「な」のところに、「まなかひ」などとともに載っていたので、ちょっとうろたえてしまいました。この例文は、別の項目に移動したほうがよさそうですね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:46:43)

> 「「糸のように細長い小魚」という意味の古語」という語源説の出所が知りたいですね。
↓のページの一番最後にそれらしき解説がありました。
「かな」が「縢(糸。糸すじ。)」ということでしょうか。

鹿ノ瀬とイカナゴ


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 16:05:23)

そもそも「黄な粉」の疑問を思い付いたのは、「イカナゴ漁」のニュースを見たからです。「いかなご」は透明で、「イカ(烏賊)の子ども」のように見えるから「イカなる子」→「いかなご」なのかなあなどと思ったことがきっかけですが、さて、「いかなご」は、そうなのでしょうか???


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 23:09:24)

「烏賊の子どものように見える」→「烏賊なる子」と解すると、これは先ほど申しましたように、「ピーチな関係(ピーチなる関係)」「ITな人たち(ITなる人たち)」のような、今ふうのことばと同じ成り立ちになってしまい、昔のことばらしくありません。最近よくありますね、「長距離恋愛な男女」などと、情態性を表さない名詞(ピーチ、IT、長距離恋愛etc)に「な」+「具体名詞」が続く語法が。「烏賊」も情態性を表さない名詞なので、「烏賊な子」は昔は無理だったろうと思われます。

UEJ さんご紹介の「い・かな・ご」説、これは『日本国語大辞典』に載っていませんから、辞典が見落としたということでしょうか。「「い」は強調する場合の接頭語、「かな」は昔の言葉で細い物、糸を意味し、「ご」は魚を意味する」ということですが、これは現代の人が「そうではないか」と推測した語源説なのか、昔の学者が考えた語源説なのか、興味があります。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 12:28:18)

妻にこの「きなこ」スレッドの話をしたら、
「黄名粉」と書いている商品があるとのこと。
Googleで検索してみると88件ヒット。
当て字だとは思いますが。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 13:07:15)

「平成ことば事情」に「きなこときのこ」アップしました。

平成ことば事情


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 15:58:49)

道浦さん
>すみません、参考ページに記入しなかったためか表示されなかったので、何度も書き込んでしまいましたが、同じ物です。すみませんでした。

 「参考ページ」に記入していない場合は、下のURLがそのまま入るようにcgiを書き換えておりますのでご安心ください。
http://ytv.co.jpでは、ytvのトップにも繋がらず、http://www.ytv.co.jp/にしても道浦さんのページにたどり着くのは大変だと思うので、張り替えました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 22:39:33)

「平成ことば事情」を拝読して、道浦さんのご疑問が那辺にあるかが分かってまいりました。道浦さんは、色を表す形容語として

 (a)「〜い」グループ(赤い・青い・白い・黒い)
 (b)「〜の」グループ(緑の・茶色の・桃色の・橙色の……)

の2つのグループを指摘されていますが、古くはこのほか

 (c)「〜なる」グループ

というものもまた存在しました。道浦さんの問いかけ「「黄」だけが特別なのでしょうか?」の答えは「「黄」だけが特別なのではありません」ということになります。

ためしに「源氏物語」を見てみますと、「黄なる生絹(すずし)」(夕顔)などのほか、「薄二藍なる帯」(賢木)、「浅緑なる空」(梅枝)、「山吹なる唐(から)の綺(き)」(若菜下)などが出てきます。これらは(c)グループの形容語といえるでしょう。

後の時代にも、「紅なる生絹」(宇治拾遺物語)、「たけ三四尺計なる童子の、青衣のうへに紫なるをぞき給ひたりける」(古今著聞集)などと出てきます。しかし、さかのぼって「万葉集」などの時代にはまだほとんど出てこないようです。

もっとも、この中ではわけても「黄なる」が非常に多く使われたように見受けられます。これが後世「黄な」と変化して用いられるのはきわめて自然であると考えます。たとえば、近松門左衛門の浄瑠璃「けいせい反魂香」には「口嘴の黄な小雀が家老並みにつらなり」とあります。

ただ、他の「〜なる」もこれと同じように「緑な」「紅な」となったかというと、こちらのほうは「緑の」「紅の」が普通になったのでしょう。「黄な」だけは、使用頻度が多かったために残ったのでしょう。

――と、これは先行研究を調べずに書いたものです。文献として、佐藤武義氏「「黄なり」から「黄色なり」へ」(『東北大学教養部紀要』54 1990.12)および同氏「「黄なり」から「黄色い」へ」(『国語論究』5 1994.12)などがあるようですので、読んでみたいと思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 22:47:35)

> 「黄な」だけは、使用頻度が多かったために残ったのでしょう。

おや、これではやはり「「黄」だけが特別」ということになってしまいますね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 08:50:43)

岡島様。すみません、いい加減なアドレスを書いてしまって・・・。お手数を掛けました。以後、気をつけます。

Yeemar様。↑上のご説明、大変よくわかりました。そもそもは「黄」が特別ではなかった(スタートラインは、他の色と同じ)が、使用頻度(人気)に差が出たことから、結果として「特別にみえる」ようになったということですね。
また、追記させてもらいます。

NHK放送文化研究所の塩田雄大さんから、佐藤武義著『日本語の語源』(明治書院、2003,1,15)の25ページに載っている「黄粉」についての記述を教えてもらいました。
「『黄粉』は、『不思議なる人』の『る』を脱落させて『不思議な人』となるように、『黄なる粉』の『る』を脱落させて『黄な粉』となったものである。」
とありました。


posted by 岡島昭浩 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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