丸谷氏の作品は一作ごとに「議論」の占める割合が大きくなってきているように思います。『裏声で歌へ君が代』では物語50パーセント・議論50パーセントぐらいだったのが、『輝く日の宮』では物語10パーセント・議論90パーセントぐらいになっているのではないでしょうか。小説にストーリーを求める読者にとっては苦痛かもしれず、また、純粋に実証的な文学研究を求める読者にとってはあまりに荒唐無稽にすぎるかもしれず、そうすると、多くの読者がつくのかどうか心配になります。(といいつつ私はまあ面白く読みましたが。)
登場人物たちが、狂言回し・解説者としての役割に力を入れるあまり、自分自身の人生を十分に生きていないのではないかという気もします。人物にリアリティが欠けているのはこの作品の瑕瑾ではないかと思います。
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ことばについてですが:
・若者ことばを写そうとする努力。「ヒロインはあたしにわりかし似てゐる名前だつた」(p.36 女性)、「これってかなりいい線だと思います」(p.88 同)、「ていふか、お願ひですね、むしろ」(p.408 若い女性)、「梨のコンポートとか食べて」(p.415 同)、「「別に何もないんです。ただちよつと、先生とおしやべりしたくなつて」みたいな返事を期待してゐた。」(p.404-405 地の文)
地の文で「『〜』みたいな」というのはまるで若い作家の文章みたい。
・丸谷式仮名遣いの不統一。「一座は感に堪えた様子でしたし」(p.219)とある一方で、「佐久良が感に堪へた声で」(p.414)
また「店を出た真佐子は丁度{ちやうど}来合せた車に乗り、」(p.16)とある一方で、「ちようど盆の十三日、迎へ火を焚くと、」(p.210)
*いずれも後者が丸谷仮名遣いに合っているのでしょう。
・独特の言い回し。「一般に荒つぽいことをしないのが公卿の流儀だつた。保元の乱からはちよつと別になるけれど。菅原道真の流刑それとも左遷でさへ、あれだけみんなに厭がられた。」(p.392)
*このような「それとも」の使い方、何カ所かあり。
・これも独特の言い回し。「京都の男から、テレビでの話を褒める手紙を添へて、19世紀文学研究グループのリーフレットが送つて来て(返信用封筒つき)、サインがほしいとのことだつた。」(p.118)
*このような「〜が送って来る」はもう1カ所ありました。「〜が送られてきて」または「〜を送ってきて」と私ならば言いますが、これは丸谷氏の口癖でしょうか。
・わからないことば。「そこで会長は両手をおろし、そして言つた。/「KBなしといふのが嬉しい」/「はい、大丈夫です」/「あの手のことはどうもね」/「でも、きれいごと言つてられませんから」(p.298)
この「KB」とは何でしょうか。会長が、役員の男に社長就任を要請する場面です。
masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 18日 水曜日 05:26:23)
丸谷才一『輝く日の宮』は未読ですので引用された文から推理するしかありませんが、私の知っているKBはkickback(リベート)の略ですので「みかえり、代償」のことではないでしょうか。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 21:28:57)
ありがとうございます。『日本国語大辞典』『大辞林』『角川外来語辞典』『小学館ランダムハウス英和辞典』など手近の辞書を見ると、キックバックの意味は載っていませんでした。よく使われる隠語なのでしょうか。