2003年06月02日

踏んだり蹴ったり(道浦俊彦)

「踏んだり蹴ったりの目にあった」と言っている本人は、本当は「踏んだり蹴ったりの目に合わされた」わけで、そういう意味から言うと、
「踏まれたり蹴られたり」
と表現した方が、現実に合致しているように思うのですが、なぜ「踏んだり蹴ったり」と言うのでしょうか?また、恐らくこれと似たような「例」があると思いますので、それもあわせてご教示ください。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 03日 火曜日 14:10:53)

 「ふんだりけったり」は、私の意識では、〈歩こうにも、異物を踏んだり蹴ったりで、七転八倒してしまう〉、という感じだったのですが、『日本国語大辞典』によれば、加害者側の言い方がもとであるようで、被害者側のものには用例がありません。

 「ふんだりけったり」の目にあわせてやる

のようなところから、攻守が入れ替わったのではないか、という気もしますが、どうなのでしょう。

加害者・被害者がともにいる場合には、どちらにも解釈できそうで、明らかに被害者側から言ったいいかたである、と断定できそうなのに、次のものがあります。

尾崎一雄「まぼろしの記」九

 椎名氏も夫人も、こつちの気のせゐではなく、確かに老けたやうだ。農家へのアルバイトにも出なくなつた。
 暫くして、夫人が眼を悪くしたといふことだつた。
「緑内障つていふ病気ださうです。ちよつと見たところ、何でもないやうですけど」
 と妻が報告した。
「そりやソコヒだ。白内障、黒内障、緑内障と種類があつて、緑内障は悪質と聞いたけど…」
「ソコヒですか。盲目になるんでせう、あれは。あの奥さん、踏んだり蹴つたりですね」


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 00:45:46)

見坊豪紀『ことばの海をゆく』(朝日選書) p.74には

 池田弥三郎氏は「気になることば」(『暮らしの中の日本語』毎日新聞社昭和51年3月刊所収)のなかで〔略〕おかしいことばをいくつかせんさくして、〔略〕「ふんだりけられたり(けったり)」などとともに〔下略〕
とありますから、1970年代に「ふんだりけられたり」と言う人がいたらしいことがわかります。これは、(その原文を見ずに私が臆測すると)「ふんだりけったり」が行為者側からの言い方であることに違和感を感じた人が「ふんだりけられたり」と、(なぜか後のほうだけ)受け身形にしたということかもしれません。


masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 07:12:55)

”明らかに被害者側から言ったいいかた”の用例としては天明4年発行の『柳多留』19巻に次のようにあります。

   ふんだりけたりの目に今川出合(19-20)
   [桶狭間で敗れた今川義元]

牧村史陽編『大阪ことば事典』(講談社学術文庫 1984年)でも「散々な目にあうこと。重ね重ねひどい目にあうこと」と”明らかに被害者側から言った”ものです。

小峰大羽『東京語辞典』(新潮社 1917年)では定義は加害者側、例文は被害者側です。

   ふんだり・けッたり【踏蹴】非道に非道を重ねること。「―散々の献に遇ふ」

平凡社の『大辞典』の「踏んだ上に蹴る」の語釈も「[諺]散々な目に遭ふに譬へる。踏んだり蹴たりともいふ」と被害者側からのものです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 15:37:29)

masakimさん、有り難うございます。

 「明らかに被害者側とわかる」という書き方は不足でした。「加害者がいないので被害者側からとしか判断できない」という風にした方がよかったかと思います。(例えば「……させて頂く」にしても、させる主体がいる場合と、いなくても「させて頂く」という場合では、許容度が異なるようなことを考えました)

「踏んだり蹴ったり」とは違う「殴る蹴る」ですが、こちらは被害者側からの言い方にはなっていないと思われます。

仕切屋が何か細工して、秤をごまかし、それがばれて屑屋の仲間からなぐる蹴るの目にあわされたという話。(井上光晴「眼の皮膚」1966)
「なぐる蹴るの目にあわされた」から「なぐる蹴るの目にあった」となったとしても、「加害者・被害者がともにいる場合には、どちらにも解釈できそうで」というつもりのものでした。

それにしても、平凡社大辞典1936は、語釈上、被害者を前面に押し出していているわけですね。

尾崎一雄「まぼろしの記」は、1962年でした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 16:27:32)

池田弥三郎『暮らしの中の日本語』(旺文社文庫1980.4.30)「気になることば」(『風景』昭和50年6月)にある、「へんな言い方の一覧表」のなかに、

○クリン・アップ・トリオによって、つるべ打たれた。
○これではまったく、ふんだり、けられたりである。
つるべ打たれる、ふんだりけられたり、の例でみると、話者が、ウロウロしているのが、このごろの特徴なのかもしれない。
とありました。


posted by 岡島昭浩 at 14:32| Comment(0) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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踏んだり蹴ったり
Excerpt: 本日は「踏んだり蹴ったり」をキーワードに、とんでもない事態が次々と押し寄せてきて翻弄された人たちの、怒りと悲しみの綴られたテキストを、ピックアップしてみようかと思います。
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