わたしは浅学にして生活文とはどういふものかを知らないが、実物から推測するに、どうやら他愛もない作文のことを近頃はかう呼ぶらしい。おかげで一つ学問をした。憎まれ口または皮肉、冗談としてよく使うような気がします。司馬遼太郎『国盗り物語』(新潮文庫の100冊)にもあります。(丸谷才一『日本語のために』新潮文庫 p.48)
(おなごとは無用の縁を持たぬことよ。奈良屋の後家のごとく利益ある縁ならばよいが、金輪際、役にもたたぬ縁をもたぬことだ)なお、常套句の話については少し前に出ましたが、データクラッシュによって飛んでしまったようです。「今日この頃」という常套句の話しが出、向田邦子『阿修羅のごとく』から
庄九郎、一つ学問をした。
巻子「波風を立てずに過ごすのが本当に女の幸福なのか、そんなことを考えさせられる今日此の頃である」という例を引きました。朝日新聞の投書欄「声」の10年ほどの調査によれば、向田邦子のいうごとく女性のほうが平均して多かったのでした。私のホームページの文章「私だけだろうか」の話も出ました。
鷹男「『今日この頃である』――女は好きだね、こういう言い方――」
km さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 28日 水曜日 17:58:57)
Googleで一つだけ見つけました。
「何事も勉強、一つ学問をしたり。」
これは昭和十七年の日記の記事です。
「一つ勉強をした」「一つ勉強になった」という言いかたの方が良く耳にする気がします。
→ 五十五年前の日記帳
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 28日 水曜日 20:43:22)
遺品の「従軍中に書いた日記帳」とのことで、貴重なものですね。
しかしインターネットでほとんど出てこないということは、常套句というにはほど遠そうです。
ただ、私は本などで、何度か目にしたことがあるように記憶します。
多くの人は使っていなくても、何人かの文人なり随筆家なりが使っているという、狭い範囲の常套句ということはないだろうかと思います。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 30日 金曜日 16:58:09)
私も「勉強になった」を思い出したのですが、「いい勉強になった」とか、「これは勉強になった」とか。憎まれ口などに使うのも同様かと思います。
更に思いだすのはクレージーキャッツの「悲しきわがこころ」。谷啓のせりふ「勉強になりました」。大学8年生の歌です。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 30日 金曜日 17:53:56)
別スレッドで道浦さんが「学問をした」を使ってくださいました。
私が「学問をした」が「よく使われることば」だと思ったのは、「勉強になった」等々と取り違えているにすぎないのかもしれません。
「勉強になった」はよく使われますが、こちらは(常套句ではあるにせよ)「典拠あることば」という感じが希薄です。これに対し、「一つ学問をした」は、丸谷才一と司馬遼太郎の例しか見つけていないのに、「典拠あることば」という感じがなぜかするのです。大仰な言い方だからでしょうか。
筒井康隆『俗物図鑑』には「よい勉強をした」。これも「典拠あることば」という感じは希薄です。ただ、こうした皮肉の言い方自体は、溯って行けばだれかの文章に行き着くかもしれません。
それまでは随筆というものが「心象と物象との交わるところに生じる文である」とは夢にも思っていなかったため、ぼくは腹立ちを押えてウーンと考え込み、さては随筆というものは「心象と物象との交わるところに生じる文で」あったか、これはよい勉強をしたと、ぽんと膝{ひざ}を打ち、便所へ行って小便をし、その晩はぐっすり眠ったのである。ここまでをまとめますと、私の興味は(1)「一つ学問をした」という言い方に典拠ありや(2)「一つ学問をした」「勉強になりました」「よい勉強をした」(「ためになった」)等々、皮肉表現としての同趣の言い方には源流はありや(もしくは源流などなく、古今東西だれもが使う自然な表現か)、ということになります。(
『狂気の沙汰も金次第』新潮文庫 p.12)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 30日 金曜日 18:01:31)
> 筒井康隆『俗物図鑑』には
これは間違いです。あとの『狂気の沙汰も金次第』が正しいのです。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 30日 金曜日 18:05:03)
> (2)「一つ学問をした」「勉強になりました」「よい勉強をした」(「ためになった」)等々、皮肉表現としての同趣の言い方には源流はありや
これはさすがに、ただの皮肉表現であって、源流もへちまもないような気もします。