E.L.カニグズバーグ作・小島希里訳『ティーパーティーの謎』(岩波少年文庫051) p.33に次のようにあります。
●A. イジーがグラスをたたきわって、みんながヘブライ語でマザル・トーヴ(おめでとう)と叫んだちょうどその瞬間だった。上のうち「(おめでとう)」は、本文と同じ9.5ポイントです。「(イスラエルの伝統的なダンス)」は8.5ポイントと思われます。
●B. アレンをのぞく全員が輪になってホーラ(イスラエルの伝統的なダンス)を踊りだしたので、ぼくはクラブハウスを抜けだしておばあちゃんの家に走ってもどった。
この差は何でしょうか。単なる不統一でしょうか。
いったいに、( )に入った語句でも、内的独白のようなものは本文と同じポイントで、1単語程度の注釈はポイントを落とす処置がとられるようです。問題は、それ以外の場合です。この本では、
●C. つまり、天気予報ではなく暦をみて冷房をつけたロボットがいたらしい(本物の人間かもしれないし、電子装置かもしれないけれど)。(p.10)などは、本文と同じ大きさです。ところが、たとえば柴田武『日本語はおもしろい』を見ると
●D. つまり、(教会と教室との)中間ぐらいの作法でいけとの通達が出ていたというわけだ。(p.10)
◆E. スキー、スケートは、「スベル(滑る)」と、初頭の一音が同じであるだけでなく、(p.30)などではカッコ内は本文と同じポイントですが、
◆F. 「カーカー(烏が鳴く)」「かっきり(一時に着く)」のような擬音語・擬態語、(p.100)
◆G. 言語学のうち、地理言語学(方言学)の重要な概念を表わす用語が(p.67)
◆H.「現代仮名遣い」では「頬」を一義的にホオと規定しているよう(中略)だが、(p.25)などではカッコ内はポイントを落としています。
◆I. エレベータ、モータ、ダンパ(ストーブの節気弁)という例が出ている。(p.49)
◆J. 国広哲弥『意味論の方法』(大修館書店、一九八二年)に紹介されている東京方言(山田進さんのもの)と、(p.91)
◆K. 今度教えてもらった菅原新三郎さん(宮沢賢治記念館の社会教育指導員)によると、花巻方言では、(p.116)
◆L. その一つに、「同音語には共通アクセントをつける」ということがある(「共通アクセント」は「共通語(東京語)のアクセント」の意味らしい)。(p.162)
C「(本物の人間かも…)」とL「(「共通アクセント」は……)」との方針は齟齬していますし、G「(方言学)」とI「(ストーブの節気弁)」とも齟齬しているのではないかと思います。
ポイントを落とすかどうかというはっきりした基準はあるのでしょうか。本によっては、括弧内は一律にポイントを落とす、または、落とさないものもあるようです。
文学と論文とでは異なるかもしれません。論文等では、注釈の主旨にかかわらず、文相当のものはポイントを落とさず、句または単語であればポイントを落とすのがよいのではないかと思います。しかし、実際はそうではないのでしょうか。
skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 08日 日曜日 03:28:09)
丸括弧の箇所の文字の大きさについては、明確な基準はないと思います。
編集方針というか、編集者(あるいは著者)の好み次第でしょう。
同じ出版社の本でも違うことは珍しくありません。
小さくしたりしなかったりは、たとえば言い換えの単語程度なら小さくせず、補足説明は小さくするといった方式があります。
CやDの箇所は原文からある記述なので小さくしないのかもしれませんね。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 08日 日曜日 12:16:54)
すると話は簡単なことでしたね。
明確な基準がないということになると、これは自然の言語と同じく人々(編集者?)の間に「見えないルール」があるのかもしれないと思ったりもします。「これこれの場合は実際には80パーセントが小さくなっている」といった具合に。
それを研究するとなると、すこぶる微妙な研究になりそうですが。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 20:30:14)
私の本では外国語の単語の読みや意味を丸括弧に入れて表記しています。
私としてはこれらの括弧内の内容は本文の流れをある意味妨げてしまうので、
少し小さなフォントにしたかったのですが、
編集者の方から「語源に関する本を買ってくださる方には年配の方が多いので、
ポイントを落とすと読みづらくなる」という指摘があり、
結局本文と同じポイントにしています。
「見えないルール」の研究、なかなか難しいかもしれません。